イビルアイが仮面を外すとき   作:朔乱

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恋の迷路(後編)

 あらかじめ〈伝言〉で連絡していたせいか、パンドラズ・アクターは館の入り口でアインズを出迎え、中に招き入れた。

 

 パンドラズ・アクターのいつもと変わらない態度で、アインズはこのところ張り詰めていた気持ちが若干緩んだ。派手派手しい気障な仕草も、今日はいくぶんマシに思える。もしかしたら、パンドラズ・アクターなりにアインズに気を使っているのかもしれない。

 

 応接室に入ると人払いをし、アインズはいつもどおり上座に腰を下ろす。そして、躊躇なくパンドラズ・アクターもアインズのすぐ隣に座り込む。いつもなら多少引くところだが、今日はそういう気安い存在がありがたかった。

 

 だが、さしものアインズも、何と言ってパンドラズ・アクターに相談していいのか、とっさに思いつかない。

 

 考えあぐねたアインズはだらしなくソファーにより掛かった。高級なソファーは音もなくアインズの身体を受け止める。こうやって人目を気にせず振る舞えるだけでも、ここに来た価値はあるように思う。そもそも一応親にあたる立場のはずなのに、子どもに結婚だの子づくりの相談をするのはアウトなのではないだろうか。

 

 なかなか話を切り出そうとしないアインズを不思議に思ったのか、パンドラズ・アクターが先に口を開いた。

 

「どうかなさいましたか? 父上。かなりお疲れのようですが」 

 

 冷静に指摘されて、アインズはようやく自分が精神的にかなり参っていたことに気がついた。

 

「ああ、今いろいろと立て込んでいるからそのせいだろう」

「立て込んでいるといいますと、お妃騒動の件ですか?」

「……まぁ、そうだな。正直どうしたらいいのか、考えあぐねている。なあ、パンドラズ・アクター。お前もこんなことを聞かれると困るとは思うのだが、俺はどうするべきだと思う?」

 

 パンドラズ・アクターは軽く首を傾げてアインズを見ていたが、無表情な埴輪顔のままでくすりと笑った。

 

「父上の思うようになされば良いのではありませんか?」

「俺の思うようにと言われてもな……」

 

「別に誰かにいわれたとか、そういうことに父上が縛られる必要などないと思うのですが。例えデミウルゴス殿にお世継ぎを見せて欲しいといわれたからといって、ナザリックの支配者である父上が、心を曲げてまでお作りになる必要などないでしょう」

 

「しかし、俺はデミウルゴスに約束をしたんだ。パンドラズ・アクター、約束を反故にするのはやってはいけないことだと思わないか?」

「それとこれとは話が別です。これは父上自身の問題なのですから。そもそも、父上は本当にお世継ぎを望んでいらっしゃるのですか?」

 

 パンドラズ・アクターに尋ねられ、アインズは自分がそのようなことを真剣に考えたことなど、一度もなかったことに気がついた。

 

「わからない。どうなんだろう? ……俺はずっと自分が結婚するなんて思ってなかった。だから、子どもを持つなんて、自分には関係ないしありえない。そんな風に考えていた気がする」

 

「――父上はなぜ、そのようにお考えだったのです?」

 

「なぜ? なぜかな……。理由すら考えてみたことはなかった。多分、自分の未来に興味がなかったのかもしれない。どのみち、ただ生きて死んでいくだけの人生にしか思えなかったから」

 

 自嘲気味につぶやくアインズを見ながら、パンドラズ・アクターは珍しく黙り込んだ。しかし、少しして、アインズの顔を覗き込むように言った。

 

「今もそのようにお考えなのですか?」

「…………」

 

 アインズの脳裏には、全く夢も希望も存在しないリアルの現実と、この世界に転移してきてからの様々なことが走馬灯のように駆け巡る。

 

 リアルに関しては、うっすらとした絶望感と諦めきった自分がいたことがほのかに思い出されるだけだ。ユグドラシルにインして、仲間たちと共に世界を冒険することはとても素晴らしかった。あの輝きだけはアインズの胸のうちに強く残っている。しかし、それは過去の栄光のようなもの。もはや喪われて久しい……、他の誰も振り返らない……栄光。

 

 そう考えると、ある意味、生ある人間をやめてしまったはずの今の方が、むしろ生きていると感じられなくもない。多くの者たちと出会い、そして別れ、仲間の愛し子達と国をつくり、新しい未来に向かって進もうとしているのだから。

 

「父上は皆に愛されているのですよ。それはおわかりですか?」

 

 アルベドが、シャルティアが、アウラがアインズに向かって微笑みかけ、愛の言葉を囁いていくのを幻視する。そして、仮面を被った少女も……。

 

 本当に自分は愛されているんだろうか。

 愛していると言われても、それを言葉通りに信じてもいいのだろうか。

 モモンガさんになら任せられる。

 そう笑顔でいっていた人たちは、皆自分から去ってしまったというのに。

 

 アインズは軽く頭を横に振って、おそらくこの世界の中で一番自分が信頼出来るはずのNPCを正面から見つめた。

 

「――パンドラズ・アクター、俺はどうしたらいいと思う?」

 

「父上の御心のままになさるのが宜しいかと。ただ、これだけは申し上げておきます。父上が何を選択されても、何を望まれても、私は父上の味方です。例え、ナザリック全てが敵に回ろうと、至高の御方々が父上に刃を向けることがあっても、私だけは父上のお側で戦いましょう」

 

 パンドラズ・アクターの静かな声には、いつもの大仰なところも、妙に格好つけたところもなかった。

 

「そうか。ありがとう、パンドラズ・アクター」

 

 なんとなく、みっともないところを息子に見せたような気がして、アインズは照れ隠しにパンドラズ・アクターの軍帽の上から頭をぐちゃぐちゃに撫でた。パンドラズ・アクターもまんざらではなさそうな様子でされるがままになっている。

 

 やはり自分のことなのだから、自分で決めるしかない。しかし、アインズの心は、ここに来る前よりも多少明るくなっていた。

 

「それでは、邪魔をしたな。お前も何かと忙しいのだろ? そういえば、先日発見されたプレイヤーの住居跡の調査結果はどうだった?」

 

「改めて念入りに調査いたしましたが、価値あるアイテムの類などは残されていませんでした。恐らく、イビルアイが発見した日記以外は本人が持ち去ったか、もともと大したものを持っていなかったのでしょう」

 

「まぁ、そうかもな。あそこのギルドはもともと物に固執するタイプではなかった。それに拠点ごと来たわけでもないのであれば、アイテムなどは手持ちのものしかなかっただろう。であれば、全て自分で持ち歩いていたと考えるのが妥当だろうな。ご苦労だった」

 

「いえ、とんでもございません。そういえば、冒険者組合では、父上が蒼の薔薇に先日の報奨として下賜された武器の話でもちきりですよ。他の冒険者たちもずいぶんやる気になったようです。やはり、身近なところに目標があるというのがよいのでしょう。流石は我が父上。人心の掌握に長けておいでですね」

 

「いや、そんなことはないさ。しかし、朱の雫が来てくれたおかげで、魔導国の冒険者組合もかなり層が厚くなった感があるな。彼らはどうしている?」

 

 パンドラズ・アクターは非常に微妙な表情になった。とはいっても、アインズと同様、表情が面に出る種族ではないから、なんとなくそんな気がするだけだ。

 

「なかなかの人望を集めています。なにしろ、現時点の魔導国の冒険者の中で、彼らほど豊富な経験があるものはおりませんし。能力も人柄も際立っていると申せましょう。年齢的な問題で、遠からず冒険者自体は引退するつもりのようですが、アインザックはいずれ組合の運営にも協力してもらいたいようです。ただ、その……、リーダーのアズスは少々変わった趣味があるようで……」

 

「ふぅん? そうなのか? 俺が会ったときは特にそんな感じはしなかったがな。何か困ったことでもあるのか?」

 

「あぁ、父上にはそうかもしれませんね。大丈夫です。適当にあしらっておりますし、なるべく近寄らないようにしております。何といっても、モモンは父上がお創りになられた英雄ですから。イメージを損なうようなことがあってはいけませんので!」

 

 パンドラズ・アクターが何を言っているのか、アインズには微妙に理解出来なかった。だが、総合的には好意的に受け取っているようだし、とりあえず大丈夫なのだろう。本当に問題があれば、早めに何らかの報告をしてくるはずだ。

 

 いくら黒歴史といえども、パンドラズ・アクターの人あしらいの上手さには、アインズも全幅の信頼を置いている。当初あれだけ市民から反発されたエ・ランテルの統治が、予想よりもかなり早い年月でスムーズに回るようになったのは、パンドラズ・アクターの働きがあってのものなのだから。

 

「そうか。それなら良かった。では、そろそろ帰るとしよう。思いがけず長居をしてしまった」

 

 アインズがソファーから立ち上がろうとした瞬間、パンドラズ・アクターからいきなり腕を掴まれた。

 

「父上、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか? いくつかご報告したいことがございます」

「あ、ああ、もちろんだ。お前のことだ。大切な話なのだろう?」

 

「はい。実は、私、デミウルゴス殿に頼まれまして、学校等で使用するための廉価な紙を作成しようと、効果的な製紙法の研究を行っておりまして」

「ふむ、確か、この世界では生活魔法で作成しているとかだったな。やはり、それでは必要数には足りないのだな?」

 

「学校教育用の教科書作成に必要となる量を試算しましたところ、現在の現地民の魔法による生産量ではかなりの不足が生じます。また、一般に文字を普及させるためには、廉価な紙が大量に流通させる必要があるかと思われます。最初は十分な術者を確保できれば問題ないかと思いまして、ナザリックにいるエルダーリッチに、製紙魔法を習得させようと試みたのですが……。やはり彼らには、新たな魔法の習得は不可能のようですね」

 

「なるほどな。それで何か解決方法は見つかったのか?」

「父上、こちらを御覧いただけますか?」

 

 パンドラズ・アクターが取り出した数枚の紙は、ゼロ位階魔法の紙よりも遥かにきめ細かく上質だが、ナザリックで使われている紙に比べると若干荒く僅かだが色がついている。しかし、本や書類等で日常使用する分には問題ないように思われた。

 

「これは、魔法で作られたものではないのか?」

 

「違います。最古図書館(アッシュールバニパル)の資料から見つけました古の製紙法を試してみましたところ、魔力を使用しない紙の作成に成功したのでございます。これであれば、原料さえあればいくらでも作成可能ですし、主原料も普通の木材ですので、容易に入手可能です。実作業はスケルトンをお借りできれば問題ないかと存じます。父上のご許可さえいただければ、これを大量生産して外貨収入及び、魔導国内での使用に当てたいと考えております」

 

「ふむ、それはなかなかいいアイディアだな……。ちなみに、これはスクロールの原料には出来なかったのだよな?」

「左様でございます。第一位階用にすら出来ませんでした」

 

 スクロールに使用できないのは残念ではあるが、外貨収入につながるという話は、アインズにとって非常に喜ばしく思われる。なにしろ国の運営にもナザリックの運営にも資金はいくらあっても足りないのだから。ただ、古の製紙法という言葉で、アインズは以前ブルー・プラネットから聞いた話をふと思い出した。

 

『モモンガさん、知っているかい? リアルの環境が汚染された原因の一つは、紙の作成に大量の自然の木材を使用したせいなんだ。その結果、森の面積が減り続けたことで自然災害が増え、環境破壊につながったのさ。全く、人類というのは愚かだと思わないか?』

 

(そういうことを、この世界でも繰り返しちゃ駄目ですよね、ブルー・プラネットさん)

 

 ただ、どうすればこの世界を美しいまま保つことが出来るのか。アインズの頭では対策など思いつかない。むしろ、その点はパンドラズ・アクターに考えさせたほうが、自分の頭で考えるよりもより良い答えを出すに違いない。

 

「パンドラズ・アクター。木材を使用した製紙法には問題があって廃れたという話を聞いたことがある。木材を使用しすぎることで自然のバランスが崩れ、結果として世界が滅びかねない状況にまで追い込まれることもあるというのだ。俺としては、そのような事態は避けたいと思う。良い回避策はないか?」

 

 パンドラズ・アクターは即座に頷いた。

 

「その点は既に考慮しております。原則として、ドライアードやドルイドの力を用いてそれ専用の森を作り、使用する木材量自体も限定すれば、父上のご心配なされている問題は回避出来るかと。それと製紙法に関しては、あくまでも他国に流出させず、ナザリック限定で行えばいいでしょう」

 

「それはなかなか上手い手だな。パンドラズ・アクター、そこまで考慮しているなら俺から言うことは特にない。場所の選定についてはアルベドやマーレとも協議して決めるように」

「畏まりました。父上、ありがとうございます」

「ふむ。話はこれで本当におしまいということでいいか?」

 

 今度こそ帰ろうとアインズは立ち上がりかけると、再びパンドラズ・アクターに腕を掴まれた。

 

「あ、父上、もう一つお話が……」

「……まだ、何かあるのか? パンドラズ・アクター」

 

 どうして、こいつは気軽にこういうことをするのか。うっとうしくなったアインズは軽く手を振り払った。

 

「実は、蒼の薔薇のラキュースがモモンに好意を持っているようなのですが、いかがいたしましょうか?」

「…………えっ?」

 

 そういう可能性など全く考えていなかった。そもそも、ラキュースにそんな雰囲気があっただろうか。王国で最初に出会ってからのことを思い返すが、アインズには心当たりがなかった。

 

「やはり、モモンは父上の影武者ですから。まず最初に父上のご意向を確認するべきだと思ったのですが……」

 

 パンドラズ・アクターは可愛らしく首を傾げている。しかし、のっぺりした埴輪顔でそんなことをやられてもアインズの中での黒歴史度が上がるだけで、ちっとも可愛いらしいとは思えない。

 

「……お前さぁ、さっきまでの話を聞いておいて、俺がそんなことを答えられると思っているのか?」

「難しいかもしれませんね」

 

 さらっと答えられて、アインズはかなり苛ついたが、飄々としたパンドラズ・アクターには悪気はなさそうではある。それに、確かにモモンの振る舞いについて、自分に確認するのはもっともだ。あくまでも上司に対する報連相の類としてだが。

 

「――ラキュースに関しては、お前の判断に任せる。モモンとして適切に対応しておけ。ただし、ラキュースは貴重な人材だ。なるべく面倒ごとにはならないようにな」

「畏まりました。我が父の仰せのままに!」

 

 再び大仰にお辞儀をするパンドラズ・アクターに、アインズはがっくりと肩を落とした。

 

 

----

 

 

 パンドラズ・アクターの館から出てきたアインズは、すぐにナザリックに戻る気にもなれず、そのまま、夕暮れ時のエ・ランテルを少し散歩することにした。

 

 何の足しにもならないかもしれないが、こうして街を歩けば、少しでも現状の問題を解決するアイディアが浮かぶかもしれない。

 

 それに、アインズは少しずつ様々な種族が増え、街並みが整っていくエ・ランテルの街を見るのが好きだった。ユグドラシルでは悪名高いアインズ・ウール・ゴウンではあったが、元々は虐げられることの多い異形種の互助会のような集団だったわけだから、今の魔導国の姿は、ある意味それの理想形だともいえるだろう。

 

 そんな風に考えると、いつの日かこの地に他のギルドメンバーが降り立ったとしても、この国に満足して受け入れてくれるに違いない。

 

(誰かが来てくれると思うのは、単なる俺の我儘な望みなんだろうけどな……)

 

 アインズが通りを歩くと、自然と人々はアインズのために道をあけ、道路の端から畏敬の念がこもった目で見ている。まだ、稀に恐怖の視線を感じることもあるが、初めてエ・ランテルの街を歩いた頃に比べれば、全く気にならないレベルだ。

 

 いつものように、足は自然と冒険者組合に向かいそうになる。しかし、あまり頻繁に訪れるのもよくないだろう。アインズはしばし考え、数年前にイビルアイと過ごした公園にいってみようかと思いついた。

 

 ――あの公園はなかなか雰囲気がよかった。あの場所で少しのんびりすれば、気晴らしになりそうだな。なぜ、今まで思いつかなかったんだろう?

 

 久しぶりに訪れた夕暮れ時の公園は、以前と変わらずきちんと手入れされており、そこだけがゆったりとした時間が流れているようにも感じさせられた。人影はほとんどなく、木々の静かなざわめきと、かすかに響く噴水の水音だけが周囲を支配している。

 

 ちらりとずっと伴をしてくれているフォアイルを見ると、特に公園の美しさに心惹かれている様子はない。

 

 ナザリックの第九階層にある公園に比べれば、確かに見劣りはするかもしれない。だが、あの場所の美しさはあくまでも造られた美しさで、ここにある本物とは全く違うものだ。しかし、ナザリック至上主義なメイドからすれば、そんなことはどうでもいいのだろう。

 

「フォアイル、あちこち連れ回してすまないな。疲れたのではないか?」

「いえ! そんなことはございません。それに、アインズ様の赴かれるところであれば、どこまでもお供させていただくのが私の仕事ですから!」

 

 キラキラした瞳で元気よく返事をされて、アインズは多少引いたが、どのみちこういう答えが返ってくることは予想の範疇だ。返事の代わりに軽く頷くと、どこか適当に座れる場所を探しつつ公園の中をゆっくりと歩いた。

 

 見覚えのある小さな噴水の近くまで来た時「ふぇっ!?」というおかしな声が聞こえ、反射的にアインズがそちらを見ると、ベンチに腰をかけているイビルアイがいた。

 

 思いがけない出会いにアインズも一瞬頭が真っ白になる。

 

(こういう場合、どうすればいいんだろう。軽く挨拶でもして立ち去るのがいいのか? それとも、……隣に座ってもいいかとか聞いてもいいものなのか?)

 

 焦ったアインズは何を言ったらいいのかもわからず、かといって、イビルアイから目を離すことも出来ずにその場で立ちつくした。

 

 イビルアイもどうしたらいいのかわからない様子でわたわたしていたが、慌ててベンチから立ち上がるとアインズにぎこちなくお辞儀をした。

 

「あ、あの、アインズ様、どうしてここに……?」

「ん? いや、まぁ……、少し気晴らしにな。イビルアイこそ、どうしてここに?」

 

 アインズは何気なく聞いたつもりだったが、イビルアイは明らかに動揺したようだった。

 

「えっと……。その、時々来てたんです。エ・ランテルに来てからずっと。……この場所がとても好きだから」

 

 イビルアイのその言葉で、あの時のことがはっきりと思い出される。そういえば、あれは、アインズにとっては初めての異性とのデートだったのだ。何ともいえないふわふわした気分が沸き起こり、思わず胸がいっぱいになるが、次の瞬間高揚した気分が失われ、アインズは心の中で舌打ちをした。

 

 アインズは側に控えているフォアイルにしばらく席を外すように命じ、イビルアイに向かい合った。

 

「そうか。私もこの場所は好きだ。とても気持ちのいい場所だしな。イビルアイ、そこに座っても構わないか?」

「も、もちろんです。どうぞ」

 

 イビルアイはベンチの脇に移動し、アインズのために場所をあけた。

 

(ええ? 俺が一人で座るというつもりじゃなかったんだけど……。これって俺が座るように言わないと駄目なんだろうな、やっぱり)

 

「イビルアイ、お前も座ったらどうだ?」

 

 アインズはイビルアイに座るように自分の隣を軽く指し示す。イビルアイは軽く頭を下げて素直にアインズの隣に座った。

 

 イビルアイの仮面に隠された横顔を見ていると、数年前の複雑な気分を思い出すが、なんとなく二人でこんな風にベンチに座って穏やかな夕暮れの風景を眺めるのも悪くない、とアインズは思う。

 

 それに、あの時二人で過ごしたこの場所でなら、イビルアイの故郷で無理やりキスしてしまったことを素直に謝れそうな気がした。

 

「イビルアイ、その……、私はお前に謝らなければならないことがあるのだが……」

 

 仮面で隠れていてよくわからないが、アインズのその言葉でイビルアイが戸惑っているように見える。

 

「もしかして、私はアインズ様のお気に触るようなことをしてしまいましたか?」

 

「いや、そうじゃない。先日、私は何の断りもなく、お前にあんなことをしてしまって……。まず最初に、きちんとお前の意志を確認してからするべきだった。嫌な思いをさせてしまったな。本当に悪かった。許してくれ」

 

 イビルアイは一瞬言葉を失ったようだった。アインズを呆然としたように見ていたが、みるみるうちに仮面の脇から見えている耳が真っ赤に染まっていく。

 

「……アインズ様のバカ!!!」

 

 振り絞るような声で、思いっきりイビルアイに怒鳴りつけられ、アインズは硬直した。

 

 間違ったことをしたから謝っただけなのに、どうしてここまでイビルアイは激昂しているのだろう。もしかして謝り方が足りなかったんだろうか。

 

 イビルアイの手は怒りのせいか、ぶるぶると震えている。

 

「どうして……? どうして謝るんですか!? 私は、あの時、ものすごく嬉しかったのに……。それとも、アインズ様には、つまらない、ただの……気まぐれだったとでも……いうんですか?」

 

 イビルアイの声は怒鳴り声から、だんだん少しずつ泣き声に変わっていく。そして、アインズのローブの胸元を掴んで、そのまま本当に泣き始めた。

 

「い、いや、そうじゃない。そうじゃなくて……。私はお前に断る余地を与えなかった。でも、ああいうことは、お前にそういうつもりがあるのかとか、やってもいいのかとか。……最初に聞いてからやらないといけないことなんじゃないのか?」

 

 イビルアイのすすり泣きはアインズの心にも深く突き刺さり、自分がなにか大変なヘマをやらかしたことを感じざるを得なかった。

 

「イビルアイ、頼む。泣かないでくれ。お前を傷つけようと思って言ったわけじゃないんだ。すまない。私はこういうことは無知で、よくわからないんだ。だから、お前を傷つけてしまったんじゃないかとずっと不安だった……。それなのに、余計なことを言って、もっと傷つけてしまったのか……?」

 

 アインズは恐る恐るイビルアイの背中に骨の手を回した。払いのけられるかと思ったが、イビルアイはそうはせずに、そのままアインズの胸元をより強く掴んでしがみついてきた。

 

 そのまま、イビルアイに何と声をかけたらいいのかもわからず、アインズは静かにイビルアイの背中を撫でた。

 

 しばらくしてイビルアイの泣き声が少しずつ小さくなり、それから、ようやくイビルアイは顔を上げた。なんとなく、仮面の下から睨みつけられているような気がして、アインズは少しひるむ。

 

「――アインズ様。私は、前にアインズ様を好きだと申し上げました。それは覚えていますか?」

「……? もちろん、覚えている」

 

「諦めたりしないとも申し上げました。それも覚えていますか?」

「……ああ、そうだったな。確かにお前はそう言っていた」

 

「だったら! どうして、おわかりにならないんですか!? 私は本当に……本当に、幸せだと思ったのに……」

「イビルアイ……」

 

「アインズ様が、近々どなたかを娶られるということは知ってます。それに、私などが食い込める余地などないことも。でも……、だからこそ、私は……、あの時アインズ様から賜った慈悲を、自分だけの大切な宝物のように思っていました。それを否定されたら、私は……一体どうしたらいいんですか?」

 

 切々と訴えるイビルアイの言葉で、ようやくアインズは自分が何を間違えたのか理解した。何一つ自分がわかっていなかったことも。

 

「イビルアイ、私が間違っていた。許してくれ。いや、謝って許してもらえることじゃないかもしれないが。私は、あの時決して軽い気持ちでお前にキスをしたわけじゃない。私は……お前を大切に思っている。愛とかそういうのなのかはよくわからないが、それは嘘じゃない。……それに、確かに誰かを娶るという話はあるが、別に相手が誰とか何一つ決まっているわけじゃない。そもそも、私は自分がどうしたらいいのかすらよくわかっていない。ただ、皆にそうするよう望まれて、そのまま押し切られてしまっただけなんだ。……本当に情けない男だな、私は」

 

 アインズは本心からそう思い、右手でイビルアイの頭を優しく撫でながらつぶやいた。

 腕の中にいるイビルアイがもぞもぞと動いて少しくすぐったい。でも、ようやく気分が落ち着いてきたように見えて、アインズはほっとした。

 

「……アインズ様は、どなたかを愛されているというわけじゃないんですか? アルベド様とか」

「愛していないというわけじゃない。ただ、何というか、アルベドは友人の大切な娘という意識が強くてな。だから、結婚するのかと言われると、少し違う気がするんだ」

 

「そうなんですか……。じゃあ、アウラ様とかシャルティア様とかは?」

「そうだな。あの二人はアルベドよりも強くそう思う。特にアウラはまだ子どもだし。ちゃんとした一人前の大人になるまで育ててやらねばとも思っている」

「…………」

 

 何かをいいたそうにしたが、イビルアイはそのまま黙り込んだ。

 

「それに、皆が私に相手を決めて結婚するようにいうのは、私の世継ぎが欲しいからだ。しかし、私はアンデッドなのだから、子どもなど作れるはずがない。イビルアイ、お前だってそうなんだろう?」

「もちろん、そうです。私の冷たい身体では、万一子どもを授かったとしても子どもが育つわけがない。ただ、私はぷれいやーであるアインズ様なら、何か方法をご存知なのかと思っていました」

 

「……まぁ、確かに方法が全くないというわけではない。ただ、私は、そもそも自分が子どもが欲しいのかどうかもよくわからないんだ。そんな者が無理やり子どもを作って何になるんだ? 妻を持つのも、子を為すのも、国の支配者としての義務だと言われればそれまでなのだが……」

 

 アインズは自嘲気味に苦笑した。そもそも、こんな自分が国を支配するなどということ自体間違っているんじゃないだろうか。

 

 自分の中の考えに沈んでいた時、ふいに、自分の口元に何か柔らかいものが押し当てられるのを感じる。気がつくと、仮面を外したイビルアイが自分の唇も何もないただの歯に唇を軽く押し当てていた。そして、ゆっくりとそれを離す。イビルアイの赤い目がいたずらっぽく輝いていた。

 

「これでおあいこです、アインズ様。でも、私は謝ったりしないですから!」

「!?」

 

 慌ててアインズは手で口を抑えた。イビルアイが楽しそうにくすくすと笑っている。

 

「もしアインズ様が子どもを作られるのなら、私はとても嬉しいし、その子を抱いてみたい。私にはアインズ様の子どもを作ることなんて出来ない。でも、その子を可愛がるくらいは……私にも許していただけませんか?」

 

 イビルアイは屈託のない笑顔を浮かべていたが、どことなく寂しそうにも見えた。イビルアイはなりたくてアンデッドになったわけではない。軽い冗談めかして言ってはいるが、もしかしたら、そんなイビルアイこそ、ただの人間として自分の子どもを育て、死んでいきたいのかもしれない。

 

 異形種の自分やナザリックのシモベとは違い、人間の寿命など儚いものだ。今は何かと付き合いのあるエンリやンフィーレア、そしてアインザックも、皆、遠からず別れる日が来るだろう。そして、人としての生を選ぶなら、イビルアイだって……。

 

 そう考えるだけで、アインズの胸は何かに締め付けられるような気がする。

 

 イビルアイがずっと側にいてくれると言ってくれたからこそ、あの時、自分は絶望から立ち上がれたのだ。しかし、それで望まない人生を送らせるのは本当に正しいことなのだろうか。

 

 自分の持つ切り札を使えば、イビルアイをアンデッドの身体から開放することは出来るはずだ。何が正しいのか、もはや判断するのも難しいが、なんとなくアインズはイビルアイの望みなら一つくらい叶えてやってもいいような気がしていた。

 

「イビルアイ。一つだけ聞いてもいいか?」

「なんでしょうか?」

 

「もしも……、もしもだぞ? お前がもう一度人間に戻れるとしたら、お前は戻りたいか?」

 

 イビルアイは小さく息を飲んだ。

 

「人間に戻れば、恐らくお前は普通に美しい女性として成長し、そして、自分の子どもだって作れるようになれるだろう。もしそういう機会があったとしたら、お前はそうしたいと願うか?」

 

 イビルアイが逡巡したのはほんの僅かな間だけだった。そして静かに頭を横に振った。

 

「私は別にそういうことを望んではいません。私はこの身が滅びるまで、吸血姫(アンデッド)として生きていくつもりです。それが私の生きる道ですから」

 

「そうか……。お前は自分の信念を貫くつもりなんだな。とても羨ましいし、憧れるよ」

 

 イビルアイははにかむように微笑んだ。

 

「そんなことはないです。それに、私はアインズ様をとても尊敬しているし、憧れてますから。それに約束したでしょう? ずっとアインズ様のお側を離れないと。人間になったら、それが出来なくなりますから!」

 

「ああ、そうだったな。側にいてくれると約束したもんな。ありがとう、イビルアイ。俺は少しどうかしていたのかもしれない」

「……そんなに御相手に迷うなら、私と結婚してくださってもいいんですよ? もっとも、お世継ぎは出来ませんけど!」

 

 冗談めかしてイビルアイはそういうと、再び外していた仮面をつけた。

 

「はは、それも悪くないかもな。どのみち、私だって子どもなど作れないのだから、同じことだ」

 

 イビルアイは楽しそうに笑い、アインズもそれを見て、悩んでいたのが嘘のように明るい気分になり、笑い声をあげた。

 

 気がつくと、辺りはすっかり暗くなろうとしている。それに気がついたのか、イビルアイは慌てて立ち上がった。

 

「それじゃ、アインズ様、私はそろそろ戻ります。これ以上遅くなると、他の連中にお腹が空いたと文句を言われてしまう。お会いできて嬉しかったです」

「いや、私もお前と話が出来て楽しかった。気をつけて帰るといい」

 

 ペコリと頭を下げ、イビルアイは急いで公園から歩き去っていく。

 

 その迷いのない後ろ姿を羨ましく思いながら見送ると、アインズは出ないため息をついた。結局これだけ考えても、何一つ決められない自分に少々腹が立つ。

 

 しかしながら、そう簡単に答えが出るなら苦労はしないだろう。どのみち、アインズはそれほど優秀な人間ではない。もしかしたら、明日になればいい考えが浮かぶかもしれないのだ。

 

 半ばやけになったアインズは、未来の自分が今の面倒事を解決してくれることを信じて、全部丸投げすることに決めた。

 

 

 

 

 

 




キャスト様、誤字報告ありがとうございました。
-----

幕間話を最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

大変申し訳ないのですが、当分書く時間がとれないため、次回の更新は早くて秋ぐらいになってしまうかもしれません。なんとか14巻発売前には完結させたい気持ちはあるのですが、今の所いつまでそうい状態になるのかスケジュールが読めず…。
気長にお待ちいただけるとありがたいです。

次回からは、いよいよ四章になります。
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