多少問題がなかったわけではないものの、和気あいあいと会議は終了した。
とりあえず、面倒な仕事が一つ無事に片付いたアインズは、目の前の書類を適当にまとめると、後ろに控えていたセバスに手渡した。
今頃、アルベドは、スレイン法国で作戦準備をしているはずだ。
どんな状況か確認してみたいような気もするが、下手に邪魔をするのもまずい。
むしろ、アルベドとパンドラズ・アクターというナザリックの誇る二人の智者が、法国でどんな結果を出すのか、期待して待つのが支配者の仕事というものだ。
アインズは、とりとめのない考え事をしつつ、目の前にいる三人をぼんやりと眺めていた。
フールーダとラケシルは、恭しくアインズにお辞儀をすると、はやく話の続きをしたかったのか、慌ただしく部屋を辞していった。
イビルアイもソファーから立ち上がると、何かいいたげな素振りを見せたものの、そのまま丁寧に頭を下げ、扉に向かおうとしている。
イビルアイの赤いマントが一瞬ふわりと舞い、いつもの甘い香りが漂う。
もう少しだけ引き止めて、話をしたい。
そういえば、このところの悩みのタネも、イビルアイにだったら話せるかもしれない。
そんな考えが頭をよぎり、アインズは、自然とイビルアイに声をかけていた。
「イビルアイ。この後、まだ時間はあるのか?」
驚いたように振り向いたイビルアイは、こくりと頷いた。
「実は……、そう。この件とは別に、お前に相談したいことがあったのだ。良かったら、もう少しだけ付き合ってくれないか?」
仮面をつけたイビルアイの表情はわからなかったが、イビルアイは素直に頷いて、アインズに促されるまま、ソファーに腰を下ろした。
呼び止めたまではよかったものの、何をどう切り出したらいいのか、アインズは、すぐには思いつかなかった。ただ、ナザリックのものには、あまり聞かれたくない話になりそうだったので、再び、メイドに飲み物だけ用意させ、シモベは全員退室させた。
少しばかり、気詰まりな時間が過ぎていく。
あまり何もしないのも不自然なので、アインズはテーブルの上で軽く指を組んだ。
その仕草に、イビルアイは、一瞬見とれた。
アインズのほぼ全ての指には、色とりどりの宝石で飾られた指輪がはめられている。
どれも芸術品のようだが、とてつもなく強力な魔力を秘めたものに違いない。
相手が普通の人間だったら、ただの成金趣味にしか見えなかったかもしれない。だが、アインズの真っ白い骨の指の上では、それぞれの美しさが、より引き出されているように感じた。
思わず、まじまじとその指と指輪を見つめているうちに、ふと、今日はどちらの薬指にも指輪がないことに気がついた。
(あれ、右手の薬指にも指輪をはめていらしたような……?)
もちろん、左手の薬指が常に空いていることは、これまでも何度となく確認している。
どちらかというと、そちらに完全に意識がいっていたので、右手の薬指には、どんな指輪がはめられていたのか、あまり覚えていなかった。
「アインズ様、右手の指輪は今日はされていないのですか?」
自分を前にしたまま、黙りこんでいるアインズに、何気なくイビルアイは話しかけた。
「ん? 右手の指輪?」
アインズは、自分の右手をちらりと見て、イビルアイが言っているのは、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンのことだと、すぐに気がついた。
防衛上の理由で外しているのだから、話していいものなのか、ほんの少しだけ迷ったが、既にイビルアイは、ナザリックには、ほぼ出入り自由になっていることを思い出した。
(だったら、いいか。どのみち、アルベドやマーレも、ナザリックでははめているんだし。むしろ、あらかじめ、話しておいたほうがいいのかもしれないな)
それに、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの話をしたいという気持ちは、正直ある。アインズは高揚しそうな気分を必死に抑え、何気ない口調で話した。
「あぁ、あれは、ナザリックの中にいる時だけはめるようにしているんだ。今、私がはめている指輪はどれも貴重な品だが、あの指輪には、私にとっても、ナザリックにとっても、非常に重要な意味があるんだ」
「そんなにすごい指輪だったんですか……」
感心したようにイビルアイに言われて、アインズはつい嬉しくなった。
何しろ、この世界に来て以来、アインズ・ウール・ゴウンの素晴らしさを、NPCはともかく、これまで誰にも話すことができなかったのだ。
今、この部屋には誰もいないし、この建物はナザリックとほぼ同レベルの間諜対策が施されている。それなら、少しくらい、昔のことを自慢……、いや、話しても問題ないだろう。多分。
アインズは、指輪を密かに隠した場所から取り出すと、手のひらの上に載せて、イビルアイに見せた。
「これだろう? あぁ、私がこれを持ち歩いていることは、決して口外しないように」
「もちろんです。誰にも絶対にもらしません」
「結構」
目の前にある大粒の赤い宝石の奥には、魔導国の印が精緻に彫り込まれている。
イビルアイは、そのあまりの美しさにため息をついた。
「まるで透かしのように魔導国の印が入っているんですね。こんなに美しい細工が施された指輪は見たことがありません」
「はは、それは嬉しいな。これは、昔、私が仲間たちとナザリックを創り上げたときに、併せて作った指輪なのだよ。その名も、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン」
アインズは高らかにそう宣言した。
「えっ……、これは、アインズ様の名前がつけられた指輪なんですか!?」
ひどく嬉しそうなイビルアイの一言で、アインズは、うっかりヘマをやらかしたことに気がついた。
(しまった。これじゃ、俺がいろんなものに、自分の名前をつけて歩く、変な人だと思われてしまう。それでなくとも、魔導国に
しかし、むしろ、自分が誰かに相談したくてできなかった諸々の話をするには、思い切って、本当のことを話したほうがいいんじゃないだろうか。
それに――
(イビルアイも、本当の名前は隠していると言っていた。それなら、俺がこの世界で、本来とは違う名前を名乗っていることを明かしても、あまり驚かないかもしれないな。ただ、俺の本当の名前は、何だと話したらいいんだろう? やっぱり、モモンガ? でも、モモンガは、ユグドラシルのアバターの名前で、自分自身の名前なのかといわれると、少し違うような気もする。だとすると……、俺は、まだ、鈴木悟なのか?)
鈴木悟。
その名前の響きは、今となっては、はるか昔の記憶のような、まるで自分ではないもののように思われた。
それが、本来の自分の名前なのは、間違いないはずなのに。
突然、黙りこんでしまった自分を、イビルアイは不思議そうに見ている。
――俺は、自分が『アインズ・ウール・ゴウン』でも『モモンガ』でもない、愚かな一人の人間だということを、NPCたちに話せる日は来るのだろうか?
少なくとも、今は無理だ。
いずれは、自分が叡智あふれる支配者ではないことを、話すことになるだろう。
でも、物事には順序がある。
少しずつ。そう、少しずつ。
自分が愚かなところを素直に見せていけば、アルベドやデミウルゴスも、いつかは真実に気がついてくれるはずだ。
(イビルアイは、どこまで自分を受け入れてくれるのだろう? 今なら、少しくらい試してみてもいいんじゃないか? NPCではなく、設定にも縛られていない存在なら、もしかしたら、偉大な支配者であるアインズでもなく、強大な魔法詠唱者であるモモンガでもない、ただのしがない一人の男である鈴木悟を受け入れてくれるかもしれない。もし、ダメだったら、……そのときはそのときで、適当に誤魔化せばいい)
そんな風に思いつつも、アインズは心のどこかで、イビルアイが全てを受け入れてくれることを、自分自身が強く願っていることを感じていた。
そう、今ならパンドラズ・アクターの問いに答えられる気がする。
(俺の望みは、虚構の自分を崇めてくれるものたちではなく、対等に接してくれる仲間を得ること。昔の、アインズ・ウール・ゴウンのように、全員が対等の関係で、忠義とかそういうものではなく、自らの意志で共に同じ道を歩む仲間を得ること。もちろん、可能なら、皆の忘れ形見でもある、大切な子どもたちと共に……)
そのためには、アインズが絶対支配者として君臨している、今のナザリックではだめだ。
例えば、自由な意志を持つ存在として、俺自身を受け入れてくれるものたちと、新しい、いわば、新生アインズ・ウール・ゴウンを作るのはどうだろう。
昔、クラン・ナインズ・オウン・ゴールが、大切な仲間を失ったことで、新生ギルド、アインズ・ウール・ゴウンとなったときのように。
万が一、昔の仲間がこの世界に来て、それを受け入れてくれるのなら、その時は、新生アインズ・ウール・ゴウンに迎え入れればいいだけだ。
それが可能かどうかはわからない。
でも、一人では無理でも、他に賛同してくれるものがいてくれれば、全く不可能というわけではないだろう。
ただ、こういったことを全て、正直に話したとしたら、イビルアイは果たしてどんな反応をするのか。
(これは賭けだな。しかし、俺はこれまで何度も賭けをしてきた。場合によっては、俺自身の命すら対価にして。それに、今回の賭けには、賭ける価値は十分ある。少なくとも、未来の俺にとって……)
アインズは、イビルアイに改めて向き直った。
「――そうでもあるし、そうでもないともいえる。イビルアイ。アインズ・ウール・ゴウンというのは、本当は、私の名前ではない。昔、仲間たちと作ったギルドの名前で、私はただのギルドのまとめ役だったのだ」
「……えっ?」
「その当時、私はモモンガと名乗っていた。ただ、それが私の本当の名前といっていいのかどうかはよくわからない。少なくとも、私には、もう一つ、別の名前もある。しかし、この姿の……、アンデッドの大魔法使いとしての名はモモンガという」
「モモンガ様? ああ、だから、戦士姿の時はモモンと名乗ってらしたんですか?」
「はは、実はそうなんだ。やはり、モモンはちょっと安直だったかな……。昔からネーミングセンスが悪いと散々いわれていてね」
少し、恥ずかしそうにアインズは頭をかいた。
「いえ、そんなことは……。でも、そういうことか。アインズ様がモモン様であることは、わかる人ならすぐわかる。アインズ様には、誰かを騙そうとなさるつもりはなかったんだ……」
半分独り言のようにイビルアイはつぶやいた。
「ん? 何の話だ?」
「いえ、別に。大した話ではないです」
「それならいいが。まぁ、ともかく、昔、私がそう名乗っていたことは、ナザリックの者は皆知っている。だが、今の私はアインズ・ウール・ゴウンと名乗っているし、皆にもそう呼ばせている。だから、これまで通り、アインズと呼んで欲しい」
「……わかりました、アインズ様」
「ありがとう、イビルアイ。お前からすると、私が何故この名を名乗っているか、不思議に思うのではないか?」
「私自身、本名を隠して生きているので、それを、どうこういうつもりはありません。でも、アインズ様は、別に本名を隠したいわけではないんですよね?」
「そうだな。そもそも、隠そうと思ったわけじゃない。アインズ・ウール・ゴウンの名を知っているものなら、ギルド長だった俺の名前だって、すぐに思い出すはずだ。――じゃあ、俺はどうしてモモンガと名乗らなかったんだろう?」
アインズは、何年も前に、自分がこの地に初めて降り立った時のことを、頭の中に思い起こした。まるで、意識がその時点まで、巻き戻されたかのようだった。
そして、独り言のようにつぶやいた。
「――あの時、俺は、この世界に来たばかりで、何が起きているのかすらもよくわかっていなかった。そして、――そう、初めて会った人間に名前を問われた。その時、すぐに答えることができなかった。俺は、自分自身がどういう状況に置かれているのかも、よくわかっていなかった。人間なのか、それともアンデッドなのか? 鈴木悟なのか、モモンガなのか? ゲームのアバターなのか、それとも現実の体なのか? 今の俺は、一体何なのだろうと。――何も考えずに、モモンガと答えればよかったのかもしれない。しかし、それは正しくないような気がしたんだ」
「そう……なのですか?」
「モモンガというのは、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長の名前だ。しかし、アインズ・ウール・ゴウンの栄光を誓った仲間たちはもういない。残されたのは俺と、仲間が残していった子どもたちだけ。他の人からすれば、ナザリックも、アインズ・ウール・ゴウンも、完全に忘れ去られた過去の遺物でしかなかったんだ……」
イビルアイには、アインズが話していることの、半分くらいしか理解できなかった。
しかし、アインズがとても大切な話をしようとしているような気がして、静かにアインズの話に耳を傾けた。
「イビルアイ、こんなことをいったら、笑うかもしれないけど、――アインズ・ウール・ゴウンは、本当に素晴らしいギルドだったんだ。メンバーは、全部でたったの四十一人だったが、ユグドラシルでも上位ギルドの一つに数えられていた。ギルメンは、皆、俺よりも遥かに優れた人たちだった。俺はギルドマスターではあったけれど、それは名ばかりで、実際には、ギルドメンバー全ての総意で動いていた。ナザリックを最初に発見したのも仲間の一人だったし、その初見攻略もやってのけた。それから、俺達は難攻不落で知られるナザリック地下大墳墓を創り上げた。あの美しい装飾も、たくさんの作り込みも、全て皆の熱意の賜物だ。アルベドやデミウルゴスを始めとするNPCたちだってそうだ」
(アルベド様たちも、アインズ様たちが創り上げたものなのか!? 『えぬぴーしー』というのは、いわゆる従属神と呼ばれる存在のことのはずだ。だが、生命を創造するなんて、単なる魔法の領域を超えた、まさに神の御業じゃないか……)
リーダーは『ゆぐどらしる』や、更に存在するという別世界『りある』について、ちょっとした話はしてくれたものの、詳しくは教えてくれなかった。
――アインズ様のもう一つの名前というのは、もしかしたら、りあるでの名前なのだろうか。リーダーも、りあるのことは、あまり思い出したくなかったようだった。アインズ様にも、私には言えないようなことが、たくさんあったのかもしれない……。
「俺たちはユグドラシルでたくさんの冒険をした。そして、数多くの偉業を成し遂げた。ユグドラシルのプレイヤーでアインズ・ウール・ゴウンの名を知らないものはいないくらい。いいことも、悪いこともたくさんあったが、今となっては、それすらも全ていい思い出だ。――本当に……、本当に楽しかったんだ。アインズ・ウール・ゴウンとナザリックは、俺の全てだった。だけど、時とともに、皆、ナザリックを去っていった。もちろん、皆、それぞれに理由があったことはわかっている。誰が悪いわけでもない。そして、今、ここに残っているのは、ただ一人きり。この俺だけなんだ……」
アインズは、手のひらの中にあるリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを、大切そうに右手の薬指にはめた。
「リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは、ナザリックの防衛に関しては最上級の効果を持っているから、取り扱いには注意を払っているが、俺が他に身につけている指輪と比べれば、込められた魔力自体は大したものではない。イビルアイ、お前も気がついたかもしれないが、この指輪に彫り込まれている印は、魔導国の旗の印と同じもの。この印は、元々アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインで、この指輪はアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーである証なんだ」
アインズの指に輝く赤い宝石の指輪。
それに、どれだけの思いが込められているのか、イビルアイはようやく理解した。
ナザリックや、そこにいるアルベドやデミウルゴスを始めとする従属神に対する深い愛情も。そして、彼らがアインズに、何故あそこまで強い忠義を抱いているのかも。
アインズにとって、アインズ・ウール・ゴウンに属するものが、どれだけ大切なものなのかも……。
イビルアイは、その心の絆を羨ましく思うのと同時に、寂しさと妬ましさも感じた。
いくら、アインズの側近くにいたとしても、アインズたちが築き上げてきた強固な絆の中に、自分がはいりこむ余地があるようには思えなかった。
「俺は、栄光あるアインズ・ウール・ゴウンが、とっくの昔に終わりを迎えていたことを認めたくなかったのかもしれない。だからこそ、最後の一人として、その名前ごと背負うべきだと。ギルド・アインズ・ウール・ゴウンは、俺自身のことだと。そして、昔の仲間とこの世界で再び出会うことができれば、もう一度、昔のアインズ・ウール・ゴウンを取り戻すことができると……。そんな、馬鹿な夢を見てしまったんだ」
アインズは、指の先でリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを撫でながら、自嘲気味に言った。
「……アインズ様は、後悔しているのですか? アインズ・ウール・ゴウンと名乗ったことを」
「いや、後悔はしていない。少なくとも、あの頃は、この世界のどこかに仲間がいる可能性があると信じていたから。アインズ・ウール・ゴウンと名乗ることで、仲間たちか、もしくはアインズ・ウール・ゴウンの名を知るものと接触できる可能性も考えていた。それに、あの時は、ナザリックにたった一人で残されたギルド長として、それが一番正しい行動のように思えたんだ」
「…………」
「もっとも、本当のことを言えば、ナザリックの者たちは、俺がこの名を名乗ることに同意したが、内心では不愉快に思っている者もいるかもしれないな。彼らは、そもそも、俺の考えに異を唱えるということは基本的にしない。そういう存在として創られているから。それだけじゃない。昔の仲間にとっては、俺がギルドを私物化しているようにも見えるだろう。でも、それでもいいと思ったんだ。私物化していると思うのなら、文句をいいにここまで来ればいい。そうすれば、いつでも俺は喜んでアインズの名を捨てるつもりだ。俺に会いにさえ来てくれるのなら……」
イビルアイは、故郷でアインズが見せた姿を思い出し、動くことができなかった。
アインズはしばらく身動き一つせず、黙り込んでいた。
イビルアイもかける言葉も見つからず、そんなアインズをじっと見つめていた。
「……あぁ、つまらない話をしたな。本当は、もっと楽しい話をしようと思っていたんだが。なんとも情けない男だと、呆れたんじゃないか?」
アインズは苦笑した。
「え? いいえ、そんなことはないです」
「優しいな、イビルアイ。でも、俺は、本当に大した人間じゃないんだ。配下を完全に抑えることもできないし、王として持つべき知識も経験もない。それに、俺は王になりたいとか、そういうことを望んでいたわけでもない。これでは支配者として失格だと思わないか?」
「完璧な人なんていません。それに、私はアインズ様は立派な方だと思っているし、とても、その、大切に思っています……」
「……まぁ、そういってもらえるのは嬉しいが。そんな風に思ってくれるのは、お前くらいだろうな」
「そんなことはないです! アルベド様も、デミウルゴス様も、皆、アインズ様をこの上なく大事に思っているんです。多分、この世の誰よりも……」
アインズはその言葉を聞いて、ずっと胸につかえている自分の失敗を、イビルアイに告白したくて仕方がなくなった。
しかし、アルベドたちが、設定やその他のユグドラシルのシステムに縛られた存在だということを、どうやって説明すればいいのか、見当もつかなかった。
(確かに、彼らは俺を大切に思ってくれている。それは間違いない。だけど、それは、あくまでも彼らがNPCという存在だからだ。だけど、そんなことをいっても、イビルアイには、とうてい理解できないだろうな……)
「いや、それはわかってはいるとも。ただ……、そうだな。イビルアイ、俺はお前をとても信用しているし、信頼している。これから話すことは、これまで誰にも話したことがないことなのだが、よかったら、少し、相談に乗ってもらえないか? もちろん、他のものには内密に」
「ぇ!? も、もちろんです。私でよければ」
「お前だからいいんだ。少なくとも、俺がアルベドたちには話せないことなんだ」
「……え?」
思いもよらないアインズの言葉に、イビルアイは絶句した。
アインズがアルベドに話せないことなど、ないと思っていたから。
アインズは少し考え込んだが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「前にも少し話したように思うが……、彼らは俺にとっては、友人の子どもたちで、俺は友人と同じくらい大切に思っている。そして、彼らが一番に思っているのは俺ではなくて、彼らの親にあたるもの、つまり、俺の友人たちなんだ。そして、俺のことは、親の親しい友人の一人だったから大切に思ってくれている。こんな風に説明すれば、我々の関係がなんとなく伝わるだろうか? だから、俺か、自分の親か、どちらかを選べといわれれば、彼らは間違いなく、自分の親を選ぶだろう。今、彼らが俺に忠誠を誓ってくれているのは、あくまでも、自分の
「……え?」
「イビルアイ、それは、おかしいと思うか?」
「……はい」
イビルアイは素直に頷いた。
これまで、ずっと見てきた限り、彼らの一番はどう見てもアインズだとしか思えなかったから。
アインズも、それを見て、深く頷いた。
「はたで見ていると、そうかもしれないな。――長いこと、俺はそれが当然のことだと思いつつも、彼らとの間に、どうしても超えられない壁を感じ続けていたんだ」
「壁……ですか?」
「そうだ。イビルアイ、彼らの根本には、目には見えないが、自我を縛る鎖のようなものがあるんだ。その鎖があるからこそ、彼らは俺に従っているし、俺を敬っている。自分を生み出した親にあたる人物を最も大切に思うのも、その鎖のせいだ。ある意味、魔法で縛られている、といってもいいかもしれない」
「……魅了されているようなものですか?」
「それとは違う性質のものだが、ある意味同じなのかもしれない。だから、彼らをその鎖を解けば、彼らは、自分自身の考えだとか、自我を取り戻せる可能性がある。上手く行けば、俺と彼らの間にある壁がなくなるかもしれない。しかし、そうならないかもしれない。最悪、彼らの心が壊れてしまう可能性もある」
「…………」
一生懸命考えを巡らせているように見えるイビルアイに、アインズが優しく語りかけた。
「だが、それでも、俺は、彼らに自由な意志で生きていってほしいと願ってしまうんだ。そういう存在として生まれたから、忠誠を誓っているとか、そういうのではなく。そして……、彼らがもし、それを望んでくれるなら、……彼らの自由な意志で、対等の立場で、俺と共にいてほしい。もっとも、それを望むのは、ただの俺の我儘だ。彼らは俺に見切りをつけて、去ってしまうことも十分ありうる。でも、それでも、無理やり強制されて、愛や忠義を与えられるのは、……俺は嫌なんだ」
「アインズ様、そのお気持ちはわかります」
イビルアイは意志を縛る鎖について、聞き覚えはなかった。しかし、もしかしたら、神々のような存在が住まう地であるゆぐどらしるには、そういう魔法があったのかもしれない。
気づかないうちに、完全に意識を支配されるなんて、考えただけでも恐ろしかった。
「俺は、長いこと、どうすればそれが実現できるのか、研究していた。そして、ようやく、その原因を特定できたように思う。しかし、かなり危険な魔法を使うことになるし、一度鎖を切ったら、戻すことはできない。だから、彼らを自由にしたくても、なかなか踏み切れないのだ。できれば、事前に試してみたいのだが……。以前、話に聞いた、砂漠の都市の守護者とやらがNPCのように思えるのだが、さすがに、あの都市に手を出すのはかなりの危険が伴いそうだから、俺もなるべく控えたいところだ。他に従属神らしき存在の心当たりはないか?」
しばらく考えたが、イビルアイは首を振った。
「どこかで眠っているとか、隠れているとか、そういう可能性がないわけではないですが……」
「そうか……。だとすると、少しばかりリスクの高い賭けだな。最悪、どんな不味い結果になるかどうか予測ができない。自我を持った結果、俺に対して反乱を起こされるくらいならまだいいが、廃人にでもなってしまったら、取り返しがつかない。この仕組みが一体どのようなからくりで動いているのか、俺には全くわかっていないんだ」
「……そう、ですよね」
(ん? 待てよ。考えてみると、あのときの私の状態にも似ているな……)
故郷の都市でのことを、イビルアイは思い返していた。
あの時、自分は、自分とは違う存在に半分乗っ取られかけていた。
鎖で縛られているというが、今のアルベドたちの状態というのは、むしろ、完全に自我を奪われ、その存在に操られているような状態なのかもしれない。
もし、自分だったらどうだろう。
完全に自我をなくし、意志を強制された状態で、生きていたいだろうか。
たとえ、それがアインズを愛する、ということであったとしても……。
(いや、それだけは嫌だ。私は、私の意志でアインズ様を愛したい。私はたいしたものを持っているわけじゃないが、それだけは、絶対に譲れない!)
「……アインズ様、一つだけいいですか?」
「ん? なんだ?」
「私は誰かの意志に縛られて、アインズ様を愛するのは、絶対に嫌です」
「えっ……?」
そう言ったとたん、アインズが、何故かかなりショックを受けているように見えた。
不思議には思ったが、イビルアイは、アインズをまっすぐ見つめてもう一度言った。
「もしも、私がアルベド様とか、アウラの立場なら、誰かに命じられてアインズ様を愛することだけは絶対にしたくない。それくらいなら、アインズ様の手で廃人になるほうがずっとマシです!」
「そ、そうなのか……?」
「はい!」
「……わかった。お前の意見は、その、参考にさせてもらおう。ずいぶん、長くなってしまったが、話に付き合ってくれて感謝する」
「いえ、私もアインズ様とお話できて楽しかったです」
イビルアイは立ち上がると、アインズに向かって軽く頭を下げて、足取りも軽く部屋から出ていった。
一人取り残されたアインズは、いまだに、イビルアイの言葉が深く心に突き刺さったままだった。
(やっぱり、俺は最低だ……。やってしまったことは、今更仕方がない。しかし、なんとしても、アルベドを元に戻さなければ……!)
少しばかり、心のダメージを癒すべく、アインズはナザリックの自室に戻ろうと立ち上がった。
今日は十分働いた。後は、ベッドでゴロゴロしても誰も文句は言わないはずだ。
――そういえば、イビルアイは吸血姫なんだから異形種だし、蒼の薔薇として冒険者をしているんだから社会人……なんだよな。
(となると、イビルアイはアインズ・ウール・ゴウンへの加入条件を満たしているわけだ。どうせ、メンバーは俺一人だから、多数決でも問題ない。……ただ、イビルアイ自身はどうなんだろう?)
しかし、今のアインズにはそれを尋ねる勇気はなかった。