イビルアイが仮面を外すとき   作:朔乱

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12: 人形の心

 ナザリック第五階層。そこは全てのものを凍りつかせる氷の世界。

 

 その一角に設置されている氷結牢獄の自室で、ニグレドは遠く離れたスレイン法国とエルフの国との国境地帯で行われている戦闘の状況をつぶさに観察していた。

 

 死んだような目をしながらも、果敢に人間に打ちかかっていくエルフたち。

 軍勢の中央から、ひたすら自らの民を怒鳴りつけるだけの狂気の王。

 彼はエルフたちがどうなろうが、全く興味がないように見える。

 

 その理由をニグレドは知っていた。

 彼が興味があるのは、自分に最強の子をもたらす女のみ。

 そして、その執着は、今は自分の可愛い妹である、世にもまれな美しさを持つサキュバスに完全に注がれている。

 それにつけこんで、戦いを裏で操っているのが、アルベド本人であることも。

 

(アルベドは、この小競り合いに余計な邪魔が入らないように注意していて欲しいといっていたけれど。こんなことをしていて意味があるとも思えない。本当につまらない戦争だわ。……とりあえず、戦場の半径十キロメートル範囲には異常は見られない。エルフも人間もだいぶ消耗しているようだけど、今のところ、どちらが優勢というほどでもない。もっとも、双方の指揮官がぶつかりあったらどうなるかしら。あの若い男とエルフ王は、どちらも、それなりの力量を持っているようだし)

 

 慎重に幾重にも網を張り巡らせ、その隅々まで魔法の目で監視していく。

 

 戦場は人間の精鋭部隊と、数多くのエルフによる殲滅戦の様相を見せていた。

 もっとも、主戦場が国境地帯であることもあり、戦況確認がてら、すみずみまで探してみたものの、ニグレドの愛する幼子の姿はどこにもいなかった。

 だから、ニグレドとしては、無意味に命を落としていくものたちに、多少の憐れみは感じても、それ以上の関心は持ち合わせてはいなかった。

 

「退屈だわ。赤子が犠牲にならないのなら、好き勝手殺し合わせておけば、いいだけじゃないの。――まったく、何を考えているのかしら? 私の可愛いらしい方の妹は。おまけにスピネルまで連れて歩いて」

 

 ニグレドは、今でも、ルベドのことは一切信用していない。

 アルベドにルベドと行動することをやめるように、何度となく忠告もしたが、アルベドは耳をかさなかった。

 

 妹とはいえ、アルベドは立場上は守護者統括。そのアルベドが決定し、最高支配者であるアインズの許可が下りている以上、多少疑問に思ったとしても、ニグレドは、それ以上口を出すことはできなかった。

 

 その時、部屋の扉を叩く音が聞こえた。

 この部屋に誰かが来るのは本当に稀なことだ。

 

 コツコツという音で、ニグレドは頭の中で、カチリとなにかのスイッチが入ったような感覚を覚えた。

 目の前が真っ黒に染まり、すぐ側に置いてあるゆりかごの赤ん坊がいつの間にか、ただの人形にすり替えられている。

 誰かが、知らぬ間に赤ん坊を奪い去ったのだ。

 ずっと大切に見守っていたのに。

 

「私の……、赤ちゃん……! どこ!?」

 

 先程までの、冷静なニグレドの面影はどこにもない。

 そこにいるのは、目を血走らせ、髪を振り乱し、皮のない顔をむき出しにした狂女だった。

 

 静かに扉が開いて、誰かが部屋に入ってくる。

 そうだ。

 赤ん坊を盗んだのは――アイツだ!

 

「かえせええええええ! わたしのあかちゃんんーー!!」

 

 ニグレドはハサミをつかむと、それを侵入者に投げつけようとした。

 

 その時、冷静に侵入者は、赤子の人形をニグレドの前に突き出した。

 

「はい、姉さん。あなたの赤ん坊はここよ」

「あぁあああああ!! わたしのぉおお、あかちゃぁあん!」

 

 赤ん坊を受け取って抱きしめた次の瞬間、再び、ニグレドの中でスイッチが切り替わるような感覚がする。

 視界には、いつもの部屋の光景が戻ってくる。

 ニグレドは愛おしそうに、腕の中の赤ん坊の人形をゆりかごにそっと寝かせた。

 

 目の前には若干緊張したような顔をしたアルベドが立っている。

 

「可愛らしい方の妹、ごきげんよう。わざわざ、あなたが監視任務の終了の連絡に来たの? 今のところ、特に異常はないけれど」

 

 ニグレドは、先程までの出来事などまるでなかったかのように、にこやかにアルベドに話しかけたが、その後ろにたっている二人の姿を見て、表情を変えた。

 

 茶色いフードで姿を隠してはいるが、一人は間違いなく可愛くない方の妹。そして、その後ろには、久しくその姿を見かけることなどなかった、忘れえぬ御方が立っていた。

 

「……タブラ・スマラグディナ様!?」

 

 ニグレドは即座にその場に跪き、先程までの狂気は全く感じられない、美しい仕草で頭をたれた。続いて、アルベドとルベドもその場に跪いた。

 

「我が創造主に再びお会いできるとは……。至高の御方の御前で大変失礼いたしました。ナザリックにご帰還なされたこと、心よりお慶び申し上げます」

 

 丁寧なニグレドの挨拶に、タブラは楽しそうに笑い声をあげた。

 

「別に、そこまで畏まる必要はないだろう? 可愛いニグレド。お前は俺が作ったとおりに行動しただけなんだし、別に失礼でもなんでもない。久しぶりにアレが見られて楽しかったとも」

 

「……そのように仰っていただけるなら、幸いでございます」

 

「姉さん。スレイン法国での作戦中に、偶然、タブラ・スマラグディナ様と再会したのよ。それで、急いでナザリックにお連れしたの。まさか、あのようなところにお住まいになられておいでとは思いもよりませんでした。ご発見が遅れたことを、どうかお許しください」

 

「お前が謝るようなことじゃないさ、アルベド。俺は俺で、自分の好きに行動していただけだから」

 

 タブラはゆらゆらと奇怪な拘束具で飾られた触手を動かした。

 

「しかし……。タブラ・スマラグディナ様にご不自由をおかけするなど、シモベとしてあるまじき行為でございます」

「うーん、アルベド、お前は少し真面目すぎるな。守護者統括だから責任感が強いのはいいが、少しは、はめを外したほうがいいんじゃないか?」

「そうでしょうか? でも、タブラ様がそう仰るのなら……。今後気をつけるようにいたします」

 

 恭しく頭を下げつつ、アルベドはタブラとニグレドの様子をちらりと確認する。

 

 パンドラズ・アクターには、指に能力を隠蔽する指輪をはめさせている。

 本物のタブラではないと見抜けるシモベなど、そうはいないはずだ。

 

 それに、被造物である自分がタブラ本人だと主張すれば、反論できるものはいない。

 いるとすれば、姉であるニグレドくらいだ。

 

(姉さんは、これが本物ではないと見抜くかしら? 騙されてくれることを祈るしかないけれど。今のところ、パンドラズ・アクターはうまくやっているように見えるし)

 

 ニグレドは頭を垂れたままで、どんな表情をしているのかまでは、アルベドには見えなかった。

 

「ところで、可愛いニグレド。少しお前に尋ねたいことがある。頭を上げてくれないか?」

「畏まりました。創造主の御命令であれば、なんでもお答えいたします」

 

 ニグレドは、異様なまでに冷静な口調だった。

 少なくとも、先程みせた、久しぶりの創造主との再会を喜びあう雰囲気はない。

 長い前髪をかき分けると、肌の削げ落ちた異様な顔を晒した。

 

「アルベドから聞いたんだが、モモンガさんは、我々の大切なアインズ・ウール・ゴウンの名を勝手に名乗っているそうじゃないか。お前はそれをどう思っている?」

 

「……初めてそれをアインズ様、いえモモンガ様から伺った時は軽い衝撃を受けました。やはり、アインズ・ウール・ゴウンとは至高の四十一人の御方々を総称する御名であり、例え、御方々のまとめ役であられたモモンガ様といえど、それを個人の名とされるのはいかがなものかと。しかし、その当時は、このナザリックにお残りになられた至高の御方は、モモンガ様ただ御一方のみ。であれば、ただのシモベにすぎない私が、何かを申し上げることなど出来ようはずがございません」

 

 ニグレドは深く頭を下げる。

 それを見やると、タブラ・スマラグディナは考え込むように、ぬるりとした触手を顎と思しき場所に当てた。

 

「そうか。ふむ……。では、俺が帰還した今もそう考えているのかい?」

「畏れながら、しがないシモベとしては、御方々の崇高なるお考えに、口を挟むことはできかねます」

 

「ニグレド。先程、創造主の命令であれば、なんでも答えるといったな。では命令だ。答えなさい」

「……至高の御方がナザリックに再びお戻りになられるなら、やはり、アインズ・ウール・ゴウンの名は、モモンガ様が独占すべきではないと愚考します」

 

「なるほど。理知的なお前なら、そう判断すると思っていたよ、ニグレド。アインズ・ウール・ゴウンは、私にとっても輝かしい名だ。例え、最後に残ったのがモモンガさんだとしても、それを勝手にすることなど許す訳にはいかない。やはり、モモンガさんにギルドを託したのが間違いだったのかもしれない。今後は、俺がアインズ・ウール・ゴウンのまとめ役として、頂点に立とうと思う。どうだい、ニグレド。俺に協力してくれるか?」

 

 タブラはこれまで見たこともないくらい、大仰な身振り手振りで、熱弁を振るう。

 その姿に、ニグレドは微妙な違和感を覚えた。

 それに……、ニグレドの遠い記憶が確かなら――

 

「もちろん、我が創造主の御命令とあらば、私はそれが何であろうと従うつもりです。……でも、残念ながらお断りしますわ」

 

 跪いていたニグレドは、すっくと立ち上がり、アルベドを睨みつけた。

 

「とんだ茶番だこと。タブラ様は、ナザリックにいらした時、一度だって私のことを気にかけてくださることなどなかった。確かに、私を創造なされた後、一度だけ、御方々と共にこの部屋にいらしたことはある。でも、それきりよ。後は、この部屋から決して動くことなく、ナザリックの監視網の管理をするように命じられただけ。あの方が、私に愛情を向けることなどなかった。それとも、あなたはそうじゃなかったのかしら? アルベド」

 

「姉さん……」

 

 アルベドは遠い日を思い起こす。確かに、タブラは自分のことを創造し、モモンガと引き合わせた後は、最後に真なる無(ギンヌンガガプ)を渡しに来ただけだった。

 彼にとっては、あくまでも可愛らしい人形。いいところ、そんな認識だったのだろう。それに心があることなど、考えてもみなかったのかもしれない。

 

「確かに、言われてみればそうだったわね。もう、あの男のことなどすっかり忘れていたわ。あれから、もうずいぶん経っているもの」

 

「――どういうこと? アルベド。あなた、まさか、アインズ様を裏切るつもりじゃないでしょうね? それに、このものは一体……」

 

 ニグレドは再び手にハサミを握りしめ、それを『タブラ』の首元につきつけた。『タブラ』は特にそれを避けようともせず、悠然と立っている。

 二人の間に、アルベドは慌てて割ってはいった。

 

「パンドラズ・アクター、もう演技はやめていいわ。その場で待機なさい」

 

 パンドラズ・アクターは先程までのタブラらしい振る舞いを唐突にやめると、不思議そうに小首を傾げている。

 

「姉さんのいう通り、これはタブラ様じゃなくて、パンドラズ・アクターよ。簡単には気がつかれないようにしたつもりだったのだけれど。やはり、冷静な姉さんには見抜かれてしまったわね」

 

 アルベドは軽く肩をすくめた。

 

「パンドラズ・アクター? ということは、このことをアインズ様はご存知なの?」

「いいえ。私が勝手にやっていることよ」

「なんですって? あなた正気なの!?」

 

 さすがのニグレドも、アルベドの顔をまじまじと見つめた。

 

「姉さん、私は正気よ。これはアインズ様の御為にやっていることなの。お願い。私に力を貸してくれないかしら?」

 

「ダメよ。何をしようとしているのかはわからないけど、恐らくあなたがしようとしていることは、至高の御方々の領域に手を出すこと。そんなことが私たちに許されるはずないでしょう? それとも……、まさか、スピネル、お前がアルベドをそそのかしたの!?」

 

 再び、ニグレドの瞳は赤く充血し、長い髪を振り乱すと狂乱し、手に握りしめていた凶悪なハサミを上に振り上げると、ルベドに襲いかかろうとした。

 しかし、素早くニグレドの攻撃を避けたルベドは、ニグレドの横から赤い光に包まれた手でその首を刎ね飛ばした。

 

 ニグレドは驚愕の表情を浮かべ、首級がごろりと床に転がる。

 次の瞬間、ニグレドの姿は光に包まれながら消え失せた。手にしていたハサミは床に転がり、身につけていた衣類などもそのまま、その場に落ちた。

 

 アルベドはそれを何の感慨もなく見ていたが、やがて大きなため息をついた。

 

「……ふぅ。ルベド、ありがとう。やはり、姉さんにはわかってもらえなかったわね。残念だけれど」

 

 ルベドもパンドラズ・アクターも何も言わずにその場に立ち尽くしている。

 無表情な二人をみやって、アルベドは寂しそうに笑った。

 

「さぁ、行きましょうか。これからが本番よ」

 

 

----

 

 

 ナザリックは騒然としていた。

 

 何しろ、第九階層を至高の御方であるタブラ・スマラグディナが、アルベドとルベドを伴って悠然と歩いていくのだ。

 

 メイドたちがすすり泣く声があちこちから聞こえる。

 鉄の表情をしたセバスが近寄ってきて、恭しく膝をついた。

 

「おかえりなさいませ、タブラ・スマラグディナ様」

「あぁ、ただいま。セバス。長い間不在にしてすまなかった。お前も、ナザリックの切り盛りで、さぞかし大変だったんじゃない?」

「いえ、それほどでも。アインズ様がずっと我々を導いてくださいましたので」

 

「ふーん、なるほどね。……ともかく、細かいことは今はいい。僕はモモンガさんと話がしたいだけだから、そこをよけてくれないかな?」

「セバス、下がりなさい。タブラ様はアインズ様とのご歓談をお望みです」

 

 タブラの後ろから、アルベドは傲然と言い放った。

 セバスは眉を動かすこともなく、タブラに向かって丁寧に礼をした。

 

「これは大変失礼をいたしました。アインズ様のお部屋には、ナザリック地下大墳墓の家令である、この私がご案内すべきかと愚考したものですから」

「そうだね。本来なら、君の職務だからそうすべきだろうけど、今日のところはアルベドに任せることにしたから」

「畏まりました。至高の御方の御命令のままに。タブラ・スマラグディナ様」

 

 再び深々と頭を下げたセバスと、その後ろで静かに礼をとっている一般メイドたちにねぎらいの言葉をかけることもなく、タブラとアルベド、そしてルベドは歩み去った。

 

 その姿が完全に見えなくなるやいなや、メイド達はセバスを取り囲んだ。

 

「セバス様! まさか、至高の御方がお戻りになられるなんて!」

「もしかしたら、他の御方々もお戻りになるのでしょうか!?」

 

 皆、期待と興奮で頭がいっぱいになっているようだ。

 それも当然だろう。

 至高の御方々の帰還は、例え口には出さなくとも、長い間、ナザリックに属するものの悲願だったのだから。

 

 至高の頂点であるアインズに仕え、忠誠を尽くすことに異議はない。

 しかし、それでも、できることなら、自らの創造主に仕えたいと思ってしまうのは当たり前のことだ。

 

 セバスは自分の内心の衝動を抑えつつ、いつもと同じ穏やかな態度で、メイド達と向き合った。

 

「……皆さん、いいですか。至高の御方のご帰還で興奮するのはわかりますが、私達は何があっても、いつもどおり、アインズ様、そして他の御方々にお仕えし、御不便なくお過ごしいただけるようにするのが職務です。このくらいのことで、それを乱すようでは、ナザリックのメイドとして失格というものですよ」

 

 淡々と話をするセバスの言葉で、メイド達も少しずつではあるが、落ち着きを取り戻してきたようだった。

 

「申し訳ありませんでした!」

「すぐに仕事に戻ります!」

 

 少し気を取り直したのか、メイドたちは、口々にセバスに謝罪をする。

 

「アインズ様とタブラ様には、つもる話もおありでしょう。それに、今後のナザリックの方針などについても、恐らく話し合われることでしょう。しばらくすれば、タブラ様のご帰還のお披露目もあるでしょうから、それまでは、我々はこれまで通り粛々と仕事に専念するだけです。ようやくご帰還なされたタブラ様に、我々の仕事を満足していただくのです。いいですね?」

 

「畏まりました!」

 

 いつもよりも表情を引き締めた一般メイドは、一斉に返事をした。

 

 

----

 

 

 一行を引き連れたアルベドは、いつものように美しい微笑を浮かべ、アインズの部屋へと向かった。

 

 アインズには重大な報告があると、既に連絡している。

 だから、愛する主君は執務室に戻られているはずだ。

 

 重厚な扉の脇に立っている護衛が狼狽しているのは見えたが、アルベドは完全にそれを無視して、軽く扉をノックした。

 

 すぐに扉が開き、顔を出したエトワルは、アルベドの後ろに飄々と立っているタブラにすぐに気がついたようで、興奮を抑えるのがやっとのようだった。それでも、アインズ様当番としての矜持か、いつもと同じようにふるまった。

 

「エトワル、アインズ様に入室のご許可をいただいてくれる? タブラ・スマラグディナ様が戻られたとお伝えしてちょうだい」

「畏まりました。少々、お待ち下さい」

 

 扉を一旦エトワルは閉めようとしたが、その時、部屋の奥からガタンという大きな音がした。

 

「タブラさんだって!?」

 

 アインズは椅子を半分倒しかねない勢いで立ち上がった。

 普段、アインズはアインズ当番のメイドの仕事を遮るような真似はしない。

 しかし、思いもよらない訪問者に、さしものアインズも興奮して大声を上げた。

 

「はい、アインズ様。タブラ・スマラグディナ様とアルベド様、ルベド様が入室の許可をお待ちで……」

「許す! 早く入ってもらってくれ」

「畏まりました。皆様、どうぞお入りください」

 

 アインズの勢いに気圧されたのか、エトワルは素早く扉を大きく開き、一行を中へと招き入れた。

 

「失礼いたします、アインズ様」

 

 三人が部屋の中に入ると、アインズは既に執務机の前に置かれているソファーの脇に立っていた。

 

 先頭に立っていたアルベドは、いつものドレスではなく、凝った刺繍が施された白いチャイナドレスをまとっている。これまで、アルベドが着ているところを見たことがない服だったが、タブラが新たに与えた品なのかもしれない。

 

 黒い羽を柔らかく身にまとわせながら、アルベドは優雅に跪き、ルベドも多少ぎこちない動きで、その傍らに跪いた。

 

「アインズ様。我が創造主である、タブラ・スマラグディナ様をお連れいたしました」

 

 アルベドの口調には、いつもと変わったところは感じられなかった。

 内心では、さぞかし歓喜でいっぱいだろうに。

 どんなときでも守護者統括として完璧に振る舞うアルベドを、アインズは改めて見直した。

 

 タブラはアルベドの後ろをのんびりと歩いてきたが、部屋の真ん中ほどで立ち止まると、あたりを少し見回して、それからアインズを見て首を傾げた。

 あまりにも彼が知っているナザリックとは雰囲気が違うせいで、おそらく、かなり戸惑っているに違いない。

 特に、ただの造り物だったはずのNPCが、普通の人間のように意志を持って振る舞うなど、実際に見てみなければ、とても信じられないはずだ。

 

「モモンガさん、随分久しぶりだね。元気そうでなにより」

 

 アインズは、タブラに走り寄ると、懐かしいブレインイーターの手をしっかりと握りしめた。

 

「タブラさん! 本当にタブラさんなんですね!? おかえりなさい!」

「はは、そんなに喜んでもらえると嬉しいよ。うん、こうしてみると、モモンガさんは最後に会った時と全然変わってないみたいだね」

「そう……ですかね? まぁ、アンデッドですから、年も取りませんし」

「それをいったら、ブレインイーターだって同じようなもんだろう?」

 

 明るい笑い声が部屋に響く。

 

 アインズは完全に舞い上がっていた。

 あれほど再会出来る日を待ち望み、絶望し、そして、ようやく諦めるつもりになってはいた。

 しかし、やはり、アインズ・ウール・ゴウンの仲間以上の存在などそうはいない。

 

 思いのほか、タブラの反応が薄い気がしたが、もしかしたら、ようやくナザリックにたどり着いてほっとしているのかもしれない。

 それに、どういう経緯でタブラがここを探し当てたのか、アインズは非常に興味があった。

 

(俺にはナザリックがあったけど、タブラさんは一人きりで、見知らぬ異世界をさまよっていたに違いない……。そもそも、タブラさんは、いつから、この世界に来ていたのだろう?)

 

「お疲れではないですか? タブラさん、ソファーにかけてください。立ち話もなんですし」

 

 アインズが勧めると、タブラは、なぜか戸惑ったようだったが、おとなしくソファーに腰をかけた。アインズもその向かい側に腰を下ろす。

 ふと、周囲を見回すと、アルベドとルベドは、頭を下げて跪いたままだったし、入口近くで待機しているエトワルは泣いているようだった。

 

「エトワル、タブラさんに何か飲み物をお持ちしてくれ」

「畏まりました!」

 

 慌てて涙を拭ったエトワルが、それでも、しとやかに下がっていく。

 アインズは、アルベドとルベドに立つように命じた。

 二人はおとなしく頭を下げ、タブラの後ろに並んで立った。

 

「あぁ、それとも、軽食の方が良かったですか? ナザリックでは、食べ物が非常に美味しいそうですよ。そういえば、これまで食事とかどうしていたんですか?」

 

「飲み物で十分ですよ。はは、さすがに、この姿のままでは、人間の前に出ていくわけにもいかなくてね。まぁ、でも、そのへんは適当にやっていたから大丈夫です。モモンガさんは、相変わらず、心配性ですねぇ」

 

 目の前のタブラは、自分の思い出の中のタブラとあまり変わらない様子だ。

 彼は彼で、おそらく人間としての本性は喪い、異形種としての特性に引きずられているはずだが、アインズ同様、あまり違和感なくそれを受け入れたのだろう。

 

 アインズは、しばらくタブラと話し込んだが、妙に部屋の外がざわついているのに気がついた。おそらく、興奮したNPCたちが集まって来ているに違いない。

 

(あぁ、しまった。タブラさんの帰還は、既にナザリック中に広まっているはずだ。俺が独占してしまったが、皆に悪いことをしたな。いくら、タブラさんが自分の創造主じゃないといっても、やっぱり気になるよなぁ。どのみち、タブラさんと話す機会はこれからいくらでもあるんだし、ここは早めに、NPCたちにも帰還の披露目をしてしまったほうが無難そうだ……)

 

 自分のことばかりで夢中になってしまったが、ギルメンの帰還はNPCたちにとっても、この上ない朗報に違いない。

 

「俺は、正直、タブラさんとは二度と会えないと思っていました。恐らく、ナザリックの他の者達もタブラさんがナザリックに戻ってきてくれたことを喜んでくれるはずです」

「……そうかな? むしろ、勝手にいなくなっておいて、今更って思ってるんじゃないの?」

 

「そんなことは絶対にないです! ちょっと考えたんですけど、ナザリックのものたちに、タブラさんの帰還を正式に知らせた方がいいと思うんです。せっかくですし、全員集めて、玉座の間でやりませんか?」

「えぇ? 別にそこまでしなくても……」

「いや、そうしましょう! 俺もそうしたいので!」

 

 アインズはタブラの後ろにいるアルベドに向き直った。

 

「アルベド、それから、ルベド」

「はっ」

 アルベドは笑顔で、ルベドは無表情で顔を上げた。

 

「ヴィクティムや一部の領域守護者を除いて、皆を玉座の間に集めてくれ。タブラさんの帰還を伝える」

「畏まりました」

 

「今日のところは、急な話だから、すぐに集まれるものだけで構わない。どのみち、既にかなりの人数が集まっていそうだし……」

 

 アインズは扉の外から聞こえてくる、大勢のささやき声を感じ取って苦笑いした。

 

「申し訳ございません。後で言って聞かせますので……」

「いや、構わないさ。それでは、そうだな、一時間後に集合ということで大丈夫か?」

「もちろんでございます。タブラ様、その間、湯浴みなどなされてはいかがでしょうか?」

 

 タブラは一瞬ためらったが、アルベドの目を見て、おとなしく頷いた。

 

「タブラさん、ナザリックのお風呂はなかなか良いものですよ。ぜひ汗を流してくつろいできてください」

「わかりました。では、そうさせてもらうとしますか。風呂など久しぶりですからねぇ」

 

「アルベドやルベドも、タブラさんと一緒に過ごしたいだろう? 気遣いが足りずにすまなかった。私は夜にでも、改めて、タブラさんの部屋に直接伺うことにしよう。タブラさん、それで構いませんか?」

「……そうだね」

 

「では、アルベド、タブラさんの案内を頼む」

「アインズ様の御心のままに」

 

 アルベドは恭しく頭を下げた。

 

 




佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。

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