イビルアイは、久しぶりに、アウラとともに故郷の地を見回っていた。
何度か練習することで、アウラの魔獣にも乗れるようになった。
もっとも、魔獣の方がイビルアイを上手く乗せてくれているという方が正しい。
イビルアイが怖がりさえしなければ、魔獣は乗り手に余計な負担をかけないように動いてくれるのだから。
「本当に素晴らしいな、アウラの魔獣達は」
アウラはいつもと少しばかり違う雰囲気で、考え込んでいるようだったが、魔獣を褒められたのが嬉しかったのか、得意げな笑顔をみせた。
「ふふー、そうでしょ? この子達は、皆、あたしにとっては可愛い部下だし、こどもみたいなものだよ。いつもありがとね、フェン」
アウラはねぎらうように、自分が騎乗している魔獣の首を軽く叩く。フェンリルは嬉しそうに鳴き声を上げた。
「魔獣使いと魔獣というのは特別な絆で結ばれていると聞くが、本当にそうなのだな。こんなことを言ったらアウラの気に障るかもしれないが、アインズ様がアウラたちのことをそんな感じに話していたぞ。自分にとっては子ども同然だと」
「あ、あぁ……。そう……だよね。うん。いつも、アインズ様はそんな感じに言ってくださるよ。アインズ様はとても慈悲深い方だもの」
いつも率直なアウラにしては、珍しく言葉を濁しているようで、イビルアイは首をかしげた。
「どうした? アウラ。少し様子がおかしいようだが、もしかして気分でも悪いのか?」
「……んー、別にそんなんじゃないよ。だから、気にしないで」
無理やり笑顔をみせると、アウラは再び物思いにふけっているようだ。
イビルアイは、あえてそれを邪魔するのはやめて、周囲の様子を確認することにした。
何しろ、この場所に来た大元はそれなのだ。
壊れかけた建物や瓦礫でいっぱいだった街並みも、既に調査が終わった土地から順に、ゴーレムやアンデッドたちが不眠不休で片付けをしている。
崩れた古い教会や城塞も既に撤去され、枯れた木々も切り倒されて、今はほとんど残っていない。
以前は死で覆い尽くされた廃墟でしかなかった自分の故郷が、少しずつ命ある土地へと変わっていくのが実感できる。
瓦礫が一通り片付いたら、マーレが土地を浄化し、再生する魔法をかけるという話も聞いている。
そうすれば、再び、植物が生い茂るようになるだろうし、作物を栽培したり、動物を飼ったりすることもできるようになる。
そこに、小さいけれども、新しい村を作るのだ。
少しずつ住民を集め、耕作地や集落を増やし、そして……。
イビルアイは、かつての故郷の美しい姿を思い出す。
緑に茂った街路樹、整った石造りの街並み。賑やかに馬車を駆る商人たち。
いずれは、あのような国を取り戻したい。
もちろん、そのためには、単に土地を綺麗にするだけではダメで、ここに住んでくれる人を集める必要もある。
この地を再びもとの豊かな国に戻すことができれば、また、少し自分もアインズの役にたったといえるのかもしれない。
イビルアイはそう自分に言い聞かせた。
ふいに、自分と一緒に魔獣を進めていたはずのアウラの姿が見えなくなったのに気が付き、イビルアイは慌てて周囲を見回した。
少し離れたところに、魔獣をとめて泣いているアウラに気が付き、慌ててイビルアイはアウラの元まで魔獣を走らせた。
「どうしたんだ? 様子が変だぞ」
「――イビルアイ。あたし、どうしたらいいと思う?」
いつもはしっかりとしているアウラが、泣きじゃくっている。
イビルアイはどうしたものか一瞬迷ったが、アウラの後ろになんとか乗り移ると、アウラを優しく抱きしめた。
「何かあったのか? 私でよければ、話してみるといい。私は誰にも洩らしたりはしないぞ」
アウラはおとなしく頭をなでられていたが、やがて、深い溜め息をついた。
「イビルアイには神様っているの?」
「神様? ……そうだな。私はこの地にいるとき、助けてほしいと必死で神に祈ったが、神は私を助けてくれなかった。だから、長いこと、私は神なんて信じていなかった。だが、……そうだな。今の私にとっては、アインズ様が、神に最も近い存在なのかもしれない」
「あたしにとっても、アインズ様は神様のお一人だよ。でも……、真にあたしの神様といえるのは、ぶくぶく茶釜様ただお一人なんだ」
「ぶくぶく茶釜様? ……もしかして、アインズ様のお仲間の方か?」
「そうだよ! ぶくぶく茶釜様は、ナザリックの偉大なる至高の御方のお一人で、あたしとマーレを創造された方なの。もう、ずっと以前にお隠れになってしまったけど」
「あぁ、なるほど……」
イビルアイは、先日、アインズから聞いた話を思い出しながら頷いた。
「ほら。この時計は、アインズ様からいただいたものなんだけど、元々はぶくぶく茶釜様がお作りになってアインズ様に譲られたものなんだ。ぶくぶく茶釜様のお声が入ってるの!」
「こんな小さなものの中に? それはすごいな!」
感心したようにイビルアイが言うと、アウラはほんの少しだけ元気を取り戻したらしく、その時計を大切そうになでた。
「ぶくぶく茶釜様は誰よりも尊い御方だし、ぶくぶく茶釜様のご命令なら、あたしは何だってする。……でも、……でも、あたし、アインズ様に……なんてできない……」
「え? もしかして、アウラはそのぶくぶく茶釜様と会ったのか?」
アウラは素直に頷いた。
「昨夜、マーレとナザリックに帰ろうとしたら、突然、お声をかけられて……」
「昨夜? その方に何かいわれたのか?」
「モ――アインズ様がなさっていることが気に食わないって仰ってた……。だから、アインズ様がナザリックにいる限り、ぶくぶく茶釜様はナザリックにはお戻りにならないって……。あたしは、ぶくぶく茶釜様にナザリックに戻ってきて欲しい。ずっとずっとそうなることを夢見てた。でも、アインズ様をナザリックから追い出すなんて……。アインズ様は、たったお一人でずっとナザリックを守ってきてくださった御方なのに。――それでも、あたしもマーレも、ぶくぶく茶釜様のお望みに逆らうなんてできない」
「アウラ……」
気丈なアウラがうなだれる姿に、イビルアイは返す言葉に詰まった。
アウラのいうぶくぶく茶釜が、本当にアインズの仲間なら、それは間違いなくぷれいやーだ。
しかし、今、この世界に複数のぷれいやーが存在してはいないはず。
もっとも、ツアーの検知がどこまで信頼できるものなのか、イビルアイも確信が持てるわけではなかった。
静かに暮らしているのなら、気が付かないことだってあるかもしれない。
でも――
(アインズ様があんなに大切に思っている仲間が、アインズ様に会いに来ようとしないし、アインズ様を邪魔者扱いする、なんておかしくないか?)
あまり考えたくはないが、アインズが思っているほど、元々仲がよくなかったのかもしれない。でも、それは考えても仕方がない。アインズやナザリックの過去に何があったのか、イビルアイには知りようがないのだから。
問題は、アインズの話が確かなら、アウラはどうあがいても、結局はアインズよりもぶくぶく茶釜を選ぶということ。
アウラ本人が嫌だと感じても、そういう行動を強制されてしまうということだ。
(これが、その心の奥底にある鎖のせいだとしたら、まさに邪悪な呪いのようなものだな。まるで、私自身のタレントのように)
ただ、イビルアイには一つだけ、確信があった。
少なくとも、アインズには、友人たちと争う気持ちはないし、その子どもたちとも決して争いたくはないはずだ。
そして、アウラたちだって、本当ならアインズと争いたくはないはずだ。
(どうしたらいい? どうすれば、争いを止められる?)
多分、これは、ナザリックの鎖で縛られていない、自分にしかできないことだろう。
アウラは強い。それにマーレも強い。
自分では絶対に、戦って勝つことはできない。
それに、イビルアイも、二人と戦いたくなんかはなかった。
(――いっそ、何かが起こる前に、アインズ様に連絡をするか?)
このことをアインズに伝えれば、アインズは傷つくかもしれない。でも、知っていれば、先に対策を講じることもできる。
アインズに〈伝言〉することを決心したイビルアイの耳に、アウラが誰かと話しているらしいのが聞こえてきた。
「……わかった。至急帰還するね」
恐らく、誰かからの〈伝言〉だったのだろう。話し終えたアウラはため息をついた。
「連絡が来たから、ナザリックに帰らないと。イビルアイも一緒に来てくれない?」
「ああ、もちろん。何かあったのか?」
「詳しいことは玉座の間で、としか聞いてないからわからない。妙に興奮してたし、緊急招集扱いらしいから、ちょっと気になるけど。シャルティアが
「わかった」
イビルアイは、アインズに連絡しそこねてしまったことを少し後悔したが、さすがに、もう今さらだ。それに、今からナザリックに行くなら、話をする機会もあるかもしれない。
まだ、落ち込んでいる様子のアウラの背中を励ますように軽く叩くと、自分が借りている乗騎に乗り移る。
程なく黒い暗闇のような門が姿を表した。
(なんだろう。妙に嫌な予感がするな)
「話を聞いてくれて、ありがとね。イビルアイ」
アウラも気分を奮い立たせようとしたのか、自分の頬を軽く叩くと、迷いなく門の中へと入っていく。
イビルアイも、その後ろに従って、乗騎を歩かせた。
----
壮麗な玉座の間には、既に大勢のシモベ達が集まっている。
セバスとアルベドの姿はなく、整列の指示はデミウルゴスが出していた。
シモベ達は、指示されたとおりに整然と並び、玉座に向かって跪いていく。
普段なら厳粛な中にもシモベたちの忠義の念が熱気のように漂っているが、今回はその中に興奮と不安と動揺が入り混じっているように感じられる。
一通り、皆の様子を再確認したデミウルゴスも優雅に膝をついたが、デミウルゴスでさえ、どことなく、いつもとは違う雰囲気のように見えた。
玉座にはまだ誰も座っていない。
イビルアイは、アウラたちとは若干離れた、端の方に並んでいた。
少しだけ目を上げて周囲を見回すと、ナザリックの中核を構成していると思われるものたちは全員集まっているようだ。警備のものと思われる悪魔が、デミウルゴスの指示であちらこちらに立っている。
この玉座の間での謁見に参加するのは、ラナー女王についてきた時以来だっただけに、さしものイビルアイも何が起こるのかわからず、とりあえず、近くにいるシモベの真似をして、おとなしくしていることにした。
やがて「至高の御方々の御入室です」という淡々としたユリの声がした。
アインズの後ろにはセバスが、そして、もう一人見慣れぬ異形の後ろにはアルベドと見たことのない少女が付き従っており、部屋の中央に敷かれた赤いカーペットの上をゆっくりと歩いてくる。
アインズは、慣れた仕草で玉座への階段をのぼると、堂々とした王者らしく玉座に座った。
セバスは、階段の手前のところで、膝をついた。
しかし、もう一人の異形は階段を登ろうとせず、少し離れた場所で足を止めていた。
アルベドと少女も、そのまま、後ろに控えている。
「タブラさん、階段を登って、こちらにきてくれませんか?」
若干困惑した様子で、アインズは恐らくタブラという名前の異形を自分の脇の場所へと招いた。
しかし、タブラは首をふった。
「いや、俺はここでいいですよ、モモンガさん。この場所で十分です」
「……え? でも、これは、タブラさんの帰還を皆に知らせるために設けた場ですし」
「モモンガさんがあまりにも嬉しそうだったので、つい話しそこねてしまったけど、俺は、別にナザリックに帰還するつもりで、ここに来たわけじゃないんですよ」
タブラの一言で、その場の雰囲気が一瞬で凍りついた。
アインズでさえ、タブラの台詞は全く予想外だったらしく、すぐには言葉が出ないようすだった。
「……どういうことですか? 俺、何か気にさわることでもしましたか?」
「気にさわるといえば、まぁ、そうかな? でも、せっかく玉座の間に、こんなに大勢、俺のために集まってくれたのに、挨拶もしないというのはさすがに失礼か」
タブラは一人で納得したように頷き、階段の少し手前までゆったりと歩み寄ると、くるりと振り返ってシモベ達の方を向いた。
「やぁ、皆さん、お久しぶり。タブラ・スマラグディナです。俺がここを離れてから何年もたちましたが、皆さん、元気そうでなにより。これからもそうだといいよね」
複数の触手をひらひらと動かしながら、おどけた雰囲気で軽く礼をした。
「タブラさん、それが挨拶なんですか? 随分変わってますね」
「そうかな? まぁ、いいじゃない。じゃあ、俺からの挨拶はこれにて終了ということで。さてと、本題はここからなんだけど」
再び、タブラは玉座に座るアインズに向き直った。
玉座の間は異様なまでに静まり返っている。
アインズは、この場にいる大勢のシモベの視線が痛いほどに感じられた。
「モモンガさん。モモンガさんには、栄光あるギルドの名を名乗る資格も、その玉座に座る資格もない。少なくとも俺はそう考えている。だから、俺は、それを返してもらうためにここまで来たんだ。――モモンガさんと戦うためにね」
----
「タブラさん、それは一体……!?」
タブラの一言は、アインズにとっては完全に想定外だった。
何より、大切な友人にそんなことを言われるようなことをした覚えなどない。
それに、タブラは気がついていないのだろうか。
周囲のシモベ達は、激しく混乱しているようだが、自分とタブラとどちらに付くのだろうか。
タブラの後ろにいるアルベドとルベドは、今の所、何事もなかったように平然と立っている。恐らく、ナザリックに来る前に、既にタブラから話を聞いていたのだろう。
(俺たちが戦いになれば、必然的に、シモベたちも戦いに巻き込まれることになる。それだけは避けなければ。俺は……、子どもたちが争い合う姿は見たくない。タブラさんが、今の俺を気に食わないというのなら、最悪、俺がナザリックを出ていけばいいだけだ。何もナザリックの支配者は俺である必要はないんだし、頭のいいタブラさんなら、俺よりももっと上手くナザリックを動かせるだろう)
遠い昔に、クランが分裂しそうになったときの争いを思い出し、アインズは覚悟を決めた。
いつも以上に落ち着いた動きを意識しながら玉座から立ち上がると、タブラをなだめるように一歩前に出た。
「タブラさん。いくらなんでも、いきなり宣戦布告はないでしょう? せめて、何が原因なのか話してくれませんか? 俺に悪いところがあったのなら、教えて下さい。俺は仲間同士で争いあいたくはありません」
「原因なんて、たくさんありすぎて説明できないな」
にべもなく突っぱねられて、アインズは困ったように首を傾げた。
タブラの真意が全く理解できない。
タブラというのはこんな人だっただろうか。
ふと、そういう疑問もわいてくる。
あの人は、何かといえばすぐにマニアックなオカルトネタに走って、何を言っているのかよくわからないところはあったけれど、別に争い事を好む人ではなかった。
それとも、タブラがブレインイーターの思考に完全に染まってしまった結果、こういう行動に出ているのだろうか。
(ブレインイーターがどういう考え方をするのかなんて、俺にはよくわからない。しかし、皆の前でこんな話をすることになるくらいなら、俺の部屋でもっとよくタブラさんと話し合っておくべきだった。でも、それはもう今さらだ)
「タブラさん。戦いを避けるための条件があるのなら、それを教えてもらえませんか?」
「戦いを避ける条件? そうだな。じゃぁ、モモンガさん、この場で死んでくれます? そうすれば、戦う必要なんてなくなりますよね」
「え……?」
玉座の間の空気が、ざわりと音を立てて動いた気がした。
さすがに、アインズとしてはそれを要求されるとは思っていなかった。
だが、戦いを望んでいるタブラの目的が「
アインズは、少しばかり考え込んだ。
別に、自分はナザリックの支配者であることに固執しているわけではない。
かといって、積極的に死にたいわけでもない。
もしかしたら、この世界に来る前だったら、何も言わずにその要求を受け入れたかもしれない。
そう、恋人も友人もいないあの頃だったら……。
だが、今のアインズには、少なくとも、手放したくない大切なものがいくつもあることに気がつかないではいられなかった。
(俺は、昔の仲間達と、今、俺の側にいて、俺を支えてくれているものたちと、どちらがより重要なのだろう?)
アインズは、ゆっくりと玉座の間に集まっているものたちを眺めていった。
それから、最後に、玉座の前にある階段の下からこちらを見ているタブラに視線を移した。
「タブラさん。俺自身に至らぬところがたくさんあることは、俺だってわかっています。タブラさんなら、もっと上手くやっていけるだろうということも。だから、この玉座を明け渡せ、と言われるのであれば、喜んで、この座を譲りましょう。しかし、俺とタブラさんが争いになれば、ここにいるシモベたちまで、戦いに巻き込んでしまう。俺は、それだけはどうしても避けたいんです」
「それで? モモンガさんはどうするつもりなわけ?」
「――俺がナザリックを出ていき、二度と戻らない、そう約束するのではダメですか?」
タブラは首を振った。
「それはダメだね。ギルド長であるモモンガさんが生きていれば、将来に禍根を残すだろう。モモンガさんにそのつもりがなくとも、結局、戦いになるかもしれないよね?」
「……それは、確かにそうかもしれません」
アインズは、大きくため息をついた。
結局、皆を巻き込んで戦うことになってしまうなら、自分が出ていっても意味はない。
だとすれば、今の自分にできる最良の選択は、ただ一つしか存在しない。
「……本当に、それでタブラさんが満足できるというのなら。俺に代わって、ナザリックやNPC達を守ってくれると約束してくれるなら、俺は……」
「お待ち下さい!」
アルベドの凛とした声が響いた。
気がつくと、玉座の前で跪いていたデミウルゴス達や、タブラの後ろで控えていたアルベド達が武器を構えている。
それを見て、ためらいながらも、戦闘態勢に入れるように身構えるものたちが増えてきた。
いつもの微笑ではなく、冷静な守護者統括の表情になったアルベドは、完全武装に姿を変えた。
そして、ルベドとともに階段の前に進み出ると、モモンガとタブラの間に立ちふさがった。
「お許しください、我が創造主たるタブラ・スマラグディナ様。しかし、アインズ様は存在自体がナザリックの法でございます。そのアインズ様に敵対することなど、たとえ、私自身の創造主といえど、見逃すわけには参りません。私、アルベドは、ナザリックの守護者統括として、至高の御方であるタブラ・スマラグディナ及び、それに賛同するものは全て反逆者であると断定し、我が職務に則り、反逆者を誅します!」
アルベドは、タブラに向かって黒いバルディッシュを突きつけた。
佐藤東沙様、誤字報告ありがとうございました。