魔法少女まどか☆マギカ異編 <proof of humanity> 作:石清水テラ
「かっ、勝ったの?」
さやかの声が、静寂を取り戻した薔薇園に響く。
事実その通り、マミさんの攻撃で薔薇園の魔女は消滅し、勝利を勝ち得たマミさんだけが、結界に一人立っていた。
「すごい…」
その姿を、まどかが傍らでジッと眺めている。
彼女の瞳には、驚愕と安堵、そしてそれ以上の興奮が見てとれた。
「─おっ?」
唐突に、自分の視界がぐわんぐわんと歪み始めた。
違う、俺の視界は正常だ。
歪んできているのは視界の方では無く、この空間そのもののようだ。
ああ、この光景は確か昨日も見たのだっけ。
これは魔女の結界が、消失していく様子だ。
奇々怪々とした魔女結界が薄まり、次第に見慣れた現実の風景が目に入ってくる。
やがて瞬く間に結界は完全消滅し、自分達は元いた廃ビルの中に引き戻されていた。
「戻ってきた、のか…」
まるで夢から醒めたような、不思議な気分だった。
しかし今見たものは紛れもない現実だ。
魔女の結界、使い魔、そして魔法少女の戦い。
その鮮烈な光景と、今自分達のいる夕日に染まった廊下のギャップに、心の整理が上手くつけられないでいる。
完全に元の日常に戻ったかのようなこの場所の中で、唯一まどかの肩に乗るキュウべぇと、こちらに戻ってきたマミさんの魔法少女姿だけが、異常さを際立たせていた。
ツカツカと足音を立てて戻ってきたマミさんは、不意にしゃがみ込んで地面に手を伸ばしたかと思うと、地面に刺さっていた何かを拾い上げてこちらへと向き直った。
そしてそのナニかを手の中で広げ、俺達に見せて示す。
「これがグリーフシード。魔女の卵よ」
そこにあったのは、灰色をした球状の小さなオブジェクト。
たこ焼きくらいの小さなボールみたいな形状、その上下に伝票差しみたいな針が伸びて、何故かマミさんの手の上で刺さりもせず立ったまま静止している。
球自体のサイズは小さいが、針も含めたサイズで言えば、丁度ソウルジェムと同じくらいはあるだろうか。
これまた何とも名状し難い物体だ。
「た、卵…!?」
さやかがちょっと引いた様子で仰け反る。
あんな常軌を逸した魔女の猛威を目にした後なら、誰だってそりゃそういう反応をするだろう。
俺だってそうなる、っていうかなってる。
「運がよければ、時々魔女が持ち歩いてることがあるの」
マミさんは特にその物体に思う所がある様子もなく、淡々と説明をするのみだ。
慣れてる、というだけにしては妙に反応が軽い。
「大丈夫、その状態では安全だよ。むしろ役に立つ貴重なものだ」
さっきまで特に口を挟まずにいたキュウべぇが、ここぞとばかりに説明を捕捉する。
それを受けてか、マミさんが頭部の髪飾り型になっていたソウルジェムを元の形状に戻し、空いている手に乗せて示す。
「私のソウルジェム、ゆうべよりちょっと色が濁ってるでしょう?」
「そう言えば…」
「ん?…どれどれ」
マミさんの言う通りソウルジェムをよく見てみると、宝石の発光の中に、黒い淀みのようなものがあるのに気付く。
眩い黄金の光に紛れ込んだ、暗い影。
見ていて妙に不安な気持ちにさせられる色合いだ。
「でも、グリーフシードを使えば、ほら」
マミさんがグリーフシードとソウルジェムを隣に並べる。
途端に、ソウルジェムの中にあった濁りが外部へ靄のように飛び出し、隣のグリーフシードへと纏わり付くように移動する。
そして全ての濁りがグリーフシード側へ移動した頃には、マミさんのソウルジェムは元の黄金色の輝きを取り戻していた。
「あ、キレイになった…」
「ね?これで消耗した私の魔力も元通り。前に話した魔女退治の見返りっていうのが、これ」
しげしげとグリーフシードを眺めて感嘆しているさやかに、手短な説明をマミさんがこなす。
「これが魔法少女の戦いの報酬か…」
戦いで使った魔力を、魔女からの獲得品で回復する。
単純だが、なるほど魔女と戦うのが生業の魔法少女にはうってつけのシステムとも言える。
しかし何だが、魔女の卵が回復アイテムっていうのは、字面として何か嫌な響きだとも思った。
「…っ」
すると、マミさんは不意にその魔女の卵…グリーフシードを振りかぶると、廊下の片隅に放り投げた。
驚く声を上げる間もなく唐突に投擲されたグリーフシードは、夕闇の向こうに吸い込まれるように消えていく。
あわや壁に激突するかに思われたグリーフシードだが、そんな衝撃音が聞こえてくる様子は一切無く、代わりに誰かの手に捕らえらたような、柔らかい音が暗がりの向こうで響いた。
「…あっ!」
その暗がりの向こうにいた人物の姿を目にして、まどかが息を呑んだ。
「あと一度くらいは使えるはずよ。あなたにあげるわ」
マミさんの呼び掛けに答えるように、彼女は暗がりから歩みでて、その姿を晒す。
そこにいた人物は、長い黒髪の少女の姿をしていた。
「暁美ほむらさん」
マミさんが、挑発するようにその名を呼んだ。
暁美ほむら。
鹿目まどかを狙う魔法少女。
やはり、この場所にも付いてきていたのか。
「あいつ…」
さやかが、警戒心剥き出しで身構える。
俺はというと、正直あまり驚く気持ちはなかった。
思えば結界に入る前から誰かに見られているような違和感はあったし、昨日あの場所にいた暁美が薔薇園の魔女の行方を知っていても不思議ではない。
でもそれ以上に、暁美ほむらならば間違いなく鹿目まどかを追ってきているだろうという、妙な確信があった。
「よっ、やっぱり来てたか」
軽く手を上げて、ヘラヘラと挨拶する。
「……」
暁美はこちらを鋭く一瞥しただけで、何も言わずに巴マミへと向き直った。
「人と分け合うんじゃ不服かしら?」
「貴女の獲物よ。貴女だけの物にすればいい」
暁美のことを試すようなマミさんの問いを、暁美はバッサリと切り捨てる。
同時に、無造作に投げ返されたグリーフシードが、マミさんの手にスッポリと収まった。
「そう、それがあなたの答えね」
少し残念そうな声色でマミさんが言い放つ。
魔法少女二人の二度目の接触はまたしても破局のようだった。
「………」
特に用事も無いようで、暁美は無言のまま背を向け、暗がりの向こうへと消えていこうとする。
「暁美、何か言うことはないのか」
その背に、つい声などをかけてしまう。
今この状況は下手すれば一触即発になりかねない危険がある。
それなのに暁美を引き留めようと思ったのは何故だろう。
自分でもよく分からない感情を持て余していると、暁美は少しだけ振り向いてこちらを見てくれた。
相変わらず刺すような怖い瞳だ。
「別に。警告はもうした筈だから、あとは貴方達が賢明である事を祈るだけよ」
それだけを素っ気なく言い残すと、暁美はさっさとビルの暗闇へと消え去っていった。
最後に、まどかの顔を一瞥して。
彼女が去り、後には不気味な静寂だけが残された。
「…くぅー!やっぱり感じ悪いヤツ!」
「仲良くできればいいのに…」
「お互いにそう思えれば、ね」
まどかにとっては残念な結果だが、暁美との対話は今回も果たされる事は無かった。
相互理解は望むべくもなく、これからも、彼女とまともに話し合う機会が果たしてあるかどうか。
ただ、それとは別に思った事がひとつ。
「あいつ、なんか結構律儀なんですね」
つい口に出てしまったその言葉を聞いて、さやかが目を丸くする。
「え、どゆこと?」
「あ、いや、なんつうかホラ、さ。貴重な魔女退治の報酬を無償で譲ってもらったってのに、使わないでちゃんと返すんだなぁ、って」
よく分からない直感をそのまま言葉にしているせいか、しどろもどろな調子になってしまった俺の説明を、まどか達は黙って聞いていた。
何か気恥ずかしい気分にさせられ、困ってしまう。
「…そんだけですけど」
ボソッとそう付け加えて説明を締めた。
「…いーや、ただプライドが高いってだけじゃねーのかな、いつも上から目線だし」
「魔法少女の戦いに強い拘りを持つ子は他にもいるけど、それだけで信頼できる人物とは限らないからね…」
「あぁ…ハイ、やっぱそうですよね…」
マミさんとさやかは、二人とも俺の考えには懐疑的だ。
特にマミさんの方は、俺なんかより余程魔法少女のいざこざに慣れている分、語る言葉にも信憑性がある。
自分でも聞いていて、さっきの発言が軽率な考えだったように思えて、みるみる自信が失われていくようだ。
しかし、ただ一人。
「………」
鹿目まどかだけは、同意も否定もせずに黙って何かを考えているようだった。
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「…うぅ」
地面に倒れ伏していたOL風の若い女性が、うっすらと目を開ける。
魔女の結界に突入する前、廃ビルの屋上から身投げをした、魔女の呪いを受けた女性だ。
戦いが決着し、暁美との接触を終えた俺達は、気絶したまま放置していた彼女の元へと戻ってきていた。
彼女は小さく呻きながら、少しずつ身を起こすと、周囲の状況を確認するように、辺りを見渡す。
見たところ目立った外傷もなく、身体を壊した様子もない事に心の中でホッとする。
「ここ…あれ、私は?」
彼女の周りには、魔法少女姿を解いたマミさんと、俺まどかさやかの三人が見守るように彼女を取り囲んでいた。
寂れた廃墟の中で、中学生四人に囲まれているという状況が上手く呑み込めないのか、彼女は頭を振って考えを纏めているようだ。
すると、急に何かを思いだしたかのように彼女が顔を上げる。
「やっやだ、私、なんで…」
彼女は両手で顔を覆い、わなわなと震え始めた。
その顔が、みるみる恐怖の色に染まっていくのが指の隙間からでも見てとれる。
思い出したらしい。
つい数十分前の自分が、何をしようとしていたのか。
「そんな…、どうして、あんな、ことを……!!」
自分で自分が信じられない、とでもいうように自分の肩を抱いて小さく震える。
彼女からしてみれば、魔女の呪いなんてのは知る由もない理解の外の存在だ。
よく分からないものに突き動かされ、気付かぬ内に自分で自分を殺そうとしていた。それだけが、彼女にとっての真実。
そしてその事実が彼女の心を恐怖で縛り、締め上げているのだ。
そんな彼女の肩を、優しく抱く人がいた。
「大丈夫、もう大丈夫です。…ちょっと、悪い夢を見てただけですよ」
マミさんが、そっと女性にそうささやく。
女性の肩をゆっくりと抱きすくめると、すがりつくように彼女もその胸に顔を埋める。
彼女は抱きしめられながら、まだ恐怖で震えあがっていたけれど、自分をあやすように包み込む少女の温もりに、少しだけ安心を取り戻したようだった。
その様子を、遠巻きに三人で見守る。
「一件落着、って感じかな」
「うん」
「ハッピーエンド、万歳さね」
満足げに呟くさやかと、嬉しそうに頷くまどか。
二人の肩越しに事の顛末を眺めていると、俺も何だか清々しい気持ちにさせられるようだった。
こうして、いくつかの波乱を呼びながらも魔法少女体験コース第一弾は、大団円で終了した。
帰り道、夕闇が空を覆い始めていた。
陽は大きく傾き、もうその姿は地平線の向こうにほとんど落ちかけている。
しばらくすれば完全に陽が落ちて、完全な夜の闇が町を包むのだろう。
その様を眺めながらみんなと並んで歩いていると、今日起きた出来事が次第に実感として頭に染み込んできた。
「…なあ、まどか」
「うん?」
末期の夕陽を受けて歩くまどかの背中に、そっと語りかける。
「マミさんの戦い、どうだった?」
自分より前を歩きながら、何かを語らっているさやかとマミさんには聞こえないくらいの声で、まどかだけに聞く。
質問に意味は無い。
ただまどかに今日の感想が聞きたかったという、それだけの理由だ。
「えーっと、その…何だか言うの恥ずかしいかな…」
「好きに言えよ、ノートの時のさやか程には笑わないからさ」
「じゃあ、聞いてくれるかな…えっと、ね」
少し照れくさそうにそう前置きすると、まどかは一言一言思い出すように言葉を紡ぎ始める。
「叶えたい願いごととか、私には難しすぎて、すぐには決められないけれど…でも、人助けのためにがんばるマミさんの姿は、とても素敵で…」
どこか遠くを見つめながら、彼女は少しうっとりしたような口調で自分の思いを語る。
その見つめるている先がマミさんであるのことは、見なくても分かる。
「こんな私でも、あんな風に誰かの役に立てるとしたら、それはとっても嬉しいな……なんて」
最後に少し照れが出たのか、彼女は笑って台詞を誤魔化す。
でも、彼女が今日、魔法少女に抱いた感情はもう十分過ぎるくらい伝わっていた。
「…そうかい」
鹿目まどかは魔法少女になりたいと思い始めている。
そのことをそこはかとなく察した。
実際、マミさんの戦いぶりは鮮やかだった。
戦場を華麗に舞いながら、豪奢な銃を自在に操り、異形の悪魔を電光石火で叩いて砕く。
あの鮮烈な光景を見て、尊敬を抱かない方が無理というものだ。
だからまどかの思いも、自分には手に取るように分かる。
それほどまでに正義の味方だったのだ、巴マミという先輩は。
「まどかは正義の味方、向いてると思うよ」
「そ、そんな事無いって、私なんか…」
「いやいや良いんじゃないの?あなたの親愛なる隣人、鹿目まどか、なんつって」
…俺は、少し怖いと思った。
口には出さず、胸の中で一人呟く。
マミさんへの尊敬とは別に、魔法少女と魔女の戦いを目の前で見て思う所が自分にはあった。
魔女と戦うという使命は、常人の手には余るものなのではないか、と。
「……」
今回の被害者の女性、目覚めた時に酷く怯えていた。
まるで自分のした事が信じられないと言った風に。
きっと呪われる前の彼女は、自殺なんて考えもしなかったに違いない。
にも関わらず、強制的に、自覚すら無しに、呪いを植え付けられて死に至らしめられかけた。
オマケに端から見ればそれが誰かの作為的な攻撃だといは分からないという悪辣さ。
魔女の存在は、人間にとって天敵とすら言える程の脅威だ。
その強大な魔女をマミさんは、事も無げに倒してみせた。
でもそれだって、命を賭けて戦っていた事には変わりない。
確かに魔法少女以外に魔女に立ち向かえる存在はいないだろうし、マミさんの魔法少女としての力は超常的だった。
けれど、それほど強大ならばなおのこと、一介の女子中学生には過剰な使命であると思う。
マミさんの戦う姿は美しく、格好良かった。
そうであればこそ、彼女が命を賭けて戦っているという事実が頭に重くのしかかる。
彼女は、ずっとあんなものと一人で戦ってきたのか、と。
「マミさんは、なんで魔法少女になったのかな…」
まどかにすら聞こえない小さな声で呟く。
自分より一つ年上なだけの、普通の少女である彼女が、何故命を張ってまで戦いを続けているのか。
魔法少女になるという事、それが一体何を意味するものなのか。
その時の自分にとって、それはまだ想像もつかない事で。
だから何も言わないまま、俺達はそれぞれの家路へと足を進めるだけだった。
“今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね”
ただ、暁美の言う“警告″が、頭の隅でずっと回り続けていた。
そして、今日という日が終わった。
ようやく二話分が終わりました…。今回は少し短めですね。
気付けば連載開始から一年、よくまあ連載し続けたと感慨深く思うと同時に、恐ろしいほど話が進んでいないなあと危機感を抱く日々。
そしてついにお気に入り数が100を突破!
まだ話も序盤の序盤ですというのに、これはありがたい事です。
次回も、やらねば執筆!