魔法少女まどか☆マギカ異編 <proof of humanity> 作:石清水テラ
保健室から戻ると、暁美は既に席へと戻っていた。
声を掛けようかどうか迷ったが、女子の取り巻きが再び壁を作っていて、何だか話しかけ辛い。
そうしている内に授業開始のチャイムが鳴り、何事もなかったかのように学校での授業が再開する。
暁美に対する疑問は山積みだが、今は目の前の授業に集中する事にしよう。
…と思っていたのだが。
暁美ほむらは授業中でも強烈な存在感を放ち続けるものだから、こちらも否応なしに注目せざるおえなかった。
「出来ました」
数学の時間。
ホワイトボードにやたらと長い証明問題を書き終えた暁美が、席へと戻っていく。
「お、おお…!」
「暁美さん頭良いんだ…!」
「知的な人なんですわね…!」
授業中に先生からの指名を受けてしまった彼女だったが、難無く正解を書き当てて周囲の称賛を浴びていた。
転校初日だというのに悩みもせずスラスラと書くものだ、と感心してしまう。
「見た目に違わぬ優等生タイプか…」
知的な美人という印象は最初からあったが、保健室での一件から完全に不思議系美人という先入観を抱いていたので、ちょっと驚いた。
あんまりにも手際が良すぎて、最初から正解が分かってるんじゃないかと勘繰ってしまうレベルだ。
「いやはや、羨ましい頭脳をお持ちだぜまったく…」
誰にも聞こえない声で嘆息しつつ、ホワイトボードに向き直る。
「あぁ…っと、暦海くんはまだ掛かりそうかな?」
「スンマセンあともう数時間くらい良いっすか」
この数学の時間で分かった事だが、自分はそこまで熱心に勉強をしてこなかったらしい。
長文を瞬殺して見せた暁美と違い、今現在ホワイトボードの前で絶賛苦悩中の俺だった。
「流石にそこまで時間は割けないかなぁ…?」
「あ、いや嘘です。でもあと3分間待って」
そうして宣言通り2,3分ほど地獄の苦しみを味わう。
なんかもう諦めてしまおうかとも思ったが、ボードの前で四苦八苦している内にちょっとずつ理解ができてきた。
「ふぅ…結構いけるもんね」
一通り回答を書き終えて一息着く。
脳髄に眠る記憶だけを頼りに適当にやったらなんか解けてしまって自分でもビックリだ。
問題なんか何も無いよ。
「暦海ナンチャラくんも結構やるね…」
「転校生二人揃って優等生かよ…」
生徒達の驚く声が心地良く自尊心を刺激してくれる。
途中でギブアップしようと思っていたのは内緒だ。
「あ、ここ一桁違ってるね」
…先生の無慈悲な一言で、その自尊心は儚く散った。
「け、県記録じゃないの?これ…」
体育の時間。
女子の走り高跳びする様子を見ていた先生が、暁美の記録を見てあんぐりと口を開けていた。
残念ながらどれだけの高さを飛んだのか正確な記録は分からなかったが、自分の背丈を裕に越す高さを軽々と跳ぶ様子は遠目から見ていても圧倒される。
というか、授業で背面跳びってやるもんだっけ普通。
「あんな痩せっぽっちの何処にそんな体力が…」
そんな疑問を抱かせる程、彼女の身体能力はクラスでも卓抜していた。
文武両道の天才少女とは彼女の事を言うのだろう。
案外実在するんだなこういうの、と妙な感動を抱く。
「うわー、頭良さそうに見えて運動も出来るんだ、あの転校生」
「すごい運動神経ですね、暁美さん…」
「う、うん…」
クラスの女子達が暁美に熱い視線を注いでいる。
何故だろう。なんかちょっと悔しい。
そういえば、今話してた女子達って朝に見た三人組じゃないだろうか。
「えっ?…わわっ…」
「?どうしたの、まどか?」
唐突に、三人組の一人、ツーテールの小柄っ子が隣の子の影に隠れた。
まるで何かに怯えるような行動だった。
(あれ、確かあの子…鹿目さんって言ったっけ?)
まさか、と思い彼女の視線を追ってみる。
…やっぱり。
「……」
鹿目さんの視線の先、じっと彼女を注視している暁美ほむらの鋭い瞳があった。
こんな時でも鹿目さんを観察しているらしい。
一体何の理由があってそんなことしてるのか。
相変わらず行動原理の分からん奴だ。
「おーい、きよみさん…だっけ?」
ぼんやり暁美を眺めていると、後ろにいた男子生徒が声を掛けてきた。
「きよ…って俺は暦海…まあいいや、なんすか」
「いや、次君の番なんだけど」
どうやら他人に気を取られている内に、自分にも高跳びの番が回ってきたらしい。
「おっと、そいつぁすまんね」
軽く謝り、さっさと自分のバーへ向き直る。
暁美に比べるとやや低めに感じられる高さだが、初心者にはこのぐらいが妥当だろう。
正直な所、高跳びの経験なんて全く無いものだからこれでも大分不安だ。
「まあ、やれるだけやってみるか…」
軽く助走を付けてから大地を蹴り、身体を捻って跳躍する。
「…そぁあッ!!」
見よう見まねで背面跳びなどをしてしまった。
粗だらけでフォームも何もあったものじゃなかったが、高さだけは大したもので、軽々とバーを飛び越せた。
「おぉっ!」
「あいつも結構跳べるぞ!?」
マットに落下しながら、自分もちょっとビックリする。
自身の運動能力が決して低く無いのは知っていたが、これ程良く動けるとは思いもしていなかった。
…これなら暁美の記録だっていけるんじゃないか?
ちょっと自信が付いたせいか、そんな身の程知らずな考えまで浮かんでしまう。
なので次はさっきよりも高い設定で挑戦する事にした。
「…うわぁ、やれるんかなこれ」
正面に立つバーを前にして、ちょっと怯む。
さっき飛んだものよりも格段に高く設定されたバー。
暁美の飛んだ記録より幾分か低めとの事だが、それでも目の前にすると引くぐらい高く見えた。
いくら運動神経が良かろうと、初心者の出来る事には限度というものがある。
自分で設定しておいてなんだが、段々不安な気持ちになってきた。
流石に見栄を張りすぎたかな、と思った。
ちょっとここら辺で諦めておこうかな、とも考えた。
「暁美さんの例があるし、あいつも県記録出すんじゃ…」
「いけいけー!転校生の片割れー!」
が、そんな自分の不安を余所に周囲の生徒達期待に満ちた目でこちらを見てくる。
なんかもうやるしかなさそうな雰囲気だった。
(マジでやるんか…つれー)
まあ暁美があれだけ活躍を見せている手前、自分が何も良いとこ無しで終わるのも嫌だという気持ちもある。
出来るだけ努力はしてみる事にしよう。
「はぁ…行きますか…っ!」
息を吐いて一気に駆け出す。
殆どやけっぱちの全力疾走。
その勢いに任せて全力で地面を蹴り付る。
「どるるるるああああああああッッ!!」
裂帛の気合いと共に、身体を飛び上がらせたその時。
一瞬だけ奇妙な感覚が身体を走った。
(…ッ!?)
自分の中で何かが消費され、代わりに莫大な力が肉体に流れ込んでいく。
そんな訳の分からぬ不可思議なイメージが浮かぶ。
その感覚を疑問に思うより先に、身体を襲った猛烈な飛翔感に意識を奪われた。
「どぅわおっ…!?」
全身に強い圧迫を受ける。
その強烈な感覚に視界が大きくぶれ、耳の奥で空気の爆ぜるような音がして気持ち悪い。
全身を襲う異常な感触に混乱しながら、何とか視覚を正常に戻して周囲を見回す。
…自分の眼下に、あれほど高く見えたバーがあった。
(…ゑ?)
それはつまり、今自分の身体が空中にあり、高跳びを成功させた、という事だ。
どうやら跳べてしまったらしい。あの高さを。
我が事ながら驚きものの跳躍力だ。
いやしかし待て。それにしてもなにかおかしい。
猛烈な違和感を覚え、やがて気づいた。
バーと自分の間に、距離があり過ぎる。
(これちょっと、高く…飛びすぎじゃね?)
眼下にいる生徒達が口をあんぐり開けている。
そんな反応にも頷ける程、この高さは尋常では無い。
…そして今気付いたが、着地の姿勢が取れない。
自分の予想を大きく越えた跳躍をしたせいで、空中での姿勢制御が全く出来ていなかった。
(あ、これヤバい奴だ…)
自由落下しながらぼんやりと危険を察知する。
凄まじい速度で飛び上がった自分の身体はバーを容易に飛び越え、そのままマットからはみ出た位置へ一直線に落下していく。
迫りくる地面を見ながら思う。
いや、失敗しそうだとは思っていたけど。
こんな意味の分からん失敗は予想外過ぎるよ…。
「…ふぐるぼぁああっっっ!!??」
他人事のように嘆きながら、俺は頭から大地に激突した。
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「…失礼しまーす。先生いますかー?」
保健室の扉が開かれ、鹿目さんの声が中に響いた。
しかし部屋に人影はなく当然返答も帰ってこない。
「ごめんね。今は先生どこか行っちゃってるみたいで…」
「あ、いや、謝んなくていいから…痛でででっ」
申し訳なさそうにこちらを見る鹿目さんに、気にするなと首を振ったが、瞬間訪れた激痛に呻いてしまう。
「だ、大丈夫?今私が手当てするから…!」
「で、でえじょうぶだぁ…そんな焦らんでええぜ…」
現状を説明しよう。
体育の時間、走り高跳びで盛大に着地失敗してみせた俺は頭部と首に激しいダメージを負った。
その後救急車を呼ぶかという話にもなったが、思いのほか軽傷だったのもあって結局保健室へ連れて行かれる運びとなったのだ。
それも、保健係の付き添いで。
そんでもって今に至る訳である。
「えーっと、どの辺りが痛むかな?」
「首とか後頭部とかかな…っあばばば」
「見たところ外傷は無いみたいだけど」
「あぁ…うん。ちょっち捻っただけみたいね」
そう。頭からマットに叩き付けられはしたものの、どういう訳か首にも頭部にも目立った外傷は無かった。
見たところ内出血とかも無いし、普通に動けるという事は神経系へのダメージも無いらしい。
よほどの幸運に恵まれたのか。
あるいは想像以上の頑強ボデェをこの身が備えていたか、といったところだ。
「えーっと、これで良いかな?」
「うぅむ。気持ち痛みが和らいだ気する」
とりあえず痛む部分に湿布を貼ってもらい処置を終えた。
「えーっと、鹿目…ま、まぎ、いや…まろ…あれ、何だっけ…」
「私は鹿目まどか、だよ」
「あ、すまん…その、鹿目まどか…さん?」
「どうしたの?」
手当てが終わったので、改めて鹿目さんに向き直る。
そういえば彼女と面と向かって話すのはこれが初めてだったか。
「いや、付き合わせて悪かったなって」
「え?」
言葉の意味が分からなかったのか、鹿目さんがキョトンとしている。
ちょっと可愛いなと思った。
「ほら、自分が勝手に怪我したのにわざわざ付き添ってもらっちゃって」
「あっ、気にしないで良いよ。私は保健係だから、こういう時こそ仕事しなきゃ」
申し訳ない気持ちで謝罪する自分に、鹿目さんは気にしないでと笑ってくれる。
その心遣いはとても嬉しい。
だからこそ余計収まりが付かない。
「でも授業を中断させちゃった訳じゃん?俺のせいで」
「それくらいどうってことないよ。それに私、運動はあんまり得意じゃないから…」
「あぁ…そりゃあ…うん」
少し照れながら言う鹿目さんに、曖昧な返事を返す。
そうか、苦手な人にとっては体育の授業ってむしろサボりたい時間なのか…。
「だから、そんな顔しなくて良いんだよ?」
鹿目さんはそう言ってまた笑い掛けてくれた。
まだ申し訳無い気持ちは燻っていたが、彼女がそういう風に言ってくれる以上また蒸し返すのも野暮な話だろう。
「そうか、ゴメン。逆に気を使わせたな」
そう言ってこちらからも笑いを返す。
思えば学校に来てからこれだけ会話したのは、先生と暁美ぐらいなものだ。
そのせいか何だか不思議な気分にさせられる。
元々人との会話に慣れていないのもあるが、ついさっき暁美との警戒心強めな語らいを経たのもあってこういう普通の会話がやけに新鮮だ。
鹿目さんには一方的に関心を寄せてはいたけれど、実際に話してみると思った以上に人の良さそうな子で、話していて心地がよかった。
「でも凄いよね、あんなに高く跳べるなんて」
「え?」
不意に鹿目さんがこちらに話題を飛ばす。
まさか会話が続くとは思っていなかったので咄嗟に反応出来ずに戸惑ってしまう。
「ほら、さっきの高跳び。ほむらちゃんもだけど、県記録狙えるぐらいだったって先生が」
「ああ、あれね…。自分でもビックリした」
彼女の言っている話題に思い当たり苦笑する。
今自分がこの保健室に立っている理由、あの忌まわしき走り高跳びについての事だ。
確かに驚異的な記録ではあったが、自分の意図してやった事では無いので評価されても微妙な所だ。
…それにしても本当、あの時の超常的な感覚は一体全体何だったというのだろう。
結構本気で原因不明過ぎて恐怖すら覚えるぞこれ。
「運動、得意なの?」
そんな俺の気を知ってか知らずか、鹿目さんが無邪気に質問をぶつけてくる。
「いや、あんなに動くのは久しぶりだな」
混じり気の無い返答をする。
暁美の時とは違うのだ。嘘など付く必要はないし、邪険な受け答えをするつもりもない。
「…?部活とかやってたんじゃ…」
「さあ、そんな覚えは無いな」
「じゃあ、高跳びが得意だったり…」
「しない。全くの初心者さね」
彼女が次々ぶつける疑問に俺はスラスラと答えた。
のだが、やけに否定語ばかりが目立つ返答なってしまってなんか申し訳無い。
一応嘘偽りのない答えばかりなのだが何故だろう。
鹿目さんも立て続けに自分の質問を否定されて、とても不可解そうな表情だ。
「初心者って…前の学校ではやらなかったの?」
鹿目さんが首を傾げて問い掛ける。
確かに彼女からこういった質問がなされるのも当然だ。
ただ、それに答えるのは少しだけ躊躇われた。
別にやましい事や隠し事がある訳ではない。
だが自分のどうでもいい来歴が他人との関わりに余計な感情を生じさせるのも余り喜ばしくはない。
でもそれ以上に、鹿目さんの会話に虚偽を持ち込むべきではないと感じたから。
「学校は行ってなかった」
だから出来る限り自然体を装ってそう答えた。
「えっ…」
鹿目さんが目を見開いて驚き、大きく視線を彷徨わせ始める。
「ごめん…聞いちゃいけない事だったかな」
やがて、なんだとても申し訳なさそうな声でそう言った。
「そんな深刻な話じゃないから気にしなさんな」
そう笑って返しつつさっきの台詞を後悔する。
こういう反応をされるのなら言わなきゃよかった。
「そう、なら、良いんだけど…」
「寧ろさっきから誰も何も聞いてくれないから、こうして色々話してくれるのは嬉しい」
まだ少し俯きがちな鹿目さんをフォローするつもりで言葉を続ける。
が、それを聞いて彼女は再び怪訝そうな顔になる。
「クラスの子達と話してないの?」
ああしまったそういう話になっちゃうか。
弁護の言葉を述べたつもりが、どうしてこう墓穴を掘る結果になるのだろう。
「話してたように見えたか?」
半ば自嘲気味な口調で彼女に問う。
「え、えっと…その、あんまり、気にしてなかった…かな…」
鹿目さんは暫し頭を悩ませた末、これまたひどく申し訳無さげな顔でそう言った。
「ああ、分かってる。他の人もそんな感じだからな」
そうだ。彼女に限った話ではなく、クラスみんなが俺に対して深い関心を抱いてはいなかった。
だから彼女を一概に責めることはでき無いし、そんなつもりも無い。
「ごめんね…みんな悪気は無かったんだけど」
「構わんさ。それに自分から話そうとして無いせいもある」
自分で言っておいてなんだが全くその通り。
鹿目さんを責められないのは勿論のこと、自分から他人と関わろうとしていなかったヘタレがその他人を批判する権利などありはしない。
「人と話すの、苦手なの?」
「そういう訳じゃないけど、あんまり沢山の人と話す事が無かったからイマイチ距離感が分からんみたいだ」
「そうなんだ…」
色々話していると、次第に自分の中で自虐的な言葉が大きくなっていくのが分かる。
話している内に昨日今日の出来事がリフレインされて少し感傷的になってきているのかもしれない。
「…転校したらさ、色んな人と話せて、色んな事が出来て、きっと望んだものになれるんだ、なんて」
だからきっとそのせいだ。
「そんな夢みたいな事考えてたけど、まあそう上手くは行かないみたいだな」
こんな余計な台詞が口をついて出てきてしまったのは。
「暦海…くん?」
「勉強はあんまし出来なかったし、運動だって加減間違えて怪我しちまった」
唐突に始まった自分語りに鹿目さんが戸惑うものの、溢れ出した言葉は中々止まってくれない。
「人とも真っ当に話せないし、それどころか迷惑ばっか掛けまくって結局何の役にも立てちゃいない」
自分でも、いきなり何言ってるんだろうとは思う。
こんなネガティブな言葉を羅列して彼女を困らせるのではないかとも思う。
「空回りばかりしちゃってるよな、俺」
けれど胸の内から滲み出てきた不安や焦燥は留まる事を知らず、結局最後まで台詞を吐きだしきってしまった。
「あ…その、すまない。こんな愚痴みたいな事言って」
ようやく我に返った俺は、すぐさま鹿目さんに謝罪した。
本当、何やってるんだろうか。
鹿目さんは自分へ率直な疑問をぶつけていただけなのに、なんだってこんな自虐台詞を投げつけてしまうのか。
これだから口下手って奴はもう、こんなんじゃ人と話せないのも当然の結…
「そんなこと、無いよ」
「え?」
静かな、けれど真剣な言葉が聞こえた。
俯いていた顔を上げると正面にはその声の主、
さっきまでと変わらない柔らかい笑顔で、それでいてまっすぐな瞳でこちらを見つめる鹿目さんの顔があった。
「…私は、勉強も運動もあんまり得意じゃないから」
彼女はその顔のままで、ポツポツと語り出した。
「数学の長文問題なんていつも間違えてるし、高跳びだってあんなに高く跳べた事無いよ」
「友達はいるけれどいつも迷惑掛けてばかりだし、誰かの役に立つ事も出来ないまんまなの」
彼女が語るのは自己否定の言葉。
まるでさっきの自分への意趣返しのように淡々と述べながらも、その表情はいたって笑顔のままだ。
「だから私、暦海くんはすごく頑張ってると思う」
そう彼女がこちらに語りかける。
「…」
「転校初日なのにずっと落ち着いてて、勉強も運動も必死に取り組んでて。誰とも話せないって言ってたけど、今はこうして私と話してくれてる」
「暦海くんは、もっと自分に自信を持っていいんだよ」
彼女はそう言うと、また笑顔をこちらに向けてくれた。
暖かで、自分の全てを肯定してくれるような優しさに満ちた笑顔だった。
「…そうか」
どうやら励まされた、という事らしい。
なんだろう、今回鹿目さんには色々助けられてばかりのような気がする。
「そう言って貰えると、とても嬉しい」
精一杯の感謝を込めてそう伝えた。
「えへへ…どういたしまして」
照れ笑いを浮かべる鹿目さん。
その表情には、さっきまでのような陰りは見られない。
だからどうしてもある事を言いたくなってきてしまった。
「あのさ、俺からも一ついいかな」
「…?」
息をついて、どう伝えるべきか言葉を探す。
先程聞かされた励ましの言葉。
その気持ちは大変有り難かったが、彼女の台詞の中にどうも気になる所があった。
「自分に自信を持つべきなのは、君も同じだと思う」
「それって、どういう…」
「さっき言ってたよな。自分は人に迷惑を掛けてばっかで誰の役にも立てないって」
「…うん」
「どうして、そんな風に思う?」
俺の質問に、彼女はまたしても顔を俯ける。
「だって私には、得意な科目とか誰かに自慢出来るような才能とか昔から何も無いし…」
そして自信なさ気にそう答えた。
やっぱりだ。
彼女の言動の節々にはどこか自己嫌悪的な響きがある。
さっきの彼女の励ましの言葉も俺の事を肯定すると同時に彼女自身を否定するものだった。
それが気になって仕方なかったのだ。
「自分の事、嫌いなのか?」
「嫌いっていうほどじゃないけど…」
繰り返される質問に、鹿目さんは頭を悩ませ次第に自分の胸の内を語り出してくれた。
「時々、こんな自分で良いのかなって不安になる事はあって」
「もっと頑張らなきゃとか、誰かのためにならなきゃとか、思うんだけど、結局私はずっと変わらないままで」
「それが少し、嫌だなって思うかな」
「…そうか」
こんな自分で良いのか。変わらないままの自分。
それはつまり、今とは違う自分になりたい、という意味ではないのか。
今朝の暁美の発言が思い出された。
「でも俺、鹿目さんは自分で思ってるよりも良い人だと思うな」
鹿目さんにそう伝えると、彼女は自虐的な笑いを浮かべて否定する。
「そんなこと無いと思うけど…」
「あるとも」
俺は力強く言い切った。
「現に今さっき、俺を保健室に連れてきて、手当てして、そんでもって悩み相談までしてくれた」
「…そんなの全然特別な事じゃないし」
「誰かの役に立つのに特別である必要は無い」
「私じゃなくても、みんな出来る事だよ…」
「だとしても、実際に俺を助けてくれたのは君だ」
「…そうかな」
「そうだよ」
立て続けに言葉を掛けられながらも、彼女はあくまで自信なさ気な態度を崩さない。
これは相当根が深そうだ。
ひょっとしたら鹿目さんと俺は似たもの同士なのかもしれない。
互いに突出した所を持たず、自分への自信が足りない。
そして自分を認められない代わりに、他の多くの人の事を肯定し認める事ができる。
なればこそ、このままでいて欲しくはない。
「世の中にはどうしようもなく悪意に満ちた奴や、無自覚に他人を傷付ける人も沢山いるんだ」
「だから誰かの役に立ちたいって思って実際に行動出来る人っていうのは、まごうことなき才能なんだよ」
「少なくとも自分の事で精一杯な俺に比べれば、鹿目さんは十分過ぎるくらい良い人間だ」
言葉を並べながら頭の片隅で考える。
俺は鹿目まどかを肯定したかったのだろうか。
自分を肯定してくれた彼女自身をもっと。
「だから、卑屈である必要は無いよ」
そう、出来る限りの励ましの言葉を送った。
「そっか…」
鹿目さんは、俺の言葉を聞くとまた顔を俯け呟く。
「そう、だといいな」
そして顔を上げると、幾分か明るさの増した表情でそう微笑んでくれた。
「なんかごめんね、途中から私の方が励まされちゃったみたいで」
「最初に愚痴を言ったのは俺だから。余計な事言って悪かったな」
一通り語らいが終わると、互いに気を取り直して普段の調子に戻る。
「ううん。色々聞いてくれてありがとね」
「こちらこそ。こんな薄っぺらい話で喜んでもらえたならそれが何よりだ」
鹿目さんが礼を述べてくるが、とんでもない。
励ましてもらって一番嬉しかったのはこちらの方だし、もとを辿ればこれは自分の怪我の手当てから始まった事なのだ。
「それに、こんな風に誰かと沢山話せたのは初めてだから本当に楽しかった」
「…ありがとな」
鹿目さんに対する諸々の感謝を込めて一礼する。
「えへへ…どう、いたしまして」
彼女は照れながらも礼を受け取ってくれた。
「そんじゃあ、痛みも引いたし色々話過ぎたし、そろそろ授業に戻ろう。鹿目さん」
彼女に呼び掛け保健室を後にしようとする。
元々怪我の手当てだけだった筈が、世間話に花を咲かせまくったせいで結構な時間が経ってしまっていた。
この分では授業終わりまで後数分といった所か。
少々名残惜しく感じながらも、扉の外へ向かう。
その背中に、小さな声が届けられた。
「…まどかで、良いよ」
「え…?」
一瞬何を言われたのかわからず硬直する。
そしてすかさず背後を振り向いた。
後ろには、照れているのか頬をやや朱く染めながらこちらに微笑みかける鹿目さんの姿がある。
今のが鹿目さんの声ならつまりまどかで良いってそれは…
「言ってたよね、まだ友達が出来てないって」
鹿目さんがこちらの目を真っ直ぐ見つめている。
「なんなら、私が一番目の友達ってことじゃダメ、かな?」
そしてそんな、殺し文句みたいな事を言ってきた。
「いや…でも、良いのか?」
「全然構わないよ!なんなら私の友達も紹介するし、クラスの子達との仲介だってしてもいいから、ね?」
「…マジで?」
その言葉に耳を疑う。
友達といっても俺と彼女は今さっき初めて話したばかりの関係に過ぎない。
それなのに、こんなにもすんなり親交を結んでしまっても良いものなのか。
「迷惑、だったかな…」
「いやいや、あの、なんていうか、こう」
鹿目さんは本心からそう言ってくれているらしい。
そして俺自身も彼女に対して少なからず好感を持っている。
だから、断る理由なんてものは一つもなかった。
「こんなに、嬉しいことは無い…」
そう伝えると、彼女は喜びの表情を浮かべる。
まるで助けて貰ったのが俺ではなく、彼女の方なのではないかと錯覚しそうになるほどに。
「じゃあ、改めて」
そう言うと、鹿目さんが…いや。
まどかがこちらに手を差し出す。
「これからよろしくね、テツヤくん」
「…っ」
名前を呼ぶ声に、不覚にも涙腺が緩んでしまう。
認められた、と思った。
「ああ。よろしく、まどか」
差しのべられた手を握り返す。
結んだ手の平は暖かく人間らしさに溢れている。
それは、意気投合した勢いだけの一時的な脆い友情なのかもしれない。
ただ話してくれた相手が彼女しかいなかったというだけの、盲目的な親愛と言われればそれまでかもしれない。
だけども今はそれでいいと思う。
一時的でも薄っぺらくても、今自分は誰かに認められ、その信頼を勝ち得ることが出来たのだから。
この場所でなら。
鹿目まどかと一緒ならば。
望んだ何者かになれるのではないか。
そんな気がして、その手の平をより一層強く握りしめた。
こうして鹿目まどかと友人関係を結んだこの日。
思えばこの瞬間から、自分は既に引き返せない道へと足を踏み入れていたのかもしれない。
この回でようやく主人公同士がまともに接触するので、気合い入れて書いたのですが予想以上に筆が進まなくて二週間以上かかりました。
今でも色々納得いかない部分があるのでそのうち書き直すかもしれないです。
あぁ、ようやく話が動く…。