その場に出会したのは本当に偶然だった。
「申し訳ありませんがこの先に通す訳にはいきません。お引き取りを」
「だから! 私は華琳さまの筆頭軍師になる者だって言ってるでしょう! 一刻も早く華琳さまのもとに参上しなくちゃならないのよ! いいから早く通しなさい! それが駄目なら早く誰かを呼んで! 夏候惇でも夏候淵でも、将軍職なら誰だっていいわ!」
街の警邏を終えて城に戻ってくると、一人の少女が城の警備にもの申している様子が目に映った。ここからでは少女の後ろ姿しか伺えないが、彼女は猫耳を模したような特徴的なフードを被っており、困り顔の警備に絶え間なく毒を吐いている。俺はそんな少女の対応をしている兵を気の毒に思うと同時に、沸き上がるどうしようもないほどに懐かしさに表情を緩めた。
「……って、見てる場合じゃないな」
いかんいかんと自分の頬を叩き、俺は少女と警備のところへ足を運ぶ。しかしただ行って再会するだけではつまらない、そう考えた俺は息を殺し、忍び足で少女の背後へと近付いていく。そんな俺に気付いた警備が「この人は何をしてるんだ?」とばかりに変な目で見てくるが、幸いにも肝心の少女は俺の存在に気付いていない。
少女までの距離はもう数メートル、数歩をいけばこの手が届く範囲に到達する。
そろり、そろりと。俺は笑いを堪えながら進む。そして──、
「ふはははははははははははっ! 荀文若破れたりぃ!」
後ろから少女──桂花に抱き付いた。
「きゃあああああああ!?」
「はーはっはっはっ! 久しぶりだなぁ桂花! 変わってなくて安心したぞ! 元気にしてたか? 元気じゃないなら今から元気になれってあははははははははははっ!」
「きゃあああああああああああああああああ!! ぁああああああああああああああ!!」
絶叫しながらじたばたと手足をばたつかせて本気で逃げようとする桂花。しかしいくら俺がへっぽこでも、文官で非力な彼女を捕まえるくらいはどうということもない。
抱き締めた桂花の体は相変わらず細かった。ちゃんと食事を摂っているのかと心配になるくらい細かった。起伏に乏しい、なんて言った暁には後で何をされるか分かったものではないから黙っておくが、しかしそれでも女の子らしく、柔らかくて温かくていい匂いもするのだ。俺は腕の中の桂花をくるりと反転させて向き合うと、そのまま頬擦りを敢行しようと顔を寄せ──見事に彼女の拳が頬に突き刺さることとなった。
「ふげっ!?」
ラッキーパンチかそれとも狙ったのか、なんにせよ桂花の拳を受けた俺はまるで蛙のような声を上げて倒れ込む。痛い、が、こんなものは春蘭との稽古に比べれば大した痛みではない。そうして顔を上げて立ち上がろうとした俺だが、目の前でわなわなと震えながら怒りを隠そうともしない桂花に、つぅっと一筋の汗が流れるのを感じた。
「よ、よぉ桂花……ひ、久しぶり……」
「あんたは……あんたって男は─────!!」
「ちょっ!? 待っ、いたっ! 痛い痛い!?」
「うるさいうるさいうるさーい!! この変態っ! 色欲魔っ! 全身精液男っ!」
罵倒と共に飛んでくる足に蹴られ、踏まれる。これはなかなか馬鹿に出来ない痛さだ。おまけに今の桂花は怒り心頭といった様子でこちらの声は届きそうにもなく、彼女が落ち着くまでは耐えるしかない。
「勝手にいなくなって! 散々迷惑を掛けておいて! 今更どの面下げて帰ってきたのよ!? あんたが消えたことで私達がどれだけ大変だったか、その煩悩まみれの頭に嫌っていうほど叩き込んでやろうかしら!?」
「桂花、落ち着けっ!? ごめん! 悪かった! 俺が悪かったから顔はやめて!?」
そんなやり取りを繰り広げること数分、騒ぎを聞きつけて俺達のもとにやって来たのは柳琳だった。彼女はまず初めに桂花を見て嬉しそうな顔を見せ、続いて文字通り踏んだり蹴ったりされている俺に血相を変えて駆け寄ってくる。
「け、桂花さん!? 一体一刀さんに何を!?」
「こいつが自分のしたことの重大さが分かってないようだから、こうやって教えてやってるのよ! 邪魔しないで頂戴!」
「で、でも流石にこれ以上はやりすぎだと思うわ。一回落ち着きましょう。ね?」
あぁ……流石は柳琳、曹魏の良心だ。その優しさが身に沁みる。俺は全身を叩いて砂や埃を落として立ち上がり、柳琳にお礼を言おうとして──、
「何を騒いでいるのかと思えばあなただったのね、桂花」
ピタリと。まるで時が止まったかのように、この場に居合わせた全員が先程の声がした方を向いて動きを止めた。そんなことが出来る人間なんて陳留に──否、この大陸に一人しかいない。
「か、か、華琳さまぁ~!!」
堂々とした足取りで、全身に圧倒的な覇気を纏わせて近付いてくる華琳に、桂花は感極まってその名前を叫んだ。その態度は先程まで俺に向けていたものとは全くの正反対で、相変わらずだなぁと思わず苦笑がこぼれる。
「また会えて嬉しいわ。愛しき我が子房……ふふっ」
「あぁ……勿体なきお言葉です……華琳さまぁ……」
華琳にそっと頭を撫でられると甘い声を上げる桂花は、フードも相まって本当に猫のようだ。そんなことを思いながら甘い空気から目を外すと、隣にいた柳琳とばっちり目が合った。どうやら彼女も同じことを考えていたらしく、それがおかしくて俺達は小さく笑った。
「桂花、ここに来たということは最早聞くまでもないとは思うけれど、今一度私についてきてもらえるかしら? 来るべき乱世を乗り越え、この曹孟徳が飛躍するためにはあなたが必要なの」
「勿論ですっ! 非才で矮小なこの身ではありますが誠心誠意、血の一滴に至るまで華琳さまに尽くします! ですから是非、この荀文若を華琳さまの覇道を支える者として、その末席を汚すことをお許しくださいっ!」
そう言って桂花は華琳に向かって頭を垂れた。見ているこちらが惚れ惚れするほどの臣下の礼である。
それを受けた華琳は……予想通り、不敵な笑みと共に満足そうに頷いた。
「あなたの想い、しかと受け取ったわ。これから頼りにさせてもらうわよ、桂花?」
「御意!」
主従の契りはここに結ばれた。
王佐の才と呼ばれし荀文若──桂花がこの曹魏に再び加わった瞬間だった。
「桂花さん、これからまたよろしくお願いしますね」
「えぇ。よろしく柳琳」
「よろしくな桂花。俺も会えて嬉しいよ」
「私は全然嬉しくないわよ」
うん、いっそ清々しさすら感じるこの対応の変わり具合である。まぁ、桂花らしいと言われれば桂花らしいのだが。なんにしても、彼女とこうしてまた一緒に過ごすことが出来るのであれば、俺としてはもう何も言うことはなかった。
「何を笑ってるのよ、気持ち悪いわね」
「ははっ、別になんでもないよ」
「……馬鹿」
申し訳ありませんがこれから少しの間、投稿が途切れると思います。一ヶ月もすれば戻ってくるとは思いますが、何卒ご理解ください。
次の次、もしくはそのまた次くらいで黄巾の乱に入る予定ですが、その前に一回閑話を挟みます。洛陽にいる傾と瑞姫、霞の話がしたいので。