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一体どれだけの間、泣いていたのか。
ザリッという何者かが地面を踏み締める音に、延々と泣きじゃくっていた俺と香風はようやく我に返った。チラリとまだ赤いであろう目で音の方を確認すれば、黄色の頭巾をした三人組がこちらに近付いてきていた。強面の男を筆頭にチビ、デブという個性的な面々の姿に、記憶の遥か奥深くに眠っていた出来事が甦る。
そうだ。あの三人は俺が華琳達の時代にやって来たばかりの頃、混乱していて訳が分からなかった時に出会った連中だ。
この荒野で目が覚めてすぐに香風と出会ったことといい、あの三人組といい、つまり俺は、あの時と同じ状況に置かれているということなのだろうか。
「(トラックに轢かれて死んだと思ったら生きていて。最初の頃みたいな状況な筈なのに、何故か香風は俺のことを覚えていて、華琳のことも知っている。何がどうなってるんだろうな……?)」
「おうおうおうおう! お二方よぉ、こんなところで随分と楽しそうじゃねぇか!?」
「兄貴! あの男、珍しい格好をしてますぜ!」
俺が一人そんな思考を展開する中、ニヤニヤと挑発的な笑みを浮かべた三人組は、大股で俺達に歩み寄ってきた。脅しのつもりか、手にした剣を見せびらかせるように掲げている。
確か最初は、ドラマや映画の撮影か何かだと勘違いしていたんだと思う。だが、今の俺には分かる。太陽の光を反射して光るあの剣は、
「お兄ちゃん……」
「うん。大丈夫だよ、香風」
心配そうにこちらを見上げる香風の頭を一度撫で、俺はゆっくりと立ち上がる。その際に腰に巻いた帯革をなぞれば、警棒や拳銃といったいざという時に対する武器があることも分かった。今の格好といい、どうやら俺はトラックに轢かれた時の状態のまま、この場にいるようだ。相手が剣という凶器を持っている以上、使うかどうかはともかく、こうして何か得物があるのは精神的に心強い。
「お? なんだ兄ちゃん、命乞いでもしようってか?」
「み、身ぐるみを全部置いていけば、命だけは助けてやるんだな……!」
「命乞いなんてしないよ。ていうか、あんた達こそさっさと逃げた方がいいと思う。じゃないと──」
そう俺が言い終わるより早く、隣にいた香風が斧を持って大きく跳躍する。身の丈よりも巨大な得物を頭上に振り上げ、重力に任せて落下し始めた彼女は、そのまま斧を全力で振り下ろし──結果、地面を真っ二つに叩き割ってしまった。そして、あんぐりと口を開ける三人組に彼女は告げる。
「次は、そっちがこうなる……!」
大斧を構え、鋭い眼光を放つ香風に、三人組の誰かが「ひっ……!」と短く悲鳴を上げる。香風と自分達の実力差を理解したのだろう、彼等は数度アイコンタクトを交わすや否や、一目散にどこかへ逃げていってしまった。その背中がみるみるうちに小さくなっていく。
「……やっぱり香風は凄いなぁ」
「えへへ、もっと褒めて」
三人組を追い払ったことで香風は得物を下ろし、笑顔でとてとてと俺のところに帰ってくる。流石は曹魏でも五指に入る猛将だ。十年ぶりにその力を目の当たりにした訳だが、その迫力は微塵も衰えておらず、やはりまだまだ彼女には勝てそうにない。
「お兄ちゃん」
「ん、どうした?」
「また会えて、嬉しい」
「……あぁ。俺もだよ、香風」
香風と目線の高さを合わせ、ふっと笑い合う。しかし彼女はすぐに顔を伏せ、その目に涙を溜めた。
「もう……いなくならない?」
「っ……それは……」
その言葉に、俺は思わず言い淀んでしまう。一体どういう理由でここにいるのか、それは本人である俺にも分からないのだ。これからどうなるのか、そんなことは自分でも予想がつかない。ずっとここに留まっていられるのか、はたまたすぐに消えてしまう可能性も否定出来なかった。
「えっと──」
「香風! やっと追いついたぞ!」
口を開き、言葉を発そうとしたその瞬間、遮るように俺の背後から声が響く。振り返るとそこには、赤い槍を携えるヒラヒラとした服を着た女性が、やや乱れた呼吸を整えているところだった。その姿には見覚えがあるような気がするのだが、肝心の名前がなかなか出てこない。少なくとも俺がいた時、華琳に仕えていた人ではなかった。
「あ、星」
「全く、いきなり駆け出して何事かと思えば、こんなところで殿方と逢瀬とは。そしてそこな御仁、一体何者だ?」
「あっ、俺は──」
「お兄さん、ですよね……?」
名乗ろうとした刹那、女性の後ろから聞こえた声にビクッと肩が跳ねた。そして、ゆっくりと現れた二人に俺の視線は釘付けになる。
「風、稟……」
「はい~」
「お久しぶりです、一刀殿」
渇いた喉から声を絞り出すと二人は──風と稟は優しく微笑んでくれた。もう一度見たいと思っていた愛しい人達の笑顔に、俺はまたも目頭が熱くなるのを感じる。俺はこんなにも涙脆い人間だっただろうか?
ごしごしと目を擦り、再び顔を上げると、すぐ目の前にさっきまで稟の隣にいた筈の風がいた。彼女はそのまますっと両腕を横に広げ、倒れるように俺へ寄り掛かってきた。ポフンと頭が俺のお腹に当たり、腰にはその手が回される。
「お兄さん」
「……どうした、風?」
「風は……いえ、風だけではありませんね。風も稟ちゃんも、華琳さまも皆も……とっても、とっても寂しかったのですよ」
チクリと、その言葉に胸が痛む。俺がいなくなったことで皆がそんな思いをしていたことに、罪悪感がどっと押し寄せてきた。
「お兄さんがいなくなって、曹魏の人は変わってしまいました。それは何も将だけではありません。お兄さんの警備隊に勤めていた兵の皆さんも、その警備隊に守られていた街の人も、皆み~んな悲しい思いをしたんです」
「……あぁ」
「……ねぇお兄さん、今度は、風達の前からいなくなったりしませんか?」
それは先程、香風がしたのと同じ問い。俺は上目遣いになりながら僅かに震える風をそっと引き離し、屈んでその肩に手を置いた。彼女の翡翠色の瞳と真っ直ぐ向き合う。
「約束するよ。俺はもう、勝手にいなくなったりしない。俺は俺の愛した人達と、ずっとずっとここにいるから」
「本当ですか~……?」
「本当だよ。こんな状況で嘘なんてつける訳だろ」
風の不安そうに揺れる瞳を見つめつつ、俺はそう断言する。そのまま見つめ合うこと数秒、やがて風は無言のまま、もう一度こちらに体重を預けてきた。小さくて軽く、柔らかい彼女の体を、俺は出来るだけ優しく受け止める。
「信じますよ、お兄さん。もういなくなったりしたら駄目なんですからね~」
「あぁ、分かってる」
そう言って抱き付いてきた風の背中をそっと撫でると、やがて彼女から「ぐぅ……」という小さな吐息が聞こえた。それになんともいえない懐かしさを感じ、俺は小さく笑みをこぼす。そして、そんな風を抱いたまま俺はそろりと立ち上がり、今度は稟の方へと歩を進めた。
「稟」
「言いたいことは風が言ってくれましたからね、私からこれ以上
「ただ?」
「強いて何かあるとすれば……おかえりなさい、とでも言っておくべきでしょうか」
眼鏡をくいっと上げて微笑と共に言う稟に、俺もつられて笑った。
「うん、ただいま。でも正直、なんでここに戻ってこれたのかはよく分かってないんだけどね」
「分かってない? ということは、自力で戻ってきた訳ではなくなんらかの偶然で、ということでしょうか?」
「そうそう。ちょっとした事故に巻き込まれてね」
流石にトラック──稟に分かるように説明するなら、馬より速く走る鉄の塊とでも言うべきか──に撥ねられて死んだと思ったら、とは言わない。これでは現実味があまりに無さすぎて、逆に相手を混乱させるだけだ。本人にもあまり分かっていないのだから、これ以上の説明も出来ないのだし。
「まぁ、偶然でもなんでもいいよ。こうして稟や風、香風に会えたんだからさ」
「……変わりませんね、貴殿は。外見は大人なのに、中身はあの頃と全く同じです」
「お兄さんの体、凄く大きくなってますね~。ここなんてとっても分厚いのですよ」
「お兄ちゃん、シャンもして」
腕の中でもぞもぞと風が動き、その頬を胸板に擦り付けてくる。相変わらず猫みたいだなぁと苦笑した俺は、目をキラキラさせてこちらを見上げる香風を、左腕一本で抱き上げてみせた。体はきっちり鍛えているため、二人くらいの体重なら同時でも特に問題はない。
「むぅ……」
「おやおや? 風達が羨ましいんですか、稟ちゃん」
「……そうですね。少し羨ましいです」
恥ずかしそうにやや俯きながら、それでも稟は風の言葉を肯定する。すると、「だったら……」と呟いた香風が器用に移動して俺の肩の上に──すなわち、俺が彼女を肩車するような形となった。
「これで、左腕が空いた」
「ふふっ、ありがとうございます香風。一刀殿、お邪魔しても構いませんか?」
「おう、どんと来い」
俺は大きく頷き、左腕で稟を抱き寄せる。柔らかくて、華奢で、少し力を込めれば折れてしまいそうな体だ。目を瞑って耳を澄ませば、三人の鼓動や息遣いも感じることが出来た。
俺の愛した人達が、今ここにいる。
それが嬉しくて、愛しくて堪らない。
「……お楽しみのところ申し訳ないが、少しよろしいかな?」
「ん……あ、あぁ。えっと、なんかごめんなさい」
「いえいえ。こちらとしてもなかなか面白いものが見れましたからな。特にあのように素直な稟は随分と珍しい」
そう言ってくつくつと笑う女性──香風は星と呼んでいたが、恐らくは真名だろう──に、稟は俺の腕の中で小さく身を竦めた。今のその反応で、目の前の女性がどんな性格なのかが少し分かった気がする。飄々としたからかい上手、といったところか。
「さて、申し遅れました。私は趙雲、字を子龍と申します。以後、お見知り置きを」
「北郷一刀です。北郷が姓で、一刀が名になるのかな。この国の生まれではないので、字も真名もありません。好きなように呼んでください」
「ほう、異国の出身とは珍しい。ふむ……では北郷殿と呼ばせて頂こう。私のことは是非、子龍と」
「えぇ。よろしく、子龍殿」
両腕が空いていないため握手は出来ない。そのため、お互いに軽く会釈をして挨拶を済ませた。出来る限り自然な対応を心掛け、内心の動揺は悟られないようにする。
まさかこの女性があの趙雲だったとは思わなかった。だが逆にこの人が趙雲だとすれば、そこにいるだけで感じる強さや空気にも納得がいく。おおよそ分かった実力だけでも、香風か霞といい勝負が出来るだろう。勿論、俺なんて歯が立つ訳がない。
「さてお兄さん、風達はそろそろ行くのですよ。いつまでもここにいては、怖いお役人さんに捕まってしまいますので」
「官軍か。もう少し話をしたいところではあったが……仕方があるまい」
風達の視線の先、遥か彼方にじっと目を凝らせば、もくもくと土煙が立っているのが見える。俺の記憶が確かなら、きっと彼女達なのだろう。
「一刀殿、我々はもう少しこの大陸を見て回ろうと思います。何もかもがかつてのように進むとは限りませんから。昔のことは一旦置いて、
「シャンは、お兄ちゃんと一緒にいく」
「そっか。なら風と稟、子龍殿とはお別れだな」
せっかく再会出来たのにすぐ別れてしまうのは寂しいが、彼女達にもやるべきことがあるのだろう。ならば、俺が無理に止める理由はない。俺がこの世界にいる限り、きっとまた会えるだろうから。
「お兄さんお兄さん、お別れの口付けはしてくれないんですか?」
「ごめん風、そんなのがあるなんて初耳なんだけど」
「おいおい兄ちゃん、そこは知らなくても男なら察するところだぜ?」
唇を突き出した風に困惑していると、彼女の頭に乗っている宝譿が呆れたように呟いた。正確には彼女による腹話術での自演なのだが、そこはあえて黙っておく。何か言おうとも風のことだ、適当にはぐらかされるのは目に見えている。
「……そうだな。じゃあ遠慮なく」
頼まれたなら応えてやるのが男の甲斐性だ。俺は屈んで風と高さを合わせると、そっと彼女と口付けを交わした。男女の交わりの最中にするような情熱的なものではなく、鳥が啄むような軽いものである。
元々風とのキスは、躊躇いこそらすれど拒否することではない。むしろ望むところですらある。愛しい女性とのキスだ、恥ずかしがる理由などありはしない。
「んふふ、どうもどうも。ほら、次は稟ちゃんですよ~?」
「わ、私もやるのですか?」
「当たり前じゃないですか~。ほら、早くしないと追い付かれちゃいますよ?」
それとも、と風は一旦言葉を区切った。
「お兄さんとの口付けはしたくない、とか?」
「そんな訳が! ……あっ」
うっかり口を滑らせ、顔を真っ赤にしてしまった稟。それを見てニヤニヤとしているのが子龍殿だ。彼女はしきりにこちらへ視線を向けては、「さぁいけ」と言わんばかりにくいっと顎を稟の方にやっている。外野なのをいいことに言ってくれるなぁと、俺は思わず苦笑してしまう。
とはいえ、このままでは埒が開かないのもまた事実。俺は腹を決めると稟に近付き、その唇に己のものを重ねた。突然のことに稟の動きがピタリと止まり、周りからは「お~」と感心するような声が上がる。
「お兄ちゃん、大胆」
「これは意外ですね~。風もびっくりなのですよ」
「ふむ、流されるだけの優男かと思っていましたが……なかなかどうして。この趙子龍、見直しましたぞ」
「煽っておいて随分な言い草だな……。っと、稟、いきなりしちゃってごめんな」
「い、いえ……少し驚いただけですので……」
耳の先まで真っ赤になりながら答えた稟だが、こほんと一度咳払いをすると、すっかりいつもの様子に戻っていた。正直、自分の方も結構恥ずかしかったりするので、稟がこうして切り替えてくれたことはありがたい。
「さて、次は私の番ですな」
「残念ですがお兄さんは風達のものなので、星ちゃんにはそう簡単にはあげられませんね~」
「おや、それは残念だ」
……うん、流石に会ったばかりの子龍殿ともやるのは憚られる。ていうか、子龍殿も絶対冗談で言っているに違いない。ああいう性格の人は華琳のところにいなかったから、油断するとうっかりあちらのペースに巻き込まれてしまいそうだ。
「二人共、行きますよ。このままではいつまで経っても進めません」
「む、それもそうか。では北郷殿、我々はここらで失礼させて頂く」
「ではではお兄さん、勝手にいなくなってちゃいけませんよ~」
「あぁ、分かったよ。それじゃあ皆、気を付けて」
「星、稟、風、ばいばい」
「一刀殿、香風、どうか御武運を。華琳さまによろしくお伝えください」
最後に少しずつ言葉を交わし合い、俺達五人は三人と二人に別れて歩き出した。お互いに背を向けて、振り返りはしない。きっとまた会えると信じているのだから。
そして俺達は、これからもう一つの再会を果たす。
誇り高き王、寂しがり屋の女の子と。
「行こうか、香風」
「うん」
右隣を歩く香風と手を繋ぎ、俺は来るべき再会に胸を高鳴らせた。
ようやく次回だ……! これの続き書くために魏ルートのエンディングを繰り返し見てるんですが、その度にしんみりしてます。