「あと五周だ! 気を緩めるなよ! 最後まで走り抜け!」
『はっ!!』
訓練場に響き渡る春蘭の怒声に、ランニングをしている兵士達が威勢よく返事をする。既に十五周ほどしているにも関わらず、これだけの声が出せるとは凄まじい体力だ。流石は春蘭の率いる兵士達、根性のある先鋭揃いだというのは伊達ではないらしい。
そんな先鋭の中に、何故か春蘭の補佐である俺が混じっているのは、未だに訳が分からないのだが。
「北郷! 声が聞こえんぞぉ!」
「そりゃあこれだけ人数がいれば俺の声なんて聞こえる訳ないだろ! ていうか名指しするな!」
「それは気合いが足らんのだ! もう五周させられたいのか!」
「理不尽な!?」
あまりの言い分に俺は息切れしながらも声を張り上げる。正直、武器や鎧を身に付けた状態で長距離を走るのはとてもしんどい。勿論、戦場においては今の状態が当たり前なので、甘えたことなど言ってられないのだが、それでも俺だけピンポイントで無茶苦茶言われるのは間違っている筈だ。
「よし、走り込みが終われば二人組を作れ! 私が止めと言うまで組んだ相手と打ち合うのだ!」
『はっ!!』
「北郷、お前は私とだ! さぁ構えろ、戦場で待ったは通じんぞ!」
七星餓狼を抜刀し、ぜぇぜぇと息を整えていた俺のところに来た春蘭は、とてもいい笑顔でそう言った。きっと彼女の辞書に情けの文字はないのだろう。半ばやけくそになりながら剣を抜いた俺は、両手でそれを構えて春蘭に相対する。
「っ、せえぇええええええい!」
「はぁああああ!」
訓練用に刃を潰した得物を春蘭目掛けて全力で振り下ろす。そこで相手が怪我をするかも、と躊躇いはしない。相手が曹武の大剣たる春蘭だからだ。こちらがどれだけ力を出したところで、向こうにこの剣が届く可能性はごくごく低い。俺と彼女との間には、それほどまでに圧倒的な実力差があるのだから。
そして案の定、俺の一撃は春蘭に呆気なく止められてしまう。
「軽い、あまりに軽い! こんな程度では華琳さまをお守りすることは出来んぞ!」
「言ってくれる……なっ!」
警察学校での日々、そして卒業してからも行った剣道の練習を思い出しつつ、出せる力の限り春蘭に当たっていく。纏った鎧によって体は普段より遥かに重いが、その重さを剣の一撃一撃に込めて振るう。刃と刃がぶつかる度に甲高い金属音と火花が散った。
「ふっ、今のは悪くなかったな。だが、これはどうかな!」
「うわっ!?」
ギラリと春蘭と瞳が光った瞬間、俺の目と鼻の先を大剣が横切った。全身から血の気が引き、思わずその場にへたり込みそうになってしまう。
捉えられない。
春蘭の剣が速すぎるのだ。
「ここが戦場なら貴様は今ので死んでいる。いや、それ以前にも少なくとも五回は私に斬られているぞ」
「ははっ……全くもってその通りだな……」
声が震え、乾いた笑いしか出てこない。情けないことに今の俺は春蘭の闘気に当てられ、既に参ってしまいかけていた。
「むぅ……そんな捨てられた犬のような顔をするな。確かに華琳さまをお守りし、将として軍を率いるつもりなら、北郷の武はまだまだと言わざるを得ん。精々、百人隊長といったところだろう」
だが、と春蘭は言葉を区切る。
「今の貴様は以前に比べればずっと強くなっているぞ。それはこの夏候元譲が保証してやる。歴然の強者ならいざ知らず、凡百の武将相手なら勝つことは出来ずとも、そう簡単に負けはせん筈だ」
「……あぁ。ありがとな、春蘭」
慣れない励ましの言葉だったのだろう、顔をやや赤くしてこちらから目を逸らす春蘭に、少しだけ気持ちが楽になった気がした。
俺は弱い。ならば、強くならなくてはならない。
生きるためにも、誰かを守るためにも。
例え強くなれなくとも、強くなるための努力を怠っては駄目だ。
「春蘭、もう一度頼む」
「うむ、さぁ来い!」
再び剣を構える頃には、既に体の震えは止まっていた。真っ直ぐ正面から春蘭を見据えた俺は、勢いよく地面を蹴って突撃を敢行した。
△▽△▽
午前中の組み手では散々に打ち負かされた俺であったが、午後からの訓練では兵達に混じらず、彼等が春蘭の指示で行動する様子をつぶさに観察していた。数にしておよそ千人もの兵がまるで春蘭の手足のように動く様は、ただただ圧巻の一言に尽きる。素早く陣形を敷き、高い士気を長時間維持し続ける夏候惇隊は、恐らく現在の漢において最も強く、勇敢な軍であるに違いない。
「今日の調練はここまでとする! 次回に備えてしっかりと体を休ませておけ! 以上! 解散!」
夕陽も沈み始め、綺麗な茜色に染まる空の下、春蘭の号令を最後に訓練は終了した。ぞろぞろと去っていく兵達の背中を見送り、やがて全員がいなくなったところで、俺はふぅと大きく息をついた。その途端に全身を疲労感が襲ってくる。
「どうした。くたびれたのか?」
「うん……。正直、だいぶ疲れちゃったよ……」
「全く、この程度で情けない。天の国でもけいさつ……かん? とやらをやっていたのだろう? このくらいで音を上げていては先が思いやられるぞ」
「はははっ……その通りだな」
春蘭の言う通りだ。以前、華琳に言われた将になるという話が実現すれば、俺も春蘭や秋蘭のように兵を束ね、指揮を執らなくてはならない。そうなった時、彼女達のようにとはいかずとも、ある程度のことが出来なければ、その役割を全うすることは不可能である。
「春蘭」
「ん、なんだ?」
「俺、頑張るよ」
「うむ、そうしておけ。華琳さまのお役に立つ上で、優秀すぎて困るということはないだろうからな。精々励めよ、一刀」
にやりと不敵な笑みを浮かべた春蘭に、つられるように俺も笑った。
今日の訓練で、自分の力がまだまだであることをあらためて思い知らされた。がむしゃらにもがき、警察官として生活していた日々は無駄ではなかったものの、それだけでは足りないということがはっきりと分かったのだ。
きっと華琳はまた戦乱の世に身を投じるだろう。この国の平和と民のために、険しい棘の道を進む筈だ。そんな彼女のためにも、そして誰かを守るためにも、俺はもっともっと精進しなければならない。
「……やってやるさ」
沈み行く夕陽に手を伸ばし、小さな誓いを胸に立てた。
春蘭に杏仁豆腐を食べさせてもらうシーンを入れ忘れたでござるの巻。とりあえずそれはまた今度ということで……。