「残念だ。とても残念だ」
手を払う。
それだけでマスターの身体は吹き飛んだ。
結局、ゲーティアの誘いを断ったところで、双方の優勢劣勢が覆ることはない。
命乞いをするべきだったのだ。一本だけ垂らされた蜘蛛の糸。それを必死にたぐり寄せるべきだった。獲得した異質な獣性。マスターを苦しめるためのものでしかないこれが、唯一役に立つ瞬間が訪れたというのに。
「なぜ我々の理想郷を理解できない? 悲しみなど生きる上で不必要だろう?」
ゲーティアは歩く。
素晴らしい同胞となりえたかもしれない存在を討つために。
マスターは立ち上がった。
「さあ。どうしてだろうね……」
哀愁漂う表情だ。どこか悲しいような。どこか虚しいような。あれほどボロボロにされたのに、どこ吹く風だ。
轟音がマスターの耳に届く。英霊たちが必死に戦っている証が。皆、マスターに未来を託している。未来を紡ぐ。それをするのはサーヴァントではない。マスターたち今を生きる人間たちなのだ。過去との因縁。それを今、果たすべき時が来た。
「マシュを殺した恨み、受け取ってもらうよ」
燃え上がるは闘志。
「第三宝具、再装填。……いいだろう。貴様の気持ちもわかる。最後に殴りかかるくらいは許そう」
再び人類の結晶が輝く。
あれが次に放たれれば、今度こそマスターに防ぐ術はない。つまりは終わりだ。きっともう、勝ち目はない。だからゲーティアに、最後まで死に物狂いで抵抗した人間がここにいたという証を何としてでも残しておきたかった。そのための拳。そのための貧弱な殴り。
だがそれは建前に過ぎない。本当にただ、マシュを殺したという恨みが何よりもマスターの中の感情で勝った。
例えダメージ量にして一にも満たないとしても、ゲーティアをなぐったという確かな事実が欲しかった。
「ああああああ!!!」
自ら誰かを殴りつけるなんて、いったい何年ぶりだろう。そんな考えがぼんやりと脳裏をよぎった。
カルデアに来てからは、少なくともそんなことはなかった。
ゲーティアまであと数メートル。
思い切り力を込めた拳をヤツの腹にーー……!!
「いやいや、落ち着こうよ。玉砕はまだ君には早い」
ロマ二がのほほんとした口調で、マスターを諭した。
◆
「ゲーティア、お前に最後の魔術を教えてやろう。第一宝具、再演。『訣別の時きたれり。其は、世界を手放すもの』。……アルス・ノヴァ」
それは極光の爆発だった。
人類がそれを見るにはふさわしくない。神へ万能を返還する儀式。まさにその歴史的な瞬間を目撃したマスターは、もはや言葉に言い尽くせないでいた。
ロマ二……ソロモンが自爆する。それによってゲーティアの万能性は崩壊した。
「ォォォ……。オオオオオオオォォォ!!! なぜだ。なぜ貴様にそんな選択肢ができる、ソロモン! 『無能』な王のどこに、そんな勇気があるのだ!!!」
時間神殿が一部崩壊する。
ゲーティアの万能性が消えたことで、第二宝具の運用が弱体化したからだ。魔神柱たちの結束も解かれ、一気に優勢がぐらつく。
もうゲーティアには不死性はなくなった。つまりは、マスターにゲーティアを倒す絶好のチャンスがやって来たということだ。
「ドクター!」
マスターが叫ぶ。
「今まで隠していて悪かったね。私のこれまでは、ほとんど君に助けられてばかりだった。今、この瞬間こそが私の存在意義、それを果たす時。私の完全消滅をもって、過去……神代の終わりを迎える」
ソロモンの身体が次第に透けていく。
これはマスターがよく見るもの、英霊の消失の前兆だった。
「待って、ドクター!」
走る。
ゲーティアに全快してもらっていないせいで、足元がおぼつかない。それでも何とか彼の元へたどり着くと、マスターは胸に飛び込んだ。
この温もり。この匂い。何より感じるこの優しさ。これはロマ二のものに間違いなかった。
「ドクター。死ぬの?」
「そうだね。あれはようは自爆攻撃なのさ。だから仕方ない」
なおもソロモンの消滅は進む。
これまでだって、このようにしてたくさんの英霊と別れてきた。そして、マシュの盾による召喚でかつての敵だったサーヴァントとだって契約を結んでいる。
だから、この戦いが終われば、ソロモンも……。
「自爆攻撃だと? そんな生易しいものなどではない! 英霊の座から降り、さらには己が存在の全てを放棄した!! 我が光帯などまだ優しいものだ。貴様は今、『無』に至ったのだぞ!! 以降、貴様の功績が地上に現れることは、ないッ!!」
ゲーティアが必死にまくし立てる。
黄金の身体を赤く燃え滾らせ、怒り……いや、何故という疑問の具現化がゲーティアを苦しめる。
そんなゲーティアの言葉に。
「………………え?」
としか言えなかった。
「そんな、でも……嘘。嘘……だよね?」
ソロモンの服を握りしめる。
涙目で彼を見上げる。だが、彼が悲しそうな顔をする意味を悟り、マスターは息を飲んだ。
「ごめんね?」
ソロモンがマスターを抱きしめる。
いつもならば、淡くも幸せな気持ちになれたのに、今回はそうならなかった。
ソロモン……ロマ二とは、初めからずっと一緒にいた仲間。マシュと同じくらい大切な仲間なのだ。そんな人を、マシュに続いて、二度までも失うなんて、マスターには耐えられなかった。
「そんなの、ないよ……! ずるいっ! 私を……置いていかないでよぉ!!」
大粒の涙が止まることを知らない。
鼻水で汚くなった顔をソロモンの胸に深く埋め、これでもかと人生最大の力でソロモンを抱きしめた。絶対に離したりするものか、と。絶対にどこにも行かせない、と。
しかし、完全消滅の時は無慈悲にやって来る。だんだんと『抱きついている』という感覚が曖昧になっていく。
「ダメ! 絶対にダメ!」
雲をつかむような感じ、とはまさにこういうことを言うのだろうか。
触れているような感覚はなく、だがそこに確かに実在する。触れられない存在。ソロモンは今にも、もうマスターの手の届かないところへと行ってしまいそうだ。
「本当にごめん。君の獣性を知っていながら、私は見て見ぬ振りをすることしかできなかった。だから今、全ては無理だけどある程度なら……」
ソロモンの手がマスターの頭に触れる。
ぽうっ、と温かい光が輝き、マスターの中で、ナニカがごっそりと取り出される感じがした。
これまで溜まりに溜まった悪性。それが消えるだけで、これほどにも世界が美しく見えるのか。感動に身を震わせ……違う。
「そんなのはどうでもいいの! 誤魔化さないで!! どうすればいい! ……ねぇ、どうすれば……」
もはやソロモンの身体は光の残滓となっていた。
それに気づいたマスターは彼に触れようとするも、すでに何も感じることはできなかった。
ゲーティアはまだ苦しんでいる。万能性を剥奪される恐怖がどれほどのものか、マスターにはわからないが、目の前で、残り一分も残されていないであろうソロモンは、二度経験することになったのだ。
「全く……我が儘な娘だなぁ」
薄い光だけの腕が伸び、マスターの胸に触れた。
触れているという感覚はないはずなのに、触れられているという感覚は、なぜか感じられた。
それを忘れたくなかった。両手で彼の手を自分の胸に押しつけるように重ねる。
「僕がいなくなっても、思い出はいつも、そこにある。大丈夫、また会えるよ。その時まで、少しの間お別れだ」
こんな時なのに、解せない。
ニヒルなスマイルを見せられ、マスターは思わず微笑んでしまった。目の端を指でぬぐい、まっすぐにソロモン……ロマ二を見上げた。
「カルデアの司令官として君に最後の命令を。……勝利を。完膚なきまでの勝利を。さあ、行ってきなさい。これが君とマシュのたどり着いた、ただ一つの旅の終わりだ」
そうだ。
これですべてが……すべてが終わる。
長かったような。短かったような。そんな辛く厳しい旅が。
第一の獣を討てと、残った獣性が歓喜に震えながら叫ぶ。
言われなくともそのつもりだ。人理焼却事件、その終止符を打つ時が来た。覚悟しろ、ゲーティア。人類の繁栄、返してもらうぞ。人類の未来を、返してもらうぞ。
「我らの結合は解けているが、時間は十分にある! 最後の一柱になるまで我が第一宝具を回せばいい! 命に限りは必要ない! 死を前提にした物語など、私には、無用だ!! 失せるがいい、人間たちよ! 七十二柱全てを以て、貴様たちを宇宙の塵にしてみせる!!!」
サーヴァント、召喚。
残り僅かな魔力を回して、ゲーティアを討つ。
魔力が足りなければ己が命の火を燃やし尽くせ。ここが正念場。ここが命の張り処。持てるすべての力を出せ。
「ドクター……行ってきます」
ロマニは微笑み、ついに消滅した。
必ず勝つ。
抱くはこれまでにないほどの闘志。
最終決戦、今ここに。
◆
「ォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーー……!!!!!!」
ゲーティアが膝をつく。
時間神殿が崩壊する。それは何よりの、ゲーティアの敗北を意味していた。
マスターの持つ魔力はもう、ほぼゼロだ。視界がぶれ、横に倒れる。サーヴァントたちの現界を維持できず、光となって消えてしまった。
「貴様が邪魔だ。貴様ひとりが邪魔だ。なのに何故……何故我々はこんな人間ひとりを排除できないのかーー……!!」
無敵であるはずの魔神柱たちが敗れる。
『ゲーティア』たらしめる要素が光速で削ぎ落とされ、魔術式の停止があと僅かとなった。
ゲーティアも、マスターもボロボロの身体だ。両者とも、立っていられるのが異常なほどだ。これが互いに獣性を抱える者同士の意地と言うべきか。
「何故だッ! 貴様と私、同じく獣性を獲得した者同士、分かり合えたはずだ! それなのに何故!!!」
先に立ち上がったのはゲーティアだ。
大きな身体をふらつかせ、マスターに近づく。先ほどのような黄金の身体は色あせ、戦闘前の神々しさは無くなっている。
魔神柱たちが『終わり』を迎え、消滅していく。
「『終わり』だと? このゲーティアにそんな言葉は不要である!」
「いや、終わりだよ……ゲーティア」
ようやくマスターが立ち上がる。
自分が水平の上に立っているのかもわからない。どこを見ているのかも、何を感じているのかもわからない。だが、ゲーティアという明確な敵はちゃんと目に焼き付いている。
「我々の前で終わりを語るな……!! 我々はまだ負けていない。戦う意志は、貴様を殺すための拳は、まだ残っている」
瀕死ながらもゲーティアは依然として堂々と歩いてくる。
「フォウ! フォーウ!」
威嚇するフォウを宥め、マスターはゲーティアを待ち構えた。
「お前という人間の真価を計れていなかったことは認める」
拳撃。
「……ッ!」
咄嗟に魔術防壁を張る。
ガギィンッ! と鈍い音が響き、マスターに重い衝撃が伝わる。
だが倒れない。
「不快だが訊いてやる!」
拳撃。
魔術防壁。
衝撃。
だがマスターは倒れない。
「なぜ。なぜ我々に屈しない! なぜ戦い続ける!!」
溜め。からの拳撃。
カスほどしか残っていない魔力を全て使い切り、全力の魔術防壁を張る。
衝撃。
それでも、マスターは倒れない。
逆に、ついにゲーティアは力尽きた。膝をつき、下を向く。魔神柱たちはそれぞれ滅び、四散し、逃亡し、とうとう残るはあと一柱。魔神フラウロスのみ。
令呪、三画解放。全てを魔力回復に。それでも全体の二割程度。……十分だ。
「生物じゃない、ただの魔術式でしかないあなたには一生理解できないことよ
獣性がなに。光帯がなに。三千年? ……ハッ! 知ったことじゃないわ」
魔力を全て拳に注ぎ込む。
ゲーティアがゆっくりと顔を上げる。時間神殿の崩壊まであと少し。
グラつく地盤。崩れてゆく魔神柱。『ゲーティア』は、ついにゲーティアとなった。
三千年の人類の繁栄に対するは、たった一年で歪に成長した少女の拳。
「私を殺したことを後悔する日が、必ず来るぞ……!」
「ーー例えそうだとしても」
重い踏み込み。
上半身を右に逸らし、血が滲むほど拳を握り締める。
「#########ために戦うわよ、ゲーティア」
少女の拳は深く。深くゲーティアの顔面に食い込んだ。
◆
ーー生きる為。
そうゲーティアは聞いた。
だが、その言葉と表情はどう考えても一致していなかった。
消えかけのソロモンによって獣性の大半は浄化されたというのに、それでも『これ』か。
濾過された透明な獣性が落とされ、取り残された濁った獣性が暴走する。ソロモンが9割を浄化したというのなら、残った1割が特大の獣性を抱えていたということか。そこはソロモンの誤算……というのだろうか。
いや、そもそも本当に生きる為と言ったのかも怪しくなってきた。
言った? 言ってない? どっちだ? 言っていないとしたら、いったい何と言った?
思考の渦に囚われるも、時間があまりにも足りなかった。
その答えが得られることはなく。
『魔術式ゲーティア、停止します』
無慈悲なことに、ゲーティアの活動はここーー……。
マスターはなんと言ったのか。
それは、誰にもわからない。
次、活動報告にてリクエストがあったので、ナイチンゲールさんいきます。