サンソンは絞首刑に処され、物言わぬ骸となった。
この異端の地で原因不明の受肉を果たしてしまっているせいで、カルデアに召喚されてからの彼の記憶は完全に失われた。これでもう、例えこのセイレムから解放されてカルデアに帰還し、無事サンソンを召喚できたとしても、ゼロからリスタートとなってしまう。そのもどかしさ。言い尽くせないものになるのは間違いない。
マシュが息を飲む。マスターは、サンソンが首を絞められる苦しさに白目をむきながらもがくさまをただただ見ていた。
「……クソッ」
ロビンが悪態をつく。
「これで罪人は裁かれた!」
村人たちが歓喜にいきり立つ。
どこかで一匹のカラスが狂ったように泣き喚き、マスターたちの心を毟る。
哪吒に抱きつかれていたアビゲイルが、顔を真っ赤に泣き腫らしている。
……見ていられなかった。キルケーが悔しそうに唇を噛み締め、杖を握りしめている。
どうしてこの人たちは、人を処刑して喜んでいるのか。まさに狂った集団だ。次は自分が神に背くものと裁かれるのではないか、と恐怖を抱くせいで互いに疑心暗鬼になり、人と人の信頼、信用が崩壊している異様な状態に何故気付かないのか。
「……無念」
マスターがぽつりと呟いた。
その瞬間、哪吒はマスターの胸倉を掴み、近くの木に軽く突き飛ばした。
すぐ側にアビゲイルがいるというのに、覇気迫る表情でマスターに詰め寄る。哪吒の中で膨らんだ怒りが、つい爆発してしまう。
「我が主人 見損なった それでも人か」
「……」
マスターは哪吒の目を見つめたまま、何も言わない。
十秒か。それとも一分か。やがて哪吒はそっとマスターから手を離した。
「謝罪 憤怒 我慢できず」
「こっちこそごめん。……何もできなくて」
苦しそうに数度咳き込んだ後、マスターは哪吒に寄り添ってあげてと諭し、哪吒はしぶしぶとアビゲイルの元へと戻っていった。
マスターは、いち早くこの処刑場という、仲間を殺すためだけの異端の象徴から離れたかった。マスターとロビンしか気づいていないが、村人たちのうちの何人かはこちらを疑わしげに見ている。処刑されたのは、マスターを座長とする団員のひとりなのだ。しかも二人目。疑いの目で見られるのも当然だ。
「さあ、あの女も地下牢にぶち込んでおけ」
判事が警官に指示する。
「座長さんは悔しくないの⁉︎ 私は悔しい! あの人は誰よりも誠実な人だった。それなのにどうして……」
アビゲイルが吠える。
無垢な少女の叫びは誰にも届くはずはなく、夜の帳が下り始めた処刑場での歓喜の声にかき消されるのみ。
誰も聞いてくれない。誰も、カーターですら、話を聞いてくれない。
「悔しい。とても悔しいよ。でもどうしようもできない。次の処刑の矛先も私に向いた。……悔しい、ね」
マスターがアビゲイルを抱き寄せる。
マスターの心臓の音が聞こえる。ものすごい早さで脈打っているのが伝わり、アビゲイルはふと顔を上げる。
「座長さんーー」
だが、言葉を紡いでいる途中で、それは遮られてしまった。マスターを警官が取り押さえたのだ。
「先輩っ!!」
力を失っている状態のくせに、マシュが警官たちに掴みかかろうとする。全てはマスターのため。今連れていかれたら、サンソンと同じ道を辿るのは明らかだ。
しかし、ここでさらに厄介ごとを起こせば、事は複雑になってしまう。それだけは何としてでも避けなければならなかった。
「来ないで、マシュ」
「先輩っ、それはっ、できないです……!!」
「ーー来ないで!!」
令呪、一画使用。
その瞬間、マシュが身体のスイッチを切られたかのようにその場に倒れる。
何が起こったのか、一瞬わからない顔をしたが、すぐさま震える手で地をわずかに這いながらも叫んだ。
「やめてください先輩!! こんなの……こんなの、誰も望んでません!!!」
「……わかってる」
いつも一緒にいるはずのマシュが、なぜか今だけは邪魔に思えてしまった。
彼女の言う事は全て正しい。それは誰よりも理解している。だが、そんな世迷言は、この地では通じない。彼女の行動、言葉、それら全てにマスターの心が揺さぶられてしまうのだ。
だから……。
令呪、さらに一画使用。
黙って、マシュ。
……そしてごめんね。
ついに、マシュはマスターに口を盗まれた。
「ーー!!」
ロビンたちに目だけで訴えかけるも、目を伏せて首を横に振る。
どうしようもないのだ。次に死のスポットライトに当てられる役は、マスターに回ってしまったのだ。
「私が……魔女だったなら……」
アビゲイルが呟く。
「私が……真に……神の教えに背く魔女ならば……。この虚ろなるセイレムの……唯一確かな……罪ならば……!」
生気の抜けた表情で、アビゲイルが呟く。
「みなさん……聞いてください。ここに、みずからを告発します……」
その声はなぜか、全員の耳に侵入した。さっきは誰ひとり聞こうとすらしなかったのに、強引に割り込んできたその声は、カーターの眉を一瞬だけ顰めさせた。
『死の丘』に嘘のような沈黙が流れる。誰もが皆、アビゲイルの、次に来るであろう言葉を……来ると確信している言葉を待っている。
「私はーー魔女です。森の中に隠れ、悪徳の儀式をしました。友人を惑わしました」
それ見たことかと『セイレム』が嗤う。
これ見よがしに、少女たちがアビゲイルが魔女だと喚き散らしながら石を投げつけ始める。
サンソンという悪魔を処刑した途端にこれだ。カーターの元にやってきたマスター一座、まさに疑惑の塊。
村人たちの不安、ストレス。そして都合の良い捌け口を探している。
哪吒がアビゲイルを庇う。
「同郷の友に 投げるか! 愛 憎む者のみ 石を投げよ! さもあらずんばーー」
槍で石を全て捌ききってみせる。
石を投げている少女たちだって、アビゲイルを知る者のはずだ。それなのになぜ魔女アビゲイルと口早にまくしあげるのか。
何の罪もない人を神という絶対的な存在を振りかざして裁き殺すのか。
なぜ。なぜ。なぜーー。
「いいの。いいのよ」
アビゲイルが哪吒を宥める。
でも! とそれでも庇おうとするが、やや強引気味に彼女を退かせた。
「どれだけ傷つけられても私はもう、気分がーー」
アビゲイルの身体を未知のナニカが覆う。それらが絡みつき、アビゲイルを再構成してゆく。
紫の炎がアビゲイルを燃やし、歪な姿を貸し与える。
それは、まさに魔女。
「ーーちっとも、つらくないの」
……本来ならばありえるはずのない魔女、ここに誕生せり。
◆
「あぐっ!」
乱暴に地下牢に投げ込まれ、マスターは汚い床に倒れた。
ゆっくりと目を開くと、飛び込んできたのは三匹ほどのゴキブリだ。だがそんなものに悲鳴をあげて後ずさるマスターではない。落ち着いた様子でゴキブリたちを手で払い、立ち上がった。
質素なトイレに赤い錆がよく見えるベッド。湿気かカビか。ボロボロに崩れた木箱のようなもの。おそらく椅子の代わりだろうか。それにしても環境が劣悪だ。この場にナイチンゲールがいればどうなっていることか。
どこからかわからないが、部屋の端で水がほんの僅かだが漏れている。それにハエがぶんぶんと飛び回っている。
キルケーとは別の部屋にされた。だがそれも致し方のないこと。魔女化したアビゲイルを食い止めるためとはいえ、大魔女の真価を発揮したのだから。そしてふたり一緒の部屋だと何かを企てるかもしれないから。そしてなにより座長であるマスターは、キルケーよりも格上ではないかと疑われるのも当然。本音は一刻でもはやく始末したいところなのだろう。
「……」
あのノートが今、手元にないのが痛い。
きっと明日……早ければ深夜にでも裁かれて『死の丘』行きが決定される。
その間にマシュたちが何か策を講じてくれることは願う。それだけしかできない。
こんな部屋に時計などあるはずもなく、何分、何時間経ったかわからなくなったころ、錆びついた牢の鉄格子がギギギ、と嫌な音を響かせながら開いた。
「……」
「……」
入ってきたのはカーターだ。
門番が去り、互いに無言で見つめ合う。
先に口を開いたのはマスターだった。
「やって来たね……魔神柱」
「……ほう」
カーターの目が赤く光る。
この瞬間、僅かながらも敵意を向けられ、身を引きそうになるも、負けじと胸を張った。
「いったいいつから気づいていたのかね?」
「さあね」
「つれない娘だな」
そう言うと、カーターは魔術で崩壊した木箱を再生させ、それに腰かけた。
「ついでにベッドも綺麗にしてよ」とお願いしてみるも、「ハッ」とひと蹴りにされる。
「で、こんなに汚いところに何しに来たの?」
マスターが冷たくカーターに問うた。
「私の『目的』を理解して欲しいのだ」
「目的?」
「そう。目的だ。魔術式ゲーティア……あれは誕生時から人類の救済を目的としたモノだ。それは私に通じていて、今も変わりない」
思い起こすは、あの激闘。
あの時ゲーティアを殴った感触が拳に残っている。それは消え去ることなく今なお残り続けている。
「そのためにこのセイレムはまさに最適と言える場所だった。さらにはアビゲイル・ウィリアムズの存在もある。そして彼女には願望があった。だから私はそれを助けようとした。だが誰にも、私にもできなかったのだ。だからカルデアを呼んだ」
「できなかった? どうして過去形? もしかして……いや、ループしたの? 何度も」
「ループだと? それに何の意味があるのかね。私は逆行は求めない。私は前進を求める……苦痛ある前進を。ただその工程を圧縮したのだ。生と死のサイクルを加速した」
「……悪いけど、生と死のサイクルを加速? っていうのがよくわからない」
「……所詮はただの小娘か」
ガンガン、と何かを叩く音が喧しく響いた。門番が鳴らしたのだろう。
カーターはスッと立ち上がると、鉄格子のドアを開けた。
「私は非常に君を警戒している。一瞬でも気を抜くと、いつも形勢を逆転される。我々が敗北から学んだことだ。だから徹底的に君を潰させてもらう」
カーターの目が再び赤く光る。今度は敵意ではなく、殺意。明確な殺意だ。
「ひとつぶんのセイレムを消費することで、『外なる神』をアビゲイル・ウィリアムズに降ろすために必要な結び目は揃った。だからもう、カルデアは……君は不要となった。だからこの後、すぐにでも魔女裁判にかけてやる。そして魔女認定されて役に溺れ死ね。シバの召喚した大魔女は無罪放免で解放されるだろう。役が回っていないのだから」
「殺したいのなら今すぐ私を殺せばいいじゃん」
「それじゃあつまらないだろう? 主役は大々的に処されるべきだ。アビゲイルの前で死ぬ慈悲をやろう。それで目的の達成は揺るぎないものとなる」
悪役に似ず、上品に笑いながらカーターは地下牢を出た。
その瞬間、彼が復元した木箱が元どおりに崩れ、さらにはマスターの座っていたベッドが灰となって消えた。
まさかの不意打ちに、マスターに身構える隙など与えられるはずもなく、無様に尻餅をついた。
「そうそう、そんなに汚いベッドに座るのはさすがに嫌ではないかね? 年頃の少女にそれはいささか酷だろう。『床に可愛らしく座った』方が……薄暗い地下牢で、助けを待つ少女像としては完璧だな」
唯一腰をおろせる家具だったのに、それを奪われてマスターは腹が煮えくりかえった。
すぐさま立ち上がってカーターに肉薄しようとするも。
「こらこら、そこで『待て』しないとダメじゃないか」
カーターがスッ、と手をマスターに下ろすだけで、マスターの身体は、見えない力によって、地面に縫い付けられた。お尻がみちゃっ、と嫌な音をたてて踏みつぶす。
そしてすぐにそれはゴキブリだと悟る。
「これで可愛らしく女の子座りして待ち続ける像の完成だ。……ふむ、だがこれだけでは足りないな。待つからには『時間』が必要だ」
手を横に払う。
すると、マスターの目元を黒い何かが覆い、完全に視界が塞がれる。さらにそれは口にも強引に侵入してきて、言葉を発することすらできなくなってしまった。
「ーー! ッッ!! ーー!!」
「あとはこの地下牢だけ時間経過を遅延させて……おっと。手元がくるった。まあいい。数日……いや数週間ぶんくらいに間違えて引き伸ばしてしまった。しかし、衰弱しきって死にそうになったら勝手に解除されるから安心したまえ。君は我慢強い人間なのだろう? ならば一週間程度、問題なかろう」
ギギギ、と鉄格子が閉まる音が聞こえる。
門番は。門番はこの異常に気づかないのかと唸るが、耳に誰かの生の感じさせない唸り声で静かに悟った。
ダメだ。無理だ。そんなの、耐えられるわけがない。
必死に身体を動かして抵抗しようとすると、両手が何かに拘束され、ついに身動きひとつできなくなってしまった。
「そんなに暴れたら余計に疲れるだけだ。鎖を壁に繋いでおいたからおとなしくしているんだぞ。では、次に会う時を楽しみにしているよ」
置いていかないで。
最後の令呪を使用して拘束を外そうとしたが、ほんの少し腰が浮いただけで、もう、それ以上の抵抗は臨めなかった。
耐えきれる自信がなかった。いや、きっと耐えるのだろう。だが、その時自分がどうなっているのか想像するだけで恐ろしかった。
やめて。
やめて。
やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてーー……!!!!!
「ーーさようなら、カルデアのマスター」
次回。
マスター、裁かれる。
すっごくカーター氏が悪役になってしまった。でも魔神柱だからこれくらいは普通だよね^_^