物欲センサーすごい……。
「ソロモン……魔術王ソロモンと言ったのかいマシュ?」
「はいドクター。あの生命を嘲笑うような笑いを思い出すと……今でも恐ろしく感じます」
無事、第四特異点は修復された。
最後の最後でまさかの黒幕の出現には全滅さえ覚悟したが、なんとか生還を果たすことができた。今回の出撃はとても重いものとなった。だが逆に、カルデアの目的意識を明確化させ、向上させる、いい機会となった。
シャワー室から出たマスターはタオルを首に巻き、ぼんやりと意識のはっきりしないままロマ二やマシュ、ダ・ヴィンチたちのいる部屋へと入っていった。
適当に椅子に座り、情報交換をするふたりを違う世界での出来事のように客観的に眺めていた。
まだ完全に乾いていない髪からポタリポタリと雫が垂れる。
「ちゃんと髪を乾かさないとダメじゃないか。髪は女の命って言うだろ?」
腕を握られ、洗面台へ連れて行かれる。
タオルを取られ、軽く拭かれてからドライヤーを当てられる。
その暖かさに、マスターはだらしなく口を開け、眠そうにこくりこくりと舵を漕ぎ始める。
「わ、ふ」
ドライヤーが終わると、すでにマスターは夢の扉の前に立っていた。やれやれとダ・ヴィンチはマスターを抱きかかえると、彼女の部屋へと運んだ。
照明を暗い方にして点け、ベッドに降ろす。
手ぐしで髪をすき、整ったところで布団をかぶせる。
「んくぅ」
「こりゃ犬みたいだね」
首筋にそって顎を撫でてやれば予想通りの好反応で、ダ・ヴィンチはある種の興奮を覚える。
しばらくそれを堪能したところでふと我に返り、依存性から覚めて、頭をぶんぶんと振る。そして胸ポケットをあさり、小瓶を取り出し、キュポンッ! と開け、マスターの口元に運ぶ。
甘い香りが部屋に広がり、マスターの鼻腔を優しく撫でる。頭だけをダ・ヴィンチに向け、くんくんと鼻をひくつかせて、小さく微笑んだ。
「いい匂いだね……」
「うん、ちょっとした栄養ドリンクさ。超甘いからね。特異点解決お疲れ様、今日は……ゆっくり休むといい」
ダ・ヴィンチがマスターの背中に手を回し上体を少しだけ起こし、飲ませる。
飲み終えたマスターは数秒間だけ動きを止める。そして半開きの瞳でダ・ヴィンチを見上げる。
「ん? どうしたの?」
「いや……なんでもない」
それは違和感だった。しかし今にも眠りそうなマスターには何かわからなかった。致命的なもののような気がしたが、それは真夏のアスファルトに水を撒き地に接した瞬間の……そんな感じですぐさま違和感は消えた。
いったいこの胸に広がるもやもやはなんだろう。
ダ・ヴィンチが部屋を出ていく。眠いから、また明日、覚えていたら改めて訊きに行けばいい。
掠れゆく意識の中、マスターはそんなことを思った。
◆
朝はとても良い目覚めだった。
昨夜ダ・ヴィンチが髪を丁寧に整えてくれたおかげで寝癖もない。文句なしのパーフェクトである。着崩れた服を一気に脱ぎ捨て、下着姿で部屋をうろつき、いつもの制服に着替える。
そしていつも通り死者たちの演奏が……始まることはなく、天井に張り付いて不気味にクスクスと笑っているだけである。
机の引き出しからあのノートを取り出し、開く。久しく触れていなかったこれ。だが、少し表紙の型紙が柔らかくなってきている。使い古しているのがわかる。
今日の昼頃にでもいつもの儀式をしようと静かに元に戻す。
とりあえずは朝食だ。
食堂に着くと、遅い起床だったせいか、人がまばらだ。「おほほー! マスター殿! おはようございますぅ!」と黒ひげが視界に乱入してきたので、偶然すぐそばにいたドレイク船長に頼んで問答無用で食堂から退場させる。
「隣、いいかな?」
マスターが話しかけたのはアルトリア・ペンドラゴン。そのセイバーオルタだ。彼女はリスのように頬いっぱいに膨らませながらこちらを向くと、隣の椅子を引き、トントンと叩いて促してくれた。
「ありがとう」
椅子に座り、恐る恐る彼女の様子を窺う。
いっぱいに広げられたジャンクフードの山。その大半はすでにもぬけの殻でもうすぐで完食というところだった。
「なんだ。貴様もこのハンバーガーが食べたいのか?」
「い、いや〜……朝からそれは私にはキツイかな……なんて」
「そうか。しかしだな、女だからといって少食だというのはいただけんな。たくさん食べて力を蓄えろ」
そう言うと、アルトリアは一瞬だけ躊躇うような表情を見せてから、ハンバーガーのひとつをマスターに渡した。
いざ渡されると断りづらいのが日本人の性。気付いた時にはすでに遅く、マスターの手にはハンバーガーが握られていた。
「なんだかんだ言ってもらうのか」
「こ、これは不可抗力っていうので……!」
それ以上否定しても意味はなく、せっかくアルトリアの厚意だ、やっぱり返すだなんてあまりに失礼だ。
渋々包み紙を開き、香ばしいジャンクジャンクな匂いについ頬を引きつらせる。美味しそうなのは認める。条件反射で口の中で唾が出てきたのも感じられるし、こう目の前にすると食べたいという衝動にかられてしまうのも事実だ。
口を開け、ハンバーガーを頬張った。
「ーーーー」
ぶわり。
いや、ぞわり。か。
昨夜の違和感が蘇った。そしてそれがマスターを襲った。分厚い、不透明な黒い波となって呑む。
『これ』だ。意識が曖昧だったからあの時は分からなかったが、間違いなく『これ』だ。
咀嚼する。飲み込む。
そしてすぐさま二口目を頬張り、あっという間に完食してしまった。
「お、いいぞその食べっぷり。もうひとつどうだ?」
「……もらっとく」
「ははは! ついに貴様もジャンクフードの偉大さに屈したな?」
愉快そうに笑いながらアルトリアはさらにもうひとつハンバーガーを渡した。
マスターはそれを受け取ると、今度は長い時間をかけて味わいながら食べた。
「その飲み物ももらっていい?」
「もちろん。コーラだが大丈夫か?」
その質問に答えることなく、マスターはコーラを一気飲みし、口元についたソースを拭き取ると立ち上がった。
その目は驚きと失望に彩られていた。しかしアルトリアにはマスターの小さな背中しか見えない。アルトリアが目を細める。
「もしかして口に合わなかったか? もしそうならば悪かった」
「違う……違うの。あなたは悪くないわ。美味しかったんだけど、やっぱり朝はダメだったよ」
「それは残念だ。新たな同志が生まれるのかと思ったのだが」
嫌々と言いながらふたつも食べたのだ。
本当に嫌ならひとつしか食べないし、コーラなんてもってのほかだろう。
アルトリアはポケットを弄ると、手のひらサイズの容器をマスターに投げた。驚きながらもマスターはそれを受け取る。
「ブレスケアだ。さすがにこういうのを食べた後は胃が臭くなるからな。これで許してくれ」
「うん……ありがとう」
さっそく蓋を開け、一粒口に含む。
そしてアルトリアに手を振りながら、マスターは食堂を出て行った。
「おいエミヤ。ホットドックを三……いや、四本寄越せ」
「ふ……あれかね。向こうで見た槍の君の成長ぶりに触発されたのかな?」
「卑王鉄槌……極光は反転する。『エクスカリバー・モルガン』!!」
「ぐああああああああ!!!!」
◆
マイルームに戻ると、死者たちがさらに増えていた。
一斉にマスターに向け、手に持つ錆びついたナイフを刺す。
「は」
いつものことだ。しかし、今日は数が多いため、痛みが大きい。幻痛に顔を歪ませながら、マスターは心だけは冷静を装ってノートを広げた。手を伸ばし、赤ペンを握る。
とりあえず書くことは、ロンドンのこと。今回は……今回は……ドウダッタッケ?
記憶にモヤがかかる。落ち着いて、思い出す。すると、まず浮かんできたのは赤だ。そして血、肉、骨。最後に大量の死骸だ。
そうだ。そうだった。いつも通り『死』を見ただけだ。そして次は……そうだ、マシュに微笑みかけたのだった。
そこまで思い起こしたところで、いやそれだけじゃないだろうと頭を振る。その間にもマスターを刺した無数のナイフが、流れる偽りの血によって、さらに錆びが錆びつく。その色は赤茶色ではなく、闇のような黒だ。
他にもたくさん思い出はあった。モードレッドやヘンリー。あとは玉藻の前など。彼ら彼女らと話したことやしたことを綴る。
書き終え、内容を確認もせずにノートをしまった。あくまでノートは日記であり、日々の安寧を保つための手段でしかない。
身体を蝕む激しい幻痛よりも、ずっと耳から離れない死者たちの嘲笑よりもマスターの心を支配していたものがあった。『違和感』の正体。それを確かめずにはいられなかった。どこかでそんなはずはないと髪を引き千切りながら叫び否定している自分がいた。だがしかし、これは紛れも無い事実なのだろうと静かに納得していた。
食堂から戻るときについでにパラケルススからもらった、五感を活性化させる薬を飲む。するとどうだ。瞬く間に、感覚が研ぎ澄まされ、視覚が向上し、物がいつも以上にハッキリーー……!!
「ウゥ……ッ! ゲッェ……オ゛!!」
突然吐き気がこみ上げてきた。
吐き出す袋などすぐに用意できるはずもなく、吐くまいと自身の首を絞めるのが関の山。
感覚が強化されすぎたからか。食道を逆流する胃の内容物が嫌に生々しくわかってしまう。
血の循環、肺の萎み、脈打つ心臓。腸のウネウネ。全て、全て。身体の全てを感じてしまう。
気持ち悪かった。自分の身体はこれほどにも気持ち悪かったのか。
抑えきれず、吐く。白い床にハンバーガーが中途半端に消化された、粘性のある茶色のドロドロがボタリと落ちる。
馬鹿めと死者たちが嗤う。
たったそれだけのことなのに、耳という感覚器官を貫き、その言葉言葉が脳をハンダごてで炙られるような灼熱の痛みを生む。
ほラ、ハヤくソレをクえよ。そノタめに……愚かなことをしたのだろう?
片目の爛れた男が這い寄り、氷の手でマスターの足首を掴む。すると、一瞬で氷がマスターの膝まで登り、肌が感じたマイナス100℃の過剰冷感に、足元がふらつき、受け身すら取れずに床に倒れた。
「いギ……ッ!!」
それと同時にポケットからレモンがふたつ、床を転がった。
そうだ。そもそもこれを食べ、『違和感』の確認をするのだった。
ひとつ、首のない女がマスターにレモンを拾い、手渡す。女の流す血がレモンを赤く染め、受け取ったマスターの腕を伝う。
「まさ、かッ……ゥあっ……手伝ってくれる、なんてね」
自分を責め立てる者が助ける。どうせ早く食べて絶望に伏してほしいだけだろう。鎖骨と左胸の間の位置に目がギョロリと生まれ、そうだと瞳をグルリと回転させる。
拒絶したところで意味はない。ならば、受け入れるしかない。
指を食い込ませ、汁が流れる。
マスターは、それにかぶりついた。
しかし、何も感じることはできなかった。
やはり、か。
冷静に受け入れる。しかしそんなこと、本当に受け入れられるはずなどなかった。
手が震え、指が震える。レモンが落ちそうになり、反対の手で抑える。
ゆっくりと理解が進んでいき、ことの甚大性がわかってしまう。わかってしまった。小さく嗚咽を漏らし、顔を伏せる。
「えぐっ……ひぅっ……」
幻痛の大嵐。凶夢の始まり。絶望のエンドレス。
ポロリと涙が溢れる。
「……どうして!! どうしてッ!!!」
レモンに乱暴に噛み付く。
感じたのは、レモンの果肉の噛み応え。冷えた液体が喉を流れるのみ。それ以外は、なかった。
「嫌! 嫌! こんなの絶対、嫌ぁッ!!」
両手で乱暴に皮を剥き、握り潰し、浴びるように果汁を飲む。だがやはり、舌は何も感じない。
まだ足首から手を離さない男の死霊の肩に噛み付く。だがその瞬間、男の身体はケラケラと笑いながら四散してしまう。
味はなかった。
今度はレモンを渡してくれた女を襲い、かぶりついた。しかし、口もないのに同じようにケラケラと笑って四散する。
味はなかった。
ケラケラ。ケラケラケラケラ。
ケラケラケラケラ。ケラケラ。
ケラケラ。ケラケラケラケラ。
ケラケラケラケラ。ケラケラ。
ケラケラ。ケラケラケラケラ。
死者たちをひとり残らず襲い、マスターはかぶりついた。それでも誰も、何も味は感じなかった。
どうせあなたも味を持たないのでしょ! ともうひとつのレモンを壁に投げつける。
味を感じられない? 全てを不味く感じてもいいから、何かを味わいたかった! 味のない食事など、食事とは言わない……。
「嫌だ……嫌だ……」
手首の治りかけの傷を歯で抉る。
流れる血を口に含んだ。
味はなかった。
ハンバーガーの吐いた跡がある。
五感を強化されたせいでまともな思考ができない。芋虫のように床を這い、舌を伸ばしたが、やはり我慢できないと顔を突っ込み、吐いたものを再び口に含み、呑み込んだ。
……それでもやはり、味はなかった。
そしてついに、マスターは自身の味覚が完全に失われたことを理解してしまった。
「う、あ、あああぁぁぁ……」
……弱々しく泣く姿は、誰も、誰の目にも映ることはなく、酸味の漂う部屋にただ一人。
助けは求めない。
ただ、人類を……未来を救うために、己の人間性を捧げただけだ。実際、ついに特異点は半分を超えた。やってみせたのだ。
そう思えば、気分が少しだけ楽になった気がした。
以上、清姫との絡みの話に繋がる話でした。
では、またネタが尽きたので活動報告にて募集します。ビシバシバンンバン送ってください! 待ってます!!