盾の少女の手記   作:mn_ver2

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エレシュキガル前後編のあと、メルトリリスという予定で逝きますねっ。
時系列は二部スタート前のクリスマス。

ふたりのどちらかをアンケートする活動報告は消させてもらいました。
何時くらいに投稿したら一番目につきやすいかと悩む最近。


槍檻のゆりかご 前編

「マスター! ツェルコに乗って逃げるんだ!」

 

 エレシュキガルは強すぎた。

 そもそもこの冥界の主人である彼女は言うまでもなく冥界において最強、神々でさえ赤子のようにあしらわれる。

 圧倒的な力の前に、アルテラが叫ぶ。

 

「逃がすものですか!」

 

 エレシュキガルが鈴を鳴らす。

 すると地面から黒い竜が顔を現し、マスターを拾い上げようとするツェルコを呑み込まんと襲いかかった。魔力消費により素早く移動できないマスターには、もうツェルコが最後の頼み綱だった。

 竜の牙がツェルコのもふもふの毛皮を裂く。しかし、間一髪ギリギリで避け切ったツェルコは無事マスターの下にたどり着き、その勢いのまま足首に噛みつき、飛び去っていった。

 

「いッ……!」

 

 たい、とは言えなかった。

 逆さに吊るされながら暗い暗い冥界の空を飛び、残されたアルテラを逆転した視界で見下ろす。苦渋の決断だったのだろうが、これが最善の手であるのは間違いない。

 惨敗。惨敗だ。

 なぜか記憶を無くしているエレシュキガルは、元の冷血な女主人へと逆行してしまった。あれこそ本来のエレシュキガル。だが、時々見せる戸惑いはよく知る彼女そのもので、まだ完全に逆行しきっていない。ならばまだ希望がある。

 魔力を消費しなければならないが、無事着地すればまたアルテラを呼び出すことができる。

 まだエレシュキガルと話し合っていない。また会いたい。そして思い出をたくさん聞かせればーー……。

 

 瞬間、黒い閃光。

 

 それはツェルコに直撃し、マスターの足首から口を離してしまう。

 

「う、あッ!」

 

 急落下。

 あまりに突然のことで、バランスなど取れるはずもなく不安定なままで落ちていく。

 

「ツェル、コ……!」

 

 手を伸ばす。地面と空が高速で回転し、途切れ途切れで視界に入るのみ。そして暗い閃光が再びツェルコを襲い、遠くへと飛ばされてしまった。

 三周、四周目でようやくそれを理解し、自分の力だけでなんとかしなければならないと悟ったマスターは、先ずバランスをとることを優先させた。手足を伸ばし、一直線になる。ブレが収まってきたところで地面に平行に身体を倒し、なるべぬ空気抵抗を受けるような体勢になって落ちていく。

 顔を叩きつける風が痛く、満足に目が開けられない。

 

 あ、あああああああああ

 ああああああああああああああああああああ

 あああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁーー……!!!

 

 そして地面が迫って……!!

 

「ーー生者が冥界の地を汚すことは許しません」

 

 ふわり、と浮遊感。地面すれすれの位置でマスターはエレシュキガルの召喚した黒い竜に受け止められた。

 

「反吐が出るのだわ」

 

 途端に竜は消え、「へぶしッ」と地面とキスをする。

 しかしすぐさま立ち上がると、エレシュキガルに接近した。そして彼女の腕を掴もうとしたところで、後ろから闇の霧のようなものが伸ばした手を伝い、急に実体を得てマスターの腕を力強く掴んだ。その力はあまりに強く、指が肉にめり込みかけている。

 

「生者の分際で、エレシュキガル様に触れるな」

 

 耳元に身体の芯が凍えるような声で誰かに囁かれ、頭から足先へ、体温が一気にマイナスに突入するほどの感覚に身が震えた。

 

「ギッ……離し、て……よ!」

 

 逆の手で邪魔者の胸を押し退けようとした瞬間、逆に押さえつけられてしまう。そして刹那の間に両脇に腕を滑り込まれ、両腕を拘束されてしまった。

 死のように冷たいモノがマスターの背中に張り付く。それだけで、無数の氷の槍に身体を貫かれたような刺痛を覚え、マスターの意識が飛びかける。

 

「愚か、そして無礼ですね。深淵の海にやって来るなんて……もはや救いようがありません」

 

 エレシュキガルが槍をマスターの喉元に突き立てる。

 かつて共闘したはずの味方に脅される。ゴクリと喉が鳴る。そして悲しみを感じる。なぜ、という疑問が頭の中でいっぱいになり、怯えながらエレシュキガルを見つめた。

 マスターの様子に彼女は一瞬だけ目を逸らすも、キッ! とすぐさま敵意を剥き出して睨みつける。

 

「そんな目で見られても慈悲など与えません……。あなたは冥界の最深部まで来てしまいました。もうカルデアに帰ることは、このエレシュキガルがさせません」

 

 冷酷な女主人。それがエレシュキガル。

 鈴を鳴らし、マスターの周りに、無数の竜を呼び出す。どれも死に飢えていて、漆黒の冷たさに襲われたマスターは、手足の感覚が次第に失われていっていくのを確かに感じた。

 

「ま、待ってよ! ほら、覚えてない? ここでマーリンやキングハサンたちとでティアマトを撃破したのを!」

 

「知りません」

 

「こっそり私に何度も会いに来たことも!」

 

「知りません」

 

「この冥界にも、綺麗な花が咲いていたんだよ……?」

 

「知りません。……そもそもこの冥界に花など咲きません。私が実証済みです」

 

 エレシュキガルがはあ、とため息を吐く。

 そんなわけがない。ティアマト戦の時、マスターのためにと冥界の長としての力を最大限に貸し与えてくれたのは彼女だ。さらにわざわざ時間神殿にまで助力に来てくれたのも彼女だ。

 それほどマスターのために尽くしてくれたのに、この態度は明らかにおかしかった。

 

「お願い……やめてちょうだい、エレシュキガル。何があったの? あなたのこと、私はとてもよく知っているよ。いつも自分に自信がないくせに、誰かに頼りにされるととても嬉しそうな顔をして、でも空回りしないように平然を装う……そうでしょう?」

 

 あれから一年が経った。その頃の記憶は、穴だらけだがまだなんとか生き残っている。

 拘束された肩が痛い。曲げてはいけない方向に力を加えられていて、下手に動けば簡単に骨が折れそうだ。

 それでも力を振り絞ってほんの僅かながらも、感覚の無くなった脚で前に進んだ。

 エレシュキガルの槍の矛先が首に触れ、血の玉ができる。

 エレシュキガルが一歩下がる。

 

「う、嘘を言わないでほしいのだわ。誰かに頼りにされる? その『誰か』なんてこ、この冥界にはいないのだわ」

 

「嘘じゃないよ。……ほら、槍に迷いがある。それは何か思い当たる節があるってことだよね?」

 

 マスターに指摘されて、エレシュキガルは自分の槍を見る。そして、まさにその通りであると気づき、あまりにもわかりやすく顔を真っ赤にしてみせた。それは果たして怒りか、恥か。

 

「……う、うるさい!」

 

 神速の一貫。

 空気すら貫くその業はマスターの首の横を掠める。

 マスターは動じない。

 

「私はエレシュキガルに……あ、ぎッ! あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 喋りながら近づこうした瞬間、拘束していた邪魔者……ガルラ霊が、マスターの肩をさらにキツく締め上げた。

 ボキッ! と肩の骨の砕かれる音が高く反響し、さらにマスターの悲鳴に乗って深淵の海に遠くこだまする。

 不意打ちの痛みに、視界に大きなノイズが走り、がくりと項垂れる。

 

「エレシュキガル様。この女の言葉を聞いてはいけません。あなたははやく役割を全うするのです」

 

 ガルラ霊がマスターを離すと、力なく崩れ落ちる。

 肩が激痛に耐え切れず、「グ、ウ、ううぅ……」と毛虫のようにのたうち回る。

 立つことができない。両肩に力を入れることができない。膝を曲げ、手をついた瞬間、無様に倒れる。何度やっても、立てない。その様子をエレシュキガルとガルラ霊は無言で見下ろしている。

 

「……助け、て……エレシュキガル……」

 

 頭を横に倒し、助けを求める。

 

「ーーーー」

 

 エレシュキガルが息をのむ。

 揺らいでいる。揺らいでいるのがよくわかる。なにを考えているのかはわからないが、少なくともこの時だけは冷血ではなかった。

 

「エレシュキガル様。魂を抜き取り、閉じ込めるのです。この女は大罪人、それはあなたもおわかりでしょう?」

 

「で、でも……」

 

「あなたは最後まで冥界のために尽くさなければいけません。さあ」

 

 フードの陰から、ガルラ霊が醜く笑っているのが見えた。

 エレシュキガルが目を逸らし、躊躇いながらも鈴を鳴らす。するとマスターの周りの大口を開けた竜たちが一斉にマスターの身体に噛みつき、地面に大の字に縫い付ける。おびただしい量の血がガルラ霊の空虚な足元まで流れ、音もなく嗤う。

 

「ウ゛ッ、グ……ギィぅッ……!」

 

 血を吐く。だが、仰向けで倒れているマスターの口に残った血が、激しくせき込む度に気管に流れ込み、より一層苦しそうに悶える。

 エレシュキガルが槍をマスターの胸の位置に添える。

 血に染まった視界の中なのに、槍が小刻みに震えているのがよくわかる。

 獣のような汚い呼吸。……呼吸をするだけで精一杯だ。抵抗はできない。あとはもう、マスターをどうするかはエレシュキガル次第だった。

 

「ゴボッ……ゴッ……。ハァッ! ハァッ、ハァッ……」

 

 喋ることができない。呼吸する度に肺が燃えるように熱くなる。そんな無限地獄。

 それでもしっかり目はエレシュキガルを見つめる。

 

「あなたのことなんて何も知りませんが……あなたの言うこと、なんだか引っかかって……」

 

 エレシュキガルが槍を収めようとする。

 片手に鈴を持って竜たちを下がらせようと……。

 

「ーーエレシュキガル様、それは気のせいです。あなたは冥界の誓約を破った。その罪を一刻も早く償わなければなりません」

 

 ガルラ霊がエレシュキガルを急かす。

 

「そ、そうね……そうだったわね……」

 

 鈴をしまい、槍を再び構える。だがやはり、まだ槍は僅かながら震えている。

 

「えれ、シュ……きガル……わた、しは……ゴボッ……もっと、あな、たとたくさん、は……話したい……」

 

 ついに、マスターの最後の力も尽きた。急速に血が失われ、その寒さに血の泡を吹きながらガチガチを歯を鳴らす。

 エレシュキガルはまだ迷っている。そんな彼女をガルラ霊は後押しする。

 

「エレシュキガル様。さあ早く」

 

「……」

 

「あなたはまた誓約を破られるのですか?」

 

「……それは、いけません」

 

「ならば」

 

 ゆっくりとエレシュキガルが手を動かす。

 その槍は、すんなりとマスターの胸に刺さり、エレシュキガルは冥界の女主人としての仕事を淡々とこなし始める。

 ……それでもまだ、槍は震えていた。

 

 ◆

 

 身体の中を氷の釣り針で引っ張り上げられる感じ。まさにこれが最適な表現だ。

 グイッ、と強引に引かれるも、痛みは感じなかった。ただ冷たさを感じた。

 肉体が連れて行かせるかと抵抗するが、呆気なく打ち砕かれ、ついに魂が釣り針にかかった。あとはスルスルと、『マスターの体』から釣り上げられる。

 とても不思議な感覚だった。槍に貫かれ、『自分』を見下ろす。口からゴポゴポと血が垂れ、目は虚ろ。客観的に見ると、これほどにも無様だったのか。

 槍檻に入れられる。ふわふわと漂う。そして檻が閉められる。もう出られない。何もできない。

 

「終わった、わ……」

 

「そう。それでいいのです」

 

 抜け殻となったマスターの身体から竜たちは興味を無くし、霧となって四散する。

 マスターの魂は、槍檻の隙間からただ見ているだけしかできなかった。

 

「魂は捕らえた。ならもう……この身体はいらない」

 

 ガルラ霊が腕を掴んだ。そして深淵の海へと運んでいく。

 

「ちょっ! そこまでする必要はないでしょう⁉︎」

 

「いいえ。この女はカルデアのマスターです。この女を完全になかったものにすれば、あなたの完全消滅は安定したものになるでしょう」

 

 エレシュキガルが、ガルラ霊を止めようとする。

 しかし、間に合うことなく、マスター身体は海へと投げ込まれた。だが沈むことはなく、浮き上がる。

 

「底に沈む資格のない者は、深淵から拒絶され、意味消失するだろう。部分的に消えゆくのではなく、身体の定義の脆弱性を完全に把握された瞬間、瞬きの間に消える」

 

 ガルラ霊が槍檻に近づく。

 

「自分の身体から見放すなよ? いつ消えるかわからないのだからな」

 

 そう言って、ハアアアア……と魂に息を吐く。

 すると、たちまちマスターの魂は凍りつき、ゴトリ、と落ちた。




もしあの時、アルテラがマスターを逃がすことに成功したらという分岐からの派生。
身体はいつ消えるかわからない。そして魂は凍った。
さて、ここからどうする?
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