盾の少女の手記   作:mn_ver2

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この小説はマスターちゃんがとことん傷つけられる内容ですが、ふとマシュの闇落ち小説を書いてみたいなぁと思って設定とか上の空で考えていたらすでに二次に既出で、設定も似ていたから(たぶん)断念。

シグルド二人、やりました。
おかげさまでキャスギルが宝具レベル4になりましたわよ、奥様(白目)


嵐の前に

 外からの訪問者達との水面下の睨み合いは未だ続く。嫌な空気だ。

 あのゴルドルフという男、第一印象は典型的な小者だが、考えることはそれなりにしっかりしている。ここ数日の様子を観察するに、秘書官のような女性がほぼ常に付きまとっている。神経を逆撫でするような性格で、様々な人物と関わってきたマスターの勘が危険信号をガンガンと発している。

 ほぼ無人の通路を右折。食堂へ。胃がキリキリと痛む。ゴルドルフ新所長の私兵たちと時々すれ違う時の目線が怖い。特にあの秘書官とは顔も合わせたくない。彼女の目は、完全にマスターを何かのために品定めをするそれだった。

 しかしそれも少しの我慢。年明けと同時に帰るからそれまでの、だ。

 全て終わった。終わったのだ。悲しいがカルデアと別れを告げ、家に帰って両親にただいまを言って……言って……。

 

 両親の顔が思い出せない。

 

 声も思い出せない。思い出を何ひとつ思い出せない。

 きっと感じたことがあるだろう家族という温もりも。

 しかし両親の顔くらいはダ・ヴィンチに尋ねれば自分の経歴とかで容易に見せてくれるだろう。なら大丈夫だ。完全に記憶から焼却されることはない。

 無人の食堂はこんなにも広かったのか。

 英霊たちはダ・ヴィンチとホームズを除いて皆退去してしまった。いつもあれほどうるさかった日常がまるで幻のようだ。

 料理担当のエミヤ氏がいないから、空いた小腹を満たすために調理台に立った。

 冷蔵庫を漁り、適当に簡単に作れそうなものを探す。

 

「うーん……」

 

 あれもダメだこれもダメだとひとり悶々としていると、突然後ろから誰かに話しかけられた。

 

「麻婆豆腐を食べようではないか」

 

「ひゃん⁉︎」

 

 猫にも負けないほど高く飛び上がったマスターは横に飛んだ。

 青黒い修道服に、どこか自信ありげな表情の男。

 

「えっと……」

 

「言峰綺礼だ。神父をやっている」

 

「ああ……あの時の。えと……はい、覚えてますよ」

 

 驚きのあまり腰が抜けそうになったが、なんとか抜けなかったことに自分自身も内心感心しながら立ち上がる。

 アサシン顔負けの隠密性だ。マスターもそれなりの死線を潜ってきた身。しかし全く彼に気づくことができなかった。所詮はただの人間。頑張るだけ無駄だ。

 

「腹が減っているのだろう? ならば麻婆豆腐だ。タイミングのいいことに、私も腹が減ったのだ」

 

「はあ……」

 

「気にするな。私が料理する。君は適当に席に座って待っておきたまえ」

 

「んー、なら……はい、お願いします」

 

 必要な材料や器具などの場所を教え、大人しくマスターは言峰に料理を任せることにした。

 ひとりポツンと席に座り、彼を待つ。

 ゴルドルフ新所長と彼は正反対のような人間だ。言峰は実に近寄りがたい男なのだが、意外にそんなことはなく話せば悪くない男かもしれない……?

 だが考えていることが何ひとつわからない。

 沈黙を守るマスターに掛け時計の秒針はチクタクと静かに時が進むのを伝える。やがて果たして誰も食堂にやって来ることはなく、ほくほくと湯気が昇り、美味しそうな麻婆豆腐がマスターの前に置かれた。

 言峰はマスターの隣に座る。

 レンゲを渡され、受け取る。

 腹の虫がそろそろ騒ぎ始めそうだ。実にいい出来だ。色が赤黒く、匂いも……。と無意識に脳内審査をしている最中、はやくも第二項目で行き止まりにあう。

 

「さあ、食べたまえ」

 

「これ、すごく辛いのでは……?」

 

「何を言う。辛くない麻婆豆腐など麻婆豆腐ではない。ただの豆腐だ」

 

「さすがに言い過ぎじゃないですか……⁉︎」

 

 そんなマスターの狼狽に脇目も振らず、言峰は黙々と麻婆豆腐を食べ始めた。レンゲですくい、数度息を吹きかけて口に運ぶ。

 漫画表現で、辛いものを食べて火を吐くあれ。まさにそれのようにはふはふと赤くても不思議でない息を吐きながら汗を流して食べる。

 その姿はなんだかただの中華好きのおじさんに見えてしまって少し面白い。

 マスターはガラスコップを二つ持ち出し、ポットから水を注ぐ。キンキンに冷えたそれはコップの表面に結露を生じさせる。

 

「水はありがたいのだが、私はあえて飲まない派なのだよ」

 

「それはなかなかですね……。やせ我慢ですか?」

 

「……さあどうだろう」

 

 自分でもわからないのですか。

 マスターもレンゲですくう。普段見るような麻婆豆腐とは根本的に違う。

 料理をお願いして今さらやっぱりダメですなんて失礼なことはとても言えない。内心涙目でマスターは口に運ぶ。

 そしてみるみるうちに顔が紅潮し、コップをガッ! と掴む。喉奥に流し込み、手で扇ぐ。

 

「か、辛……ッ!」

 

「そう神経を張り詰める必要はない、少女」

 

 そう言っている間にも言峰はぱくぱくと食べる。この男には辛味という味覚だけいかれているのではないだろうか。いや間違いなくいかれている。

 一口食べる度に水を大量に飲むマスターを置いてけぼりにし、ついに十分足らずで完食してしまった。

 最後に「……ふう」と熱い息を吐き、ようやく水を口に含む。

 

「む? 全然食べていないではないか。世の中は辛いことだらけだからな。これくらいで根を上げてどうする」

 

「卵を混ぜたら美味しそうですね……」

 

「邪道」

 

 完全に滅入ったマスターの一言すら言峰は容赦無く切り捨てる。

 

「……そうだな、少し舌の休憩だ。その間に面白い話でもしようではないか」

 

 言峰が空になったマスターのコップに水を注ぐ。

 マスターはふたつの意味で感謝を口にし、ついに許された休憩を全力で休憩に勤しむ。

 

「もし、我々のいるこの世界が間違っていて、滅ぼされるとしたらどうする?」

 

「……?」

 

 予想の斜め上をいく彼の問いに、マスターは小首を傾げた。なんでもない世間話……はないだろうが、そんな話題が上るとは露にも思わなかった。

 途端に滅ぶとか重苦しい話題を持ち出すとは、この男は本当に神父なのだろうか?

 

「そのままの意味だ。で、君はそれを受け入れるか?」

 

「それって死ぬってことですよね? なら全力で抵抗しますよ」

 

 まるでゲーティアとの戦いを振り返らされているみたいだ。

 未来を奪われ、それを取り戻した。ゲーティアの逆光運河・創世光年を防いだ。悲しみのない、幸せのみあふれた世界を創造しようとした彼を止めた。

 

「ふむ、では相手側に背景を付け加えよう。我々の世界を滅ぼさないと相手の世界が滅びる。それでも抵抗するか?」

 

「します、ね」

 

「相手は自分たちの世界を守るために死に物狂いで襲いかかってくる。それでも?」

 

 この男の意図が読めない。

 

「……はい」

 

 マスターのたった二文字の応えに、言峰は楽しそうに口角を僅かに上げた。

 

「そうか。そうか。君はとても面白い。私は君に興味が尽きない」

 

「な、なんですか。変な意味じゃないですよね?」

 

「まさか」とかぶりを振って、言峰はクク、と笑った。

 

「そもそも誰が何を基準にして世界を剪定するのか。もしカルデアの介入がなく、ジャック・ザ・リッパーがロンドンで猛威を振るっていたら? 近々やってくる第一次世界大戦でイギリスはそれどころではなくなってしまう。もしかするとそのせいで負けていたかもしれない。それは果たして間違えているのか?」

 

「……」

 

「もしカルデアの介入がなければ、ギルガメッシュはティアマトに敗れ、人が神に縛り付けられる時代が続いていたかもしれない。それは果たして間違えているのか?」

 

 彼が何を言いたいのかが何もわからない。

 とうに舌が十分に休憩するだけの時間は過ぎたというのに、言峰の話はまだ終わる気配を見せない。

 

「これから続くであろう無数の人類史。不要と判断され、切除されまいと必死に足掻く。それは人間とて同じだ。そして私はその様を見るのがとても楽しい。君はどちら側の人間だ?」

 

「……私はきっと、足掻く人間です。これまでだってそうしてきたし、カルデアから去った後も、色々と壁に当たります」

 

 日常生活に戻った後は、失った時間を取り戻すのに必死になる。

 たぶん学校……に行っていたはずだから、そこに通わなくてはならない。しかも学力は大きく低下しているだろう。他の生徒と同レベルまでになるには人一倍などでは足りない、二倍も三倍も勉強しなくてはならない。

 そして大人になり、結婚し、子を授かり、生きる。

 これが魔術とは関係のない者の人生だ。その道をこれからマスターは歩むのだ。

 

「ん? 君は大きな勘違いをしていないか? 世界を救った英雄が普通の生活を送れると本気で思っていたのか? 君を喉から手が出るほど欲しがっている連中はそこら中にいる。カルデアから去ってみろ、あっという間に拉致されて封印指定。身体をいじられ、永遠に実験台にされるのは目に見えている」

 

「え……」

 

「まさか本当に知らなかったのかね?」

 

「じゃあ私はもう……」

 

「家には帰れない。永遠に家族とは会えない。このカルデアに縛り付けられ、死ぬまでここにいる。君はそもそも足掻く人間でも、観賞する人間でもない。被虐の塊なのだよ」

 

 言峰の言葉が胸の奥に深く突き刺さる。

 彼は笑みが溢れるのを見られまいと口元を手で隠しているが、その小さな嗤い声は確かに聞こえている。

 マスターは怒らなかった。なぜならば全くその通りだからだ。

 たったひとりのマスターとして戦うことを余儀なくされ、およそ体験することのないだろう。たくさんの苦痛、絶望、悲哀を味わった。そしてそれらを全て生き抜き、今ここで椅子に座って言峰の話を聞いている。

 だが今さらそんな辛い記憶を掘り返さないでほしい。辛い記憶……いや、それしかない。特異点での記憶は、全て、全て忘れたくなるほどのものだ。

 

だから(・・・)君はとても面白い。所詮は背後から心臓を貫くのが趣味の神父の戯言だ。そこまで真剣に受け止めなくーー」

 

 ようやく話は終わるそうだ。

 しかし、マスターには意地がある。被虐と言われ、まさにその通りである被虐のマスターだって、生きている。

 神父のように導いてくれそうな人では決してないが、そんな悪魔みたいな彼に言いたいことがある。

 

「……それが、どうしたのですか」

 

「……む?」

 

 冷えきった麻婆豆腐を一気に食べ、マスターは言う。

 

「確かに私は被虐なマスターなのでしょう。でも……それでも必ず生きてみせますよ。被虐ながらも、足掻いてみせます」

 

「……ははっ」

 

 どうやら今の答えに言峰は大満足のようだ。

 立ち上がり、マスターから離れる。

 追いかけることなくマスターは彼をじっと見つめる。まだ残っているマスターのコップを見て、言峰はまた面白おかしく嗤う。

 

「ーーどうやら君は、演技が下手なようだ。その熟練度から察するに……一年半ほど前とみた。ほぼ全員を騙せているらしいが、私には通じないからな?」

 

「ーーッ」

 

 彼の方が一枚上手だった。

 心臓がキュッ、と引き締まり、思わず鋭い目で言峰を睨みつけてしまう。

 見破られた。たった一度の食事なのに、それだけで。

 料理は作ったから、後片付けはよろしくと言峰は食事のドアを開けて出ていく。

 

「そうそう、言い忘れていた」

 

 まだ何かあるのか。

 もうこれ以上神父もどきの話を聞きたくなかった。なんだか身体の何もかもを晒され、見られ、嗤われる。そんな胸を掻き毟りたくなるような気持ち悪い感覚。

 

「滅ぼす滅ぼされるの話だ。君がもし滅ぼす側に立った時、躊躇いなく相手の世界を滅ぼすことができるか?」

 

 それだけ言い残し、マスターの返事も聞かずに出て行ってしまった。

 恐ろしい男だ。

 一緒にいて、息ができていたのが不思議なくらいだ。

 遅れて、息がつまる。あながち心臓を貫くのが趣味というのも間違っていないだろう。

 食事の際は喉の渇きなど一切感じなかったが、今はなぜかカラカラだ。ぬるい水を喉奥に流し込み、まだ足りないと二杯目を飲む。

 彼も十分に警戒すべき相手だ。秘書官とはまた違ったベクトルで危険な人物。

 痺れかけた脚に鞭打ち立ち上がる。そして自分の皿と、言峰の皿を重ねた。

 

 ◆

 

 たった五日ほどの滞在なのに、それ以上の長さを感じる。

 三日目の昼である。

 そろそろホコリなどが目に見えて溜まる頃だ。ダ・ヴィンチに伝え、箒をもらう。

 カルデアの通路は広く、長い。ひとりで掃除するにはとんでもなく時間がかかるが、時間はたっぷりある。

 レイシフトを凍結され、何もすることのないマスターにはうってつけの仕事だ。

 端っこなどにホコリは溜まりやすい。念入りに丁寧に箒ではき、ゴミを集める。ある程度集めたところで一度捨てる。その繰り返しだ。

 

「ふう」

 

 水を飲んで、ひと休憩。そして再開。数時間で随分と進む。しかしやはり人手が足りない。

 マシュを呼んで手伝ってもらうか? と箒をはきながら考えていると、足元に誰かのハイヒールが見えた。

 

「あら? マスター様がゴミ掃除をしているのですかぁ? お疲れ様ですねぇ〜」

 

 その声だけで誰かわかってしまう。

 会いたくない人物、第2位をぶっちぎってる第1位の女性。

 セクシーな脚から見上げ、爆発的な胸、そして下等生物を見下しているかのような目。良妻を自称するサーヴァントとよく似ている女性。

 コヤンスカヤだ。

 

「汚いエプロンなんてして。まるで逆シンデレラですね。輝かしい栄光を手にしたのに、こんなことをしている」

 

「通路が汚かったらあなただって嫌でしょう? だから私がしているんです」

 

「まあ!」

 

 頭を振る。長い桃色の髪がばさりと波打つ。

 メガネをクイッと指で上げ、クスクスと目を細めて笑う。

 

「なんと健気で可愛らしいことでしょう! でも残念、あなたに王子様は振り向かないし、あなたを助ける魔法使いもいません!」

 

 カツ、カツ、と甲高いヒールの音を響かせてコヤンスカヤはマスターを壁まで追い詰める。

 とても甘い匂いがして、マスターはコヤンスカヤを見上げる。彼女は『にっこり』と微笑んで、片手でマスターの顎を持ち上げた。

 そしてこれ以上近づかれたら接吻してしまうほどの距離まで顔が迫り、口を開く。

 

「でも安心なさい? 私が魔女としてあなたを壊してあげるわ。心をぐちゃぐちゃに、どろどろにね。そして私の肉人形としてベストコレクションにしてあげる。私に身も心も犯されるのよ。……ああ、考えるだけでも身体がぞくぞくして鳥肌が立ちます……!」

 

 顔を紅潮させ、熱い息を吐く。

 その匂いも蕩けるほど甘ったるく、脳髄に強く染み付く。

 力が抜けてしまう。コヤンスカヤがマスターの顎から手を離すと、ぺたりと膝をつく。

 

「あらあら。可愛らしい」

 

 全く、本当に人を虐めるのが得意だ。

 だからあの女性は嫌いなのだ。

 箒を握りしめ、産まれたばかりの子鹿のようにマスターはふるふると壁を使って立ち上がる。

 楽しそうに笑いながら去っていくコヤンスカヤを、マスターはただ見届けることだけしかできなかった。

 こんなに辱められるのはもう嫌だ。だからといって抵抗することはできない。彼女たちは査察官。事が起きればカルデアに損が生じる。それだけはどうしても避けなければならない。

 悔しい。でもあとたった数日の我慢だ。だがらきっと……大丈夫。

 

 いつの間にか、マスターの袖は濡れていた。




次。
いけない子
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