魔神王やったんだから人王は……? ということで。
足が動かない。だが動く。動け。動け。動け……!
とうに魔力など切らしている。身体を動かすための力はもう残っていない。ならばなぜマスターの身体は、脚は時空神殿の崩壊から逃れようと動くのか。
『あと500メートル! 頑張ってくれ……ッッ!!』
ダ・ヴィンチの激励が聞こえる。
しかしそれは聞こえるだけで認識しない。はるか前方で光る離脱点が見えるが、それを認識することができない。
あそこに行けば、助かる。
走っているのか? 歩いているのか? 這っているのか? それとも地に伏せているのか?
わからない。
マシュは死んだ。だがゲーティアは殺した。マスターは今、生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている。
「は、はぐ、ぐ……ぎ……!」
進め。進め。
どうやらマスターは走っていたようだ。しかしその速度は遅く、蝿が止まりそうなほど。でたらめな呼吸。見るからに無様な走り。だが、着実に進んでいる。距離は縮まる。でもこれでは間に合わない。
旅の目的は達成せしめられた。だが、帰るまでが旅である。
サーヴァントたちはマスターの魔力不足の所以で現界を保てず、消えた。彼女を助ける者は誰もいない。自分の力で戻らなければならないのだ。
このままではまずい。そう本能で判断したマスターは、残り一画の令呪を使用した。二画はゲーティアを倒すためにサーヴァントたちに力を与えるのに使った。
スウ……と、視界が明瞭になり、淡い意識をなんとか繋ぎ止めるほどまで覚醒した。
『400メートルを切ったぞ! ……ああっ! すでに半分ほど崩壊してしまっている!! 頼む……頼むから急いでくれッ!!』
ダ・ヴィンチの嘆願ともいえる叫びが、今度はしっかりとマスターの耳に届き、認識された。
「わた、しは……か、え。る。から」
蚊の鳴くほどの声で返答する。
身体の感覚はとりあえずある。令呪のおかげで魔力も回復し、体力も回復した。しかしサーヴァントを召喚するほどの力はない。
残り400メートル……いける。
喉が焼け、肺が酸素をよこせと悲鳴をあげる。脚はやはりまだ重い。まるで鉛にでも全置換されたような重さだ。泥にはまったかのように踏み出す脚が遅い。
『聖門までだ! そこの時空断層に飛び込めば終わりだ! 絶対に大丈ーーな、なんだこの反応は⁉︎ 突然顕れた? いや違う、待っていたのか⁉︎ それにこの霊基は……!!』
狼狽える声を無視し、マスターは静かに正面を見た。
すると僅か10メートルほど前に浮遊している男の影が見えた。
その姿を見ただけで、マスターの脚はただでさえ弱々しい勢いは失っていき、男の目の前で止まった。
……その人物は黄金だった。長い髪が神にも等しい美しさを放ちながら靡く。片腕は失われ、だがその意志のこもった眼差しはしっかり止まったマスターを射止めている。
「……まあ、簡単に、は逃がして……くれな、いよね」
「ああ」
瞬きすらせず、男はゆっくりと頷いた。
あれほど狂っていた呼吸すら忘れ、マスターは目の前の、本当に最期の障害の、次の言葉を待った。
「ーー私の夢は、君の手によって潰えた。この神殿に座し、行った3000年という莫大な時間は無為となった」
ゲーティアの表情は悔しさに彩られてはいなかった。むしろいっそ清々しいなまでの様子で言葉を紡ぐ。
「私は敗北した。光帯は消え去り、人理焼却は焼却された。もはや私は七十二柱の魔神ではない。その残滓、最後に残った結果のようなものだ」
「うん」
「私がここで何をしようと敗北は覆らない。君を殺そうが、覆らない。……これは何の意味もない戦いだ。魔神だった私では考えようのない選択だ」
「……う、ん」
そう言っている間にもゲーティアの身体は失っている右の腕側から消滅が始まっていて、今は肩をズズズとゆっくり侵食している。
マスターはゲーティアを見上げ、言った。
「あなた、の理想郷、それ、は神の御業だ……と私は思うの。ロマン……ソロモン王、が指輪を還したのと同じように、神の、手を借りず、人が……人の意志で生、きる時代の到来を願った……。あな、たも見たで、しょう? 英雄王……は神との決別を果た、すために乖離剣を、手に取り、母を斃した。ーー人の意志は、ここにあるのよ」
まともに言葉が話せない。
過呼吸を起こしながらもマスターは訴えかける。それをゲーティアは黙って聞き入る。
「……」
「死、のない世界。悲しみのな、い……世界。確かにとても、素晴らしい。……でも、違うの」
「……そうか」
ゲーティアの周りを回転しながら浮遊する十個の黄金の指輪。その輝きが増し、ゲーティアは地に足をついた。
この時間神殿はすでに終わっている。一刻も早く脱出しなければならない。
「ーーでも」
「ーーだが」
「「戦う理由はある」」
戦う必要はどこにもない。
しかし理由はある。同じ見解を持った互いの……ケジメだ。
それを終わらせるためにゲーティアは再び現れた。
それを終わらせるためにマスターは再び戦う。
「私には意地がある。いや、意地ができた。私は今、人間の精神性を理解した。限りある命を得て、ようやく」
これまで出会った英霊を含め、全ての人物の想いを背負ったマスターは鋭く息を吐いて呼吸を鎮めた。
……一年だ。カルデアに足を運び、初日の爆破事件から始まった、彼女以外の代わりはいない、未来を取り戻すための時間だ。その集大成が、乗り越えなくてはならない最後の壁が、今、ここにある。
ゲーティアが距離を取る。
マスターはそれを戦闘の意思表示だと理解し、自身は意志を固めた。
短期決戦だ。
出し惜しみなどできない。
一気に、全てを、出しきる。
魔力は令呪によって少しだけ回復している。サーヴァントたちの召喚はなんとかできそうだ。だが現界を保たせるだけの余裕がない。
……だから、どうした。
己に活を入れ、自らの命を燃やすことに決める。この程度の修羅場、飽きるほど潜ってきたではないか……!
ゲーティアは人を理解し、意地を得たと言ったのだ。マスターにももちろん意地がある。
必ず生き延びなければならない。カルデアで待っているダ・ヴィンチ、スタッフたちのためにも。ゲーティアの全能性を剥奪するために、自らの命を投げ打ったロマンのためにも。……そして、マスターを守るため、たったひとりで光帯を防ぎきり、消滅したマシュのためにも。
誰もが皆、命を懸けた!
マスターが命を懸けずして、どうする!!
「あ、ぁ、ぁぁぁぁああああああッッッ!!!!」
命を燃やせ! 足りぬのならそれ以外のなんでも燃やし尽くすがいい!! 灰の一欠片も残すな! 全て、全てを燃やせ……!!
だが死ぬことは許さない! こいつに……ゲーティアに、勝て!!
「……ありがとう。もう死んでもおかしくないボロボロの身体。私は君をあれほど傷つけたというのに、まだ私のためにこの状況でも付き合ってくれること、感謝する」
サーヴァントを六人、召喚。
考えは纏まらず、曖昧な生が、手放すまいと必死に身体にしがみついている状態だ。死のそよ風が吹けば死ぬ。死の甘い甘い囁きだけで死ぬ。だが生きている。この瞬間を、生きているのだ。ならば戦える。
魔力を全て、六人に託す。その瞬間、意識が暗転し、ついには……。
ーー違、う! 死ぬの、は今じゃ……ない!!
脚の力が抜け、倒れると同時にわざと頭を地面に強く打ち付けた。鈍くなった感覚はなんとか痛みを捉え、脳に伝達してくれた。
痛みによって意識を保持し、再びゆっくり立ち上がる。
目を開けろ。耳を澄ませ。
この戦いから意識を背けてはならない。まだ、ゲーティアとの決着は、ついていないのだから。
「私は私の譲れないものの為に君を止める」
「私は私の譲れないものの為にあなたを止める」
「ーー言葉にすべき敬意は以上だ。それでは探索の終わりを始めよう。人理焼却を巡るグランドオーダー。七つの特異点を越えたきたマスターよ。我が名はゲーティア。人理を以て人理を滅ぼし、その先を目指したもの。私はいま生まれ、いま滅びる。どうか見届けてほしい。この僅かな、されどあまりにも愛おしい時間が、『ゲーティア』に与えられた、本当の人生だ」
戦え。
◆
死闘。まさに死闘。
徐々に指輪の力を解放し、こちらを翻弄し、確実に戦力を削り取っていく。しかしゲーティアも無傷とはいかず、みるみるうちに傷ついていくのがわかった。
神殿は崩壊する。もう本当に時間がない。ゲーティアの背後、その先に聖門があるというのに、行けない。
違う、行かないのだ。この戦闘からこっそり離脱して帰還するだなんて愚行は決してしない。それはゲーティア、そして自分にに対しても失礼である。
この、人を得た魔神を倒さなければ真の意味でこの度に終止符を打てないのだ。
半端なままで投げ出すわけにはいかない。指示は出せない。すでに全てをサーヴァントたちに託したのだ。マスターはもう、死体も同然だった。
「第十の指輪、解放」
瀕死に追いやられたゲーティアが、ついに最後の指輪の力を解放する。
「カルデアのマスター、ここで死んでもらうぞ……ッ!!」
しかし、その攻撃の向けられた先はサーヴァントではなく、マスターだった。
ゲーティアには明確な意地があった。マスターを行かせない。ここで殺すという意地があった。きっとそこから湧いた、執念の行動だったのだろう。
四人が消滅し、残りふたりのサーヴァントも激しく消耗している。その間を光線がくぐり抜けるのは、実に簡単だった。
それは正確無慈悲にマスターの胸を貫いてみせた。
「ぐ、ふ……」
痛みはなかった。しかしその瞬間、胸がグググ、と一気に熱くなり、狂おしいほどの熱的死を迎えそうになった。
もちろん肉体的なダメージを負った。だが、それとは別に何らかのダメージもあった。それはおそらく、『ゲーティア』だ。彼の失望、叫び、願い。それらが流れ込んでくる。そして『人理焼却』、その先、目指したものをおよそ完全に理解した。
胸に穴が空いている。位置的に心臓が貫かれたかもしれないが、まだ生きているからそうではないようだ。傷口からは驚くほど血は流れない。そこにまわす血がないというわけ、か?
気を抜けば一瞬であの世へと誘われそうだ。まだ生かさんとする自分の身体に感謝する。
まだ、生きている。執念深く生きている。うつぶせに倒れるが、それでもゲーティアからは決して目を離さなかった。
きっと今の一撃が本当に、最後の力を振り絞ってのものだったのだろう。あれほど神々しかった輝きもすでに霞み、ボロボロだ。彼の身体を侵している崩壊も、終盤にきている。
苦しそうに呻き声を漏らし、ゲーティアは膝をついた。
……あと、一撃。あと一撃さえいれることができればゲーティアを倒せるだろう。
だが、できない。その前にマスターが死ぬ。
咄嗟に現界させていたサーヴァントたちとの繋がりを切る。その瞬間ふたりが消え、再びマスターとゲーティアのふたりだけが滅びゆく神殿に残された。
さあ立て! 立ち上がれ!
ほんの少しだけ余裕ができた。
悍ましい獣の叫びとともに力の入らない腕を酷使し、立ち上がる。
一歩、また一歩と揺れる大地を確実に踏みしめ、ついに膝をつくゲーティアの前に立つ。
「………………」
それは果たしてどちらの沈黙だったのかはわからない。もしかするとどちらもだったかもしれない。そして、先に口を開いたのはゲーティアだった。
「……私の負けだ」
「そ、う……」
再び沈黙の時間が流れる。
マスターは自身に時間がないことを十分すぎるほどに理解している。それでも、彼に付き合うことにする。
ゲーティアはマスターを見上げ、彼女の胸に手を当てる。
すると、ぽう……と微かに光が灯り、マスターの傷を完全に癒した。
光が消えると、マスターは深く息を吐いた。
「あなたの目指した未来、私は理解した。でも私は私の未来を歩く。いいでしょう?」
「……いいだろう」
ゲーティアの腕を掴み、ゆっくりと立ち上がらせる。
脚はところどころ崩壊し、ひとりでは立てない状態だ。肩を貸し、維持する。
「たとえ君の未来に。私よりも遥かに強大な敵が現れるとしても、歩き続けるのか?」
「もちろん。現に今こうして、私はあなたに勝った。そしてこれからも立ち向かい、進み続けるわ」
「第二の獣、ティアマトの獣性を獲得し、次は私の獣性をも手にしようとしている。これらは人の手に余るモノだ。これらは人の身では耐えられまい。きっと君はこれから他の獣とも戦い、人を保ったままその悉くを打ち砕くだろう。もういっそのこと人を捨てたほうがはるかに楽だろうに。それでも君は……」
「ーー進むよ。それが私の選んだ未来。後悔なんて絶対にしない。したらあなたの屍を越えて生きる私に、意味がなくなっちゃうから」
ゲーティアの身体が崩壊する。
黄金の残滓となって、虚空に溶けてゆく。
穏やかな表情だ。マスターはそれを無言で見届ける。左腕が消え、バランスを失ったゲーティアの、背中を抱いて胸に寄せる。
崩壊の音は波が引くように遠ざかり、世界から隔絶される。
「ーーありがとう、人類を想ってくれて」
「私は滅びる。私は彼岸から見届けよう。君が切り開く未来を。私を否定してまで勝ち取った歴史の果てを」
「うん……任せて」
ふたりだけの会話。
遥か神代から生きる魔神との、約束。
魔力を纏わせた拳を握りしめ、彼を押し倒す。
目を瞑り、無抵抗の彼の胸に。
拳を突き入れ。
霊核を掴み。
握りつぶし。
そしてーー。
「ーーいや、まったく。不自然なほど短く、不思議なほど、面白いな。人の人生というヤツは……」
シトナイちゃんかわいい。
ところでNo.3そろそろきてもいいと思うんですよね。勝手な考察入れると、『SIN』は『秦』と『罪』をかけてるのでは。