盾の少女の手記   作:mn_ver2

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Lostbelt No.3クリア記念
ネタバレなので、改行を。


つまらない女

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ!

 ああ!

 嗚呼!!

 なんて愚かなのだろうか!!

 オフェリア!! 芥!!

 いっそ気味が悪いほどだ……!

 ……ふたりして揃って、なんて女々しいの!!

 

 ◆

 

 マイルームに入った途端、死ぬ。

 突然電源の切れた人形のように床に崩れ落ちる。動かず、静止する。

 始祖を討ち、項羽を討ち、始皇帝に勝利し、歴史の衝突はこちらに軍配が上がった。

 異聞帯に突入してから何日経った? もう死にそうだ。光の速さで解毒薬を作成するから待っててくれと言われたが……。

 ……もう、無理だ。

 むしろこの異聞帯でよく一度も倒れずに戦い抜いてくれたと皆に褒めちぎってほしい。

『健康』の仮面は剥がれ落ちる。彼のような美しい要素など、どこにも。ひとつもない。

 しかしこれでマシな方なのだ。ゴルドルフ所長がいたからこそ、マスターはまだ生きることを許されているのだ。あの時ケーキを盗み食いしてくれていなかったら。想像するだけでゾッとする。

 マスターは所長にこれ以上にない感謝の念を抱いている。だからコヤンスカヤのくれた解毒薬を先に飲ませたのだ。

 だが……。

 ようやく落ち着ける。ゆっくりできる。そう安堵した途端にこれだ。全身に毒がまわっている? そもそも毒に対する完全耐性を獲得しているマスターが、なぜ命の危機に晒さなければならない? 異聞帯の毒、それが汎人類史では防ぎきれなかったという可能性が考えられる。

 

 ――それでもこれは、あまりに脆すぎるのではないか。

 

 目が濁り、視界があまり鮮明に映らない。動悸も激しい。まるで死にたくないと、心臓が最後の足掻きとばかりに弱々しく喚いているみたいだ。

 今はダ・ヴィンチを信じて待つしかないのだ。だからそれまでに死ぬわけにはいかない。

 這いずりまわり、机の脚を掴む。なけなしの力を込めながら、それを軸にマスターはなんとか椅子に腰掛けることに成功した。

 喉まで上る苦しみを呑み込み、胸に手をあて、しわなど気にせずに強く服を握りしめた。

 目を瞑り、上を向いて、大きく口を開けて、ゆっくりと、そして激しく呼吸を繰り返す。

 

「はぁッ、はぁッ! ッッ!! はあぁぁ……」

 

「あらあら、ごきげんようマスターちゃん。とても苦しそうですねぇ?」

 

「………?」

 

 誰かの声。でもよく聞こえなかった。誰だろう?

 なんとか症状を抑え込んだマスターは椅子を回転させ、その声の正体を探ろうとした。

 そしてあの嫌なピンクの毛が見えた瞬間、咄嗟にマスターは助けを呼ぼうと……!

 

「――今騒がれると迷惑ですので。安心してくださいな。別に危害を加えるつもりはありませんから」

 

 手が伸び、マスターの口を抑える。

 それでも懸命に逃れようと暴れるが、そもそも毒のまわりきっているマスターと力のあるコヤンスカヤでは結果は歴然としている。

 息苦しくなったマスターはしだいに力が抜け、ついに抵抗すらできなくなる。

 

「そうです。おとなしくしてくださればすぐに終わりますから」

 

 コヤンスカヤが手をゆっくりと放す。

 口を解放されたマスターは、コヤンスカヤを睨みつけながら苦しそうに呼吸をする。

 

「なに、しに……きたの」

 

「解毒薬を渡しに来ました。NFF特別サービスなんですからね? というのは嘘で、ただ私の信念を貫いているだけです」

 

「そう……」

 

 チャイナ服の懐から解毒薬を取り出すと、それをコトリと机の上に置いた。瓶は初めにもらったものと同じ。おそらく本物だ。

 

「私は約束はきちんと守りますので。簡単に裏切る人類とは違います。それに咸陽で助けていただいた恩がありますしね」

 

「助けた?」

 

「ええ」

 

 幾分かましになったマスターは瓶をつかみ取り、さっそくといわんばかりに蓋をキュポン! と開ける。

 喉が渇いているわけではない。しかし身体がこれを切に欲しているのがなんとなくわかった。本能が欲しているのだ。

 そもそもの始まりは毒に犯されたからだ。それが今、終わろうとしている。成長した空想樹を切除し、毒を解く。

 終わりだ。

 

「ちょっと。少しは私の話、聞いてくださいます?」

 

「いやだ。終わったんだったら帰って」

 

「辛辣ですわ。……そうカッカせずに」

 

 触るときっと柔らかそうな尻尾をふりふりとマスターの目の前でわざとらしく振ってから、上品にベッドに座った。

 こんなところで、敵とふたり。超閉鎖的空間で、マスターを堕とすと声高らかに宣言した敵といる。

 カドックとは違う、歴然とした、敵だ。

 床を蹴り、椅子を転がして距離を取る。

 

「……まあいいでしょう」

 

 まだ不服そうだったが、とりあえず納得したコヤンスカヤは口を開く。

 

「私、咸陽で助けられるまで拷問されていましたの」

 

「……」

 

「その様子だと知らないようですね。いやあれはほんとに不味かったんですよ。力を封じられ、誰もいない牢獄で人形に無限に切り刻まれる。壮絶な経験だと思いますけどね?」

 

「で?」

 

「えーつまんなーい。普通ならここで、敵であっても心配する言葉のひとつかけてくださってもいいじゃないですかー」

 

「私はあなたと話す気はないの。今すぐにみんなを呼んで捕まえたいほどなの。わかる? ……まあできないんだろうけど」

 

「結局は私の話を聞かないといけない。潔くて助かります。で、続きですが……すごく痛かったんですよ、あれ。マジで」

 

「……もしかして私に慰めてほしいの?」

 

「ご名答♪」

 

 わざとらしく完璧なウインクをマスターに向ける。

 呆れすぎて、マスターは言葉を失った。敵に対して慰めてほしいと言うのだ。きっとこれは副次的なものなのだろう。それでもそんなことのためにやって来たコヤンスカヤの胸中を計ることはできなかった。

 明確な悪意はある。しかし、従わなければ何をされるのかわかったものではない。

 やむなしと諦めたマスターは、ため息を吐いた。やはり何がしたいのかわからないが、ここは流されるのが最善であると判断する。

 

「わかった……わかったから。それで私に何をしてほしいの?」

 

「私と同じ経験を」

 

「――」

 

 身を引く。

 嫌な予感がする。

 コヤンスカヤの目が細まり、口が歪む。

 不味い。

 そうマスターは直感的に悟った。毒がどうした。今、この瞬間逃げなければ殺される。

 反応が鈍くなっている身体に鞭打ち、さらに離れようと試みる。

 

「冗談ですよ。真に受けちゃって、かわいいですねぇ」

 

 表情が一変し、コヤンスカヤが楽しそうに笑う。

 

「怒るよ?」

 

「しようと思えばできるんですよ? こう、額に指を当ててビビっと」

 

 マスターが認知するにはすでに遅く、コヤンスカヤはマスターの額に人差し指をあてていた。

 しかし何かが起こるわけではなく、見開いた目でコヤンスカヤを見た。どうやら本当に何もしていないようで、楽しそうにクスリと妖艶に微笑む。

 腹がたったマスターはその手を払い退け、彼女の身体をベッドまで押し戻した。

 いつの間にか呼吸が震えていることに気付き、落ち着かせようとする。その様子をコヤンスカヤは黙って見届ける。

 きっとマスターは恐怖を感じていた。コヤンスカヤが語っている経験、それがマスターからしてみれば『その程度』であるのだが、壮絶であることに違いはないのだ。だがそれに恐怖したのではない。『その程度』と何も考えずにそう判断した自分に恐怖したのだ。

 慣れとは……とても恐ろしい。

 

「楽しいわ。とても楽しいわ、あなたを弄るのは。私、人間を剥製にするのが好きなのですが……お人形ではつまらないですね。……そう、奴隷がいい! 言われるがまま、されるがままだけど意思はまだギリギリ保っている。その曖昧な状態がお似合いですわ。そして私はあえて堕とさない。ようはアメとムチです」

 

 くねくねと身をよじらせながらコヤンスカヤは妄想に浸り、顔を紅潮させながら呟いた。それはマスターに向けての言葉ではなく、自分を興奮させるためのものだった。

 二人の目が合う。

 コヤンスカヤが、醜悪な、欲望にまみれた、ねっとりとした視線を注ぎ、『にっこり』と微笑む。

 

「――――ぁ」

 

 何もないとわかっているのに、悪意に身体を巻き付かれる強烈な不快感を覚える。

 息が詰まり、思わず視線を逸らす。

 

「……この辺にしておきましょうか。かわいい反応も見られたことですし」

 

 ムギュッ、と頬をつままれる。

 マスターは無反応を返す。純粋な反応はコヤンスカヤを喜ばせるだけだ。だからこれがせめてもの抵抗。

 やがて飽きたコヤンスカヤはマスターから離れると、しだいに青い光に包まれてゆく。

 解毒薬の瓶を掴み、マスターは口元まで持っていく。

 

「――どうでした? 今回の異聞帯は」

 

 その流れるような言葉に、手が止まる。

 

「あれほど完璧な歴史はあまり見ないですよ? 皆ハッピーでしたねぇ? ああ、答えなくて結構です。私はそんな歴史を踏み潰してどんな気持ちかなーと思っただけですので」

 

 毎度嫌な狐だ。

 マスターの返答を許さないと言わんばかりにコヤンスカヤは消えてしまう。

 無意識に張り巡らせていた緊張の糸が切れ、マスターはへなへなと力を抜く。いったん飲むのをやめ、瓶を再び置く。腕で目元を覆い、全身を椅子に預ける。

 ギシ、と背中が後ろに傾き、大きく息を吐く。

 全く、本当に、嫌な狐だ。

 スパルタクスのあの言葉が頭の中で反復する。

 

『生き残るべきが汎人類史の側だと決めつけて進むべきではない』

 

 いつも圧制やら叛逆やらを叫ぶ男が、今回は妙に饒舌に語る様がより一層マスターにスパルタクスを意識させた。

 コヤンスカヤの言うとおり、この異聞帯は幸せだった。不幸を知らず、争いを知らず、悲しみを知らず。

 それをカルデアは壊した。

 仕方ないのだ。あれは剪定された歴史。編纂事象であるこちらを犯すものであることは事実。だから戦い、勝たなければならない。

 しかし不思議に思う。

 こちらの常識は向こうでは非常識である。また逆に、向こうの常識はこちらでは非常識である。

 ならば。

 ならば、幸せの定義も、平和の定義も異なるはずだ。マスターだってこの中国に生まれ落ちていたならば、きっと死ぬまで平穏な日々を過ごせていただろう。

 これこそが『普通』なのだと。他の歴史など知ったことか。今、生きているこの歴史こそが自分たちであると。

 マスターたちが行っているのは、まさに自分たちの大義――我々が編纂事象であると――を剪定事象に対して振りかざす行為だ。

 非情。しかしそういう戦いが起こっている。

 おそらくスパルタクスはそういうことを言いたかったのだろう。

 マスターにはそんな大それた考えはない。ただ自分たちの歴史が侵された。だからそれを取り戻す。当然の行動であると確信はしている。

 でも今、犯しているのはこちらだ。

 悪だ。悪は間違いなくこちらにある。一方的に侵略し、誤った歴史を狩り取り、破壊する。

 さらにあまつさえ現地人と関係をもとうとする。所長の言うことは『正しい』。消さなければならない者たちと仲良くなってしまえば情が移るだろうと。その通りだ。全くその通りだ。

 しかしマスターにはそれができない。彼ら彼女らのことを、何も知らずに消すのが耐えられないのだ。

 剪定された歴史にだって、人々の歩みが、生きた証が確かにあるのだ。マスターは全力で脳に焼きつけなければならない。パツシィも。ゲルダも。その他にも、たくさん。これから出会うだろう人々のことも。

 

 ――しかしマスターは全員をいつかは忘れる。

 

 実際、胸倉をつかみ上げられながらパツシィに言われたことをもう忘れかけている。だが日記にその内容が書かれているからなんとか忘れずにいられる。

 ゲルダとのやり取りはまだなんとか記憶している。でもこの忘却ペースだともう、あと一週間ほどで……。

 

「大丈夫。まだ忘れてないよ。忘れないから。忘れてたまるものか」

 

 これはマスターの戦い。

 誰の手も借りない、独りぼっちの戦い。

 それは七つの異聞帯をすべて『拒否』するまで続く。『拒否』する者としての、せめてもの責任だ。

 どんな障害が待ち構えていようとも、前を向いて進まなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても、あのクリプターの弱さといったら!!

 弱い! 弱すぎる!!

 あの程度でマスターの前に立ちはだかるとは、見くびられたものだ!!!

 項羽への色恋? まさかそんなもののためにクリプターになったのではないでしょうね⁉

 個人の願望のためにマスターと戦ったというのなら、それこそ救いようのない馬鹿だ。

 こちらは背負っているものが違う。遥かに違う。カルデアを毛嫌いしていた癖に本気で潰しに来ないとはどういう了見だ。

 カルデアは命をかけてクリプターたちと戦っているのに、そっちは色恋にうつつを抜かすか。

 恋などマスターはしない。そんな『個人の事情』などにかまっている余裕などこちらには欠片もないのだ。

 マスターは人間性をも捨てながらずっと戦いに身を投じている。いったいこれ以上なにを捧げればいい⁉

 芥……!!

 

「教えてよ……!」

 

 息が苦しくなる。

 少し興奮しすぎたようだ。

 これ以上は不味い。

 胸の灼ける痛みに耐えながら、マスターはベッドに倒れ込んだ。呼吸を落ち着かせ、症状が引くのを待つ。

 永遠の命……マスターが彼女の思いを理解することはできない。しかし『個人の事情』であることは確かだ。

 負けた敗因はまさにそれにあるのだ。

 オフェリアだって、同じくそれに殉じた。

 ……馬鹿だ。やはり馬鹿だ。

 クリプターはバカしかいないのか?

 いいえ、いいえ。そんなことはないはず。きっとあのふたりがそうだっただけだ。

 次の異聞帯では、『いいクリプター』に出会えることを願う。

 だいぶ落ち着いた。

 ベッドからふらりと立ち上がり、ペンを用意し、日記に今回の出来事についてできるだけ事細かに書く。これでひと安心できる。僅かだがマスターに休息が訪れ、疲れを癒やす時間が訪れ、訪れ、訪れ、訪れ、訪れ、訪れ、訪れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れ、れることはない。

 永遠に、ない。

 隠し場所にしまう。

 そして瓶を掴み、マイルームを出ていく。

 

 ――虞美人とはもう、顔も合わせたくない。




コヤンスカヤとマスターちゃんの絡みが少ないと思うんですよね。

それではまた。
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