マスターがアナスタシアさんと楽しそうに話す世界もあるというのに、こちらのマスターは……ねぇ?
ま、是非もないよねっ!
パラケルススは静謐のハサンから入手した毒を解析した。
具体的な説明は省くが、彼女の遺伝子構造と魔術回路が絶妙な具合で融合しており、特にその接合部から猛毒が発生していることがわかった。簡単に言えば彼女の猛毒とは即ち魔術的老廃物である。
その老廃物を老廃物足りうる前の状態に戻し、活性化させる。すると、それは猛毒というより『死』という概念に近いものへと昇華される。
……これの恐ろしいところは、作ることが可能だということ。
パラケルススの予想だが、原種の毒性が1と仮定するならば、これは軽く1万を超えるだろう。パラケルススの今までの人生において、これほど危険なモノを作ったことがない。
危険であるがゆえに興奮する。科学者としての性がパラケルススを刺激する。
魔術で少しいじってやれば……。
「これはなかなか……」
ニヤリと口角を上げ、完成したものを有害度の最高ランクにカテゴライズし、棚にしまった。
今日は気分がすこぶる良い。ロマ二に怒られたことなんてどこ吹く風。それほどパラケルススには吉報だった。
……マスターに知らせなければ。
無表情で鼻歌を歌う。ちょうど腹の虫が鳴き始めたので、昼食を取りに行くことにした。
◆
「勝負には勝ったけど、戦術的には大敗北、かな。これは」
ロマ二が結果をまとめた資料をざっと目を通し、簡単にまとめた。
マスターは下を俯いている。
今日はシュミレーター室で訓練を行う日だったらしい。マスターに会いに行こうとしたら、運悪く巻き込まれてしまった。フィールドはありきたりな中世風の街路。仮想敵は大量のスケルトンとゴーストだ。
「パラケルススを前衛に行かせたのは悪手だね。さらにカバーの指示が遅れたことで静謐ちゃんとマシュの行動が遅れ、結果マスターへの直接攻撃を許してしまった、と」
「いえ、あれは私が」
「マシュ。それは違う」
ロマ二がタブレットに映された動画をタップ、スワイプして、マスターたちの前にホログラムとして動画を再生させる。
マスターがマシュと静謐に指示を出す。ふたりがパラケルススのカバーへ向かおうとするも、敵が壁のように押し寄せてきて先に進めない。そうしてモタモタしている間にマスターが背後から敵の攻撃を受けた。
そこで動画は停止する。
「僕は言ったはずだ。君たちがうまく連携できれば、今回の敵は強くなんて決してないと。だができなければこうなる」
ロマ二はマスターに近づき、優しくぽん、と肩を叩く。マスターはおずおずと顔を上げ、ロマ二の表情を伺う。
「今回の訓練は責任は君にある。君の指示が的確じゃなかったからああなってしまったんだ。でも、誰にだって失敗はある。全員、一度も失敗したことがないなんてことはないんだよ」
そう深く落ち込まなくていいよ、とロマ二はマスターに諭して、ダ・ヴィンチに締めを促した。
「さて、皆にはいい勉強になっただろう。マスターにはまだまだ成長の余地がある。彼女に足りないところを手助けしてあげるのも君たちサーヴァントの役割だ。訓練中は存分に失敗してくれたまえ!」
うまいこと締めくくったようだ。
マスターはロマ二からスポーツドリンクを受け取り、マシュと静謐に気分転換をしようと促されて小走りに連れていかれた。その時のマスターは少し嬉しそうな、楽しそうな表情だった。
と、パラケルスス思った。それが間違いだとは微塵にも思わなかった。
◆
二度あることは三度ある。
三度目の正直。
そんな言葉をふとパラケルススは思い出した。さすがにまた盗まれたとなるとロマ二にどんなとばっちりを受けるかわかったものではない。
抜き足差し足で自身の工房へ入る。
「……」
ビンゴだ。
何者かが罠にかかった合図がある。
さて、果たして誰が罠にかかっているのかーー……。
パラケルススは部屋の照明を点けた。
「……ォ……ッ」
「……やはりあなたでしたか」
触手型拘束にガチガチに拘束され、死んだような目でパラケルススを見上げる。
抵抗の意思はとうに尽きたようだ。
服ははだけ、ブラジャーはズレて女性のステータスたる胸が露わになり、パラケルススの前に晒される。
スカートは脱げ、パンツも足首までずり落ち、秘部すらも同様に晒されている。
なぜだ。なぜこうなっているのだ。パラケルススは罠にかかった獲物の裸体を冷静に見下ろしながら思考を巡らせる。
この触手は暴れるほど締め付けが強くなる。ということは、その分だけ苦しみに悶える。だからこその疑問。
いったいどれだけ長い間、暴れていたのか、と。
触手は四肢に、全身に絡みつき、ギチギチに締め上げている。どう見ても血管が押さえつけられ、まともに血が循環していないはずだ。さらに悪いことに、首にも触手が絡み付いていて、獲物の苦しそうに呼吸をする音がよく聞こえる。
この状態が何時間維持されていた。いやもしかするとほんの数分かもしれないが、やはりそのようには思えなかった。
「マスター……」
彼女は何も言わない。が、代わりに「コヒュっ」と呼吸する。
何を盗むつもりだったのか、と棚を見て、すぐに気づく。ひとつだけ無くなっている。そしてそれは彼女の手に確かに握られている。だがそれは……。
「マスター、それはいけません。さすがの私でも許可は出せません」
コツコツとマスターに近づき、それを返してもらう。力など入らないはずなのに、ありえない力で指だけで抵抗する。それでもサーヴァントに対しては無力。
なんなくパラケルススは回収する。
マスターは飢えたゾンビのように手首だけ動かすも、触手に容赦無く叩きつけられ、「コッ! ズヒ、ァッ!!」と息苦しさに痛みを混ぜて棘のような喘ぎを漏らす。
「この毒は静謐のハサンさんの毒の一万倍はあります。いくらあなたに高い毒耐性があるとしても、それが完全であるかはわかりません。さらに、マスターは無効化したとしても、マスターの身体が無効化しきれていない可能性だってあります」
パラケルススはマスターの下半身を観察する。昨日疑問に思った太ももの掻きむしった跡。それが腰あたりまで伸びている。まだ赤く伸びた無数の跡が痛々しく、パラケルススは見ていられなかった。
しかも、熱を感じる。離れていてもわかるこの熱気は、マスターの身体から発生する危険物に対する拒絶反応……つまり発熱していることは明らかだ。
一度目は全身の痺れを引き起こすもの。二度目は全身を激痛が蝕むもの。具体的にどれほど効いたのかはパラケルススに知る余地はないが、その集大成が苦しいと口無き口で語っている。
「この一連の窃盗、犯人はあなたなのでしょう。ここ数日のあなたを振り返るに、効果はある程度ですが効いている様子」
マスターは何も言わない。言えない。
ただ目だけはパラケルススから逸らさない。強い意思などなく、かといって激しい熱もない。
虚ろに見るだけのマスターに、パラケルススは僅かながら恐怖を覚えた。彼女がこうなるまで動こうとする原動力はなんなのだ。
何度も。何度でも言おう。
パラケルススには人の心の機微を感じ取ることは非常に苦手だ。
だから、彼に彼女を理解することは決して叶わない。抱える闇の量、質、密度、力。それらがわかるはずもなかった。
「あなたが最近静謐のハサンさんとよく一緒にいる理由がなんとなくわかります」
マスターから視線を逸らす。これ以上見つめていると、マスターの瞳に内在する『ナニカ』に呑まれると錯覚したからだ。サーヴァントですら身を引く異常性。
しかし、パラケルススはそれをわかってやれない。
チクチクと静かに時を刻む時計の針の音が、パラケルススに何かを急かすように、耳元でエコーがかかる。
とにかく、拘束を解除してやらねば。
マスターの身体はとうの昔に限界を迎え、マイナスの領域に達しているだろう。
呪文を唱え、触手たちが霧に消える。
解放されたマスターは、粘液まみれの身体を一切動かすことなく、死んだように横たわる。どこかから空気が抜けるかのような、永遠に満足しない濁った呼吸を繰り返している。
ほぼ裸同然でその状態だと気持ち悪いだろう。
ここで、パラケルススはマスターを見誤っていた。
抱えて工房の簡易シャワー室へと連れて行こうと近づいた瞬間。
「ーー!!」
マスターが再起動した。
バネのように飛び上がると、さっきまでの衰弱が嘘みたいな動きでパラケルスス……がマスターから回収した毒を狙って飛びついてきた。
その目はよく知っている目だ。バーサーカーやアヴェンジャーたちがスイッチの入った時に見せる目と非常に酷似していた。憤怒や殺意などがドロドロに渦巻く瞳だが、ふたつのクラスの共通点は、『絶対に逃さない』だ。
「ーーッ!!」
だが相手はただの人間。
恐るるに足りない。しかし、タイミングが悪かった。パラケルススが完全に重心を前のめりにした瞬間。サーヴァントの身であろうと、これを避けるのはほぼ不可能に近かった。
今度こそパラケルススは恐怖に震えた。身体中に満足に血も酸素も循環していないはずなのに、まるでそれ以外の『ナニカ』が代用しているかのような、疑いようのない動きと俊敏さだった。
刹那の時間を切り取り、パラケルススは考える。マスターの視線は完全に手に持つ毒。ならば手だけを守ればいい。
身体全体の制御は効かなくとも、この程度なら造作もない。
時間が再開する。
パラケルススは手を曲げ腕を曲げ、マスターの突進を見事避けきってみせた。
隙をついたマスターの奪取は失敗し、べちゃっ! と顔で地面に着地した。
「マスター」
「……」
「あなたは疲れているのです。今日の訓練だって調子が悪かった。もう寝ましょう。私とマスターはふたりでちょっとお話をしていた。そうですね?」
「……ぅん。ごめん、な……さい」
ついに気力が尽きた。
パラケルススにおとなしく抱きかかえられ、簡易シャワー室で粘液を落とした後、ドライヤーで髪を乾かし、適当な服を着せる。
「……すぅ……すぅ……」
いつの間にかマスターは寝てしまったようだ。
静かに吐息を立てるマスターを見て、つい微笑ましく思う。さっきまでとは本当に別人だ。
発熱している彼女を、世に言うお姫様抱っこをして、パラケルススは工房を出て、真っ直ぐ彼女のマイルームへと向かう。額に手を当てる。熱は非常に高く、おそらく39℃はあるかと思われる。
そして圧倒的に軽い。訓練中に静謐のハサンを抱きかかえる場面があり、その時は少なくとも戦闘により興奮していたから具体的には覚えていないが、このあまりの軽さはその曖昧さをはっきりとさせた。これは確実に彼女より小柄なはずの静謐のハサンよりも軽い。
最小限のライトは通路に薄暗さを生み出す。カツンカツンと深夜に響く足音。やがてパラケルススの姿は、暗闇に消えた。
パラケルススは人の心の機微を感じ取れない。
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パラケルススには、マスターの心を理解できない。
マスターが何を思ってこれらのような行動をとったのか、それは皆さんの想像にお任せます。
はいネタ尽きました。
前回同様、何か面白そうなネタがあれば是非教えてください。琴線に触れれば燃えます。