盾の少女の手記   作:mn_ver2

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ロストベルトNo.4クリア記念

ネタバレ含むのでいくらか改行。
インド村に引っ越してもいいと思った。


nOt uNneCCesarY

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マスターは、自分がいったいどれほど酷い記憶の欠落を患っているのかを、ある程度だが客観的に知ることができた。

 アーシャとふれ合って気づくことができた。

 大事なことをどうしても思い出せない、もしくは完全に忘れ去っているということが、どれだけ悲しくて、胸が締め付けられそうな想いになるのかを。

 内面から自身を評価していたマスターは、改めて自身を蝕むこの記憶四散を理解した。

 

「…………ん、終わり」

 

 手記に記憶を移したマスターは安堵のため息を吐いた。椅子の背もたれに限界まで体重を預けて天井をぼんやりと見上げる。

 シミひとつない、呆れるほど白いそれにやがて見飽きると、ダ・ヴィンチ曰く栄養ドリンクを喉に流し込み、ベッドに身を投げた。そしてゆっくりと目を閉じる。

 人類史上最大で最低の大量殺人を四度も成し遂げてすぐのことだ。間違いなく見る夢は悪夢だろう。

 ……無意識に手が下半身に伸びていた。

 指をスカートの中に、そしてパンツの中に滑り込ませて静かに自慰を始める。枕に顔をうずめて、声を押し殺して。ゆっくりと、確かめるように人差し指で弄る。

 

「……っ」

 

 しだいに頭がチカチカと点滅し始める。視界が真っ白になり、脚、さらに足の指も伸びきって高みへと至ろうとした。

 いやらしい音が、沈黙したマイルームではマスターの耳に大きく聞こえてしまう。どうせ誰もいない。皆疲れ切って仮眠室などで休んでいるだろう。だからマスターは羞恥とともにそう考えた。それにプレイべート空間だし、別段何をしても他人に迷惑をかけなければいいのだ。

 息が荒くなり、熱がこもり始める。頬も紅潮し、そして絶頂へと――――。

 

「――――――――」

 

 ――やめた。

 指を止め、自分はいったいなんてことをしようとしていたのだと自責する。びしょびしょに濡れた両手を見て、マスターはひどく自身に失望した。

 欲望を満たす権利などない(・・・・・・・・・・・・)のに。人を殺したばかりだというのに、その当人がだらしなくベッドに寝転がって、その上自慰に耽るというおよそ人の道を外れた所業に。

 どうせその人たちのことを忘れてしまう。ロシアで血まみれになりながらマスターの襟首を掴み上げ、『何か』を託したヤガの名前も忘れた。一応手記に書いてあるから読めばわかる。だが絶対に覚えていることがある。それは、生きようと日々を送っている彼らの未来を断ったことだ。

 三大欲求。

 食欲。睡眠欲。性欲。

 食事を口に運べば無味の触感に吐き気を催し、目を閉じれば亡者たちの恨みの宴が開かれ、絶頂を迎えたくても罪悪感から中途半端にやめてしまう。

 ……ならばこれらはもう、『不要』ではないだろうか。

 マスターは洗った手を見下ろしながらアルジュナの想いを振り返った。不要を排し、最終的に完全な世界を目指すというもの。

 その内容が、どれだけ残酷な忘却を課すことになっても。

 ……私だって消してほしかった。『不要』として、三大欲求をなかったことにしてほしかった。そうすればどれだけ気が楽になるか。今となってはもう遅いが、そう願ってしまったのは仕方のないことだった。

 だって、苦しかったから。いっそすべてを放棄して逃げ出したかったから。

 でもできない。逃げ出したとしてもどこに逃げる? 白紙化した地球の、どこに安息の地がある?

 それでも強引にその道を選ぼうとしたら、選べる。しかしそんなことはできない。なぜならマスターは汎人類史最後のマスターなのだから。他に代行してくれる人がいる? いない。ならばもうやるしかない。誰かがやってくれるのではない。その誰かは全員白紙化され、もう自分しかいない。そこに選択の余地などないのだ。

 ペペロンチーノのように選択することができなかった。彼は確かに人のよさそうな男だった。根っからの異端者ではなかった。

 だからこそダメだ。死に物狂いの戦いでなくてはならない。それが互いに譲れないもののぶつかり合いならば尚更。

 善のために許されない悪を行おうとしているのだ。手足をもがれても喉元に噛み付いてくるくらいの『強さ』をぶつけてくれないと、悪を為す覚悟ができない。心に深い罪を刻みながら伐採するというのに。

 生き残りをかけた争い。殺さなければ、殺される。その規模が巨大なだけ。

 獣がキャッキャッと嬉しそうに微笑みながらマスターの頭に凶悪な顎を突っ込んで記憶を味見する。

 どうやら微妙……つまり面白くなかったようだ。最近さらに獣性を獲得して満足していた獣だが、やはり怒り狂うと怖い。すべて見抜いているぞと言わんばかりの殺意の孕んだ眼に殺されそうになり、気づいたときには酸欠に陥っていた。

 

「………………ぃ、やッ」

 

 今すぐにでも発狂して死んでしまいたい。

 胸にヘドロよりも粘性の高いベトベトが詰まっているような感覚に激しく咳き込む。しかしなかなか楽にならない。胸が圧迫され、息苦しさに喘ぐ。食道をこみ上げる胃の内容物が口内にまでやってきた。このまま咳をしてしまったら部屋が悲惨なことになる。

 洗面台に走りこみ、我慢も限界を迎えてついに吐いた。

 

「うげえぇッ! ぶっ、グ」

 

 胃の中身をすべて吐き出したマスターは無言でうがいをした。

 死相。

 それが鏡に映ったマスターの顔だった。

 

「はは…………」

 

 カルナに指示を出していたマスターの姿は皆の目にはきっと凛々しく映っただろう。でも気を抜くとこの様だ。これでは人前に出られない。冷たい水で顔を殴り、表情を作る。両手で目元をほぐし、だらけた頬に力を込めて生気を復活させる。

 

「あれ? ちょっと……嘘でしょ……?」

 

 なんだか難しくなっている。うまく表情を作れない。いつもならこんなに時間がかからないはずなのに、どうして。

 焦りに焦りを重ね、「え?」と何度も繰り返しながらもようやく完成する。ひとまず用意ができたマスターは、濡れた下着を穿き替えて廊下に出た。

 相変わらずシャドウ・ボーダーの収容体積の大きさに感嘆させられる。おかげでプライベートスペースが得られているわけだが。

 この気持ちの悪さをなんとしてでも紛らわせたい。誰かと会話をして、少しでも楽になりたい。

 自然と足は指令室へと向かっていた。あそこに行けば誰かはいるだろうと思って。さすがに個室に突撃するほど無礼でもない。その辺りはきちんと弁えているつもりだ。

 だが指令室にはゴルドルフしかいなかった。しかも運転席に座って大きないびきをかいて寝ている。顔を覗き込むとアイマスクをしていて、『起こすな!』の文字がデカデカと書かれていた。

 それを見たマスターはなんだか面白くて、小さく吹いてしまった。今やメインヒロインのポジションの座についた彼はその仕事ぶりを存分に発揮していた。

 運転は……オートになってる。よかった。一応ダ・ヴィンチの管理下にあるが、いつの間にかゴルドルフがマニュアルに切り替えていたら笑えないことになっていた。しかしついうっかりということもある。マスターの力だけではどう頑張っても彼を動かすことはできない。バランスを崩すと押し潰されて、そこで人理終了だ。

 怒られることを覚悟で、マスターはゴルドルフの肩を揺らした。

 

「所長、起きてください」

 

 ピクリともしない。もう一度肩を揺らすと、今度はめんどくさそうな呻き声を漏らして手を振り払った。

 それでも諦めずに起こそうと試みると、ついにアイマスクを外してマスターを見上げた。

 

「キミぃ……。せっかく私が世界統一カーレース大会で優勝しかけていたのに、その邪魔をするとはいったい何事だね……」

 

「あ、いえ、そこで寝るのはあまり良くないと思いまして……」

 

 まだ口元の涎にに気づかないゴルドルフは目をゴシゴシと擦って自分が今いる位置を把握した。そしてついでに涎に気づくと、呆けた顔を数秒間晒した後、再起動して勢いよく立ち上がった。

 

「まあ、その通りだな。私は部屋でもうひと眠りするとしよう。ところで何をしに来たのだ?」

 

「誰か……と話したくて」

 

「それは残念だな。知っているとは思うがスタッフ全員に休息を命じているから、ここに来る者はいないだろうな」

 

 最後に大きなあくびをしたゴルドルフはマスターの横を素通りして指令室を去ってしまった。

 ひとり残されたマスターは呆然とその場に立ち尽くしていた。

 そういえば、そうだった。

 異聞帯を攻略し終えたばかりなのだ。全員疲れ切っているのは当然だし、仮眠をとっているかもしれない。ゴルドルフだってそうだったのだ。

 マスターは自分中心に事を考えていた。

 

「やっぱり、戻ろうかな」

 

 寝よう。それしか考えられない。

 踵を返し、ドアを開けて指令室を出る。すると目の前には、なぜか部屋に帰ったはずのゴルドルフが立っていた。

 

「えっと……」

 

 ついこの瞬間まで入るかどうか悩んでいたそうだ。ドアを開けようと中途半端に伸びた腕がそれを何よりも物語っていた。

 

「所長として、部下の労をねぎらうのも大事な仕事なのだよキミぃ。そんなにやつれた顔を見てしまったのに放って戻るほど私は鬼畜ではないからな。――私の部屋に来なさい。少しいいものをやろう」

 

「私、そんな顔してましたか?」

 

「いや? だがそんな雰囲気を滲ませていたからな」

 

 そう言うとゴルドルフはマスターの返事を待たずに足早に歩き始めた。

 有無を言わさないその背中にマスターは、不思議に思いながらもその後ろについていくことにした。

 ゴルドルフが連れてきたのは、自室だった。そこはマスターの部屋よりもひと回りほど狭く、身体の大きい彼にとっては過ごしにくい空間だった。

 

「狭いのに文句を言うならキャプテン……いや、ネモに言いたまえ。私もいつも抗議しているのだがね。まるで聞いてくれない」

 

 そんなことをぶつぶつ呟きながらもしゃがみ、椅子くらいの大きさの冷蔵庫を開ける。そしてそこから姿を現したのは、ケーキの載った皿だった。

 適当なフォークとともに皿を渡したゴルドルフは顎で指図する。

 

「これは……?」

 

「見てわからんのか。ケーキだよキミぃ。異聞帯攻略後に「よく頑張ったぞ私」とご褒美に美味しくいただくつもりだったが……まあいい。…………あ、やっぱり半分こにしてくれない?」

 

「もちろんですよ」と返し、もう一本フォークを取り出したゴルドルフにマスターはケーキを渡した。

 嬉しそうに半分を一口で頬張るのを見ていることに気づくと、飲み込んでから答える。

 

「一緒に毒ケーキを食べた仲だ、くれぐれもスタッフ達には内緒にするんだぞ。あの女狐がつくったことを除けばあのケーキはパーフェクトな美味さだった……。だからエミヤ氏にこっそりつくってもらったのだよ」

 

 厳密には半分と少しを食べてしまっていたが、それを見て見ぬふりをしてマスターに後を譲った。

 当然マスターもわかってはいたが、そもそももらっている側だ、文句は言うまい。

 どうせ味はない。だから複雑な気分だ。

 だが、胸が少し軽くなったのがわかった。

 ケーキが嬉しかったのではない。甘いものに目がないとスタッフ一同が共通認識を抱いているゴルドルフが、ケーキをわけたという行為そのものに嬉しかったのだ。

 無味のくせに、恐ろしいほどふわふわする食感は、まるで市販のスポンジを食べているようで、すぐにでも吐き出してしまいたかった。

 

「……っ、……」

 

「喉に詰まったのか?」

 

 ふるふると首を横に振り、美味しそうに咀嚼する素振りを見せる。

 ごくりと飲み込んで、マスターは深呼吸を繰り返す。

 

「言っておくが、これきりだからな! 次は自分でご褒美を用意しろ! ……そう考えると私はMVP……だって神の砲撃をドライブ技術ですべて避けきったから……ということはつまり、ケーキ二個分の働きをしたのでは⁉」

 

「また太りたいんですか? さすがにそれ以上食べるのなら私も黙っていませんよ?」

 

「ぐ……!」

 

 大奥でたくさん甘やかされたせいで――オブラートに表現すると――ふくよかになってしまったトラウマが蘇り、ゴルドルフは短く悶絶する。

 机の上に乱雑にばら撒かれた資料の山に目が入った。汚い字だが、びっしりと赤ペンで補足しているのがわかった。

 それを見てマスターは、頑張っているのは自分だけではないということに気がついた。もちろん皆が頑張っていないなどとは欠片も思っていないが、常に最前線で死闘を繰り広げているマスターのほうが遥かに頑張っていると当然のように感じていた。

『頑張る』の方向性は違えど、誰もがマスターのために……少しでも楽に活動できるようにと願って頑張っていたのだ。その努力の痕跡を見て声を失ってしまう。

 自分だけがこんなにも頑張っている。そう悲劇のヒロインぶった考えが本当は僅かながらあった。

 そもそもスタッフたちのサポートがなければ、マスターは全く何もできないのだ。

 自分が嫌になる。

 嫌なほど自分は自己中心的な女だった。

 

「……ありがとうございました。ケーキ、美味しかったです。実のところ、アルジュナの砲撃を躱す所長は今までで一番カッコよかったと皆が思ってるはずですよ」

 

「そそそそうか。直接言われるとこう……腹がむず痒い感じがするな。しかし、ハハハハ!! 悪くないぞぅ! トップに立つものとして部下を導くのは当然だからな!」

 

 陽気に笑うゴルドルフはそのままの勢いで冷蔵庫からさらにもう一つケーキを取り出そうとして……。

 

「だめですよ」

 

「どうしても?」

 

「どうしても」

 

 調子が良くなると隙あらば自分を甘やかそうとする。ナイチンゲールが担当医になったら間違いなくひと月で人が変わると確信できる。

 

「そろそろ私戻りますね」

 

「ああ、ゆっくり休みたまえ」

 

 水が飲みたい。ケーキを食べたせいでガサガサする喉を潤したい。部屋を後にしたマスターは、寄り道せずまっすぐマイルームに帰った。

 急いで水を喉奥に流し込み、それだけではまだ足りないと何度もうがいをする。代償は喉に残る不快感。しばらくすれば治るだろう。そして得られたものは、人の不器用な温かさだった。

 だがそれは真にマスターの心労を軽減することはできない。

 人の業を超えた殺人鬼を(・・・・・・・・・・・)人程度が癒やそうとしても無駄(・・・・・・・・・・・・・・)なのだから。

 やっと怒りが収まった獣は足元に歩み寄り、スリスリと頭を擦り付ける。マスターはこの小さな獣には決して逆らえない。逃げられない。獣性を獲得する毎にその支配力は強まるばかり。

 予測できない時に牙を向いてくるが、まだ『本気』ではないことはなんとなくわかっている。

 もしその時が来たらどうなるだろう。

 ……怖い。どうなるか想像もしたくない。きっと死より恐ろしい目に遭うのは本能的に理解できている。

 

「……ねぇ、どうしたらいなくなってくれる?」

 

 愛らしい目だ。うるうるさせながら肩に乗った獣は歯に付いた血の脂をマスターの服で拭い、満足げにひとつ吠えた。

 マスターの人間性は喰われ、代わりに獣性が侵食する。避けることのできないそれに、マスターはただ声を押し殺して耐えるだけだ。

 獣が何か言いたげだ。いや。もしくするとただ可愛らしいくしゃみが出そうなだけかもしれない。

 興味を惹かれた亡者たちがどこからか現れ、静聴すべしと正気のない者の中の、さらに正気のない者の首を断つ。今回は褐色肌が目立つ。

 ごくりと喉を鳴らしたことに気づいたのは、マスターの身体中に亡者たちが恨みをぶつけるために絡みついてきたあとだった。

 

 ――不要なのは………………。

 

 そのあまりに無慈悲な言葉に、マスターはひとり、小さく嗚咽を漏らしながら静かに涙を流した。




【二択】
Q.不要なのは――――。
 →獣性
  人間性


書いてる本人が言うのはあれかもだけど、邪ンヌとの逃避行がしゅき。
また気が向いたら投稿しますね。
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