盾の少女の手記   作:mn_ver2

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ノーマルエンドは綴られた。
即ち、マルチエンディングの存在はすでに示されていた。


えんどおぶざすとーりー

 ……この物語は、どうすることもできない物語だ。

 

 

 魂の抜けたように歩いている少女がいた。

 身なりは夜遊びから帰ってきた少女。しかし背中に募る影は、月が僅かに照らす夜空を呑むほど暗かった。

 すれ違う人々もその底のない陰気に怖気づき、いつの間にか不可侵のエリアが周りに出来上がっていた。

 

「……この服、ちょっと小さいかな?」

 

 とても歩きづらい。お腹を締め付けられて、少し気持ち悪い。

 ――太ってるわけじゃないんだからね⁉

 ちゃんと脂肪がつかないように食事はしてないし、いつも死ぬほど運動してるからこのスタイルはどう頑張っても崩すことは不可能だ。それに最終奥義、文字通り余分な肉をカットしてもらえばいい。

 果たしてこれからどうするか。人混みから抜けた少女は電柱にもたれ掛かり、ぼんやりと電灯に群がる羽虫たちを見上げた。

 ……行動指針を定めないと。

 そう思った。ただ追われるから逃げるだけじゃ、それは何もしていないのと同じだ。少女は誰かにされてばかりだ。だから、自分から、何かを。

 目頭を摘み、強く目を閉じる。そして次に目を開くと、目の前には亡者の宴が開かれていた。

 血の悦びに歓喜している彼らは今宵の獲物、ホムンクルスたちを貪り、中央では少女の記憶を燃料にして火柱が高く滾っている。

 断罪、罪あるからこそ。

 死、生あるからこそ。

 が、許しはない。

 ずりずりと背中を擦りながら地面に腰を下ろす。少女はその宴に加わるわけでもなく、ただ眺めるだけだ。

 

「………………」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 …………………………果たして何を考えていたのだろう? 

 完全に無に陥っていたことに遅れて気づいた少女は、どれだけここで時間を潰していたのかと尋ねようと顔を上げると、すでに宴は終わっていた。丁寧に片づけまで終えて、臓物のデザートを味わっている。

 

「どうでもいっか」

 

 時間なんて、少女にとっては何ら意味のないものだ。無限の罪を、永遠の時間を以て返上する。それを実現するには、有限の命では事足りない。だから魔法すら超えた、歪な不死を得た。

 立ち上がろうとして、長い時間座り込んでいたせいで痺れた少女の脚が盛大に尻もちをついてしまった。

 こんな無様なところ、もし誰かに見られていたら恥ずかしくて死んでしまいそうだ。

 もう少しだけ、休憩しよう。もう少しだけ休憩したら、寝心地のよさそうなところを探しに行こう。俯く少女はそう決めて、痺れが収まるまで待つことにした。

 しかしその時、少女の視界内に誰かの手が伸びていた。

 

「――先輩」

 

 顔を上げた。

 月光に映える紫色の髪、透き通った声。

 少女は静かに息をのんだ後、乾ききった唇を震わせながら口を開いた。

 

「誰?」

 

「…………、え?」

 

「だから、誰?」

 

 自分を先輩と呼ぶ誰かに対して少女は敵意を剥き出しにして端的に問うた。

 動揺が目に見えている。逆に少女は臨戦態勢だ。脚の痺れはまだ少し残っているが、そこまで問題じゃない。亡者たちが耳元で「処す? 処す?」と執拗に囁く。

 間違いなく一般人ではない。まだ蘇生して間もないからコンディションは最悪だ。吐き気は収まりそうにないし、身体を再生させたことによる全身の痺れがまるで取れない。

 だからどうした。そう少女は自分に活を入れる。ここでやられるわけにはいかない! もっと不利な状況で、もっと劣悪な場面に直面したこともある。『この程度』、どうとでもなる!

 

「何を言ってるんですか……? マシュ・キリエライトですよ?」

 

「……知らないんだけど。………………ああもう。そっか、『そういうこと』か。えっと……マシュだっけ。何しに来たの?」

 

 あらゆる可能性は捨てきれない。もしかすると記憶の欠落に付け込んで友情演出をしているだけかもしれない。

 

「先輩を……先輩を殺しに来ました」

 

 歪曲したナイフを手にした不審者は動揺を振り払い、言い放った。

 今までの不審者は「実験に」だとか「政治的利用に」だと自己満足気に言う輩が大半だった。だがマシュとやらは違った。明確な殺意を抱きながら、間違いなく「殺す」と言ったのだ。

 

「捕まえないの?」

 

「いいえ、それではダメだとさっき先輩が言ってました。なので殺します」

 

「――――私が? さっき?」

 

「はい」

 

 興味が湧いた。

 立ち上がり、マシュと向き直る。少女にはそんなことを言った記憶がない。もしかすると嘘をついているかもしれない。その可能性は十分あった。

 手を伸ばす。一瞬だけピクリとマシュは身体を震わせたが、少女が頬に触れるのを避けはしなかった。

 やわらかい頬だ。それに温かい。比べて自分のものはガサガサできちんと手入れをしていない証拠だった。

 

「先輩の手、冷たいですね」

 

 マシュの手が重ねられ、じんわりと広がる熱に、少女は身震いした。

 

「当たり前だよ。何回も死んでるんだから死体も同然」

 

「……そんな悲しいこと、言わないでください」

 

「でも本当だよ」

 

「………………」

 

 沈黙が流れる。

 長い間まともに人と話すことがなかったから、どんなことを話せばいいかわからなくなってしまった少女は口を閉ざしてしまう。

 マシュが装備しているナイフはなんの変哲もないものだ。別段魔術的補強もされていない。ただ本当に鋭利なだけのナイフだ。

 当然こんなもので少女を真の意味で殺せるはずなどない。

 では、殺すという行為が……違う、もっと広義の意味、『マシュに殺される』ということに意味がある。

 聡明な少女は簡単にその結論に辿り着いた。

『正解だ』とファンファーレを鳴らした亡者のひとりが自らの腹を破いて曝け出し、消化されかけの記憶を見せつける。

 もはやこれは残滓でしかない。会話、動作、想い。すべてが霞み、理解することが困難だったが、それで十分だった。

 腕を広げ、マシュに胸を差し出す。

 

「さあ、刺しなよ。それだけで私は本当に死ぬことができる」

 

 腐った血を優雅にグラスで啜りながら決定的場面を見届けようと亡者たちもスタンバイオーケーで今か今かとその時を待っていた。

 マシュはナイフを構えた。俯き、柄の先を震わせながら、構えた。

 それはそうだ。何年も一緒にいた人を殺そうとしているのだから。たとえどれだけ強い覚悟を抱いたとしても、いざとなると葛藤する。それはよほど心が強くない限り避けられないことだ。

 少女は待つ。

 

 ――マシュが、腕を動かして。

 ――ナイフを振りかざし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そして、顔面に手加減の一切ない拳撃が炸裂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ゛ッ!」

 

 完全に不意を突かれた少女は向かいの壁に激しく背中を叩きつけられた。いくら人を捨てたとはいえ対サーヴァント、軽傷ではすまない。

 

「私がどんな想いで先輩に会いに来たのか、わかりますか⁉」

 

 魂の叫びだった。涙で頬を濡らし、顔を真っ赤にしながら叫んだ。

 まさかの事態に困惑するが、気を持ち直した亡者たちが一瞬にして具現化し、マシュに襲いかかろうとする。

 

「待って」

 

 少女の鋭い制止の声に亡者たちは動きを止めた。大義名分が立ったというのにこれではクソみたいな実写映画を観ているようだと不満そうに愚痴をこぼしながら泥となって地面に沈む。

 

「そんな簡単に先輩との関係を終わらせたくないんです!!」

 

「何それ。私を殺しに来たんでしょ? 長引かせるほど辛くなるのはわかるくせに」

 

「わかってます! わかってますよ! それでも、こんなにあっさりだなんて、やっぱり私にはできません!」

 

「じゃあ何がしたいのよッ!!」

 

 ここまできて、そんな弱音を吐くか。

 怒りが少女の中で爆発し、つい語気を荒げてしまう。

 マシュは血が出るほど強く歯を噛みしめている。その様子を見て、怒る。応えることができないのに何をそんな幼稚なことを。怒る。ついに我慢できなくなった少女は、マシュの顔を全力で殴った。

 

「ぐっ……!」

 

 だが、ふらりと一歩だけ後ろに下がるだけだった。

 

「先輩ともっと……お話がしたいです……。それで、ちゃんとお別れを言って…………それから……。それから、殺したいです」

 

「――――」

 

「必ず殺します。必ず。だから……だから私とお話をしてくれませんか……?」

 

 流れてきた鼻血が口に入ったことで、今更ながら鼻血が出ていたことに気づいた。

 血の味はしない。

 ここで一方的に拒絶するのもいいが、結局のところ、殺すのはマシュだ。マシュが行動しなければ少女は死ねない。

 きっとそんなつもりはないのだろうが、いじわるな物言いだったことは確かだった。

 手で鼻血を拭い、少女は降参だと両手を上げた。

 

「わかったよ。好きにするといいよ。で、何を話したいの?」

 

「楽しい話がしたいです。どこかでくつろぎながら」

 

「……は? くつろぎながら? ……ああもうわかったからそんな顔しないの!」

 

 演技かと思ってしまうがそうではない表情に、少女の微かな良心が刺激されてしまう。

 かぶりを振って、少しの間だけマシュお嬢様の命令に従ってあげることにした。

 

「手、握って。いいところに連れてってあげるから」

 

「はい」

 

 差し出した手を、マシュが握る。

 焼けてしまいそうなほど本当に温かい手だ。今日くらいは大人しく私に従いなさいよ? と念を押し、亡者たちにふたりの身体を持ち上げさせる。

 突然の浮遊感にマシュは腑抜けた声を漏らす。

 傍から見れば、空を飛んでいるようにしか見えないだろう。しかしふたりの足元には無数の亡者たちが山を成して上へと運んでいるのだ。

 高く。さらに高く。

 行き着いた先は、人の決して侵入してこない地帯。その中でもひときわ存在感を放つ、赤ん坊が触れるだけでも倒れそうなほどボロボロな高層ビルの屋上だった。

 

「ちょっと待ってて」

 

 そう言い残してマシュをおろした少女はすぐさまビルから飛び降りた。初期動作なく空を飛び、やがて豆粒ほど小さくなって見えなくなる。そしてたったの数分で帰ってきた。

 その手に持っていたのは割ってニ等分できるアイスバーだ。

 

「ん」

 

「あ、ありがとうございます。お金渡しますね」

 

「いいよ別に。いっぱいあるし」

 

 そう言って掌を返すと、まるで源泉のように小銭やらが溢れてきた。

 今の少女にとっては不要なものだ。ずっと前なら喜んでスイーツやスイーツ、そしてスイーツなどに貢いでいただろう。

 袋を開けて、ふたつに割ってマシュに渡す。

 鉄骨に背をくっつけ、その場に座る。

 

「……ここしばらく、マシュは楽しかったの?」

 

 先に口を開いたのは少女の方だった。

 

「はい。英霊の方々は全員座に還ってしまいましたが、残ったダ・ヴィンチちゃんやホームズさん、その他のスタッフさんたちと過ごしてました」

 

 マシュがぱくりとアイスバーを食べる。

 

「先輩は?」

 

「楽しく……はないけど、面白い話ならたくさん」

 

 少女に楽しい話のストックなんて、あるわけがなかった。だが、長い逃避生活の中でなかなか痛快なエピソードはある。

 執拗に追いかけてくる敵を撃退するために、別勢力の敵と遭遇させて潰し合いをさせたこと。なんとなく宿泊しようと近くのホテルに行ったらラブホしかなくて、違和感なく入るためにドスケベな衣装で突入したら無事通報されたことなどなど。

 マシュはそんなベクトルの違った『面白い話』を黙って聞いてくれた。

 マシュはいつの間にかアイスバーを食べ終えていて、『はずれ』とかかれた棒を袋に入れた。

 

「『覚悟』はあるの。何十年、何百年かかってでも罪を償う」

 

「……でも、私が先輩を殺してしまうと、その義務が果たせなくなるのではないですか? 『覚悟』が無駄になってしまいます」

 

「でもそれを含めて私を殺しにきたんでしょ? マシュの覚悟を、私はよく理解してる。だからその上で言うよ」

 

 少女は世界を救ったことがある。だから決して『弱く』ない。

 それは客観的な感想でしかない。七つの特異点を修復、ゲーティアの撃破、さらに逃げた魔神柱の掃討。これだけですべてを言い表せる。これを聞くと、とんでもない偉業であることは確かだ。

 これらは『強く』なければ不可能。

 そう考えるだろう。

 だが少女はどうしようもなく『弱い』人間だった。魔術など何もわからないレベル。ならば体術はどうかとなると完全な弱者だ。

 ではなぜこんなにも『弱い』のに生き残れたのか。答えは簡単だ。『強く』あろうとしたから。『強く』なるのではなく、だ。

 あらゆる精神、身体的傷害を耐えられるように己の心を保たせた。たとえ綻びが生じても休めることなく強引に保たせた。その心があったから少女はあらゆる障壁を乗り越えられた。

 心に誓ったものは、『世界を救う』。

 あまりにも単純だが、『弱い』少女にはとても抱えきれない覚悟。今となっては終わったことだが、きっと隣に腰を下ろしているマシュも、これまでにない覚悟を背負っているはずだ。

 だからこそ、少女は優しく語りかけた。

 

「――私の覚悟を、ここで折るよ」

 

 罪の償いを放棄するという、さらに重い罪を犯すことになってしまう。しかし、まだこれからを生きるマシュに、前を向いて未来へと歩いてもらいたい。それにもう少女は死人だ。一度死んだ時点で人として終わっている。

 こんな自己満足な贖罪を考えている死人と早く決着をつけて、救われた世界を見渡してほしい。

 世界中のいろんなところに行って、美しいものに触れ、知り、感じてほしい。

 そう願う。

 

「結局はどっちかが折れないといけないからね。後悔はしないよ。絶対に。これが私が出した答え」

 溶けかけていたアイスをパクリと食べて、刻まれた文字を見てクスリと笑う。

 手のひらを開いたりを繰り返して蘇生後の痺れが抜けたことを確認した少女は立ち上がり、無防備に天を仰いだ。

 なんだか今日はいい気分。ずっと昔から胸につっかえていた違和感が抜けたなような。いつもならなんとも思わない夜空も、異様に冴えた目で見上げることができた。

 

「ありがとうございます、先輩。私はもう、迷いません」

 

 いつの間にかマシュもすぐ側に立っていて、その手にはナイフが握られていた。

 これから殺されるというのに、少女は妙に落ち着いている。熱い息を吐き、空に手を伸ばす。

 

「先輩……?」

 

 不思議に思ったマシュが声をかけると、自分でもなぜこんなことをしたのかわからないような目で手を見つめた後、胸に当てて拳を作った。

 

「いや……なんでもないよ。さ、いつでもどうぞ」

 

「最後にひとつだけ……私のわがままに答えてくれませんか?」

 

「まだそんなことを言うの? ………………まあ、いっか。なに?」

 

「先輩の人生は、幸せでしたか?」

 

「――わからない。ちゃんとどっちだったって答えるべきなんだろうけど……うん、わからないの。死ぬのも嫌。生きるのも嫌。でも苦しいのはもっと嫌。だから、私は私を捨てる」

 

 月は地上を見下ろしている。

 生きる者も死ぬ者も、等しく見下ろしている。

 見て、それだけ。何もしない。だから英雄であり、死人である少女の死だって、なんの感慨もなく見下ろすのだ。

 狙いは心臓、一突き。

 あっさりすぎるほどナイフは少女の皮を裂き、肉を貫いて心臓へと達した。

 涙は流れなかった。できるだけ苦しまないように。そう考えたマシュは両手で柄を握り、手加減なく刺した。

 俯かず、先輩と慕った少女の顔を見る。

 少女もまた涙を流すことはなかった。

 苦しそうな呼吸を始めるが、些細なことに過ぎない。

 ふと、マシュの頬に冷たい手が添えられる。鳥肌が立つほどの冷たさだったが、マシュは無言を徹した。

 

「マシュに、未来を……託すね…………」

 

 どれくらい時間が経ったかわからなかった。お前の存在などそもそも認めていないと世界から宣告されたかのように、死体が灰になって夜風に攫われても、その場を動くことはなかった。

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………今まで、ありがとうございました」

 

 憎しみも、悲しみも、怒りもない。

 ただ、これまでの感謝を、マシュは言葉に込めた。

 踵を返し、屋上から飛び降りる。

 懐から連絡機器を取り出したマシュは、カルデアへ起こった出来事すべてを報告する。

 

 

 

 

 今一度言おう。

 この物語は、どうすることもできない物語だ。

 

『弱い』ながらも『覚悟』を胸に抱いたことで、重い代償を課せられた物語だ。

 

『強く』あろうとした、『弱い』少女の物語だ。

 

 そして。

 救われない少女が、死力を尽くして取り戻した未来を捨てる物語だ。




はっぴーえんど。

人を捨てた者は、人へ願いを託す。
その想いは、決して汚されることのない、さぞ美しいものだろう。

以上、『霊怪討伐戦』後、マシュがマスターちゃんを追いかけることを選択するifルートでした。
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