盾の少女の手記   作:mn_ver2

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壊れ、壊れ、壊れゆく。
悲しさを知れ。虚しさを知れ。寂しさを知れ。
だが、もう遅い。……遅すぎた。


美味しい。おいしい。オイシイ。 後編

「1日レイシフト権をかけた激辛料理対決〜〜! どんどんぱふぱふ〜〜!!」

 

 清姫はブザーをやかましく鳴らし、盛大に決闘の開幕を盛り上げた。

 対決者はマスターとトリスタン。清姫の宣言通り、1日レイシフト権を争い、激辛料理を食べるという、ちょっとした催し物だ。

 外の世界から隔絶されたカルデア。言わずもがな娯楽とは程遠い施設で、レイシフトで様々な場所に飛び、満喫する時間を享受する。カルデアの限りある娯楽のうちのひとつだ。とはいっても査察官が来てレイシフトが停止されるまであと一年を切っているが。

 観客もある程度集まっており、開始前にもかかわらず、円卓'sとアーサー'sがそうそうトリスタンにヤジを飛ばしている。

 

「トリスタン卿、まさか貴様、マスター相手に容赦無く勝つなんてことはないだろうな!」

 

 ラムレイに騎乗したアーサーのひとりが、黒化した聖槍を高く振りかざしながら問い詰める。

 

「……ああ、私は悲しい。我が主に脅され、さらには同僚にさえ白い目で見られる有様。私はただ、ビーチでじょせ……ごほん、のんびりしたいだけなのに……」

 

 欲望がだだ漏れだ。

 リリィにジト目で見られ、トリスタンは萎縮する。

 やがて運ばれてきたのはラーメンだ。真っ赤な。それがいったい何かは鼻腔を貫くような匂いで全員がすぐに理解する。

 

「うわぁ……」

 

 マスターが嫌そうに上半身を逸らす。

 

「ダメですよマスター。頑張って食べてください」

 

 清姫はそんなマスターを顧みずにラーメンをドン! とマスターの前に置いた。

 マスターは再び匂いを嗅ぐそぶりを見せる。が、やはり嫌そうな顔をする。

 ふと隣を見てみると、トリスタンはとても涼しそうな顔だ。眉ひとつ動かさずに清姫の開始合図を待っている。

 

「トリスタン……私、負けられないの」

 

「ええ」

 

「オランダらへんのお花畑に行きたいの」

 

「ええ」

 

「どうせビーチには鼻の下伸ばしに行くだけなんでしょ」

 

「ええ。……いいえ違います」

 

 よし倒す。

 言質はとった。

 そんな卑しい理由でレイシフトしたがる男に慈悲はない。マスターには、マシュマシュとフォウとでお花畑で、マシュをマシュマシュしたり、フォウをフォウフォウしてきゃっきゃっうふふしたいという願望があるのだ。

 

「では……始めっ!」

 

 裸エプロンの清姫が開始合図を出す。

 瞬間、ふたりは箸を掴み、麺を挟むと勢いよくズズズッ、と啜った。マスターの顔が一瞬硬直するが、トリスタンはまるで普通のラーメンを食べているが如く余裕顔で食べる食べる。

 なにか不正でもしているのではないかと思われたが、トリスタンの額に流れる確かな汗がそれを否定する。

 なにくそっ! とマスターはそんなトリスタンに触発され、見栄をはろうと一気にラーメンを啜るが、すぐ辛そうに舌をペロリと出す。そしてコップに手を伸ばし、水を飲みのではなく、口に貯めてから飲み込む。

 

「おおっと、両者とも引けを譲りません! これは面白くなって来ました!」

 

 清姫が燃えて実況する。

 互いに残り半分といったところ。後半戦に突入する頃だが、もうすでにトリスタンに余裕はなかった。いつも通り目を瞑っているのかいないのなわからないくせに、よく観察すれば汗に紛れて涙が確認できる。対してマスターは一定のペースを保ったままだ。

 

「おや、マスター。そんなに食べ急いで大丈夫ですか?」

 

「それなら私に勝ちを譲る?」

 

「それはできませんね」

 

 円卓のプライドもなんとやら。

 マスターに挑発されたトリスタンが、水をがぶ飲みすると、さらに半分、つまり四分の一を平らげてしまった。

 

「トリスタンさん、なんという男気! 一気にラーメンを食べたーー!!」

 

 清姫の実況に、観客が湧く。

 あれほど辛そうなラーメンを一気に啜る様を見て、誰もが生唾を飲む。今頃きっと、彼の口内は煉獄のような暑さが常時運転されているだろう。

 全員がトリスタンに勝利の女神が微笑むかと思い始めた時、トリスタンに異変が起きた。

 水を飲んで、さあ次の一口と言ったところでふと彼の手が止まった。吹き出すように汗をかき始め、数分そのまま硬直していると、突然椅子から立ち上がって猛ダッシュでトイレへと向かって行ったのだ。

 マスターの残りはまだトリスタン以上ある。トリスタンのように急いで食べようとしていないからか、水を飲む頻度も圧倒的に少ない。

 やがて、トリスタンとともにトイレに突入していたガウェインだけが戻ってきて、清姫に耳打ちする。

 

「えー、今ガウェインさんから情報が入りました。トリスタンさんは昨日、余裕ぶっこいて酒を大量飲酒したそうです。で、そのツケが回ってきたようで、棄権するようです」

 

 その瞬間、円卓'sとアーサー'sが大きくガッツポーズをきめる。

 

「というわけで、トリスタンさんの棄権により、マスターの勝利となります! さすが私の愛人! 惚れ直しましたっ!!」

 

 これにて無事、トリスタンの鼻の下伸ばす安寧は無に帰した。そして逆に、マスターの鼻の下伸ばす安寧は約束された。

 どちらにせよ、我欲丸出しの戦いだったのだ。

 マスターがマシュの方を見る。彼女はとても嬉しそうに手を振っていた。

 ただそれだけで、マスターには幸せだった。

 

 ◆

 

 また、誰か……いや、ナニカが嗤っていた。

 知っている。知っているとも。見ても見ぬふりなんてもうできない。バアルの憎悪がマスターに灼きつき、剥がすことはできなくなっている。

 これを色で表現するならば……そう、黒と緋と紫といったところか。それらがぐちゃぐちゃに混ざっている……訳ではなくて、油と水のように、混ざり合うことのない絶妙な具合だ。

 マスターはただ椅子に座り続けていた。儀式を行うでもなく、手首を傷つけるでもなく、本当に、ただ椅子に座り続けていた。

 やる気が起きない。だが、いざとなると自分で自分を見失いそうなほどやる気に満ち溢れる。

 身体が動くのだ。ならば動け。

 そんな感じだ。

 かれこれどれだけ長い間こうしていたかはわからない。何時間もこうしていたかもしれないし、逆にたった数分程度かもしれない。

 どうなんだろう、と思って時計を確認したら、10分ほどしか経っておらず、そんなものか、と椅子から立った。

 喉が痛い。ずっと無意識に口で呼吸をしていたからか。のど飴か水が欲しい。

 マスターは早速食堂の冷蔵庫に向かうことにした。アイス系があれば大勝利だ。

 

 真夜中だ。

 ジャックらへんはもう寝た頃だろうか。なんて考えながら鉛のように重い足を動かして通路を歩く。

 予想通り通路に人は少なく、せいぜいロビンフットやメディアにあった程度だ。

 そしてようやく食堂に着いた。やはり誰もおらず、静寂という名の暗闇が広がっている。

 最低限の照明を点けて冷蔵庫へ。

 喉が砂漠のようにカラカラだ。唇が乾燥していたので、舌で舐める。

 水を一杯。……美味しい。しかしまだ足りないと二杯三杯と飲んで、五杯目で喉が潤った。

 さあお目当のアイスはどこだ。冷蔵庫を漁ろうとしたその時。

 

「マスター」

 

「きゃっ⁉︎ え、あ、清姫⁉︎」

 

「はい、清姫です」

 

 ぬぅっ、と現れた清姫に、マスターはいたずらのバレた子供のように驚いて尻餅をついた。

 清姫に差し出された手を握って立ち上がる。ちなみに今の清姫は裸エプロンではない。夜にそんな格好だと完全に露出魔認定されてしまう。

 

「ぐ、偶然だね」

 

「いえ、必然ですマスター。なぜなら私はマスターを探していたのですから」

 

 これだからマスター好き好きトリオは。

 好ましく想ってくれるのはその限りではないのだが、なにせ愛が重い……。

 さらっと否定されたマスターは、気を取り直して口を開いた。

 

「で、どうしたの?」

 

「マスターに食べて欲しいものがあるのです。私の料理スキル、侮らないでくださいね?」

 

 そう言いながら清姫は懐から可愛らしくラッピングされたクッキーを取り出した。

 クッキーか、とマスターは内心少しだけ残念に思った。できれば口内の水分を持っていかれないようなものが嬉しかったが、それを言ってはあまりにも悪い。どうせさっき水をたくさん飲んだのだ。そこまで問題はない。

 清姫からクッキーを一枚もらい、かじる。意外にしっとりとした食感で、そのまま一枚食べきった。

 

「どう……でした?」

 

 清姫が心配そうにマスターに尋ねる。

 彼女の料理スキルはあのエミヤ氏も高く評価するほどだ。ならば何も恐れる必要はないというのに。

 

「うーん、美味い! これはチョコかな? もー大好きだよー」

 

 オムライスの時と同じような笑顔だ。

 だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そうですか。それは残念です」

 

 だが、清姫の反応はマスターの予想と全く違った。清姫はクッキーの入った袋を調理台に乱雑に投げ置くと、マスターに詰め寄った。

 突然の清姫の強気に、マスターは驚いて何もできなかった。そしてついに壁際まで迫られ、ドン、と清姫に手をマスターの背後の壁につく。

 完全にマスターの後手だ。清姫の意図がわからず、ジッと彼女の目を見つめることしかできなかった。

 

「マスター」

 

「は、はい」

 

 滅多に見せない顔だ。怒っているのか泣いているのかわからないような顔だ。だが、激しくマスターに激情を抱いているのは確かだった。

 清姫がマスター胸ぐらを掴む。

 さらに互いの顔が急接近する。

 清姫の目尻に涙がほんの少し溜まっているのが見えた。

 

「マスター……マスターには味覚が無いのではありませんか……?」

 

「ーーーー」

 

 先ほどまで道化じみていたマスターの表情が固まった。

 

「マスターが今食べたクッキーは、砂糖ではなく塩を使いました。激辛料理のラーメンだって匂いこそそっくりなものの、マスターのものには辛いものは一切使っていません。さらに昼食に食べたオムライス、あれは私のミスですが、辛さを通り越した料理でした。……気づいてましたか? マスター?」

 

「ーーーー」

 

 マスターは何も言わない。

 ただ清姫を見て、次を待っているかのようだった。

 ……カルデアには娯楽は限られている。レイシフトを含めてせいぜい片手で数えられる程度。その程度しかないのだ。その内のひとつに食事は文句なしに属する。

 最も身近で、かつ多彩に堪能できるものといえば食事以外にないと断言できる。

 だがマスターには堪能するための必須道具が……味覚が、無い!

 果たしてこれ以上悲しいことがあるのだろうか!!

 

「どうしてマスターがそうなったのかは私にはわかりません。ですが、私が……清姫がここにいます! ダ・ヴィンチさんに相談しましょう。あのお方ならきっとなんとかしてくれます!!」

 

 しかし、マスターは何も言わない。

 ポロポロと大粒の涙を流しながら、清姫はなおもマスターに問い詰める。

 

「何が……何がマスターをそうさせたのですか? 私はここまで必死に料理スキルを磨きました……他でも無いマスターのために!! でも……でも、味わうことができないなんて、悲しすぎるじゃないですかぁ!!」

 

 力強く掴んでいた胸ぐらを弱々しく放し、とうとう清姫は声を押し殺して泣き始めた。そこにはサーヴァントではない、普通の恋する乙女がいた。

 味のない世界なんていったいどんな世界なのだろう。食事をとる、という行為は本当に『食事をとる』だけの行為に成り下がってしまう。なぜなら味がしないのだから。

 実際に食べる時なんて、どのような感覚なのか、考えるだけでも恐ろしい。それなら、点滴で栄養を与えるほうがよっぽど優しい『食事』だ。

 いったいいつからだ。いつからそうなってしまった。最近? それとも一週間ほど前? それともひと月ほど前? まさかもっと前、始めの頃から……?

 違う。それについて予想することは今すべきことではない。今すべきことは……。

 

 袖で涙を拭い、清姫はキリッとマスターに向き直った。

 まだマスターは動じる気配を欠片も見せない。その様子はフリーズしたパソコンのようだが、目だけは清姫を確かに見ていた。

 

「……マスターはひとりではありません。私たち……たくさんの仲間がいます。どうか、私たちを頼ってください。全力で力になります。ーーだからっ!」

 

 泣き腫らした目だが、強い意志がこもっている。

 マスターを救いたい。その一心で清姫は手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーやめて」

 

 ……ぱんっ、と手がはらわれた。

 

「……え」

 

 決して痛くないはずのマスターのはらう手が、なぜかとてつもなく痛く感じた。

 清姫はマスターを見上げた。

 それは赤の他人を見るような目。完全なる無関心。そして絶対の拒絶だった。

 向けられた想いは何だろう?

 

「ます、たー?」

 

 言葉をゆっくり思い出すように文字を紡ぐ。

 非常に冷たく、暗く。そんな印象を清姫は感じた。

 次に何を言われるのかが途端に怖くなった。ここで初めて、清姫はマスターから離れたいと心から思った。内に秘める『ナニカ』が、ある種のパンドラの箱のように感じられた。

 果たして何を内に隠し持っているのか、興味でなく、激しいほどの知りたくない、が清姫の頭を一瞬で埋め尽くした。

 マスターが手を差し伸べる。

 何をされるのかがわからず、怖くて、思わず身を縮こませてしまう。

 

「はい、立って立って」

 

 しかし、恐る恐る見上げると、マスターはいつも通りだ。いつの間にか、いつも通りだ。いつの間にか。

 マスターに手を優しく掴まれ、ぐいっと立たされる。

 

「大丈夫だよ清姫。心配してくれてありがとう。別に死ぬわけじゃないんだから何も問題ないよ。明日はマシュとフォウとイチャイチャしに行かなきゃならないから、今日はもう寝るね。……おやすみ、清姫」

 

 そう言い残し、マスターはいつも通りの歩き方で食堂を出て行った。

 

「あ、え、いや、マ、マスター! 待って……待ってください……!」

 

 追いかけようとしても思うように足が動かず、咄嗟に手を伸ばすも届くはずもなく、マスターの姿は、とうとう真夜中の暗闇に消えてしまった。

 明日になれば、あのマスターのことだ、何事もなかったように清姫に接してくるのだろう。だって変に勘繰られたくないから。

 願うことも、祈ることも許されない。

 サーヴァントといえど、元はマスターと何も変わらない人間だ。恋い焦がれる乙女にはこの障害を超えることはできない。よくある脳内お花畑の少女漫画では、都合良く解決の糸口が現れ、そこから好展開の連続なのだろう。障害が大きければ大きいほど乗り越えた時の爽快感は極大なものになるのだろう。だがそれは作り物の話でしかない。そんな幸せな恋愛物語など、ない。ないのだ。

 そして少女は薄々直感してしまう。

 

 ーー少女の力ではもう、愛する人を救うことはできない、と。

 




……例え救えなくとも、マスターの隣に立つことはできる。
この少女をどう思うのか。それはそれぞれ次第です。



い つ も の。
ネタが尽きました。何か面白そうなのがあれば是非教えてください。燃えたら書きます。
あと、ゲーティア戦がいいというのなら、この『盾の少女の手記』は完結として、新しく投稿するつもりです。
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