団扇巡の最も長い一日の始まり
母さんの陣痛の知らせを聞いた俺は、急ぎ新幹線にのり長野へと向かう。
新しい家族の誕生という事実に、心が浮ついて仕方がない。
だが、母さんは現在36歳。高齢出産となる。その点を不安視してそろそろ入院させようかという話だったのだが...
そんなタイミングで陣痛が来るとかちょっと運命の神様がいるのなら抗議したいところだ。
駄目だ、考えれば考えるほど不安になる。
「よし、なんで居るのかわからない後輩に連絡しよう。あいつなら詳しい事しっているだろ。」
そう思い、電話番号からメッセージを送る。すると後輩からはSNSのIDが届いた。こっちで連絡しろという事だろう。
『今大丈夫か?』
『はい。今は分娩第1期という子宮が広がるのを待つ段階だそうです。私は鍵を貸してもらって、お母さんと一緒に入院の準備をしているところです。』
『そうか、ありがとう。』
『いえ、私はお手伝いしかできていませんから。』
『ところで疑問なんだが、なんで後輩が母さんとそんな親しい感じになってるんだ?』
『いつかのお返しにいろいろお手伝いをさせて貰ってたんです。善子さん妊婦さんですし。』
いつかとは、後輩のインサートの洗脳が解けた時だろう。記憶喪失で住所の分からなかった後輩はうずまきさんの家に泊まったのだとか。
『うずまきさんの家事スキル的に、辛かったろ。すまんな。』
『...確かに、大人になってもあれほど出来ない人を見るのは初めてでした。ヒカルくんの方がまだ頼りになりましたから。』
『うん、ほんとすまん。』
ヒーローとしては満点だが、家庭人としては赤点も良いところなのだうずまきさんは。よく前の奥さんが亡くなってからヒカルを育てられたものだと感心するほどである。
『それでは、私はこれから母さんの車で病院に向かいます。』
『わかった。俺が着くまで母さんの事頼む。」
『はい、任せてください。』
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電車を乗り換えて十数分。ようやくたどりついた、長野県立総合医療センター。ここが母さんの通院している病院である。
受付をすませて病室へと急ぐ。何処か寒い気がする、冷房が効いているのだろうか。
そんな時に、ちょっとした事件は起こった。
「痛っ」
病室に向かう道中で触ったエレベーターの手すりに何か尖ったモノがくっ付いていたようだ。ガラスの破片か何かだろうか...
「こういう時掌仙術できると便利だよな、絆創膏節約的に。」
自分の血を目印に、のりか何かでくっ付けられていた破片を慎重に取る。どうやら、割れて小さくなったガラスのようだった。
「面倒なイタズラを...」
他にも仕掛けられていないかを入念にチェックしてからエレベーターを出る。警備員さんに後で報告しようと、コートの内ポケットに入れてあった証拠保存用ビニール袋に入れておく。
今は警備責任者の業務時間外、そんな時にこんな面倒な話をされてもアレだろう。幸いにも急を要する話ではないのだから。
「あ、先輩。こっちです。」
「兄ちゃん!」
「ヒカル、病院では静かにな。後輩、うずまきさんとお前のお袋さんは?」
「今中で陣痛の痛みを抑えるマッサージしています。私とヒカルくんは邪魔にならないように外で待っている感じです。」
「そうか...ヒカルを頼む。俺も中に入ってマッサージ手伝うわ。」
「善子さんをよろしくお願いします。」
「ああ、任された。」
そう言って病室の中へと入る。中ではうずまきさんと後輩のお母さんらしき人が交代で足のツボを押していた。日頃ヒーローとして鍛えているうずまきさんも慣れない作業で辛そうだ。
そして何より、母の痛みを堪える声が周囲の皆の心を揺さぶっている。その痛みの幾分かでも分けてもらえたらとは皆が思う事だということろう。
「代わります。」
「巡くん、来てくれたんだ。」
「あなたが団扇巡くん...あの件では本当に娘がお世話になりました。」
「いえいえ、
そうして見る二人には、指に絆創膏が貼られていた。2人して中指に貼っているので少し気になったのだ。
だが今はそれよりも母さんの事だ。掌仙術は傷を治癒能力の活性化で治す技なので陣痛のような体の機能としての痛みを止める術は無い。ここは素直にマッサージをしよう。ツボの場所は先程うずまきさん達がやっているのを見たので問題はない。
2人ローテが3人ローテになれば少しは楽になるだろう。今はまだ第一次分娩、妊娠の序盤も序盤なのだから、助産師さん達に全てを任せるその時までしっかりと気合を入れていこう。
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あれから数時間が経ち、日付は10月1日へと変わっていった。お医者さんの話だと、この子宮の開き具合だと早朝に個性を使った個性分娩が可能であるとの事だ。なんでもこの病院には触れた物を柔らかくする個性を持つ
なんでもあの難関で有名な個性使用資格免許を持つここの産婦人科のエースらしい。頼もしい限りだ。
3人でローテーションしてマッサージを回している中、一旦後輩とヒカルには家に帰そうかという話になったが、ヒカルが断固として譲らなかった。出来ることは無くても、側にいる事だけはやめたく無いのだと。
それは後輩も同じようで、ヒカルの面倒を見ながらしっかりと見ると言って聞かなかった。
最終的には母さんの「しっかり、見て、いて。」という一言で2人は病室で立ち会う事となった。母さんも痛みで心細いのだろう。
それとも、いずれ誰かの子を産むことになる後輩の為に何かを見せたいのだろうか。どちらもありそうだ。
「皆さん、不安にならないでください。陣痛のタイミングこそ予想外でしたが、それ以外は順調にお産は進んでいます。もしかしたら自然分娩でも大丈夫かもしれないくらいに。だから...」
「もっと笑顔でいていいんです!新しい命の誕生は本来喜ばしいものなんですから!」
その言葉に、皆不安で顔が取り繕えていなかった事に気付かされた。
「ですね、笑いましょう新しい命の誕生を祈って!」
その時の俺たちは、この誕生が喜ばしいものであるとばかり信じていた。
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それから数時間経ち、現在時刻は午前5時前となった。徹夜で見ているヒカルは少し眠そうになっている。
そんな中、インパクトのありすぎる姿の異形型がドアを開いて現れた。白衣を纏った触手である。なんかうねうねしてる多腕?型の異形だった。スカートを履いているから恐らく女性なのだろう。それでも見た目の赤黒さはR-18ビデオゲームで出てきそうな姿であるのは間違いない。
だがその見た目に反し、その声は非常に澄んだ綺麗なものだった。
「触手、ただ今到着デース!うずまきさんの容態はどうデスか!」
「安定しているよ、今10センチいったところ。」
「Oh!頑張ってるママさんデスねー!高齢出産の不安はなんのそのデス!でも辛そうなのでちょっと楽になるように処置をしマース。怖くないデスからねー。」
そう言って触手さんは何やら一本の腕を細くして、母さんの中へと入れていった。子宮口やその周辺を柔らかくして痛みを和らげる処方なのだそうだ。
だが絵面的にアレなので流石にヒカルの目は隠した。我ながらファインプレイだと思う。
「処置完了デス!どうデスか?」
「ハァ、ハァ、大分、楽に、なりました...」
「それなら良かったデース!さ、そろそろ分娩室に移動シマース。御一同、フォロミー!」
触手さん達はさらっと母さんをベッドからストレッチャーに載せ替えて移動させていった。
丁寧に運ばれていく母さん。その後ろをついていく。
先ほどの処置が効いたのか、母さんの声は幾分か楽そうだ。これなら安心して出産を見ていられる。
「さぁ、ここからが正念場デース!心の準備はオーケー?」
「は、いッ!」
「善子をお願いします!」
「まっかせてくだサーイ!」
そう言って触手さん達は出産の準備に取り掛かった。
自分たちは邪魔にならないように分娩室の隅に行く。
「痛っ」
「どうしたヒカル?」
「なんでもない、大丈夫。」
その言葉が何故かやけに耳に残った。後にして思えば、それがこの一日を手遅れにする前に行動できた最後のチャンスなのだという俺の思考の最後の警告だったのだろう。
そんな事に気付けない俺を尻目に、ゆっくりと、しかし順調に出産は進んでいった。
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10月1日、午後5時43分。その命は産まれた!
「おぎゃあ、おぎゃあ!」
その声と共に、皆の緊張は一気に解けて消えた。
「産まれた...赤ちゃん...ッ!」
「よく頑張った、頑張ったな!善子!」
「これが...命を産むという事...」
「僕の、妹ッ!」
「俺の...新しい家族...ッ!」
へその緒を切断し、産湯に付けて洗い流された赤子を見て、皆が笑う。
「よく頑張りましたネ!ママさん!御一同!これがあなたたちの新しい家族デース!でもまだ油断は禁物デス、これから胎盤を出す後陣痛が始まるのデスから!」
そうして産まれた赤子を、うずまきさんが抱き、それを俺に渡してきた。
「僕の娘で、君の妹だ。」
「...はい。」
恐る恐るその小さな体を受け取り抱きしめる。暖かい、命の暖かさだ。
「こんなに小さいのに、生きてる。...信じられない。」
「巡、だって、産まれた、時は、こうだった、のよ。」
「兄ちゃん、僕も!」
「あの!私もお願いできるでしょうか!」
「こら祈里、興味があるのもわかるけれど、今は家族の時間よ。」
そんな和気藹々とした空気の中、違和感を覚えた。
先ほどまで暖かかった妹の体温が、僅かに冷たくなっているという事に。
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「こういう時は、『さぁ、ショータイムだ』って言うのかなー。」
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「先生!この子の体温が下がってます!」
「ちょっと借りマース。...本当です、とりあえず保育器に入れま...しょう...」
「触手さん?」
「不味いデス、私も寒くなってきてマス。空調何度デスか?」
「27℃です。ですが私も寒気がしてきました。」
「この病室内で寒気を感じていない人は?」
手を挙げたのは俺と後輩の2人だけ。ヒカルなどもう既に唇を青くしている。尋常な様子ではない。
「何か不味い事が起こってますネ。分娩室での集団感染?...何にせよまずは赤ちゃんとママさん、次に子供さんデス。」
「待ってください。何か個性由来の現象ならば俺の目で!」
そうして、写輪眼を起動させる。
そして見えたのは、分娩室いっぱいに満たされたあの時の毒の色。幕張十色を殺したあの検出できない毒だった。
「致死性の毒です!全員、この部屋から離れろ!」
その声に反応したのは助産師さん達とうずまきさん。動けそうにないヒカルをうずまきさんが持ち上げ、助産師さん達が母さんの体を持ち上げ、ストレッチャーに乗せてこの部屋から脱出した。
だが、この毒は分娩室の外側にも広がっていた。
「メグル!何処に逃げればいい⁉︎」
「待ってください!」
周囲を見渡す。左右どちらにも毒は充満している。ならば上下はどうか。窓越しに見ている限りだと、上に行けば行くほどエネルギーの密度は濃くなっている。
「下です!毒がまかれてるのは恐らく上から!下に行くほど密度は低くなっています!可能ならば外に!」
「わかった、皆さん下に行きます!毒の影響の少ない方に行って時間を稼ぎましょう!メグル!」
「分かってます!今この場には俺以外行けるヒーローはいないって事は!」
「先輩、頑張って下さい!」
「待ってくだサイ。娘さん、このお嬢さんをお願いシマース!」
「え、触手さんは?」
「警備室行って事態を説明シマース。幸いにも私の体は温度変化に強いのデス。それで人手を揃えて他の患者の皆さんを助けるのが私のしなければならない事デス。」
「それなら僕が!」
「ノーですよ、旦那さん。あなたは今家族を守るのがお仕事デース。それじゃあ行動しますヨ!」
「はい!」
写輪眼で見えるエネルギー密度が濃い場所に向けて走り出す。だが確かめなくてはならない事が一つあるので影分身を置いておく。これで時間をかけずに確認ができる。
本体は屋上に向けて走っていく。その間に下へと走る皆をよく見て確認を取る。
毒がどうやって体に侵入しているかだ。
「毒が体内に侵入しているのはヒカルの左掌、うずまきさんと後輩のお母さんの中指、助産師さんの手袋の内側...後輩、お前はこの病院に来てから何か傷を負ったか?小さな奴でも。」
「いえ、私はありません。でもイタズラのせいでお母さんもうずまきさんも怪我してました。」
「...ヒカルの掌からは血が流れてる...決まりだ、毒の感染ルートは血液から、だから血を流すようにこの病院の至る所に刃が仕込まれていたんだ!」
「...成る程、それが理由かッ!計画的犯行に間違いないね!この規模だと無期懲役クラスだよ!」
「...皆さんを治療します。それで追加の毒は入ってこれない筈ですから。」
エレベーターを待つ間にヒカルから順番に傷を治療していった。
だがまだ解せない。母さんと妹が感染している事から狙い撃たれている可能性は高い。なら奴らはどうやって出産の時間を知ったのだ?
「まぁ、そのあたりは本人に聞けばいいか。」
全員の治療が終わった後で、影分身を解除する。
本体は、ちょうど開けっぴろげてある屋上のドアに差し掛かった頃だった。
「畜生、罠とわかってても踏み込まざるを得ないッ!」
早く
屋上のドアの前に差し掛かった時、何かが上から落ちてきて、自分に矢のような投げナイフを放ってきた。
だが、想定の範囲内だ。写輪眼には見えている。
そう思って回避しようとした時に、ぐらりと体の動きが鈍るのを感じた。
回避しきれない。故に取るのは防御だ。コートで投げナイフを全て受ける。防弾防刃コートの頑丈さは伊達ではない。
「何故、今になって寒気が?」
「それはデモンストレーションの為だよー。まぁ今の奇襲で終わらせたかったのはあるんだけど。」
上から落ちてきた20代程度の女性がそんなのんびりとした声で答えてきた。白衣を着て入館証を持っているので、この病院の勤務医かもしれない。
だが、この身体エネルギーの色は見間違えない。この女がこの病院に毒をまいている元凶だ。
「デモンストレーション?」
「そう。」
「私の子達は私の命令が無いと無害なの。でも今みたく潜伏させていた子を起動させる事もできる。逆に言えば...ってこれは分かるよね?」
「...起動範囲は?」
「測った事ないや、でも10キロくらい離れても起動はできたよー。」
恐ろしい。個性も、それを用いるコイツの精神性も。そして何より
「じゃあ本題。ヴィラン潰しくんには直接戦闘では勝てそうにないのでお願いがあります。」
「...何だ?」
「今この病院に入院してる患者さん達を殺されたくなかったら、死んで?」
純然たる狂気を持つ、コイツの目が。
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触手柔は病院内を疾走していた。数多の触手を壁に引っ掛けて引っ張る事でただ走るよりも数段と速く。この病院を守りたいと思う願いで自身に走る寒気を無視して。
だが、彼女には絶望的にまで場数がなかった。こんな早朝の病院にいるその青年を前にしても「危険だから逃げてくだサーイ!」と叫んでしまうまでに。
「...全く、これだからあいつの仕事は信用できない。まぁ今回は異形型故の耐性と見るべきか。」
「何言ってるんデス!今病院には毒がまかれてマース!速く逃げてくだサーイ!」
「ああ、逃げるとするよ。目撃者を始末してからゆっくりとね。」
触手柔は気付かなかった。この男が何処の部屋から出てきたのかを。
だからあっさりと先手を取られてしまった。まぁ最も、一人で警備室に来ると決めた時点で、先手を取って何かをしたとしてもこの結果が変わるとは限らないのだが。
男は両手を合わせ、背中から蓮のような花を咲かせた。
「ッ⁉︎体が、痺れて、動きま、セーン...」
「君のような良い人はなるべく死なないように誘導したつもりだったんだが、やはり奴らが絡むとうまくいかないな。」
そうして、男は触手が完全に動かなくなるまで待ってから消えるように姿を消した。
その後には、ただ警備室にたどり着けなかった触手柔という女性の姿だけが残った。
まだジャブです。