休日のデートプランについて語らっていた響と未来は、けれども教師によって――あるいは響の失態によって、その楽しみを奪われてしまう。
その災いの名は『提出し忘れた課題』
立花 響は真剣であった。
必ずや、この与えられた課題をやり遂げ、明日には提出してやらねばならない。
立花 響は真剣であった。
それは、何気ない――それこそ、いつも通りの平日。そして、いつも通りの帰り道のはずであった。
響と、その親友である小日向 未来は、いつもと変わらない様子で談笑しながら、帰り支度を済ませると、明日からの休日の予定を、あれでも無いこれでも無いと話し合っていた。
近所に出来たばかりのお店に行こうか。それともちょっと遠出をして、二人でのんびり散歩でもしようか。はたまた大型のショッピングモールで、新しい服でも選び合おうか。
そんな他愛も無い会話をしながら歩く二人の――正確には、響の目の前に立ちふさがる人物がいた。
「立花さんッ!」
「ひえッ! せ、先生!?」
その、恫喝とも言えるほどの迫力ある声に、思わず響は身を竦ませると、怯えた表情を浮かべて教師の顔色を窺う。
どうにもその顔は憤怒に充ちているらしく、響は「わたし、何かやっちゃいましたか?」と恐る恐る訊ねたものの、どうやらそれはまずかったらしい。火に油というやつだろう。
教師は目をカッと見開くと「先日出した課題、いつまで経っても出してないのはあなただけですよ!」と声を荒げて、他の生徒が提出したらしいその成果物を、響の鼻先へと突きつけた。
「か、課題? そんなのあったっけ、未来」
「あなた、この前聞いたら終わらせたって言ってたじゃない……」
引きつった笑顔で振り返る響に対し、然しもの未来とて呆れずにはおれなかった様子で大きなため息を吐く。
「あれ? そうだっけ?」と答える響を見るに、どうやら二人のやり取りの中にも行き違いがあったらしい――が、そんなものは良い訳にはならないだろう。
この様子では恐らく、教師からまたも雷が落ちるに違いない。そして、休日を目いっぱいに使ってでも課題をやり遂げ、週明けに必ず提出しろ。と言われるに違いない。
――となれば必然、未来もまたこの休日の予定を潰してまで、響の課題を見てやらねばならなくなることは、容易に予想のつくことであった。
斯くして未来の不安とも予想共言えるそれは的中し、二人は折角の休日――その殆どを、課題を消化するための時間として充てねばならなかったのである。
――故に、立花 響は真剣であった。
休日の部屋の中に、響の走らせるペンの音だけが聞こえている。
響は真剣そのもので、朝からずっと課題に掛かりっきりであった。
大好きなごはんもさっと済ませて、それから先は課題と一生懸命ににらめっこである。
もちろんそれは、早く終わらせて未来と共に休日を満喫したい。という意思の表れであり、未来自身もそれは言外に察していた事である。いや、課題に取り掛かる際に「絶対早く終わらせて、未来とデートをしてみせるからね!」と意気込んでいたのだから『言外』という言葉は相応しくないかもしれないが。
それにしても、随分と真剣な様子で課題ばかりに集中されることは、親友である未来にとって、随分と退屈な時間となっていた。
真剣とはいえ、普段はS.O.N.G.に関連する活動のために欠席も多く、予習や復習の時間を取れない響にとって、課題として出されたそれらは、本人には難解に感じる部分も少なくは無い。
そのため未来とて手放しで自分の用事を済ませることも出来ず、響から質問される度にあれやこれやを説明しなければならないため、集中して本を読む事さえ出来ないのである。
楽しみにしていた響との休日も台無しとなり、かといって一人で過ごすことも出来ず。隣で落ち着いて本を読むことも、集中の妨げにならないためにも映画や音楽さえも楽しめない。
まるで生殺しのようなこの状況に、未来としてもやはり、不満は募っている。
そう、小日向 未来は退屈であった。
そして、小日向 未来は不機嫌であった。
真剣に課題と向き合う響の眼差し。
集中しきったその表情は、未来の方へと目もくれず、テーブルの上へと視線を注がれている。
よもや、気付くはずもあるまい。
細くしなやかな未来の指先が、その無防備なわき腹を狙っていようとは――
――突如として突かれる脇腹。
そこから全身へと駆け巡る、甘くも切ないその感触。
突かれた部分が「きゅぅ」と収縮するような感覚と、耐え難いくすぐったさを覚えて、響は思わず言葉にし難い小さな悲鳴を上げる。
「な、なに?」
「んーん、なんでもない……」
つい今しがた突かれたばかりの脇腹を押さえながら、唐突な未来の行動を訊ねたものの、未来の方は平然と――僅かに不機嫌そうに、無表情のまま首を横に振る。
「なに? 何だったの?」と聞いても、未来の方は一向に取り合わないため、仕方なく響はもう一度課題へと向き合う――が、その考えていた内容がすっかり頭の中から飛び出してしまったことを自覚して、響は思わず「あー……なんだっけ」と頭を抱える。
それでも何とか答えを捻り出すと、再び響は山積みの課題へと没頭していく。
立花 響は真剣であった。
それ故に、その隣で再びむくれ顔をした未来のことなど、気付く由もなかった。
――指先が伸びる。
無防備な響の、その脇腹へ。
それは宛ら小さな蛇か何かのように、ゆっくりと――けれども的確に、響の脇腹の、他でも無い未来だからこそ、誰よりも良く知っているその『弱いところ』へと狙いを付けていく。
斯くして数分の後、またしても無防備となった脇腹を突かれて、響は再び言葉にし難い悲鳴を上げる事となる。
「もう、何なの未来……これじゃ課題に集中出来ないよぉ……」
執拗にその脇腹を狙われ、いい加減に集中力を切らした響は、その張本人たる未来に向かって泣き言の様に不満を吐く。
既にすっかりやる気は削がれ、まだまだ半分以上残された課題は、下手をすればこのまま手付かずのままになってしまうのではないか? と、己のことながらも響は半ば諦めを抱いていた。
「集中出来ないなら、ちょっと休んだ方が良いんじゃない?」
そんな響の気持ちを知ってか知らずか、未来は「つん」とした風で響に答えると、そっぽを向いて、指で髪先を弄んでいる。
そうして「だからそれは未来のせいで……」と反論する響を、じっと睨むように見据えると「ふん」と鼻を鳴らしてむくれてしまう。
こうまで来ると、さすがに鈍い響でも、その心情を察するには充分である。
課題にかまけて、大切な親友をほったらかしにしてしまった事を恥じると、課題のノートをパタンと閉じては、小さく未来の名を呼ぶ。
一度目の声に、未来は応えない。
怒っているのだろうか? と響は思わず不安になってしまうが、それでも一切応えてはくれそうにない。
二度目、少しだけ大きくした声に、未来はほんの少しだけ「ぴくり」と反応を示す。
けれど、こちらを向くことは無い。やはり、構ってあげなかったことを怒っているのだろう。と、響は自分の迂闊さを責め、事によっては未来に嫌われてしまうのではないか? とすら不安を抱く。
三度目、もはや悲しそうに鼻を鳴らす犬のような声と――そして表情で、もう一度「未来」と呼びかける。
もしもこれで応えてくれなかったら、わたしはどう未来に謝ろう? と泣きたい気持ちさえ抱く響へと、ようやくに未来は、嬉しそうにはにかんだ顔を向けた。
「ほら、おいで。響」
「んー……うん」
迎え入れるかのように広げられた両手の間に、縋るように響は納まる。
温かくも柔らかい未来のお腹の辺りへと、泣き出しそうな顔を隠すかのように埋めると、小さく「うーッ」と呻くように擦り付ける。
嫌われてしまったらどうしよう? 見捨てられてしまったらどうしよう? そんな気持ちが今更ながらに頭の中をぐるぐると回り、悲しくて、寂しくて、鼻の奥がツンとして。だからこそ、呼ばれたことが――迎え入れるように手を伸ばされたことが嬉しくて。
そんな響の動きがくすぐったくて、未来が思わず「ちょっと、響。くすぐったいよ」と笑うと、響もまた、泣きそうな事を誤魔化すように「さっきのお返し」と、顔を埋めてくぐもった声のままに、笑って答える。
その度に響の吐く息が、温かくってくすぐったくって、未来は思わず悶えずにはいられなかった。けれども響の方は、そんな未来のお腹の柔らかさ、温かさに甘えるようにしばらくそうして、顔を埋めるのであった。
「響は温かいね」
「未来が温かいんだよ」
二人、互いに互いの温もりを確かめ合うように、その吐息と鼓動とを、二人は感じ合う。
まるで、永遠にすら思える安らぎがそこには確かに存在していた。
ぼさぼさになってしまった響の髪を、未来は愛おしそうに解く。
その度に響は、嬉しいのか、心地よいのか、はたまたくすぐったいのか、未来のお腹に鼻先を擦り付けては互いに「ふふ」と笑い合うのだった。
――ふと、音が鳴る。
随分と大きな、音が鳴る。
聞き間違うことの無いそれは、紛れも無く空腹を告げる腹の虫だろう。
しかし、意外な事にそれは、食いしん坊の響の方では無く、響が顔を埋めていた未来のお腹から鳴っていた。
「……未来?」
「……ッ」
ようやくに顔を上げた響は、しばらくぶりに未来と目を合わせる。
未来はすっかり真っ赤になっており、自分でも驚くほどの大きさで鳴った音が、余程恥ずかしかったのだと窺わせる。
慌てふためくように響の顔を離すと、しどろもどろに誤魔化そうとするが、上手く言葉が出て来てはくれないようであった。
「あ、あのね、響……」
「お腹空いちゃったね、ごはんにしよっか」
そんな未来の気持ちを察し、響は笑い掛けた。
気付けば時計は昼過ぎを示している。空腹なのは響も同じであった。
響は起き上がり手を差し伸べる――が、未来の方は随分と恥ずかしかったらしい。
顔を背けながらもその手を取ると、半ば引っ張られるようにして、ようやくに立ち上がるのであった。
昼食を終え、響は課題へと――今度こそ、最後までやり遂げるべく、集中していた。
この様子であれば、きっと夜には課題も終わるだろう。
それならば明日には二人で出かけよう。
近所に出来たばかりのお店に行こうか。それともちょっと遠出をして、二人でのんびり散歩でもしようか。はたまた大型のショッピングモールで、新しい服でも選び合おうか。
未来は、ぼんやりとそう考えながら、時に響と課題を解いていく。
退屈には変わりなくとも、響の埋まっていた辺りがまだ温もりを残しているようで、そっとお腹の辺りを撫でながら、未来は響の横顔を覗き込む。
響の方はこちらへは一瞥もくれず、その横顔は真剣そのものである。
明日の二人の時間を取るために、一生懸命に課題と向き合い、頑張っているのだ。
――故に、小日向 未来は退屈であった。
けれども確かに幸福であった。
立花 響は真剣であった。