ちなみに、太郎は1918年時点で20歳です。
私の長い人生は、とても言葉では言い表せない。
ただ、一言申すことがあるとすれば……。
ひどく、退屈な人生であったということに尽きる。
なんといったって、このように老いぼれになりながらも、なおもあの世界に希望を抱く私は、今までの人生が退屈であったと心から思っていたということに違いないからである。
皇帝一家を救出し、白軍にて表彰され。
それ以後は神の声を聞くことすらなく、失意の中に埋もれながら、ロシアから本国へと帰還し、それから職を得るため、持ち前の戦闘能力を活かせればと日本陸軍へと所属することになった。
だが、そこから時代はどんどんと変遷していくこととなった。
皇帝一家を救出してから、10年ほど時が経ち、そこである出来事が起きることとなる。
白軍と赤軍の戦争の終結だ。
赤軍はウラル山脈を境に東へと追いやられ、白軍はウラル山脈より西を領土とすることになった。
そして、白軍は象徴上の国王としてロマノフ二世を即位させ、政治の中核は議会が握ることとなり、それから資本主義への道を突き進んでいくことになる。
対する赤軍は、エカテリンブルクを首都とし、徹底抗戦を決意したものの、度重なる戦闘で士気が低下することとなり、ひとまずは休戦し、力を蓄えた方が得策と考えたのか、赤軍は白軍と休戦することとなった。
西はロシア=モスクワ王国、東はソビエト社会主義連邦として。
されど、史実通り勃発した第二次世界大戦中、ロシア=モスクワ王国とソビエト社会主義連邦が連合軍や枢軸軍という枠組みでなく、独立した戦争として戦闘を開始。
されど、結局決着はつかず。
ロシアは現在でも二つの国に割れている。
一方、ロシア以外は普通通りに戦争を起こし、向こうの世界と何ら変わりない結果となった。
そして、私は太平洋戦争にて従軍し、運良く生き残り、普通に年を取り、今こうして縁側から丸い月を見ているのだ。
「92年か。良く生きたもんだ」
しわがれた声で、自分はそう呟く。
なんだろうか。至極眠たく感じる。
「あぁ。いい、月だ」
しわくちゃになった右手で、月に向かって真っ直ぐ手を伸ばしながら、静かに口角を上げる。
そして、自分は……まぶたを閉じ、小さく唇を動かし、唄を歌い始める。
「よーせい、なつがむねをしげきする、なまあしみらくるまーめーいどー」
これから9年後の曲。
まだ生まれてすらない曲。
ただ、それでも俺は。
未来に、賭けたかった。
『今日、ロシア=モスクワ王国のサンクトペテルブルク公であるアナスタシア様が来日しました。ロシア=モスクワ王国と日本の間の友好を深めるというのが今回来日した目的だそうです。それでは、次のニュースをーーー』
「ここで合ってるわよ、ね?あ、ここで結構よ。安心して。すぐ戻ってくるから」
老いてはいるものの、どこか可憐な花のような美しさをいまだに香らせる銀髪の老婆は、静かな手つきで、扉横の玄関チャイムを押す。
ぴんぽーん、と音がするものの、出てくる様子はない。 それから暫し時間を置き、また玄関チャイムを押すものの、『彼』の返事はなかった。
「留守かしら?」
そういって、アナスタシアは扉を見ると、小さく空いているのが見えた。
至極無礼と思いつつも、アナスタシアは日本建築特有の扉をがらがらと開き、靴を脱ぎ玄関の土間に靴を置いて、左側へと頭を向ける。
そこには、微笑みながら、静かに永眠している彼の姿があった。
「そ、んな」
当然と言えば当然である。
あれからもう72年も経っているのだ。だが、それでも。
「なんで。何でなのですか」
そういって、アナスタシアは彼の姿を目に入れる。
日本政府が隠蔽し、歴史の表舞台の上に最初からいないようにされた、アナスタシアだけでなく、ロマノフ王朝自体を救った名も無き英雄。
父である皇帝が彼のことを公言しようとしても、今日本国との関係を悪くするのは危険であると政府から固く禁じられ。そして今でもなお彼の名前を口に出すことすら、この世界では叶うことができない。
ただ、アナスタシアにとっては、彼がただ自らを救ってくれた恩人というわけでは、当然なかった。
『あなた方を助けに来ました。白軍所属の山田太郎と申します』
彼は、アナスタシアにとって、現サンクトペテルブルク公にとって。
「あなたは、私の、最初で、最後の、初恋の人でしたのに」
そういって、アナスタシアは静かに泣き崩れた。
恋が実ることはないであろうが、それでも初恋の人としての彼ではなく、英雄としての彼と最後に話したかったのだ。
だが、現実は残酷である。
恋は実ることなく、英雄だった彼は無惨にも孤独死した。
世界はとても。
とても、残酷だ。