携帯のアラームで目が覚めた。
もう朝が来たのか。
信じられないくらい寝ていたようだ。
携帯を手に取って、体を起こす。
頭も体も軽い。風邪はもう完全に治ったようだ。
しかし、熟睡できたのはいつぶりだろうか。
試験が近づくにつれて私は眠れなくなる。
今日勉強したところは覚えているだろうか。
明日勉強する予定だけれど、今やってしまった方がいいんじゃないか。
そんなことばかり考えて、ベッドから出て勉強して、そのまま力尽きてテーブルに突っ伏して眠る。
最近はずっとそんな生活だった。
風邪を引いてしまったのも当たり前なのかもしれない。
看病にまで来てもらって、弦巻さんにもあかりにも迷惑と心配をかけてしまった。
二人には今度お礼をしなければいけない。
携帯を見ると、二通メールが届いていた。
一通はあかりから。
今日も風邪が続いているなら、絶対に知らせてください。絶対ですよ?
そう書かれている。あかりが強い文体を扱うのは珍しい。
本当に心配をかけてしまったようだ。
もう治ったので安心してください、と返信する。
もう一通はずん子さんから。
風邪は大丈夫ですか?今日もし学校に来るならお弁当はいりません、私が準備してきますから。と書いてある。
心配をかけたのは二人だけではなかったようだ。
お礼をしなければいけない人がもう一人出来た。
有難うございますとメールに載せて送った。
「ま、まさか、ずんちゃんのお弁当がずんだ餅じゃないなんて……」
「私、和食は得意なんですよ?」
「う、うん、それは知ってるけれど」
お昼休みに3人で昼食を食べようと集まり、ずん子さんがお弁当を広げた途端に、弦巻さんが驚いた。
驚いた方と驚かれた方、どちらが悪いのか私には判断がつかない。
「私の分までお弁当、本当に有難うございます」
「いえいえ、本当は昨日食べて欲しかったのですけれど」
私の分と渡されたお弁当の中身はずん子さんのお弁当と同じ中身。
ご飯に梅干し、ネギ入り卵焼き、生姜とれんこんのきんぴら、鶏肉と人参のあっさり煮などが綺麗に盛り付けられていて、見ているだけでも楽しめる。
それに、それぞれが風邪にいいと聞く食材ばかりで、風邪を引いていた私への暖かな気遣いを感じられた。
鶏肉を口に運んでみる、うん、さっぱりしていて食べやすい。
……料理は作れるんだから、もう少しずんだ餅好きが抑えられれば妹も姉も喜ぶんだろうけれど。
「美味しいです。でも、いいんですか?」
「何がです?」
「私の体調は少しくらい悪い方がいいと言ってませんでしたっけ」
「私が風邪のゆかりさんに勝って喜ぶと思いますか?」
「……失礼しました」
そういう人だった。まだ私は調子が悪いらしい。
「学年首位争いは今回も激しそうだね」
弦巻さんがサンドイッチを頬張りながら呟いた。
「えぇ、そろそろ首位が恋しいですから」
「私は逃すつもりはありませんけれど」
「私も逃がす気はありませんよ」
ずん子さんは穏やかに笑っているように見える。
しかしその目は、二位続きの屈辱と首位への渇望が混じった鮮やかな金色だ。
負け続きを許容出来るような性格ではないことはよく知っている。
将棋をよく挑んでくる妹の性格は、姉の影響だろう。
「……私と住んでる世界が違うみたい」
「いえいえ、マキさんも同じ試験を受けるんですから、首位を取れるかもしれないですよ?」
絶対に取らせはしませんが。言葉の後にそう聞こえた気がした。
「い、いやー。私は20位以内が目標だから。そこまではいいかなー。うん」
「そういえば、今回は勉強頑張ってたと聞きましたよ」
「い、一応いつも試験前はやってたけどね」
「去年みたいに、『赤点取っちゃいそうだから助けてー』と聞かなかったですね」
「試験前の風物詩だったんですけどね」
「……いつも助けていただき本当感謝しています」
ずん子さんのからかいに私も乗っかる。
去年はともかく、今なら笑える冗談だ。
弦巻さんは『20位以内だったらプレゼントを贈り合う』と私と約束してから、別人のように勉強していた。
大好きなギターにもあまり触っていなかったようだ。
だからといって、順位が150位上がるとは思わないけれど、努力は無駄にはならない。
「よい結果がでると良いですね」
「うん、ずんちゃんも、ゆかりちゃんも頑張ってね。って、もうこんな時間。ご飯食べないと」
話しばかりしていて、昼食を食べ終えないまま思ったより時間が経っている。
私達は急いで食べ始めた。
第二学年一学期中間試験。
その日はやってきた。
「あーあー。緊張する。怖い。すごく怖い」
「落ち着いてください」
試験開始前の重圧に耐えられないのだろう。弦巻さんは私の席に来て焦って教科書をめくっている。
「ゆかりちゃんは緊張しないの?」
「……先生来ましたよ。早く席に戻らないと」
「あ、そうだね。ゆかりちゃん頑張ってね」
試験官の先生が着席し、張りつめた空気が教室を支配する。
弦巻さんに落ち着いてと言ったけれど、そもそも私が言える立場ではない。
私の方が緊張している。
呼吸が上手く出来ない。何度息を吸っても上手く肺が取り込んでくれない。
机の下に隠した手は震えているし、油断したら胃の中身が逆流してきそうだ。
原因は分かっている。
首位を守り続ける重圧は身体を潰すほどに大きいし、首位転落の恐怖が常に襲い掛かってくる。
勉強しても勉強しても、それを拭い去ることは出来なかった。
時計を見た先生が試験問題と答案用紙を配り始めた。
一番最後に私はその二つを受け取る。
首位を譲ってしまえば楽になれるのだろう。
その考えが頭に浮かばなかったわけではない。
けれど、私は首位を守るための勉強を続けた。
私を動かす理由はいくつかある。
ずん子さんとの首位争いが面白かったのもある。
弦巻さんに勉強を聞かれる立場として、自分を高めたかったのもある。
けれど、一番大きな理由はどちらでもない。
私はあかりに格好つけたい。
あかりにとっての「学年首位の格好良い姉貴分」でいたい。
それが私が勉強する理由だ。
他人に言ったら笑われるだろうか。馬鹿にされるだろうか。気色悪いと言われるだろうか。
どうでもいい。
もし負けてしまえば、私は私を支えてくれる柱を失う。
それは去年味わった。もう、二度と味わいたくはない。
「始め」
試験開始の号令がかかった。
試験問題を開き、そして心の中で自らを鼓舞する。
私は勝たなければならない。
格好良い私であるために。
届かなかった。
上位50位以内は、名前と点数が掲示板に張り出される。
その結果を見た私を、行き場のない無念さが包みこんだ。
後二問正解していれば、後五分時間があれば。そもそも勉強が足りなかったか。
後悔しても自責しても結果は変わらない。
どう発散させればいいのか分からない、黒い思いがどくどくと沸き上がる。
それが涙になって溢れてしまいそうなのを、私は必死に堪えた。
「……私、20位どころか、50位にも入ってなかったや」
私の隣でマキさんが残念そうにしているけれど、その表情は悔やむばかりの物ではない。
今回は無理だったけれど次に繋がるからいいと明るく思っているのだろう。
私はしばらくその考えは出来そうにないけれど。
「ところで、ずんちゃん、ゆかりちゃん知らない?」
「……きっと、図書室ですよ」
「見に行こうかな。まだ体調悪そうだったし」
「……私も行きます」
図書室の方に足を向けるマキさんに私も続く。
何度見ても結果は変わらないと頭では分かっている。
けれど諦めきれるものではない。
最後の一回と自分に言い聞かせて、もう一度掲示板を見る。
二位 東北ずん子 四九〇
一位 結月ゆかり 四九三
やはり、変わらなかった。
図書室の扉を開けて、中を見渡すけど、姿は見えない。
「うん?いなくない?」
「いえ、きっとあそこです」
きっといつもの場所だろう。
外からでは見えづらい位置にある、私とゆかりさんがよく一緒に勉強する場所。
そこに近づくと、やっぱりいた。
席で鞄を枕にし、静かな寝息を立てながら眠っている。
「……悪戯してもいいですかね?いいですよね。マジック持ってます?」
「い、今は止めてあげようよ。もう少しゆっくり寝かせてあげようよ」
寝顔を見ると、勢いのままに悪戯したくなった。
止められてしまったので、代わりに大きく息を吐いてその気持ちを収める。
……次の試験まで、その表情を許してあげましょう
その表情は、大体の人には無表情に見えるだろう。
けど、私にも、きっと弦巻さんにも、それは違うと分かる。
ゆかりさんは笑顔だった。
最後まで読んでいただき有難うございます。
今回も感想を書いてくださったり、評価を入れていただけたり、本当に有難うございます。
次回は外伝のようなものを書こうと思っているので、宜しければお願いします。