明日には私の仲間たちとの訓練が始まる。
そんな、ある意味小学生時代の遠足の前の日のような気分に浸っていた日の午後に、私と涼月は執務室に呼び出されました。
そこにいたのは提督と大城戸さんです。
ええ、私が呼び出されたのは練成訓練の打ち合わせをするためでした。
ですが、その内容を聞いて少しだけ罪悪感を感じました。
だって、練成訓練の第一段階は、ある意味では彼女へのイジメだったんですから。
~戦後回想録~
匿名希望の元艦娘へのインタビューより。
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明日からの訓練をウキウキしながら待っていた昼下がりに、矢矧たちと一緒に鎮守府旅行をしているはずの涼月がトイレを探して迷子になっていたので案内してあげてついでに談笑していたら、私たちを探していたと言う満潮教官に執務室に来るよう言われたので涼月と一緒に来てみたら……。
「手を抜け。ですか?」
「そう。明日の午後から行う予定の演習で、二人には手を抜いて欲しいんだよ」
と、お願いの体を装った命令をされました。
まあ、私の場合はわかります。
覇道砲も波動砲も演習で使うと相手の命を奪いかねませんし、窮奇が出てきたら演習の体を成しません。
でも、涼月の場合は?
「あの、大城戸中佐。私はどこまで…手加減すればよろしいですか?」
「これが難しいんだよねぇ。一応、大淀から涼月のことは聞いたんだけど……。ほら、あの子って説明がド下手じゃない?だからどの程度手加減させれば良いのかわかんないんだよ。円満は対空戦闘だけさせれば良いとか簡単に言ってるんだけど……」
と、涼月の問いに答えながら提督に呆れたような視線を大城戸さんは送りました。
大淀が説明上手なら、提督も大城戸さんもこれこれこうしろと言えるのでしょうが、得ている情報が曖昧だから判断がつかないのでしょう。
「いや、そのくらいしか言えなくない?だって大淀の話では、彼女って大淀と互角に戦えるらしいし」
「いえ、それは大袈裟すぎます提督。確かに姉妹の中では唯一大淀さんの訓練相手になれてましたが、それでも彼女には遠く及びません」
「ちなみに、どの程度できるの?」
「脚技は全種使えます。それに大淀式砲撃術もその一からその三までは使用可能です」
「お、思ってたより凄いわね」
確かに。
涼月の、と言うより秋月型の艤装で大淀式砲撃術を使うのは困難なはずなのに、窮奇ですら無理だと言ったその二の『斫り』どころかその一とその三まで使えるなんて……。いったいどうやってるんでしょ?
「それと、これは姉妹と大淀さんにしか話していないのですが、私は深海化が使えます」
「はぁ!?深海化まで使えるって……それ本当?」
「はい。たぶん、大淀さんが互角に戦えると仰ったのはその状態の私だと思います」
ふむふむ、深海化ですか。
恐らくですが、深海化とは艤装の核となっている深海棲艦の力を無理矢理引っ張り出して艤装に上乗せし、性能を高める裏技的なモノなのでしょう。
たぶん私もやろうと思えばできるのでしょうが、窮奇に全部持って行かれそうなので使う気にはなれませんね。
「じゃあ、今言った全ての使用を禁止します。深海化なんて特にね」
「了解しました。では、対空戦闘と普通の艦娘ができることのみで演習に挑みます」
「窮屈かもしれないけどお願いするわ。貴女たち二人が本気でやったらこの演習に意味がなくなっちゃうから」
ふむ、つまり提督と大城戸さんは、演習の勝敗云々は度外視で第一特務戦隊という艦隊自体の練度を高めようとしているのですね。
実際、勝つだけなら私が波動砲を撃つだけで終わってしまいますもの。
「それで演習相手なんだけど……。こんな感じのメンバーよ」
「…………波動砲、撃ち込んでいいですか?」
「ダメだって言ったでしょ」
「いやだって……」
「だってじゃない。流星群くらいなら許可するけど、ハドウ砲はどっちも絶対に撃っちゃダメよ」
いや、私が波動砲を撃ち込みたいと言ったのは演習相手ではなく提督です。
なんですかこの相手艦隊の編成は。数だけでも倍以上なのに横須賀の主力艦がてんこ盛りですよ?
この艦隊を相手に手加減して戦えなんて無理にもほどがありますし、こんな物量戦とも言える演習では艦隊の問題点を洗い出すのも難し……。
「あ、コレって半分は意地悪ですか?」
「意地悪は心外だなぁ。せめて難易度を高くしてるって言ってよ」
「そんな事を言うということは、提案したのは大城戸さんですね?」
「大正解。円満が言ってた通り頭は回るんだね」
当然です。
大城戸さんは私の事を頭の弱い子と思っていたようですが、私はけっしておバカではありませんから。
ここは私の株を上げるためにも、大城戸さんがそんな意地悪をしようと考えた理由を言い当ててあげましょう。
「やり方が大雑把過ぎる気はしますが、そうするのは
「凄いね。そこまでわかるんだ」
「べつに凄くはありません。消去法の結果ですよ」
心の中ではドヤってますけどね。
ですが、やはりそうでしたか。
私たち一特戦は、今時点ではただの烏合の衆に過ぎません。にも関わらず、初出撃の時に一応は艦隊として機能したのは彼女のおかげです。
ですが、現時点の彼女は一特戦の要であると同時に弱点でもある。
この演習の真の目的は、彼女が一特戦のキーマンであると艦隊員全てに自覚させること。
分かりづらくするのは彼女に悩み、試行錯誤する時間を与えるためでしょう。
「澪は何だかんだ言って甘いからねぇ」
「円満がそれ言う?この艦隊と演習させるって私が言ったときに一番反対したのって円満じゃない」
「いやぁ、それは備蓄資源的に……ね?」
「嘘おっしゃい。これじゃああの子が潰れちゃう!って言ってたじゃん」
あらあら、なんだか姉妹喧嘩みたいな空気になってきましたね。まるで大潮ちゃんと満潮教官を見ているような気分で……あ、そう言えば提督も大城戸さんも元艦娘でしたね。もしかして姉妹艦だったのかしら。
「でも、恵と比べたらマシでしょ?」
「あの子に辛い想いをさせるくらいなら解体してあげて。って言ってたもんなぁ……」
提督が溜息をつきながら口にした恵さんと言うと荒木さんの事ですか?
彼女もこの二人と元姉妹艦の仲だと仮定すると……。まるっきり八駆の三人の大人版と言った感じですから、この三人は元朝潮型だったりするのでしょうか。
うん、満潮教官が大城戸さんの事を澪姉さんと呼んでるところを見たことがあるのでたぶん間違いないです。
「恵は私たちの中で一番姉妹艦想いだもんね。アンタと一緒に解体されるときも「満潮ちゃんが寂しがるから一緒に解体しましょう!」とか言ってたし……」
「言ってたねぇ。それに、姉さんが戦死した時に一番泣いてたのも恵だった」
う……空気が重くなって来ました。
訓練に関する話も終わったようですし、ここはお二人で存分に思い出に浸ってもらうために退室しようかしら……。
「あの~提督、一つ質問してもよろしいですか?」
「え?ああごめん、何?涼月」
この子凄いですね。
さっきまでのしんみりした雰囲気など意に介さず、まるでぶち壊すように二人の会話に割って入りました。
もしかして天然なのでしょうか。
普段から場の空気を読んで発言することを心掛けている私には理解できませんが、訓練に関する事なら多少無理矢理でもお二人の会話を中断させる必要がありますので口は挟まないでおきましょう。
「『猫の目』にはどうやって戻れば良いのでしょうか」
「は?『猫の目』?ああ、そう言えば鎮守府旅行の途中だったのよね……って、あれ?」
「どうかされましたか?」
「いや、貴女って大和と一緒にいたんじゃないの?」
「いえ、大和さんにはお手洗いを探している最中に偶然会っただけです」
「ちょっと待って、戻れば良いのかって聞いたわよね?って事は貴女、『猫の目』からトイレを探して庁舎まで戻ってきたの!?」
「そう……なりますね」
『猫の目』から庁舎までけっこうな距離が有りませんでしたっけ?たしか歩いて3~40分はかかったと記憶してるんですが……。
それにトイレは『猫の目』にも、それこそ店の一番奥にありますから歩いても十数秒です。
一番近いトイレに行かず、3~40分も歩いて庁舎まで戻ったと言うことは……。
「涼月って方向音痴なんですか?」
「それは心外です。私は姉さんたちと違って方向感覚には自信があるんですよ?」
「でも、トイレを探して迷子になったあげくに庁舎まで戻っちゃったんですよね?」
「それは……その、はい……」
これは天は二物を与えないと言うヤツでしょうか。
涼月は大淀に迫るほどの戦闘力を秘めていながら、致命的とまで言えるほどの方向音痴なのですね。しかも自覚がないと言うオマケつき。
まさか、艦隊行動中にまで迷子になったりしませんよね?
「はぁ……。大和、悪いんだけど涼月を猫の目まで連れて行ってあげて」
「それは構いませんが……」
「あの距離を歩いたらお腹がすく?だったら私の名前でツケにしてもらいなさい。今度行ったときに払っとくから」
「了解しました。喜んで行かせてもらいます」
なんたる僥倖、なんたる棚ぼた。
正直面倒なので適当な理由をでっち上げて断るつもりだったのに、『猫の目』で好きなだけタダ食いしていいと言われたら断る理由はありません。
「では行きましょうか涼月」
「はい、よろしくお願いします」
私は若干眠そうな目をしている涼月の手を引いて「気をつけて行きなさいよ」と言う提督と「あれ?今あそこって大淀がいなかったっけ?」と言う大城戸さんの声を背に受けながら執務室を後にしました。
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横須賀鎮守府名物 看板トラップ。
その看板は、いつの頃からか(一説には開設当初から)横須賀鎮守府の倉庫街と呼ばれている地区のそこかしこに大量に設置され、最大で縦20cm、横50cmほどの大きさの板に女性、特に駆逐艦を狙ったものと思われる罵詈雑言が書かれているという。
誰が、何の目的で設置したかは不明だが、戦時中、横須賀所属の駆逐艦に多大な精神的被害を与え、中にはショックを受けすぎて解体を願い出た者までいた。
※以下、被害を受けた者の証言の一部を記載する※
私はアレを見てしばらく、カレーを見るだけで吐くようになったなぁ。
今でも作るだけで気分が悪くなるから、夫がカレーを食べたいって言ったら自分で作ってもらってるわ。
看板トラップ?ああ、アレかいな。今でも思い出す度に倉庫街をもう一回爆撃しとぉなるわ!
え?私は引っ掛かっていませんよ?引っかかりかけたことは……いえ!やっぱりありません!
信じる者は救われるって大嘘よね。少なくとも私は、信じて指示に従ったら大恥かいたわ。
アレのせいで、私はブラジルが嫌いになりました。
~艦娘型録~
鎮守府に関する用語集より抜粋。
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「インド人を右に。ですか?」
「はい。それに従って北に行こうとしたら初霜さんに止められました」
「いやいや、それで……」
どうして北へ?
涼月が言う『倉庫街、インド人を右に』の案内板は私も見たことがありますが、アレって今現在私たちの目の前にあるカレーショップ・ダルシムの壁一面に描かれているインド人の絵を正面に見ながら右と言う意味ですよね?実際、私とご主人さまはそれで倉庫街へ行けましたから間違いありません。
でも涼月が間違ったように、庁舎側からこちらに来ると左手にインド人が見え、そのまま右に曲がれば北に向かうようになります。
と、言うことはですよ?
北からでも倉庫街に行けると言うことではないでしょうか。
あ、それと、ツッコむべきなのでしょうけど面倒なのでツッコみませんが、涼月が北に行こうとしたら云々と言いながら指差したのは北ではなく東。庁舎がある方角であり、私たちが歩いて来た方向です。
「でも、北に行ったら何があるのか気にはなりますね」
「北と言うと……あっちですか?」
「そっちは西です。試しに北へ行ってみませんか?」
「それはかまいませんが……」
「では行ってみましょう」
私はそう言って、相も変わらずボケ~ッとした表情の涼月の手を引っ張って北へと針路を取りました。
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私の人生のワースト3に入るほどの悲劇が待っているとは思いもせずに。
ええ、『好奇心猫を殺す』という英国の諺の意味をあれ程思い知った日は他にありません。
あの時、興味など持たずに素直に『猫の目』に行っていれば私はお腹いっぱいご飯を食べられ、『ブラジル』の事も嫌いにならずに済んだのですから。
~戦後回想録~
匿名希望の元艦娘へのインタビューより。
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私と涼月が北へ向かって着いた先は、鎮守府を囲うコンクリートの外壁に沿うように東西に伸びる丁字路でした。
その壁際には花壇が道に沿って伸びており、そこには垣根などでも使われる車輪梅が青々と葉を広げています。
その垣根に隠されるようにあったのは……。
「大和さん。これはどういう意味なんでしょうか」
「どうもこうも……一応は案内板、だと思います」
その案内板にはこう書いてあります。
曰く『倉庫街←→ブラジル』と。
まあ倉庫街はわかります。方向的にも左に曲がれば倉庫街へと到れるでしょう。
ですがブラジルが謎すぎます!
指示に従って右に進んだ場合、辿り着けるのはブラジルではなく庁舎ですよ!?
「倉庫街…ブラジル……倉庫街……。ブラジル」
「ちょっ!ちょっと待ってください涼月!」
どうして少し迷った後に何かを確信したようにブラジルを選択したの!?涼月って思考も方向音痴なんですか!?
「だって……ブラジルですよ?」
「だからなんです!?涼月はブラジルに行きたいのですか!?」
もしかしてカーニバルが見たいのかしら。
でもね涼月、そっちに行ってもブラジルに通じるトンネルがあるわけじゃないんですよ?
そりゃあ私も一度くらいは生で見てみたいと思っていますが、どうしても見たいのならブラジルではなく浅草に行くのが時間的にもお財布的にも容易です。
「一度、参加してみたいと思ってたんです」
「いやそっち!?」
まさかの見る方じゃなくて踊る方!?
失礼だと思いますから口には出しませんが、とてもじゃないけどカーニバルに参加したいようなテンションには見えませんよ!?
「きっと、あっちにはブラジルに通じる穴があるんですよ。今の総理も、リオ五輪の時に土管に潜ってブラジルに行ったでしょう?」
「いやいや、アレは合成と言いますか……」
映像を使ったただの演出。
と続けようとしたところで『穴』という単語が私の脳内で妙に引っ掛かりました。
『穴』と言えば、一特戦の私と二特戦のアイオワさん、そして三特戦のジャービスちゃんの到達目標のあの『穴』が思い浮かびます。
「行ってみるのも有り。かもしれませんね」
異世界?平行世界?とにかくそう言った世界とこの世界を繋ぐ超常的な穴が確かに存在するのですから、日本とブラジルを繋ぐ穴があっても不思議ではありません。
いえ、むしろそちらの物理的な穴の方がはるかに存在する可能性が高い。
「行ってみましょう涼月。私もブラジルに行ってみたくなりました」
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看板トラップ?
ああ、アレは桜子さんの趣味……いや悪趣味よ。
何が目的で、誰をターゲットにしてたのかは今だにわかんないけど、桜子さんは暇さえあれば看板を作ってたわ。しかも、古い看板も定期的にアップデートされてたの。
中には精神的被害だけでなく、肉体的な被害に遭う正にトラップと呼べる物まであったわね。
私が識ってる限りだと……。
あ、アレだ。
桜子さんが長時間の食欲減退効果と、高カロリーかつ鼻血を噴きそうになるほどの滋養強壮効果を目指して開発した殺人ドリ……失礼。
栄養ドリンクの失敗作を最終地点に設置した『インド人・改』ね。
アレって、二枚目までは従来通りって話だけど、平成三年ごろに三枚目が改正されて、最後に四枚目が追加されたの。
でも、設置した桜子さん本人も「引っ掛かる奴は控え目に言って馬鹿ね」と言うくらい引っ掛かるのが有り得ない内容よ。
内容を聴かされた私も「お姉ちゃんならワンチャン……」って思った程度で、まともな人なら絶対に引っ掛からないと思ってた。
その口ぶりだと引っ掛かった人がいたのか?
ええ、いたわ。しかも二人も。
円満さんに命じられたお使いが終わって、四駆の子達と一緒に酒保で買い物をした帰りに見たから間違いないわ。
そう、青木さんも写真を撮りまくってたでしょ?
アレを、桜子さんが作った毒物と紙一重のドリンクを飲んで真っ黒になった大和を。
~戦後回想録~
元駆逐艦 満潮へのインタビューより。
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「『ここまで辿り着いた識者( )は14へ行け(平成三年改正)』?」
「大和さん、( )の中には何が入るのでしょうか」
「まったくわかりません」
それよりもわからないのは、庁舎が見える位置まで戻ってもブラジルに通じる穴が見当たらないこと。代わりに見つけたのが先ほど内容を声に出してしまった看板です。
『14に行け』と書いてありますので14とやらに行けば穴が在るのかもしれませんが……。
「14って何なのでしょう。涼月はわかりますか?」
「恐らくですが、私たちの右手に並んでいる物置の一番奥ではないでしょうか」
「あの『14』と書いてあるヤツですか」
私たちのから見て右手、そこには縦横奥行き共に2.5mほどの物置が庁舎の方に入り口を向けてお14棟並び、一番南側の物置の扉の上には『14』と記されています。
普通に考えれば『14へ行け』とはあの物置へ行け。ということなのでしょうが……。
「嫌な予感がします」
「でも、あそこに行けばブラジルに行けるかもしれませんよ?」
本当に行けるのでしょうか。
と、今更ながら疑問がぶり返して来ました。
だってよくよく考えれば、ブラジルへと通じる穴があるのなら噂話程度でも広まっていておかしくないのに、そんな噂は鎮守府に着任してからの一年余りで一度も聞いた事がありません。
それにあの『14』と書かれた物置を見ていると、これでもかと言うくらい嫌な予感が胸の内に膨らんでくるのです。
「何の変哲もない物置ですね。大和さん」
「ええ、『百人乗っても壊れない』を売り文句にしていそうなくらい何の変哲もない物置です」
涼月に促されるままに目の前まで来てみましたが、やはり穴があるとは思えません。
それに何か変な臭いがしてますし、中からは機械の駆動音が聴こえてきてます。
「開けてみましょう」
「や、やめませんか?涼月。なんだか嫌な予感が……」
「でも、この先はブラジルですよ?」
いや、涼月にはこの物置が青い狸型ロボットが持っている『何処までもドア』的な物に見えていて、扉の向こう側にはブラジルが広がっていると思っているのでしょうが有り得ないと思いますよ?
だってそんな便利な物があるのなら、私たち一特戦は危険な敵中突破などせずに『穴』に到れるのですから。
などと考えていた私に構わず、涼月は無表情でもワクワクしているとわかる手つきで物置の扉を開きました。
そこにあったのはブラジルではなく……。
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桜子さんが作った看板トラップの内、特に危険度が高い物には警報が仕掛けられてるの。
ええ、引っ掛かった子が看板トラップに則した特定の動作をしたら、奇兵隊の本部である『猫の目』でけたたましい警報が鳴るのよ。
あの日もそうだったわ。
あの日、大和が病院に緊急搬送された日も鳴ったんだと思う。
ええ、酒保からの買い物帰りに、天井がない軍用ジープに一特戦の残りのメンバーを山積みにした金髪さんがこれでもかと慌てて現場に向かってたもの。
それを見て、私も四駆の子達と現場に向かったわ。
桜子さんの看板トラップの中でもトップ3に入るほど危険度が高い、『インド人・改』の最終地点であるあの物置に。
~戦後回想録~
元駆逐艦 満潮へのインタビューより。
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「冷蔵庫……ですね」
「ええ、何処からどう見ても冷蔵庫です。でも……」
どうして物置の中に冷蔵庫が?しかも電気を通して稼働状態で?それに変な臭いもキツくなっています。
「開けます」
「待ってください涼月!この臭いはおかしいです!絶対にヤバい物が入ってますよ!」
「きっとブラジルのニオイですよ」
「ブラジルってこんな目と鼻が痛くなるほどの刺激臭がするんですか!?それってブラジルを馬鹿にしてますよね!?」
「心配しないで。私、必ず…戻ります」
すでに後戻りできないほど頭が逝っちゃってるように見えますが!?
と、私がツッコむよりも早く、涼月は冷蔵庫の扉を開けました。
ええ、案の定と言うか当然と言うか、その先にブラジルは広がっておらず、代わりに『飲んで良いよ♪』と書かれたラベルが貼られた真っ黒い液体を詰めたペットボトルが所狭しと詰め込まれていました。
あの……まさかとが思うのですが……。
「黒い液体……黒い汁……ブラック汁……。略して『ブラ
くっだらない!
口の出すのが……いや、出しちゃいましたけど、それが恥ずかしくなるくらいくっだらない!
誰ですかこんな馬鹿丸出しな駄洒落を考えたのは!
「これが…ブラジル……」
「ちょぉ!涼月!どうして飲もうとしてるんですか!?」
「え?だって、ブラジルですし、美味しそうな匂いがしてるじゃないですか」
「この臭いが美味しそうな匂い!?それ嗅覚が麻痺してません!?」
それにどんだけブラジルが好きなんですか。
これってきっと、ブラジルを捩っただけの劇物ですよ?なのに涼月はそれを飲むと?正気ですか!?
「良薬口に苦しとも言いますし、体に良い物は大抵不味そうな色をしてるんです」
「その理屈でいくと、世の中には体に悪い物がないと言うことになっちゃいません?」
「なりません。さあ、大和さんもご一緒に」
「はぁ!?私も飲むんですか!?」
冗談じゃありません!
こんな体に悪影響しか無さそうな黒くてドロッとしてて、さらに光の加減で虹色の模様が浮かぶような液体なんて飲みたくありません!たぶん、これに比べたら墨汁の方がよほど体に良いですよ!
「大和さんは戦艦なのに度胸がありませんね。わかりました。私だけ飲みます」
「ちょっと待ってください。それは聞き捨てなりません」
度胸がない?
戦艦の砲弾すら恐れずに真正面から受け止める私に対して、高が黒い液体を飲みたくないと言っただけで度胸がないと仰いますか。
(飲むなよよ大和。絶対に飲むなよ!)
「いえいえ、別に大和さんを侮辱したわけではありません。私は単に、こんなにも美味しそうな物を私だけで楽しむのは心苦しいから大和さんにも勧めただけです。だから飲まなくても良いですよ?私だけで飲みますから」
「そう言われては飲まないわけには参りません。先ずは私が先に飲みます」
(いや待て、そこまで言われたら私も黙っていられん。変われ大和!)
「無理をなさらず。私が先に飲みますので大和さんは後からゆっくりと味わってください」
「いいえ!私が先に飲みます!」
(いいや私だ!)
「いえいえ、やはり駆逐艦である私が先陣を」
「私が飲むったら飲むんです!」
「(どうぞどうぞ)」
ふぁ!?
私が地団駄を踏みつつ一際強く飲みます宣言をした途端に、窮奇と涼月が全く同じタイミングで全く同じセリフを言いました。
それになんだか、コレと似たようなシチュエーションをテレビか何かで見た覚えが……。
「あ、あれ?意外とすんなり引くのですね」
「旗艦である貴女を尊重しただけですよ。ささ、私に遠慮せずグググイーッと逝ってください」
なぁんか怪しい。
どうして涼月は、私が先に飲むと言った途端に手に取ったブラ汁を投げ捨てたんです?もしかして最初から飲む気などなく、私を嵌めようとしただけなんじゃ……。
「大和さんの、ちょっと良いとこ見てみてみたい。そ~れイッキ、イッキ、イッキ……。あれ?どうしました?」
「い、いやぁ~何と言いますか」
飲み辛い。と言うか怖い。
だって涼月は、無表情どころか殺意を瞳の奥の奥に隠したような瞳で私を見つめながら、しかも淡々と地声で『イッキ、イッキ、イッキ』って言ってたんですよ?
「こちらは好みじゃありませんでしたか?では……。はい。なーに持ってんの?なーに持ってんの?飲み足りないから持ってんの。ドドスコスコスコ。ドドスコスコスコ。ドドスコスコスコ。ヨッ!!ドドスコスコスコ。ドドスコスコスコ。ドドスコスコスコ。ヨッ!!ドドスコスコスコ。ドドスコスコスコ。ドドスコスコスコ。ヨッ!!」
文字数稼ぎはやめなさい!
と、自分でも訳がわからないツッコミを脳内で入れてまいましたが……。
この子怖い!
なんで『ドドスコスコスコ』までは淡々と地声なのに『ヨッ!!』の部分だけ近づきながら「早く飲めよ」と圧をかけるように元気よく言うのですか!?
「や、大和、逝きます!」
涼月の圧力に屈した私は、それから逃げるようにブラ汁を胃の中に流し込みました。
窮奇の「馬鹿め」と小馬鹿にしたような声を聞きながら。
ーーーーーーーーーー
アレほど不味い物は無い。
と、確信できるほど不味かったです。
ええ、この世の物とは思えない味でした。
でも、後に満潮教官から聞いたとおりの効果はありました。はい、強烈な食欲減退と過剰とも言える滋養強壮効果、さらに副作用と思われる肌の黒色化です。
アレを飲んでからの私は一週間不眠不休プラス食事無しで活動し続けましたから。
無駄に鎮守府を走り回ったりもしましたね。
いや、そうしないとムラムラし過ぎて同室の武蔵はおろか、目につく艦娘を片っ端から襲ってしまいそうになったんですもの!
むしろ、体力を消耗させてムラムラを必死に抑えていた私を褒めてもらいたいですよ!
え?どうして涼月は、私に対して憂さ晴らしのような真似をしたのか?
さあ?それはまったくわかりません。
でも、私がブラ汁を飲んで気絶する寸前に、涼月が泣きながら「ブラジル……」と呟いていましたので、涼月はブラジルに行けなかった鬱憤を私で晴らしたのかもしれませんね。
~戦後回想録~
匿名希望の元艦娘へのインタビューより。
主要キャラ人気投票
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朝潮(一部主役である二代目。大淀含む)
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神風(二部主役である初代。桜子さん含む)
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大和(影が薄い三部主役)
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紫印 円満(実質三部の主役?)