ワダツミからノルウェー海戦敗北の報が届いてから今日で六日目。
その前の五日間は配置等で慌ただしかったですが、敵艦隊がロッテルダムを通過したとの報告が入った今日は一転して朝から不自然な静けさを保っています。
「いよいよ……か。ねえ大淀、敵は今どのあたり?」
「侵攻速度的に、そろそろワール川の第五陣地が目視で確認する頃ですが……大丈夫ですか?叢雲さん」
「は?何がよ」
「何がよって……」
今現在私たちが乗っている、遊覧船を改造した移動司令部を始めとした各陣地が第一種戦闘配置に移行してからずっと震えているじゃないですか。
とてもじゃないですが大丈夫そうには見えません。
「ああこれ?これはアレよ。武者震いってやつよ」
「本当ですか?」
「本当よ。何?私の言うことが信じられないって言うの?」
「そういう訳では……」
ないのですが、腕や足が震えるだけでなく、唇が真っ青になるほど顔面蒼白になっていれば心配にもなります。
「ちょっと二人とも。少し緊張感が無さすぎるんじゃない?」
「あ、すみません。由良さん」
そんなに騒いでいたつもりはないのですが、それでも他の人からしたら騒がしかったらしく、代表して由良さんが注意しに来ました。
しかも両手を腰に当てて若干前屈みになり、私とは比べるのもバカらしいほどたわわに実った胸をブルンと震わせて、です。
「なんか、昔より大きくなってない?毎晩、あの左門みたいな人に叩かれてるから?」
「べつに毎晩叩かれている訳じゃありません!」
「叩かれてるのは否定しないんだ……」
なるほど。何故、叢雲さんが由良さんの胸が大きくなった理由を揉まれたではなく叩かれたからと断定したのかは謎ですが、揉まれるだけでなく叩かれても大きくなるんですね。大淀、勉強になりました。
「帰ったら叩いてもらいましょう」
「いや、何でそんな事を口走ったかはだいたい想像がつくけど声に出さないでくれない?」
「だって、どうせ表情から考えが読まれてしまうじゃないですか」
だから声に出したんです。
由良さんが叢雲さんに「朝潮だった頃よりお馬鹿になってない?」などと失礼極まりない事を訪ねていますが、これは色々な事を学習した結果なのです。
そう、つまり読まれるんなら読まれる前に言葉に出しちゃえと学習したんです!
「開き直っただけよね?ね?叢雲ちゃん」
「単に馬鹿に磨きがかかっただけじゃない?」
なんともあんまりな言い草ですね。
だって私の思考は駄々漏れなんですよ?
思考が読まれる度に驚くより、いっそ口に出した方が精神衛生上よろしいかと考えてそうしたんです。
おっと、どうせ今考えた事も二人には筒抜けなのでしょうね。
「それより由良さん。戦闘は久々でしょ?大丈夫なの?」
「勘は若干鈍っているかもしれないけど、それでも訓練は怠っていなかったから大丈夫よ。それに、あの人に良いところを見せたいし」
「相変わらずゾッコンみたいね。あの左門みたいなののどこが良いのかサッパリわかんないわ」
あれ?無視された?
は、まあ良いです。ちょっと寂しいですけど我慢しますよ。
ちなみに左門みたいな人こと少将さんは、私たち三人が居る船首の後方、移動司令部の上部、天井に設けられたお立ち台みたいな物の上で腕組みして仁王立ちしている桜子さんから少し下がった右斜め後方で休めの姿勢をして立っています。
その左には海坊主さんと金髪さんも同じ姿勢で立っています。
「あ、ねえ由良さん。一つ気になってたんだけど、どうして桜子さんが最高指揮官なの?少将さんの方が階級は上よね?」
「桜子さんだからじゃない?」
「あ~なるほど。桜子さんだからか」
気持ちはわかりますがそれで納得しないでください。
いえ、わかるんですよ?
少々常識外れのことでも「桜子さんだから」の一言で納得できる気持ちはわかるんです。
確かに桜子さんなら、我が儘に我が儘を重ねた末にトップに立つ。くらいは平気でしそうな人ですもの。
ですが今回は奇兵隊各隊の隊長や少将さん、さらには各国軍による推挙の上で最高指揮官に任命されたんです。
だから決して「人の下で働きたくない!」なんて我が儘を言ったからではありません。
「憂鬱じゃのぉ。こっちまで弾が飛んでこにゃええが」
「弾は保証出来かねますが、艦載機に関しては日進さんの頑張り次第ですよ?」
「アホ言うな。艦戦や水戦を飛ばせるのはわしと由良の嬢ちゃんとあきつ丸くらいじゃろうが。さすがに抑えきれんわい」
「艦載機で抑えきれないなら砲撃で撃ち落とせばいいじゃないですか」
と言ったら、日進さんどころか叢雲さんと由良さんからも呆れたような視線を向けられました。
ええ、ええ、どうせ私は短絡思考の脳筋ですよ。
「わしゃあ疲れる訳にはいかんから戦闘には直接参加せん。それはこっちに来るまでの輸送機の中で説明したじゃろうが」
「確かに聴きましたが……」
その理由までは聞かされていません。
まあ、その話を一緒に聴いていた桜子さんが文句を言っていないので問題はないのでしょう。
いえ、むしろそれが必要なのかもしれません。
「騒がしくなってきたのぉ。そろそろかや?」
「そうですね。恐らく……」
船内で慌ただしくしている奇兵隊員の様子を見るに、第五陣地が敵艦隊を黙視で確認したのでしょう。
「ほう、こりゃあ大したもんじゃ。正直見直したわい」
「何にですか?」
「桜子の嬢ちゃんじゃよ。わしゃあ普段の嬢ちゃんしか知らんから余計にでもそう思うんじゃろうが、今の嬢ちゃんなら叔父上が自慢したがるのもわかるわい」
日進さんがそう言いながら、桃さんから何やら耳打ちをされている桜子さんを見上げたので釣られて見てしまいましたが、私には日進さんが何に感心しているのかがわかりません。
だって桜子さんは普段と同じです。
傍若無人で厚顔無恥、悪逆非道を地で行って横行闊歩する悪女。ですが反面、包み隠して表に出さない心は正に大慈大悲で寛仁大度。意思の硬さは正に松柏之操。
小十郎さんに拾われてから培われ、鍛え上がった桜子さんの器は雄大豪壮に達し、将器どころか王器と呼んで差し支えないレベルです。
「小十郎さんが以前、酔った勢いでこう漏らしたことがあります」
「ほう?興味深い。叔父上は何と言ったんじゃ?」
「世が世なら、あいつは一国の王になっていただろうな。と」
本当に誇らしそうに仰いました。
私も同感です。
晩年にクーデターを起こされそうとか、崩御した途端に国が滅びそうとか考えましたが、それでも桜子さんに王足る資質があると私も思えました。
「もう嬢ちゃんとは呼べんのぉ。今の桜子になら、このわしですら従ってもええと思えてしまうわい」
「そうですね。私もです」
「ほう、叔父上がおるのにかや?」
「ええ。桜子さんは、私が小十郎さん以外で唯一従っても良いと思える人です」
桜子さんは人の強さも弱さも知ってる人。そして体現できる人。その桜子さんが、神風だった頃と同じ長さになった髪を掻き上げ、右耳につけたインカムを操作して一息つきました。
おそらくこれから、攻撃開始前の演説なりするのではないでしょうか。
「この場に集った死にたがりの馬鹿者共に先ずはこう言おうかしら。Happy Death anniversary. そしてようこそ。この世で最も盛大な葬儀場へ」
案の定でした。しかし初っ端からあまりにもあんまりな言い草ですね。
私は聞いてるだけの身ですが、聞いてるだけで各国の兵隊さんたちが文句を言わないかと心配になってしまいますよ。
しかも、Death anniversaryとは日本語で言うところの命日に相当する言葉。
集まった兵たちに命日おめでとうなんて言ったのは、世界広しと言えど桜子さんくらいなのではないでしょうか。
「アンタ達は開戦時に何を失った?財産?友人?親?兄弟?姉妹?恋人?それとも女房子供?まあどれでも良いわ。いずれにしてもアンタたちは何もできずに死に損ない、今の今まで生き恥を晒して来た負け犬どもに違いはない」
桜子さんがそこまで言い終えて一息ついたとき、周りが一瞬だけ殺気だったように感じました。
それはそうですよね。
負け犬呼ばわりされて穏やかでいられる人は稀です。しかも、当時のことを思い出させるようなことを言われてからなら尚更でしょう。
「でも今からは違う。アンタ達は再び機会を得た。そう!死ぬ機会よ!我が父は盟約通り、アンタ達に死に場所を用意した!」
何かが爆発したような気がしました。
戦う機会ではなく死ぬ機会。
そんな、平和ボケしている人では決して理解できない理不尽で非人道的な機会を与えられたのに、ここに集まっている人たちは絶望するどころか歓喜しているように感じます。
「嬉しいか死にたがり供。いいや、嬉しく思わない者は誰一人居ない。何故ならアンタ達は死ぬためにここに集った。アンタたちの無念を晴らし、人の身で深海棲艦を虐殺することができる我が父が到着するまでの時間を稼ぐ壁となるために集った自殺志願者供だ。今さら生に執着する者がいるはずがない!そうだろう!」
両岸を見渡しながら桜子さんが飛ばした激に、集まった人たちは地響きの如く靴音を鳴り響かせ、次いで「Yes!!ma'am!!!」と声高に叫んで応えました。
それを満足げな顔をして受け取った桜子さんは腰に下げていた刀を抜き、天高く掲げて深く息を吸い込みました。
きっと船内の逼迫した様子を感じ取って〆に入ろうとしているのでしょう。
「さあ、もうすぐ時間よ。長い時を待ちに待ち、屈辱の日々に堪えに堪え、心の底から望みに望んだ戦場がもうすぐやって来る」
さっきまでの激しい口調から一転して、桜子さんが憂いが隠ったような声音でそう言うと、最高潮に達していたんじゃないかと思えた両岸の熱気が収まりました。
いえ、収まったんじゃありませんね。
押さえつけている。全ての人たちが昂り、爆発寸前だった激情を押さえつけ、深海棲艦にぶつける許可を待っています。
「大淀の嬢ちゃんや、嬢ちゃんはアレも真似できるのかや?」
「無理です。私では役不足ですよ……」
台詞を真似することなら出来るでしょう。
所作を真似することも、口調を真似することも出来るでしょう。
でも私には、怯えていた叢雲さんをも震い立たせ、恐怖からの震えを武者震いに変えることはできません。
こんなにも大勢の人の気持ちを汲み取り、一片の迷いなく死地へと向かう覚悟をさせるような演説はできません。アレは死を心の底から怖れ、憎んでいる桜子さんにしかできないんです。
「死線を切り裂き、死出の山すら真正面から叩き潰す。それが桜子さんです。それが……」
紅い魔女。
いつの頃からか囁かれ始めた桜子さんの異名。
出会った者に理不尽な災厄をもたらし、人のみならず街にすら甚大な被害をもたらす歩く災害。
だけど、あの人を恐れる人はいても不思議と嫌っている人はいません。それが、桜子さんが魔女と呼ばれている由縁だと私は考えます。
カリスマ性とでも言えば良いのでしょうか。あの人には不思議な魅力があるんです。
どんなに横暴に振る舞っても「この人なら仕方ない」と何故か納得し、尻拭いにも積極的に参加してしまう。
あの人が何処かへ行こうとすれば一も二もなく着いていきたくなる。力を貸したくなる。
「また無茶振りしてきた」と呆れていても、胸の奥から「やってやろう」という気持ちが湧き出てくる。
桜子さんは、無自覚に人を魅了し従わせる魔性の女なんです。
「我が父、日本国防海軍元帥 暮石 小十郎の名代として神藤 桜子が命じる」
時間にして2分ほどでしょうか。
何かを待っていたのか、それともタイミングを計っていたのかはわかりなせんが、桜子さんが静かな、でもハッキリと通る声でそう切り出しました。
「存分に戦え。死力を尽くして闘え。そして死ね!各々の人生に、戦死と言う名の華を添えて死んで逝け!」
一瞬、声高に「死ね!」と叫んだ一瞬だけ、桜子さんの瞳が悲しげに歪みました。
そういうことですか。
あの二分足らずの沈黙は、桜子さんが覚悟を決めるために必要な時間だったのですね。
誰よりも死を嫌う桜子さんが、死ぬために集まったとは言え大勢の人に死ねと命ずるために必要な時間だったんです。
「全っ……!軍!攻撃開始!」
桜子さんが刀を真っ直ぐ、敵艦隊がいる方向へと振り下ろしてから下したその合図と共に、大地が吠えているんじゃないかと思えるほどの地響きと歓声が巻き起こりました。
それからほどなく、遥か北の方にある第五陣地から砲撃音が響いて来ました。
紅に染まった髪を風に靡かせた『紅い魔女』の言葉に煽動された五万に上る死兵たちが、各々の想いをぶつける音が武骨なメロディーを組み上げ、ライン川に流れ始めたんです。
主要キャラ人気投票
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朝潮(一部主役である二代目。大淀含む)
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神風(二部主役である初代。桜子さん含む)
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大和(影が薄い三部主役)
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紫印 円満(実質三部の主役?)