平和な日常。
今に至るまで、それがどんなモノなのか想像できませんでした。
だって私は、物心がつくかつかないかという頃に深海棲艦の襲撃によって孤児になりましたし、養成所に流れ着いてからは不出来な分勉強とトレーニングに明け暮れていましたからそんな事を考える余裕なんてありませんでした。
艦娘になってからもそうでした。
あの頃は日々の訓練と任務、そして親密な関係になってからは小十郎さんのお世話。
今からすれば非日常的な生活を送っていました。
そして戦争が終わり、平和な日常を手にしたはずなのですが……。
「昔とあまりかわりませんね」
「いやいや、達観してないで親父と桜子さんを止めてくださいよ」
「ガチ喧嘩しているあの二人をですか?無理です。角千代さんが止めてください」
「朝海さんが無理なのに自分に止められるわけないじゃないっすか……」
お義母さんと呼びなさい。
は、一先ず置いておきましょう。
今現在、横須賀鎮守府の近くに建てた新居の庭先、その縁側に座った私たちの目の前で繰り広げられているのは、先に言った通り小十郎さんと桜子さんのガチ喧嘩です。
まあガチとは言いましたが、抜き身の日本刀で手加減なしの桜子さんはともかく、小十郎さんは素手で相手をしているので正確にはガチじゃありませんね。
「ねえばぁば、ママとじぃじいつまでアレやるの?」
「さあ?動けなくなるまでじゃないでしょうか」
桜子さんが、ですけど。
まあそれはともかく、心得のある人からしたら唖然とするしかないほど高度な技の応酬も、子供である桜ちゃんからしたら退屈だったらしく私の愛しい坊やを膝の上で抱えたまま眠そうな顔をしています。
対して我が子は……。
あれ?瞳をキョロキョロと忙しなく動かしていますね。もしかして、二人の動きを目で追ってます?
「絶対にピンク!それ以外は絶対に認めないから!」
「却下だ!女は赤と昔から決まっとる!」
「なぁに古くさい事言ってんのよクソ親父!今は女が青とか背負うのも普通なのよ!?」
などと怒声を浴びせ合いながらも二人は喧嘩を続けています。
小十郎さんは私でさえ目で捕らえきれない神速の斬撃を紙一重で回避し、お返しとばかりに桜子さんの顔面目掛けて正拳を突き出しました。
対する桜子さんは首を後ろに倒してギリギリ正拳を避け、その勢いで小十郎さんと距離を開けました。
もう少ししたら元タシュケントこと
「ねえママ~。桜、赤でも良いよ?」
「ダメよ!赤とピンクじゃ全っ然色が違うんだから!買う以上は絶対に妥協しない!」
「一円も出す気がないくせに何言うちょる!桜も赤がええ言うちょんじゃけぇ赤にせぇ!」
「私が嫌なの!」
あ、ちなみにですが、二人の喧嘩の理由は今年の春から小学校に上がる桜ちゃんのランドセルの色を何色にするかです。
聴いての通り小十郎さんは赤、桜子さんはピンクを推しているのです。
「お父さんが赤を推すのってアレでしょ?ほら、そこらのスケベ親父がセーラー服とかに興奮するのと同じ感じでしょ!このロリコン!」
「ば、馬鹿かお前は!そんなわけあるかい!」
いや~どうでしょう。
聞いた話では、小十郎さんが子供の頃は男の子が黒、女の子が赤と決まっていたそうですから、その頃好きだった子が背負っていたのと同じ赤いランドセルを背負った桜ちゃんを見てみたいのかもしれません。
なので……。
「今度背負ってみましょう」
「ちょっと朝海さん、考えるだけならいいっすけど口に出さないでください。桜ちゃんだって聴いてるんすから」
「どうして桜ちゃんに聴かれたらダメなんですか?」
「いやだって、親父との夜の性活で使う気なんっしょ?」
「いえいえ、単純に一度背負ってみたいだけです」
そりゃあ、それで小十郎さんが興奮するなら背負うのもやぶさかではありませんが、私はランドセルを一度も背負った事がないので純粋に背負ってみたいんです。
艤装と似たような感じなのでしょうか。
「ねぇじぃじ~。桜ピンクが良い~。ピンク買って?」
「さ、桜はピンクがええんか?」
「うん、ピンクが良い!」
「そうかそうか、ピンクがええんか。じゃったらピンクにしよう。赤とか誰得なんじゃっちゅう感じじゃしのぉ」
なんという素早い手のひら返し。
桜子さんより小十郎さんの方が篭絡しやすいと考えたらしい桜ちゃんが満面の笑顔で「ピンクが良い!」と言った瞬間、手首にモーターでも内蔵しているのでは?と思える速度で態度が急変しました。顔とかデレッデレです。
デレッデレのまま、桜ちゃんと坊やを抱っこして角千代さんまで引っ張ってランドセルのカタログが置いてあるリビングに引っ込んでしまいました。
桜子さんは体力の限界だったのか、私の隣に腰をおろしてはあはあ言ってます。
「あのクソ親父……桜の一言であそこまで変わるか」
「最初から桜ちゃんに選ばせたら良かったのでは?」
「だってピンクが良かったんだもん」
「いやいや、桜ちゃんのランドセルですよね?」
「そうだけど……!私がその、子供の頃欲しかったから……」
あらあら、本音はそっちですか。
桜子さんって、たま~にこういう可愛らしい面を見せてくれることがあるから見てて飽きないんですよね。
「最近マンネリだから丁度いい刺激になると思ったのに……」
「は?今なんと?」
「あ……何でもない!それより!ターニャと大海さんはいつ戻って来るのよ!」
「駅で涼月と初霜……じゃないですね。
「え?あの子らも一緒に連れてくの?」
「はい。色々と予定に食い違いがあって香澄たちと一緒に行けなかったそうなので、急遽うちで連れて行く事になったんです」
「ふぅん……」
家族水入らずに余計なのが混ざってきた。って考えてそうですね。
まあ、旅館に着いたら部屋は別れるんだから良いか。とも考えてそうですが。
「早く温泉に入りたいなぁ。あ、温泉と言えば、朝海はどうする?」
「どうする。とは?」
「どうせなら一緒に入ろうよ!混浴もあるそうだからみんな一緒に!」
「一緒に入るのはやぶさかではありませんが、小十郎さんと角千代さんが何と言うか……」
だって私の裸を角千代さんに見られるのを小十郎さんは嫌がるかもしれません。いっそ水着を着るという手もなくはないですが……。いやいや!温泉で水着は邪道ですよね!身体とか洗えませんし!
だとすると、取るべき手段はタオルを巻くくらいしかありません。角千代さんの両目を潰すという手もありますが……。
どっちが良いでしょう。
「ねぇあなた~、ちょっと目ん玉えぐって良い~?」
「良いわけないっしょ!?何言ってんすか急に!」
おっと、桜子さんも同じことを考えていましたか。
なんだか複雑な気分です。いや、もしかして私の思考を読みました?
でもまあ、幸いにもあそこの温泉は濁り湯ですから、私が出入りする時だけ角千代さんの目を潰せばOKですよね。
「よし!じゃあそのプランでいこう!」
「どういうプランか知りませんが、桜子さんは水着でも着るんですか?」
「はぁ!?温泉で水着とか邪道でしょ!」
「でも、小十郎さんに裸を見られてしまいますよ?」
「あ……」
私のことばかり考えてて自分のことを考えてなかったんですね。もっとも、桜子さんもタオル巻いておけばけば平気ですし、万が一見られても小十郎さんならべつに良いや。とか考えてそうです。
「そう言えば辰見さんたちも行かれるんですよね?」
「うん、翔子さんが車出すって言ってた」
今だに鎮守府の職員や軍人を相手に『居酒屋 鳳翔』で商売をしている元鳳翔の
まあそんなですから、ペーパードライバーでオマケに運転ド下手な辰見さんと元長門さんこと
「はぁ……平和だなぁ……」
「さっきまで真剣を振り回していた人の台詞とは思えませんが?」
「あれはただのじゃれ合いだから良いの」
「いや、桜子さん本気だったじゃないですか」
「全然本気じゃなかったし」
嘘おっしゃい。
いくら大海姉さん達が戻ってきてから温泉旅館に行くとは言え、今時点で頭から水を被ったと思えるくらい汗でびっしょりじゃないですか。
それに小十郎さんも桜子さんも気にしていませんが、ここって住宅街ですからね?さっきの庭先での喧嘩も道から丸見えです。
さすがに近所の人は慣れたのか通報しなくなりましたが、引っ越ししてきた当初はお二人が喧嘩するたびに警察を呼ばれてたんですよ?
まあ、小十郎さんが現役の海軍元帥だと知ると顔を真っ青にして帰ってくださいましたが、おかげでこの家は町内会から危険区域に指定されてしまいましたよ。
「ねぇ、母さん」
「なんですか?改まって」
私が呆れ果てた目で見ていると、おもむろに桜子さんは寂しさすら感じさせる表情で空を見上げ、私を母さんと呼びました。
たしか終戦宣言が発布された年くらいだったでしょうか。
小十郎さんにも言いにくい話を私にする時は『母さん』と呼ぶようになりました。
最初は拾い食いでもしてお腹を壊したのかとも思いましたが、桜子さんなりにこれからの日常生活を考えて悩みを打ち明ける時だけでも私のことを母さんと呼ぶことにしたのでしょうね。
「今、充実してる?」
「してますよ?小十郎さんと坊やのお世話にお仕事。それに町内会や隣近所とのお付き合いもありますから暇なんてありません」
「そっか……そうよね。そうじゃなきゃダメなのよね……」
桜子さんは不満があるのでしょうか。
桜子さんも奇兵隊のお仕事(荒事が主ですが)で毎日忙しいはずなのに、満ち足りてないのですか?
それとも逆で、忙しすぎて休みが少ないことに不満が?
「なんかね、物足りないのよ。何か足りない。心の底から生きてるって思えないの」
「あれだけ毎日、楽しそうにドタバタしてるのにですか?」
「うん……。たぶん……お父さんには言わないでね?たぶん私、生きるか死ぬかって状況がなくなったのに退屈してるの」
「生きるか……死ぬか。ですか」
確かにそんな状況は今の生活では無いに等しいですね。でも、それは桜子さんが一番嫌っていたこと。
誰よりも死ぬのを怖がっていた桜子さんがそんなことを言うとは意外です。
でも、気持ちはなんとなくわかる気がします。
何故なら……。
「私も桜子さんも……いえ、この家にいる人で、桜ちゃんと坊や以外の人の人生は戦争と共にありました。だから慣れてないんですよ」
「慣れて……ない?」
「はい。常に生死が入り交じった生活をしていた私たちは、自分でも気付かないうちにそれが普通になっていました。だから物足りなく感じるんです。あの死線を越える際の恐怖と緊張感。越えた際の安堵と喜び。それらを嫌っていたはずのに、無くなった途端に恋しくなっちゃったんですよ」
きっと、桜子さんがこの話を小十郎さんには秘密にしてくれと言ったのも、そんな鉄火場へと自分ですら気付かないほど無意識に戻りたがっていると知られたくなかったからでしょう。
私だってそうです。
確かに今の生活は忙しく、小十郎さんが呉提督に元帥の席を譲るまではゆっくりとする暇もないでしょう。
いっそ戦場に戻りたいと考えたのも一度や二度ではありません。
でも私たちにそれは許されない。
もう二度と、あんなに怖くて、痛くて、苦しくて、心も身体も磨り減らすような世界に戻ってはいけないのです。
だって、私たちは母親なのですから。いえ、それ以上に……。
「子供たちのためにも」
「子供たちのために……か」
小十郎さんと角千代さんを相手にじゃれている二人は、戦中に生まれながらも戦争を知りません。
歴史の授業で戦争のことを初めて知るレベルでしょう。
これからはそれで良い。
愚かな歴史を教訓として学ぶのは良いことです。
でも、叶うなら経験はしてほしくありません。
この先、あの子達が人生を全うして生涯を閉じるまで、戦火があの子達に降り注ぐことはあってはなりませんし、させてはならない。
それが母親としてだけではなく……。
「生き残った者の努めだと、私は思います」
私の言葉に、桜子さんは両膝を抱えてから「うん……そうだね」と答えました。
気分は晴れきっていないようですが、それでも覚悟は決まったようです。
これからの『平和な日常』と言う名の戦場で戦い続けていく、親としての覚悟が。
「まあ、そうしないと、死んでいった人たちに申し訳がたたないもんね」
「ええ……」
死んでいった人たちと聞いて、私の頭に彼女の姿が浮かびました。
長い黒髪と紅い瞳、蒼白い肌に黒いロングドレスを纏った、私を初めて愛してくれた人。
そして、私が最も憎んだ人。
今でも大和さんの生還を信じていますが、どうしてだか彼女が戻って来るとは思えません。
あの人は私のために消えていった。何故かそう思えるんです。
「してやられました……」
「何が?」
「いえ、こちらのことです」
私はきっと、生きている限りあの人を忘れることができない。
戦争を終結させるとか、世界の行く末とかそんな高尚なことなど微塵も考えず、ただただ私のために消えていった彼女のことを……。
主要キャラ人気投票
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朝潮(一部主役である二代目。大淀含む)
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神風(二部主役である初代。桜子さん含む)
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大和(影が薄い三部主役)
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紫印 円満(実質三部の主役?)