1-1 魔法使い
ハリー・ポッターside
嗚呼、憂鬱な朝だ。
ぼやけた意識の中で、僕は狭い部屋の中で身体を横に動かす。部屋ーーとは言ったが、それはあくまでも結果論であって、実際の所、此処は階段下の物置の中だ。
壊れた傘やら、滅多に履かれない靴やら、親指サイズのフィギアが転がった狭い物置。僕としては、此処は部屋というより小屋。
外から鍵がかけられ、光源も頼りない電球一個。
寝返りを打とうにも棚に節々が当たり、身体中に出来たアザが悲鳴を上げる。オマケに録に食事も与えられていないからか、手足は木の枝みたいに細い。学校で同級生を見てみたら、年頃の少年は縦にも横にも大きい(勿論僕と比べて)。多分、僕の部屋が物置だというのも、成長が抑えられている要因の一つだと思う。
ずっと小さな服を着ていたら、身体が成長しないっていうからね。
ペチュニア叔母さんの怒鳴り声と共に、僕の一日は始まる。
朝なんて来なければ良いのに。出来る事ならば、ずっと眠っていたい。外に出たくない。
でも、ダーズリー家のいう事を利かないと、もっと酷い目に遭わされる。一週間食事がないのは、慣れたとはいえ流石に堪えるのだ。
素早く服を着替え、歪んだフレームの丸眼鏡をかけて、僕は物置を出た。
そして大きく伸びをすると、そのままリビングルームへ足を踏み入れた。
リビングに入るとまず目についたのは、王様のように踏ん反り返る豚二匹。
片方は朝っぱらからテレビゲームに夢中になっており、もう片方は膨れた手で新聞を捲っている。ちらと今朝の朝刊の見出しが目に入った『ウィンブルドン選手権が開催』……正直、興味が湧かない。
叔母さんの耳障りな金切り声が聞こえて来る前に仕事を終わらせようと、僕は眠い目を擦りながらキッチンへと入った。
「しゃんとおし! ベーコンを焦がしたら、ただじゃ済まないんだからね!」
ほら、怒鳴ってきた。
小さい頃からこんな調子。お陰で大方の家事は一人で出来るようになったのだけれど、有難いとは決して思わない。
……何で、ダーズリー家は僕を目の敵にするんだろうか。
まぁ、理由としては二つくらい挙げられるから。
一つは、僕がこの三人の間に割り込んできた邪魔者だから。
どうやら僕の両親は、交通事故にあって死んだらしい。父方の親戚がいなかった僕は、母さんの妹であるペチュニア叔母さんの家に預けられた。
この額の傷も、その時もものらしい。僕は緑色の光以外はよく覚えていないけれどーーもしかしたらあれは、信号機の点滅、とかだったのかもしれない。
丁度その頃、叔母さんと叔父さんの間にダドリーという息子が生まれたばかりだった。どうやら何方かが妊娠し辛いorさせ辛い体質だったらしく、漸く生まれた念願の息子に、彼等は喜んだ。そこに、血が繋がっているだけの僕が乱入した、という訳だ。
それが彼等にとっては気に食わなかったのだろう。
二つは、僕が何か不思議な力を持っているから。
感情が高ぶったり、怖かったりすると、いつも何かが起こった。ダドリーに追いかけられて気がついたら屋上にいたり、先生のカツラをピンク色に変えてしまったりーーこの間はダドリーの誕生日祝いに動物園に行ったら、ニシキヘビのケージのガラスが消えて、僕はそいつと話せてしまった。あの時は一週間も食事を抜かれて……成長期だってのになぁ。
ダーズリー家は、”マトモ”が大好き。
マトモな人間であり、マトモな生活を送り、マトモに人生を全うする。そんな退屈な生活を望んでいるのだ。
だから彼等は、僕を嫌った。
もし僕に変な力がなければ、彼等は普通に接してくれただろう。
何故なら、甥を寄ってたかっていじめるのは「マトモじゃない」から。……そう、僕にこんな力がなければ良かったんだ。
彼等は僕がマトモじゃない事を理由に、その他諸々の恨み嫉みをぶつけている。随分と常識的な一家だよ、本当に。
まぁ、僕はダドリーみたいになりたい訳じゃないけどね。
……お腹一杯ご飯を食べて、温かいベッドで寝られる。それだけで良い。それだけできっと、僕は幸せだと思う。
ベーコンエッグを三つのトーストの上に乗せ、皿と一緒に運ぶ。僕の朝食はベーコン一枚に、豆三粒。まぁ、食事抜きよりかはマシさ。
「おいハリー、郵便を取ってこい」
「はい、叔父さん」
嗚呼、忌々しい。
心の中で悪態付きながら僕は家を出て、ポストに入った郵便を全て抜き取る。
叔父さんの妹からのハガキ。
近くのピザ屋の宣伝チラシ。
電気代の請求書ーーあれ、これは何だ?
黄色がかった羊皮紙の封筒。切手はない。
紫色の蝋印が押してある。
そしてエメラルド色のインクで書かれた宛名にはーー
『サレー州 リトル・ウィンジング
プリベット通り四番地 階段下の物置内
ハリー・ポッター殿』
心臓を誰かに掴まれたような感覚に襲われた。
怖いーー純粋にそう思った。
誰が僕に手紙を送ったかなんて関係ない。ただ、ダーズリー家しか知らない僕の寝床を、この手紙の差出人は知っている。
警察? スパイ? それとも殺し屋か何か?
全く心当たりがない。
でも、この分厚い封筒の中に何かが入っているのは確かだった。
どうしようーー開けるべきか。それとも捨てるべきか。
叔父さん達に見せようかーーそうだ。そうしよう。僕に手紙を送るなんて酔狂な輩はいまい。もし悪戯なら、僕ではなく叔父さん達に被害あった方が良いというものだろう。そもそも、得体の知れない手紙を開けるなんて馬鹿げてる。
爆弾でも入ってたら良いのに。
そんな些細な、けれども有り得ない願いを胸にしまいながら、僕は自分宛の手紙に気がつかなかったフリをして、纏めて叔父さんに渡した。
「マージが病気だよ。腐りかけの貝を食ったらしい」
ザマァみろ。
マージは嫌いだ。時々この家に遊びに来てはダドリーばかり可愛がり、無駄に不細工な犬共を連れてきて僕を襲わせる。何度あいつらに噛まれた事か。マージが来た時の唯一の救いは、庭にあるあの大きな木か。
あれに登っていれば、犬達も豚達も追っては来れない。
しばらくベーコンを口の中で味わいながら叔父さんの顔を見ていると、見る見る内に顔色が悪くなっていくのが見えた。
「ぺ、ぺ、ペチュニア!!」
テーブルを大きく揺らしながら立ち上がり、叔父さんは僕の手紙を持ってガタガタと震え始める。追い打ちをかけるように、僕は笑いながら言った。
「あぁ、僕宛の手紙があったんだけど、どうして良いか分からなくて。叔父さん、それが何処から来たのか知ってる?」
「あ、こっ、これは……あぁ」
「あぁバーノン、どうしましょう……貴方!」
***
その後、半狂乱になった二人に僕とダドリーは追い出された。
どうやら叔父さんと叔母さんは、あの手紙の差出人に心当たりがあるらしい。僕は差出人に興味があった。あの二人が青ざめていたのだ。相当な相手に違いない。その考えはダドリーにもあったらしく、二人して聞き耳を立てた。
見張っている、返事を書かない、ああいう連中、危険なナンセンス……よく意味が分からない。
ダドリーもそうだったようで、仕方なく物置に戻る事にした。
その後、色々な事があった。
幸運だったのは、僕の部屋が物置から二階の寝室にグレードアップした事。この家の中では一番小さい寝室だが、物置よりマシだ。
それにベッドもある。
これっきりは、あの手紙の差出人に感謝しなきゃ。
しかし部屋を変えても、変わらず手紙は届く。
僕は何とか手紙を手に入れようと様々な手段を試したが、叔父さんの妨害により悉く失敗。そんなに躍起になって手紙と僕の邪魔をするものか? そんなに見せたくないなんて……やっぱり気になる。
そして、手紙が届いてから一番最初の日曜日。
今朝も手紙の嵐が来ると待ち構えていたが、それは来なかった。叔父さんは「日曜は郵便局は休みだからな!」とワイン片手に高笑いをしていたけれど、牛乳瓶や卵パックの中にまで手紙が仕込まれていた時点で、確実に郵便局の仕業ではない事が分かるだろう。
やっぱり、政府の特別な機関か何かかな。全く心当たりはないけど、そうじゃなきゃ、こんな芸当出来ないだろうし。悪戯にしては手が込みすぎてる。
まぁ、ダーズリー家のノイローゼが面白いから、僕としては喜ばしいのだけれど。
そんな日曜日。
夏に入りかけで肌寒い、夜の七時。
ダーズリー家がテレビ鑑賞をしている後ろで突っ立って、僕もテレビを観ていた。すると、ピンポーン、といつものチャイムの音が鳴る。
しかし、ドアは釘で打ち付けられて開かない。
叔母さんは宅配便だと思ったのか、ドア越しに「窓から来てください」というと、再びリビングに戻ってきた。
僕はボーッとしながら、リビングの窓を見つめる。
そろそろ暗くなってきた。
ーーと、思った瞬間、長い髪のシルエットが窓に映り込んだ。
宅配便じゃない。あれはーー
訪問者は何の断りもなく窓を開けると、リビングルームの中を一瞥して、そのまま乗り越えて中に入ってきた。
青みがかった綺麗な黒髪に、黒い瞳。
成人する直前にも見える容姿を持った訪問者は、黒いローブを翻しながら、リビングの床に着地した。皆、呆気にとられたまま、彼女の姿を見つめる。
美しすぎた。
長い睫毛も、艶やかな唇も、大きく宝石のように輝く瞳も。
異様な姿でありながらも、彼女に皆が目を奪われてしまった。プリベット通りに静寂が蔓延していたように感じる。僕の耳に入るのは、風の音と、テレビから流れるコメンテーターの笑い声。
そして透き通るような声で、彼女はこう言った。
「フィオラ・レシューダ。ホグワーツからの使者です。手紙を送ったつもりだったのだけれど、あまりに音沙汰がないもので……返事を貰いに来ました」
「ほ、ホグワーツ……?」
そういえば、あの手紙の蝋印の真ん中には”H”と書いてあった。
まさかあの手紙は、ホグワーツという何かからのものなのか?
すると叔父さんは正気を取り戻したようで、暖炉の上に飾ってあった猟銃を手に取ると、フィオラと名乗った彼女に向けた。
「す、すぐにお引き取り願おう! これは歴とした犯罪だぞ!」
「あぁ……まぁ、そうよね。でも、銃を手に取るのはフェアじゃないわ」
彼女は懐から杖のようなものを取り出し、叔父さんに向かって杖を振った。
すると銃がグニャリと曲がり、叔父さんは驚いて腰を抜かす。僕やダドリー、叔母さんも勿論驚いた。杖を振っただけで銃を曲げるなんて、人間の為せる技じゃない。
「こっちだって、ご近所に見られないように気を使って夕方に来たんだから、少しくらい歓迎してくれても良いと思うんだけど。窓から入ったのじゃ謝るわ。でも……ドアを封印してるのもどうかと思うの」
そう、冗談っぽく言う。
「……で、ハリー・ポッターは……あぁ、君ね」
すると彼女は僕に歩み寄ると、今度は優しく微笑んだ。
「お父さんにそっくり。でも、目はお母さんね。君を見たのは初めてだけど……えぇ、聞いていた通り」
「あの……貴女は、僕の両親と知り合いなんですか?」
「えぇ。教え子よ。私はホグワーツの教師なの。歴史を教えてるわ。あぁそうそう、私の事はフィオラって呼んでね」
「教師にしても、若いような……」
「色々あるのよ」
どうやらフィオラは僕の両親の先生(?)らしい。けど、まだよく分からない。
ホグワーツが何なのか、何故彼女がこんなにも若いのか。僕は纏めて聞いてみる事にした。
「ほ、ホグワーツって……何なんですか?」
「あら。叔父さん達に聞いてない?」
「いえ。全然」
「……ふぅん」
僕の言葉を聞いて、フィオラは目を細める。非難の目だ。その視線にダーズリー家はビクッと身体を震わせる。
気がついたら、彼等は部屋の隅に固まって肩を寄せ合っている。フィオラからは敵意を感じないが、まぁ、得体の知れない人物という時点で警戒対象なので、仕方あるまい。
「手紙を受け取ってないって言うのはダンブルドアから聞いていたけど、まさかホグワーツの事も知らないなんてね……って事は、君は自分の両親についても何も知らないのか。……失望したわ、ペチュニア」
「ヒッ……!」
「ダンブルドアからの手紙を読まなかったの? しっかりと、この子が何者かについてを教えておくように言われていた筈よね」
「わっ、私は……」
フィオラの気迫に押されたのか、叔母さんは泣き始めた。いつものあの強気な態度からは考えられない姿だ。フィオラは、叔母さんとも知り合いなのか? それにダンブルドアって?
先程から疑問が尽きない。
すると、僕の心を呼んだのか、フィオラはいっぺんに答えた。
「私はペチュニアとは初対面よ。名前を聞いていただけ。ダンブルドアはホグワーツの校長で、最も偉大な魔法使いと言われている」
「ま、魔法使いだって……?」
「えぇ」
さも当然のように、彼女は言い放った。
叔父さんの顔が更に青くなる。
ーー魔法使い。
あの、杖を使って魔法を使ったり、変な薬を作ったり、猫を使い魔にしたりするあの魔法使い? そんな、まさか……いや、でも……僕の周りには今までに、色々と変な事もあった。
「客人! それ以上口を開くな!!」
「『シレンシオ 黙れ』……よし、これで落ち着いて話せる」
「あの……叔父さんに何をしたんですか?」
口をパクパクさせているが、全く声が出ないようだ。何かの魔法だろう。
「声を出させなくする呪文。……さて、続きを話すわよ」
それから彼女は、全てを話してくれた。
両親ーージェームズ・ポッターとリリー・ポッターが優秀な魔法使いと魔女であり、僕は彼等の息子だという事。
ホグワーツに行けば、僕も両親のような素晴らしい魔法使いになれるという事。
そして、僕と両親が有名だという事。
どうやら僕は、ヴォルデモートとかいう闇の魔法使いに殺されそうになり、生き延びたらしい。これまでヴォルデモートにターゲットにされた魔女や魔法使いは皆死んだ。唯一その人から逃れる事が出来た人物は、僕一人だけだという。
そして僕の両親は、ヴォルデモートに勇敢に挑んで、殺されてしまったらしい。
「概要はこのくらいで良いんじゃない? もっと詳しい事は、本を読めば良いと思うわ」
「ぼ、僕はそれじゃあ……」
「『生き残った男の子』。皆がそう言う。しばらくは大変ね。君のファンは沢山いるの。それとハイ、これ」
フィオラに手紙を渡された。
僕が手に入れたくて仕方のなかった手紙だ。
黄ばんだ羊皮紙。そして紫色の蝋印。満を持して開けると、そこには数枚の紙が入っていた。
『親愛なるポッター殿
この度、ホグワーツ魔法魔術学校に入学を許可されました事、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封いたします。
新学期は九月一日に始まります。使者のフィオラ・レシューダに、入学するか否かの返事を伝えてください。
敬具
副校長ミネルバ・マクゴナガル』
心の底から、大きな喜びが溢れ出てきた。
僕が魔法使いーーそれに、此処から離れられるんだ。それに、両親は偉大な魔法使いだったという。
フィオラの話が本当かなんて、これまでの一連の言動を見れば分かる。
何処の世界に、銃を杖の一振りで曲げたり、バーノン叔父さんの声を無くしたり出来るマジシャンがいる? 否、存在する訳がない!
「……で、どうする?」
「入学します。僕は……魔法使いなんですよね」
魔法使いになれば、ダーズリー家を見返せる。
今までされてきた事の仕返しだって出来るんだ。だから僕は、ホグワーツに行きたい。
「えぇ。それも将来有望な、ね。楽しみだわ。私、分野は関係なく、優秀な人間が好きなの。期待してるから」
「はぁ……」
フィオラは再び杖を振る。
すると杖先から何か青白い光の筋のようなものが現れ、それは豪奢の鳥を形作った。尾は長く、クリリとした大きな目を持った鳥。こんな生物見た事ない。
「ダンブルドアに、『ポッターが入学する事になりました』って伝えて」
鳥は頷くと、そのまま開いた窓から飛び出していった。
今の魔法は何なんだろう。
「『
「あ、あの……僕はこれからどうしたら」
「一先ず、『漏れ鍋』に行きましょ。本当はもっと早くに来たかったんだけど、他の新入生の案内に時間がかかっちゃってね。一晩だけ宿に泊まってもらうわ。お金は出すから」
「あ、ありがとうございます……」
そろそろプリベット通りにも、暗闇が満ちる。
日が着々と沈み、そして月が昇ってきた頃。僕はフィオラの手を取り、ロンドンへ姿をくらました。
魔法使い。
魔法界。
ヴォルデモート。
そしてホグワーツ。
嗚呼、なんて清々しい夜なんだ。