「乃々、緊張してる?」
机の下に隠れて膝を抱える私にそう問いかけてくるのは凛さん。アイドルとしての、唯一の憧れの人。
「……あうう……当たり前ですけど……私が凛さんと組むなんて、畏れ多いというか何というか……魂が浄化されて天に還るんですけど……どうせ還るなら森に還ります……」
この事務所に移籍してはや半年。未だ新しい環境に慣れず、唯一謎の安堵感を覚える空間を見つけたことくらいしか進歩の無かった森久保に打診されたのは、まさかの凛さんとユニットを組むことでした。
正直、ここの新しいプロデューサーさんが私に何を期待してるのかわかりません。どうして私なんかに、お母さんの代役をしてきただけの私にそんな大役を任さるんでしょうか。
「まだ決定というわけでもないけど……乃々は私と組むのは嫌?」
「い、嫌なんてそんな……ても、責任が重過ぎるんですけど……。私なんかより、もっと適任な人がいると思うんですけど……」
嫌どころかほんとうなら光栄なことのはずです。私が、強いて言うなら憧れてると言えるかもしれない凛さんと組めるなんて。でも、森久保なんかがそんな栄誉を受けていいはずはないです。私は隅っこで、日陰で最後まで全てをやり過ごすべきなのですから。
「そう、嫌ではないんだね。……最初は誰だって緊張するよ。私だって自信を持てない時はあった。でも、嫌じゃないなら乗り越えられると思うよ、乃々にはそれだけの可能性がある」
「む、むーりぃー……。わ、私にできるはずないと思うんですけど……」
「じゃあ、乃々はどうしたいの?」
「……わ、私は……あうぅ……」
私は、それはやりたいに決まっていますけど。でも、それを口にすることは中々できません。森久保はただお母さんの心の均衡を保つための生贄として必要とされているだけに過ぎません。私そのものには何の価値もないし、もちろん私に何かを決める権利なんてきっと無いのです。
「……わ、私だって、許されるなら……でも、絶対に凛さんに迷惑をかけてしまいますし……。……それに、誰も凛さんのステージに私が出ることなんて求めてないと思うんですけど……」
「……乃々がまだ早いと思うなら私もそれを尊重するよ。少なくとも私は待てる。……でも、もし一歩を踏み出して何かを変えられるとしたら、それは乃々自身にしかできないことだと思う」
「わ、私自身に……」
私自身にしかできないのと。それが決断をして、一歩を踏み出すことなのでしょうか。確かに、普通ならそうかもしれません。でも、その一歩の先にあるものを手にしていいか否か……その決定権を全て家族に握られていて、逆らえないのもまた私なのです。精一杯の反抗のつもりで見た目を変えても何も変わらなかったのですから……。
でも、踏み出すことそのものとか、過程とかで私にできることがあるなら……? もし、そこだけなら私が私でいられるとしたら? 私は、受け入れるべきなのでしょうか……?
「……凛さん、私は……!」
私が、自分でもよくわからないけど何かを言おうとしたその時です。プロデューサーさんが扉を開けて入ってきたのは。
凛と森久保のユニット結成計画ににクレームが入って一時凍結となる。
そんな、ほんとうなら私は安心するはずなこに、何故かしょんぼりな気持ちになる言葉を携えて。
「私と乃々のユニット結成計画が凍結……? クレームって言ってたけど、どういうことなの、プロデューサー?」
凛さんがプロデューサーに詰め寄ります。プロデューサーさんは、戸惑う様子もなく淡々と、しかしどこか残念そうに答えました。
「……そんな。乃々の叔父さんが、私たちのユニット結成に妨害工作を?」
……本来なら、薄々予想できていたことです。こうなると思いたくなくて、現実を突きつけられるまで私はこの可能性から目をそらしていました。叔父さんがお母さんのために描いた図から少しでも森久保の活動方針が変われば、強硬手段を取ってでも修正するということくらい。
「……乃々、嫌なら言わなくてもいいけど、一体乃々の身に何があったの? こんな強引な妨害が入るなんて、普通じゃ考えられない」
「……い、言うべきなんでしょうか……?」
正直、言いたいのか言いたくないのかもわかりません。もし下手なことを言ったら、家族に迷惑をかけてしまうことになりますけど……でも、今まで誰にも吐き出せずにいたことを言ったら少しは、何かが変わるのかもしれないし……私はどうするべきなのですか……?
「……大切なのは、乃々自身がどう思うかだよ。それに口を挟める人は、ほんとうなら家族にだっていないはずなんだ」
「……わ、私が……」
むりですけど……考えがまとまらないんですけど……。私は一体どうしたら……。
「……何なら、ちょっと場所を変えようか」
徒歩で30分足らず。まさか事務所のそばにも、こんな落ち着ける森があったとは。
丸太のベンチやテーブルがある辺り、日によっては賑わっているのかもしれませんが、平日のこの時間には誰もいません。実家のそばの森と同じです。確かに、ちょっとは落ち着きます。事務所では壁一つ隔てたところには事務員さんや他のアイドルもいましたし、全員で机の下に潜るわけにもいきませんでしたし……。
「……乃々、ここに来たのは乃々に心の整理をつけてもらうため。落ち着くでしょ、森。だから、語るも語らないも乃々次第。私とプロデューサーも、自分たちだけでこの問題をどうにかするくらいの力はあるから。乃々は何も責任は負わなくていい。吐き出したい時に吐き出す、それだけだよ」
と、凛さん。私の気を楽しようとして言っているだけなのか、ほんとうに自分たちで処理する手立てがあるのか、人と目を合わせることすらできない私には真意を読み取れません。
……でも、私が何も言わずに凛さんたちに任せてしまったら、それは私のせいで苦労をかけたことになります。……私には何もできません。でも、吐き出すことを含めて何か言うだけで凛さんたちの負担が減るなら……言った方がいいのでしょうか?
「……いえ、大丈夫じゃないけど大丈夫です、言います。……言いますから……私が今後どうしたらいいのか教えて欲しいんですけど……」
……涙が出てきます。私は、森久保はここで過去や家族との問題をどこまで清算することになるのでしょうか。未知数です。未知なものは怖いです。
「……うん、大丈夫。言えなくなったら、泣けばいい。ここなら誰もいないから……」
どうして、凛さんは私なんかに優しくしてくれるんでしょうか。
「……私の家は、お父さんの方が苗字を変えてたんですけど……今は別居していて……お母さんと弟と母子家庭なんですけど……ちょっと前に、お母さんが何かに取り憑かれたみたいになってきて……ある意味私のせいで……」
……私は、途切れ途切れに語り始めます。震える声で、でも、確かに凛さんとプロデューサーさんが聞いてくれていることを噛み締めながら。