「グリフィス!」
男は獣のような咆哮を上げた。腹の底でぐつぐつと煮え滾る、黒く穢れたものを爆発させたような、怒りに満ちた声であった。
しかし名を呼ばれた当の本人は、全く男に目を向けなかった。ただただ、組み敷いたかつての仲間――女にのみ、意識を向けていた。
グリフィスと呼ばれた男は、かつては白い鷹と呼ばれ英雄視されていた人間だった。リ・エスティーゼ王国を勝利に導き、王に将軍の地位を与えられ、王女との婚姻すら噂された英雄であったが、しかし多くの不幸が重なり、今では自力で歩くことすらままならない重篤者に成り果てていた。
グリフィスが以前のように戦場を駆けることはない。彼を窮地から助け出した仲間達は、認めたくはなかったが、そう悟ってしまった。男もそうであった。
彼が以前のような強さを取り戻すには、天上の者から授けられる奇跡、あるいは人智を超えた魔法が必要だった。まだ王国に属していた頃ならば、それを得られる可能性もあったが、縁が切れてしまった今では叶わないことであった。
しかしその奇跡は起こってしまった。いや、災厄というべきか。
ある者は言った。決して逃れられぬ死が訪れると。
今になってようやく、男はそれが何のことであったのか理解した。全てはここに繋がっていたのだ。この暗く閉ざされた狂気の宴に。
男は再び声を上げた。憎悪に満ちた雄叫びだった。今度は意味のある言葉ではなかった。獣の咆哮そのものであった。
右目は潰され、左腕は身体を抑え付ける異形の怪物達から逃れようとして、自らの手で切り離した。激情に呑まれながら取った狂気の行動だったが、しかし異形達から逃れることは出来なかった。男は英雄の域にさえ届く強者であったが、腕一本如きくれてやった程度では、異形達の怪力からは逃れようもなかった。所詮、人間が得られる強さなど、怪物達にしてみれば虫けら同然のものなのだ。
一緒にここに閉じ込められた仲間達も、既に全滅している。異形共の群れに呑まれ、幼子に捕まった虫のように、弄ばれて殺された。いずれ男も同じ運命をたどることになる。
ふれんどの経験値を貪ることにより、れあ種族へと転生することが出来るのだ。敵の首魁はそう口にしていた。何のことなのかさっぱり分からなかったが、それがかの八欲王の遺産によるもので、仲間の命を喰らうことによって成されることなのだというのは、嫌が応にも思い知らされた。
その遺産――ベヘリットがもたらした奇跡とは、重篤であったはずのグリフィスの身体を異形の怪物として再構成し、新たな肉体を与えることだった。
それが彼の意志によるものではなく、異形の怪物達を統率する敵首魁の思惑によるものだったのならば、まだ男は憤怒に呑まれずに済んでいただろう。
しかしこの狂宴はグリフィスの意志によって開かれた。グリフィスはかつての仲間達を裏切り、生贄とすることで、自らを闇の鷹へと転生させたのだ。そして男の仲間にして最愛の女――キャスカにも、グリフィスは手をかけた。
潰された右目に最後に映ったのは、褐色の肌にいくつもの汗の滴を伝わせ、息も絶え絶えに虚ろな瞳で虚空を見つめるキャスカと、こちらを無感情に見つめる怨敵だった。
男の屈強な精神は脆く崩れ去り、憎悪と憤怒に浸食された。殺意だけが彼の原動力となった。
必ず殺す。決して許さない。この報いは、必ず受けさせてやる!
その先のことを、男は後になってほとんど覚えていなかった。微かに覚えているのは、黒い太陽がガラスのように砕け、そこから見覚えのある骸骨の騎士が現れたということくらいのもの。結果、自分は生き延び、キャスカも心を失ってしまったとはいえ生き延びた。その事実さえあれば、救出された時のことなど覚えていようが覚えていまいがどうでもいいことだ。
それから、二人は以前男が世話になった鍛冶師のもとへ運ばれ、そこで短い期間ではあるが療養した。そして傷が癒えた頃、それぞれの道を歩むこととなった。キャスカは残り、男は旅に出た。
その男――ガッツの復讐の旅はそこから始まった。首に刻まれた刻印の微かな疼きを頼りに、どこにいるとも分からない異形の怪物達を追う、途方もない旅が。
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