4月10日
モノクロームリリィとの30日
「ねえ、今日は何の日か分かる?」
そこは、とある芸能プロダクションの一室。春の日差しが心地よい、そんな穏やかな昼下がり。午前中に外を駆け回り、疲れて張った足を休めながらも、積み上がった仕事のためにパソコンへと向かうという、絶賛社会人をしていた私へと、そんな質問が投げかけられた。
何でもない質問。本当に何でもない質問なのだが、それを彼女はやたらと品がよく、あるいは蠱惑的に問いかけるのだ。わざわざ私の耳元で。
思わずぞわりと怖気が背中を駆け上っていく。
そして慌てて振り返る私を見て、彼女はくすくすと、いつものように魅力たっぷりに微笑んでみせる。触れ合うほど近づいてしまった距離だった。瞳の奥まで見えてしまいそうな、それに見とれてしまった私に罪はないだろう。
いつも通りといえばいつも通りの、そんな日常。私の人生の半分は仕事であり、半分はからかわれることでできている。
そんな後者の半分に寄与しているのは、目の前の速水奏。私の担当アイドルの一人である。
午前中にラジオ収録の仕事を終えた彼女は、ついさっきまで、次の仕事までの一時を紅茶片手に過ごしていた。
陽だまりの中で、まどろむような、穏やかな。その姿は映画のワンシーンのように様になっていた。のだが、いつの間にやら、誘惑するような視線で近くに忍び寄ってきていた。
美人モデルから悪戯小悪魔への見事な転身である。
ええい、そうやってころころとキャラを変えるでない。
しかしながら、私も彼女と出会ってから長い時間を過ごしている。いつまでもおたおたとさせられるわけにはいかないのだ。
「今日は4月10日だね。なんの日だったかな?」
初心な少年のように早打つ鼓動を隠しながら、努めて冷静に。私は意図的に、あるいは無意識にその答えをはぐらかす。
「あら、そんなそっけない返事なんて。……悲しい」
目を細めて、声を小さくさせる奏は本当に悲しんでいるように見える。そして、私はそんな彼女を見て、胸が締め付けられるのを感じるのだ。
だが、しかし、彼女のそれが単なるからかいだとも知っている。
わかっていても、心が揺さぶられる。演技者としての奏の資質は、そうした底知れないものにあった。それこそ、天使から悪魔まで、どんな存在にでもなれるほどに。
プロデューサーとしては、やりがいと、嬉しさを感じるそれ。だが、日常のからかいの中に混ぜてこられると、その、なんだ、困る。
そうして私が奏にあたふたと対応していると、もう一つの柔らかな声が届けられた。
「奏ったら、またPさんからかってるの? だめだよ、今日は私の番なんだから」
「早い者勝ちよ、加蓮。それに、悲しいのは本当のこと。こんな簡単な質問なのに、答えてくれないなんて」
それは、奏とはまた違う、けれど可愛らしい魅力を持った少女。やっほ、なんて軽くスキップをしながら部屋へと戻ってきた。
北条加蓮、私のもう一人の担当アイドルである。そして、私をからかうもう一人の小悪魔だ。
麗人という言葉にふさわしくミステリアスで、それでいて、ふと見せる少女らしさに魅了させられる奏。
一方で、年頃の少女のかわいらしさと活発さを存分にあふれさせ、しかし、隠し切れない芯の強さを魅せる加蓮。
どこか似ていて、それでいて似ていない。そんな一見ちぐはぐな二人は、幸運にも私の担当アイドルとなってくれている。彼女らの努力のおかげで着々と人気を得て、目下のところ、順風満帆だ。それこそ、あの頂に手が届きそうなほどに。
私はそんな彼女ら二人、アイドルユニット「モノクロームリリィ」を担当するプロデューサーであり、賢く、魅力的な彼女に日々振り回される子羊でもあった。
そして、そんな子羊は今、ちょうど二人のアイドルにからかわれている。
「それで、今日は何の日なんだ?」
「この期に及んで、誤魔化すんだ~。後で大変だよ、Pさん」
加蓮は横目でとなりの少女を指す。そうね、などと目で語る奏に私はまたも背筋を凍らせられる。
「ほんと、簡単な質問なのに」
「私だって知ってるよ、その答え」
「「駅弁の日」」
その時の私の顔はさぞ見ものだっただろう、事実、小悪魔二人は、くすくすと私を見て笑顔を浮かべている。
とても魅力的な笑顔だった。
「4月10日は駅弁の日。駅弁の弁の字が数字の4と漢字の十の組み合わせになるから、ってね」
奏が訳知りの博士のようにチャーミングに記念日の由来を教えてくれる。
「にしても駅弁か、よりにもよって」
職業柄、移動の多い私たちにとっては馴染の深いもの。だが、そんなに熱心に話題に出すものだっただろうか? うら若き女子高生が二人とも。
「えー、ダメ? 駅弁。それじゃあ『婦人の日』もあるよ? 私たち、まだ婦人って歳じゃないけれど、女だし」
「ここでの婦人は、女性全体を指す言葉でしょうしね。漢字を替えて夫人、って書くとPさんも他人事じゃないんじゃない?」
「なんでまた」
だって、と奏は唇に指をあてる。
「まだ探してる途中でしょう? 隣を歩いてくれる相手」
「あ、でも、心当たりはあるんじゃない? 鈍感、っていうタイプじゃないし、Pさん」
「……駅弁の話をしよう」
この話はまずい、と話題を戻す。
駅弁、駅弁。このところめっきりとバリエーションも味も向上した駅弁。技術の進歩というのは凄いものだと、考えてしまうのは中年一歩手前だからだろうか。
「ちなみにプロデューサーさんが好きなお弁当は?」
「牛タン弁当、仙台の厚いやつ」
「やっぱり。よく食べてるもんね。
あ、でも、もう蒸気のやつは勘弁してよ? 次やったら隣に座らせないからね」
「美味しいんだけどなあ、あれ」
アツアツの弁当という、矛盾に満ちた存在は、何時だって魅力的だ。加えて愛してやまない牛タンのそれときたら。分厚い歯ごたえ、染み出る旨味。麦飯と出会った時のハーモニー。
だが、加蓮の言った通り、蒸気の出るタイプは、音と香りで注目を集めてしまう。以前、それを加蓮の隣でしでかしてしまい。大いにお叱りを受けたのだ。
以来、彼女たちと居るときには自重している。
「そういう加蓮はどうなんだ?」
「そんなにこだわりないけれど、ポテトがあると嬉しいな」
駅弁というよりハンバーガーセットを買った方がいいかもしれない。
「私は。そうね、からあげ弁当、かしら?」
「ほう」
それは意外だった。ビターチョコ、コーヒー。ミステリアスを地で行く奏のチョイスとしては面白い。
「だって、食べた後の誰かさんの視線が面白いもの」
唇を指さす。
「あー、そういうこと。Pさん、ダメだよ? 女の子は視線に敏感なんだから」
「待て! そんなことはない! 誤解だって!!」
慌てて弁解する。確かに、食べた後、わずかに照らされた唇と、それを上品にふき取る様子には僅かに心が揺さぶられたが。
断じてよこしまな思いは抱いていない。断じて。
「ふふ、でも、悪い気はしないわよ? 私は、ね」
「今度、私も試してみようかなー。なんて」
「……勘弁してください」
一度意識してしまったら、どうしようもないではないか。どうしたことか、からあげ弁当が出るたびにからかわれることは確定してしまったようだ。
せめてもと、冷や汗を流しながら、私は弱弱しく哀願したのだった。
そんな何でもない雑談をしているのが私たちの愛すべき日常であり、なぜか始まった駅弁談義を続けて半刻ほどすると、次の仕事の時間が迫っていた。
「それじゃあ、行ってくるわ。大丈夫、任せておいて」
「Pさん、私、頑張るからね」
いつもより、心なし大きい声。
そう言って二人は仕事に向かう。そんな二人を見送って、私は仕事に戻った。ふと、にぎやかな二人がいなくなった静寂が寂しく身に染みていく。
プロデューサー等と偉そうにいうものの、最後にできることは、無事を祈って見送るくらいの物。ステージでも、どんな仕事でも。せめてもと、背中を支えてやりたいが、それもできているかどうか。
心なしキーボードを打つ音が大きくなる。
二人はあえて話題に出さなかったのだろう。今日の、あの何でもない話も私に変に気負わせたくなかった、そういった理由。
それくらい、長く二人の担当でいるのだ。わかっている。
(でも、)
だが、彼女達が気負う必要はないのだ。彼女たちは既に素晴らしいアイドルであり、ガラスの靴を履く資格があると、私は確信している。
これからの一月も、その先も。彼女たちは彼女たちらしく魅せていけばいい。
後ろで支えることしかできないから。だからこそ、その魅力を広めて、輝かせるのは私の、あるいは私たちの仕事だ。
「やるぞ」
4月10日、第7回シンデレラガール総選挙、開催。
総選挙、開催。
今年こそ、速水奏と北条加蓮の二人を頂へ。そして、モノクロームリリィに曲がほしい。その一心に書き上げた本作です。
二人の魅力がどうか、少しでも伝わりますように。