4月25日。彼女たちに中間結果を告げた次の日。
出社した私は、オフィスに入ると奇妙な書置きを見つけた。私の少し散らかった机の上に、そっと置かれた一枚のメモと、そこにクリップで挟まれた白い紙。
メモの筆跡は、ウチの姫様の一人のもので。
どうやって置いたのだろうか。今日はオフの日だったはずなのだが。もしかしたら私より早くオフィスに来ていたのかもしれない。
メモに書かれた丸い女の子の文字。そこには、
『探してください♪』
とカラフルな色で書かれ、クリップに挟まれていたのは私の名刺。
私はそれを見てしばし、ため息を吐いて、頭をかく。あの失踪娘の癖が移ったのかも、と少し心配になった。
スーツを揺らしながら、事務所を出て五分ほど。
都会の雑踏の中を私は小走り気味に移動する。
四方八方に名前も知れぬ多くの人々。それが数秒の邂逅の後に流されていく。誰も、そこにいるのに互いを認識もしていない。そんな寂しい都会の景色。
その中でたった二人だけの大切な人を見つけられた私は、世界でも有数の幸せ者だと思っていた。
そんな私に幸せをくれた少女が目の前にいる。最初に出会った、その場所に。
あの時と同じ制服、髪型。バッグまでその時のまま。けれど、あの時と大きく変わった楽しさにあふれた瞳の輝き。
「失礼」
そんな景色に懐かしくなったのか私も少し趣向を凝らしてみた。かつては自然にできなかった笑顔を浮かべて。そして、同じ言葉を彼女に告げる。
「アイドルに興味ありませんか?」
彼女がその言葉に振り向く。
少女は、加蓮は、私を見てその顔をほころばせるて、大切なものを噛みしめるように、私の名前を呼んでくれた。
「Pさん」
少し恥ずかし気な、はにかむ声。
私たちは少しの駆け足で歩み寄ると、加蓮は私の手を握る。もう、その目にはあの時の寂しげなものはない。満面の、花咲くばかりの笑顔が私を見つめていた。
「ふふ、やっぱり見つけてくれるんだね」
「不思議なものでね、あの名刺見たときに直ぐにこの場所が分かったよ」
「うん。Pさんが私にくれた、最初の宝物」
加蓮に名刺を返すと、嬉しそうに胸元でぎゅっと。そして、大切なものを扱うように大事にしまい込んでくれる。
「ふふ、やっぱりこれ持っていると元気が出るんだ!」
「少しはお守りになっているといいんだけどね」
「だいじょーぶ、ちょっとひどい神様よりも私を守ってくれてるよ」
ふふふ、と加蓮ははにかみながら、私と腕を組む。
「ね、ちょっとだけでいいから散歩しよ!」
その笑顔を前にして、断る言葉を私は持ってはいなかった。
少し人混みから離れて、静かに風が流れる中を私たちは歩いていた。特に何を話すわけでもないけれど、とても心は穏やかで。加蓮は私の手をつかんだまま、ずっと笑顔を咲かせている。
ゆっくりと踊るようなテンポ。
「……すごいね。少し歩いているだけなのに、こんなに楽しいなんて」
加蓮は空を見上げる。
「綺麗な青空に、涼しい風、それに隣にはPさんがいて。それだけで楽しくなれるなんて、昔は思えなかったよ」
柔らかく、丁寧に腕に力が込められた。伝わる温もりと、少し伝わる心臓の音。きっと私の大きな音も伝わっているだろう。
「昔の私、大変だったでしょ?」
そうだね、と少し考えて答える。
「不審者扱いされるわ、口を開けばめんどくさいだわ、初ライブだと倒れそうになっちゃうわ」
「あはは! ほんとひどいね、私。でも、Pさん一度も怒らなかったよね。叱ることはあったけど、倒れちゃうときまで」
「あの時ばかりは本当に心配したんだからな」
「分かってる。もう、変な無茶はしないよ」
「うん、信頼してる。その後、奏も事務所に来て」
そう言うと加蓮はまずい話題になった、とばかりに目線をわざとらしく逸らす。
「私、おもいっきり拗ねちゃって。それで嫉妬しちゃって……」
「今でも不思議なんだけれど、よく仲良くなったな」
加蓮の初ライブの後にスカウトしたのが奏だった。一見、何事もそつなくこなす奏に加蓮は目に見えて対抗心を見せていたし、奏も本心を明かそうとしなかった。
奏自身も加蓮に対抗心を抱いていたから。
『必死に何かを努力した経験、なかったもの』とは、後に奏が語ったことだった。
少しギクシャクした毎日が、突然終わり、そして二人は仲良くなった。
「何があったんだ?」
「女の子のひ、み、つ。特にPさんには一生ヒミツ」
と加蓮はにこやかに笑う。何があったのか気になるところだが、それは二人の大切な思い出なのだろう。
私はその言葉に少し苦笑いを浮かべるに留めた。今が二人にとって楽しい時間なら、それでいいのだ。
「いろいろあったね。苦しいことも、悔しいこともあったけど。けど、どれも楽しかった。そう思えるのは、応援してくれるファンのみんなと、奏や凛、奈緒、大切なみんなと。それと、Pさんのおかげだよ」
どこか、過去を懐かしみながら言う加蓮。そんなに昔のことではないのに、たくさんの思い出があって。私も言葉に合わせていろいろな景色が浮かんでは消えていく。
「こら、まだエンディングじゃないぞ」
そんな全部終わったみたいなこと言うんじゃありません。と、加蓮は舌を出し、ごめんなさい、と。
「私だって、まだ終わらせないよ! まだまだ頑張って、まだまだ走り続けて、もっと高いところまでいって。それで、みんなにキラキラとした夢を見せられるような、アイドルになる」
それが私の夢。
だから。
加蓮が足を止めて、私へと振り向く。
騒がしい都会の、静かな場所で、私は大切なアイドルと向き合っている。
「Pさん、もう一度アタシをスカウトしてくれない」
少し緊張した、けれど強い決意を秘めた目が、そこにあった。きっと素晴らしいアイドルになる。いつも、いつでも、私は加蓮を見るたびにその姿が目に浮かぶのだ。だから、
「君にはトップアイドルになる資質がある。きっと、そこまで連れていく。だから、アイドルになりませんか」
私は新しい名刺を差し出した。
あの日と同じ、少し緊張に震えた私の指。そこに細い指が添えられる。
加蓮は、それを静かに受け取ると、そっと俯き、静かに口を開いた。
「……アタシ、特訓とか、練習とか、下積みとか努力と、気合とか根性とか、そういうキャラじゃないんだよね。体力もないし」
それはあの時と同じ言葉。けれど、
「けどね、変わっていくから。特訓も、練習も下積みも、気合と根性も、大好きになる。だから、アタシを」
「私をトップアイドルにして、Pさん」
静かな、加蓮の全てを込めた決意の声。私は溢れだしそうな思いをこらえ、加蓮の手を取る。
「ああ、きっと! きっとトップアイドルにしてみせるよ」
触れた手は少し震えて。けれど、力が籠められ、熱いくらいだった。加蓮の夢。その熱が伝わってくる。加蓮は少し目を見開き、そして、静かに涙をこぼす。
「あの時、言えなかった言葉。やっと言えたよ……。
今でも信じられない。アタシがアイドルになって。それで、こんなに沢山のファンの人に応援してもらって。それで、もしかしたら、トップに届くかもしれないなんて。
……夢じゃないよね」
「大丈夫、夢じゃない。それに、まだまだ先がある。トップに届いても、まだ見れない景色もたくさんあるんだから」
「……あはは! まだまだ先の、綺麗な夢があるなんて。ほんと、Pさんは魔法使いだね!!」
涙を拭って、加蓮は私の腕をぎゅっと握りしめる。
「それじゃあ、私の素敵な魔法使いさん。これからも、私のプロデュースよろしくね!!」
もちろん、私の答えは決まっていた。
今日は十一時ころにもう一話投稿いたします。
加蓮と過去。
きっと、加蓮にとって過去は苦いものでしょう。あまりプロデューサーにも過去の話はしたがらないですし、同情されたりするのも苦手。
けれど、あの時の経験が人々に夢を与えたい、そんな加蓮の夢へとつながっています。きっと、加蓮はこれからも、過去を踏みきって、大きく飛躍することができるのでしょう。
そんな彼女の夢が見えてきた中間発表。
どうか、加蓮にガラスの靴を。