4月11日。
「ガッツポーズの日、ねえ」
加蓮はカレンダーをぱらぱらとめくりながらつぶやく。ほっそりとした指が伸ばされているのは、私の机にある日めくりのそれであり。その持ち主たる私はといえば、近くにいる加蓮のせいで仕事が進められずにいる。
少し開けている窓から、華やかな風が吹いてくるたび、加蓮のふわりとした髪が私の頬を撫でていくのだ。集中できようはずはない。
加蓮はそういうところをわかっているようで、時々、面白そうににっこりと私に笑顔を向けるのだ。
くそ、悔しいが可愛い。
そして、もう一人の担当といえば、助け舟もなしに、ファッション誌などをめくりながらソファーでゆっくりとしていた。
珍しく、二人とも本日の午後はオフであった。うら若き乙女の休暇なのだから、おしゃれな買い物にでも出てよいのに、何を好んでか、この平凡なオフィスで時間を潰すことが多いのである。
「ガッツポーズ。私、奏にはそういうイメージないけれど。どうなの? したことある?」
「小さい頃だったら、あったかもね。加蓮は?」
「ポテトがいつもより大盛りだったとき。でしょ、Pさん?」
確かに、あの時の小さい「やったぁ」は可愛らしかった。そう言うと、奏はあら、なんて言いながら、私のほうをゆっくりと振り向く。
「そんな話、聞いたことないけれど。……私に隠れてデート?」
「いやいや、なんでそうなる!?」
「そう、デートなのね」
「違う「うん、楽しかった」。加蓮!!?」
違います、奏さん。ただ単に収録後に夕飯をおごっただけです。ファミレスで。色気もなにもあったもんでもないだろう。
慌てて弁解するものの、当の奏は、いつの間にやら週刊誌を置き、
「へえ…」
なんて不穏なことをつぶやきながら窓を背に仁王立ちする。
その髪には、夕陽が差し込んで、元の色と混じっては得も言えぬ存在感を示していた。私は蛇ににらまれた蛙のように、震えあがる。
「私、あなたの公平さを保とうとする、ちょっとエゴが混じったところも、好きだったのだけれど。そう、いつの間にやら秘密なんて抱えるようになったのね」
昨日も言った通り、奏は演技上手だ。声も表情も意のまま。おかげで逆光に照らされた悪魔のような雰囲気をにじませながら近づいてくる奏に、私はなすすべもできない。
そっと小刻みに震える私の肩に奏は手をかける。
「どうしてくれようかしら」
私は怯えればいいのやら、間近に見る奏の顔に見惚れればいいのか、分からなくなる。そのまま、魂でも抜き取られるように、指が一撫で。
「……なんてね♪ 私も今度は誘ってちょうだい、もちろん、二人っきりでね」
指が離され、奏が満面の笑みを浮かべると同時に、私はそっとため息を吐いた。もう、どうにでもなれと。なすすべもなく頷く。
「奏、そういうとこ要領いいよね」
「チャンスは見逃さない主義なのよ。加蓮と同じでね」
乾いた笑いを漏らす私をよそに、うちの姫様二人は朗らかな会話に戻っていく。何度も同じ手に引っかかっている私が悪いのだろう。
ちなみに、奏には言っていないが、加蓮からは事前に食事の約束をさせられてしまっている。しかも今度は洒落た洋食店で。これがばれたとき、今度はどんな約束をさせられるのやら、だ。
ところで、今日はガッツポーズの日だという。私はついぞスポーツをする経験がなかったため、友人とゲームをしたときくらいにしか、ガッツポーズをとったことはない。
「私たちの周りだと、奈緒は気持ちいいくらいにガッツポーズしてたかな」
ガシャガシャまわして、目当てのが出た時とか、と加蓮はトライアドプリムスの仲間である神谷奈緒を引き合いに出す。
あの元気のいい娘が、担当Pと共に雄たけびを上げているのは、申し訳ないがよく似あっていると思ってしまった。
さぞかし、加蓮は面白そうにその様子を見ていたのだろう。渋谷さんにも可愛がられている神谷さんには、人知れず親近感がわいていたりするのだ。
「LiPPSだと、そうね。美嘉くらいかしら? ついこの間見てしまったのよ。向こうのプロデューサーさんとデートの約束取り付けた時に、こっそりやっているの」
おお、あの堅物もとうとう年貢を納めたのか、とひそかに同僚の吉報に喜ぶも、あの朴念仁がそれをデートと認識しているかは別の話だ、と考え直す。
「ちなみにガッツポーズのガッツは、あの有名なボクサーさんに由来するそうよ。知っている人はそんなにいないかもしれないし、諸説あるみたいだけれど」
「ほんとかよ!?」
慌ててスマホで検索してみると、確かにそう書いてあった。
二十数年生きてきたが、今まで知らなかった。
「世の中、まだまだ知らないことがあるもんだ」
あ、おじさんみたいな発言だった。などと まだまだ若者気分でいたい私は少しの自己嫌悪を感じつつ、そりゃそうか、と納得する。
身近にいる彼女らのことすらも、知らないことのほうが多いくらいだ。仕事の時等はいつもそう。ふとした時に魅せる隠された一面はいつだって新鮮で、惚れ惚れとさせられる。
「ちなみにPさんが一番最近にガッツポーズしたのは?」
「君たちのライブが成功した時」
何を当たり前のことを。
毎日汗を流している姿も、不安や焦りに顔を曇らせる姿も見てきたのだ。その二人がステージの上で輝いている。これほど嬉しいことはない。
「……ほんと、ずるい人ね」
「ほんと。良い顔で言ってくれるんだもんね」
なんだ、どうした?
「なんでもないわ」
「そーそー。あ、でも、いつか刺されないように気をつけてね。流石に泣いちゃうんだから」
加蓮がそんな、物騒な予言をくれる。とはいってもだ、私はそういう性分なのだから仕方ない。
喋りながらもキーボードに手を走らせて、しばらく加蓮は私の様子を黙って見ていた。しかし、そろそろ日も暮れて久しい。まだまだ未成年の二人を夜遅くまで置いていくわけにはいかない。
言わずとも、察してくれたのか、奏は加蓮を誘うと、帰る準備を始める。どこかで夕食をとってから帰るという。『今日はPさんの奢りにしないから、安心して』なんて。今日は、ではなく、今日も、にしてほしいものである。
薄手のコートを羽織り、先に出た加蓮の後を追うように、奏も出ていこうとする。
ふと、その背中に聞きたいことができた。
「奏、ガッツポーズ、本当にやったことないのか?」
奏は、不思議そうな顔をする。私も、ふと思いついただけで、どこか変な質問だったな、と思い直す。
だけれど、奏は少し微笑むと、
「どっちだと思う?」
と逆に問うてきた。
「そうだね、経験ないと思う」
「ふふ、正解。でも、どうしてそんな質問したの?」
そう尋ねられると少し言いよどんでしまう。
「いや、その、なんだ。もしガッツポーズしてる奏を見れたら、そりゃあ可愛いんだろうな、ってね」
年頃の娘に何を言っているのやら。自分が自分で恥ずかしくなり、私の頬は熱を帯び始めた。
奏は、珍しく呆けたような表情を一瞬だけ浮かべて。いたずらっ子のように私に言った。
「それじゃあ、貴方がさせてみて、私の、初めて。
一生に一度の、そんな、とびきりの魔法をかけてくれたなら、その時は見せてあげてもいいよ。貴方だけに、ね」
モノクロームリリィの魅力_1『瞳』
奏の瞳は宝石のようで、どこまでも、引き込まれるほどに美しい。それが時に怜悧に、時に柔らかく変化していきます。何時みても、何度見ても飽きないですね。
加蓮の瞳は喜びに満ちています。愁いを帯びていても、かっこよくきめていても、雄弁に語るのは、楽しく、嬉しいという感情。それを見るたびに、ああ、応援したいと思ってしまう。
魅力あふれる彼女たちの目を、ぜひいろんなカードで見てみてください。