そんな漫画みたいな事も起こっている将棋の日の話
ふと手持ち無沙汰となった時、現代人の多くはスマートフォンという便利な道具を持っている。もっぱらそれでゲームをしたり、本を読んだりというのが多いのは私も同様だが、そればかりでは刺激が足りなくて物足りない。
そんなときのために、私たちの部屋には小さいゲーム盤等が置かれている。それは、加蓮が持ってきた人生ゲームであったり、奏が持ってきたチェスであったり。そして私が持ってきているのが、将棋盤だ。
夕方、本格的なものではないけれど折り畳み式でマグネットで駒を張り付けられるそれを前に、私はうんうんと唸っていた。
考え込んだ末に、一手、歩を前に動かすと、今度はくるりと返して相手方に立って考える。
そうして自分自身を相手にどうやったら勝てるか、等とやり合うのだ。意外とこれが存外楽しくて、マイブームとなっている。
そうして一人で楽しんでいると、休憩を満喫していた奏がやってきて、盤上を覗き込んできた。綺麗な金色の目が盤上を眺め見て。すると、奏は少し頷くと、
「あら、今日はこちらがご贔屓なのね」
微笑みながら、丁度私へと対峙している側を指す。そして、それは奏の言葉の通りであった。
「……そうだなぁ、今日はこっちだな」
今日は奏が指した側が有利となっていて、私は少しの残念さにため息を吐いた。
本当ならば、どちらも均衡した勝負を演じた方が面白いに決まっているし、上達もするのだが、知らず知らずにどちらかが勝つように考えてしまっている自分がいる。本当にうまい人ならば、そうしたこともないのだろうが。素人に毛が生えた程度の私が行うと、こうなってしまうのだ。
「中々に難しい……」
昔からの癖だが、どうにも抜け出せないのである。そうした上手くはいかないところも面白いのではあるが、できれば上達したほうが良いに決まっている。
そんな私が頭を抱える様子を見たせいか、奏はおもむろに椅子を持って来て、私の真向かいに座った。そうして、机に置いてある扇子を取ると、それを少し開いて、構えてみせる。そして、
「一人で悩むのも大切だけど、せっかくの盤上競技だもの。Pさん、お願いしても良いかしら?」
ドラマで出てくる女性棋士のようにそう告げるのだった。真剣に見つめてくる目といい、怜悧な表情といい、とても似合っているのは言うまでもない。
私はそんな申し出に、少し考えてから頷く。
「奏は、今日はもうオフか……。うん。それじゃあ、お願いするよ」
こうした地味な趣味に若い女の子が理解を示して、共に遊んでくれるというのはありがたいことである。私もついつい嬉しくなって、そんな奏に合わせて、精一杯に恰好をつけ、盤上を整えなおす。そして、一手を進めるのだった。
この部屋のもう一人の姫である加蓮が戻ってきたのは、そんな対局が始まって30分くらい経ってのこと。今日の加蓮はトライアドプリムスとの合同レッスンがあったので、奏より遅れての到着だった。
「つかれたー」
なんて少しふにゃふにゃと無防備に戻ってきた加蓮。だが、私たちが将棋を指しているのを見ると、ぴょんと面白いものを見つけた子犬のように、元気を取り戻して近づいてくる。
「なになに、今日は奏とPさんが勝負しているの?」
「Pさんが一人寂しく遊んでいたからね、私も頭の体操」
加蓮の質問に奏は調子がよさそうに微笑んで返事をするのだが、私はといえば、そんな余裕がない。私の王将は守りをずたずたに崩されて、奏の駒に追い詰められていたからだ。
分かっていたことだが、奏は本当にこういった勝負事に強い。元々、基礎的な駒の動かし方や戦術は教えてはいたのだが、そこから少し勉強しただけで私が相手にならないほど上達しているのだ。
「くっ、これでどうだ」
私は頭を必死に動かして駒を動かす。だが、奏は笑みを深くすると、あっさりと次の手を打って、
「はい、王手」
「ならっ、これで」
「じゃあ、これで詰みよ」
と、鋭く差し込まれた手に、あっさりと私は頭を下げさせられるのだった。完敗。私は大きく肩を落として、ため息を吐いた。
「もう抜かれるとは……」
口からついて出るのはぼやきの声。教えたのが私であるので、一応は私が奏の師匠に当たるのだろうが、こんなに早く恩返しされてしまうとは。
「Pさんの教え方が上手だったからよ。それに、貴方の指し方って、本人そのまま。まっすぐで、チャンスを見つけたら迷わず向かってしまうのよね」
そこが弱点、と奏は言う。
「傾向と対策が練られていたら、そりゃ負けるか」
やはり、私が奏をやり込めるというのは、中々に難しいようである。
一方、そんな私達の様子を、加蓮は楽しそうな、少しうらやましそうな顔で眺めていた。
「やっぱり奏って強いんだ?」
「弱みを見つけるのがうまいというか、すごいやりづらい相手だよ。ほんと、流石」
もう一度、私も勉強しなおさないといけない。
最後に奏と私は顔を向かい合わせ、お互いの健闘を称えるように、もう一度頭を下げる。
すると、加蓮は何か思うところがあったのか、
「……ねえ、Pさん。私ともやらない?」
静かにそう言うと、加蓮は奏に場所を替わってもらって、私の真向かいに。その目には、はっきりと闘志の色。どうやら、奏に触発されたようだ。私としても、せっかく興味を持ってくれたのだから対局するのはやぶさかではない。ただ、疑問が一つ。
「あれ、加蓮ってルール分かるの?」
奏と違って加蓮が将棋を指しているところは見たことがない。
「昔に同室だったおじいちゃんから、駒の動かし方くらいは教わったんだ」
なるほど、ただ、それも昔のことだろうし、実力はそんなに高くないように感じた。
「でも、初心者だと思って手を抜いたら怒るんだからね」
私が考えていること等お見通し、とばかりにふふんと、自信満々に言う加蓮。私もそんな様子に全力で戦うことを決意するのだった。
「それじゃあ、本気で。……お願いします」
私と加蓮は向き合い、頭を下げる。そして、白熱した勝負が繰り広げられるはずだったのだが、
「……むぅ」
20分ほど経って、悔し気に頬を膨らませた加蓮にも容赦せず、
「はい、王手。というか、詰みだね」
私は最後の一手を打って、無情にも宣言する。
加蓮は弱かった。
予想を覆すことはなく。私は加蓮に危うげなく勝利する事となったのである。
言っていた通り駒の動かし方などは分かっていたのだが、流石に戦術も何もないとこうなってしまう。こちらもハンデなしで全力で挑んだのだから、仕方ない結果といえるだろう。
「加蓮は攻め気が強すぎるんだよな」
もう少し防御にも気を使わないと、と調子よく講評する私。大人げないと思いながら、しかし、久しぶりに完勝出来たことに調子に乗ってしまっていた。すると、加蓮は悔し気に体を震わせて、
「……一週間」
「うん?」
ぽつりと、そんな言葉を呟く。よく理解ができなかったその言葉に私が、疑問を返すと、
「一週間でPさんに勝ってみせるんだから! 一週間後にまた勝負!!」
だんっと音を立てて立ち上がると、加蓮はめらめらと炎を瞳に灯しながら、宣言。よほど私に負けたのが悔しかったようだ。
「……わかった。じゃあ、一週間だな」
私はにやりと一笑いし、そんな加蓮の挑戦を受けて立つ。もとより、こうしたロマンあふれる展開は大好物。
それに、加蓮の強みはこの負けん気の強さだ。一度こうと決めたら考えを変えないだろう。
ただ、アイドルとしての活動に手を抜くことはないから、練習期間はそこまで無いであろうし、少し時間を空けたとしても、勝機は少ないように思えた。思ってもみない展開にテンションが上がったこと、そして油断も間違いなくあった。だからだろうか、こんな馬鹿な提案をしてしまったのは。
「じゃあ、加蓮が勝ったら、奏と加蓮に豪華ディナーをプレゼントすることにしよう」
私は鼻高々にそう宣言する。その瞬間、奏と加蓮の眼が鋭く光ったのを見て、考え直さなかった私は間違いなく愚か者だったのだろう。
「……なんだこれ」
ミニライブに、サイン会にドラマの撮影に。あっという間に時間が過ぎて一週間後。夕方、部屋へと戻ってきた私を、思いがけない景色が待ち構えていた。
いつもは共同机が置かれている中央のスペースに、それはそれは立派な将棋盤が置かれ、そこに敷かれた座布団に座るのは、
「待っていたよ、Pさん」
見事な着物姿の加蓮。その出立は、まさしく女流棋士のそれで。少しお澄ましした様子も含めて、目を奪われてしまった。
「いや、約束は覚えていたけれど。……ここまでやる?」
私は呆然と一言。遊ぶなら精一杯遊ぶというのはわかるが、ここまで凝ったステージを作るとは。そんなことを呟くと、審判の位置についた奏は楽しそうに笑いながら、
「女の想いを侮ったらだめよ? 加蓮、この一週間、それはもう頑張ったんだから」
妬けちゃうわね、なんて目を細めながら言う。
私はその様子に、途端に冷や汗が背筋を伝い始めた。ここまでやったからには奏が言う通り、生半可な特訓はしていないはずだと分かったからだ。
声を震わせながら、尋ねる。
「……ちなみに、加蓮の師匠は?」
「私と周子、紗枝、そして芳乃」
考えうる中で最悪のラインナップであった。私の弱点を熟知している奏に加えて、遊びと翻弄の天才、事務所随一の打ち手のそろい踏みである。特に後者二人には、私は一度も勝てたことがない。
いくら時間は少なかったとはいえ、彼女らから教えを受けたとなると……、
「Pさん、ディナーの用意、よろしくね♪」
自信満々の一言。
扇子で口元を隠しながら、目だけで挑発的な笑みを浮かべる加蓮。だが、私も少しの不安を押し殺し、負けまいと笑みを作って、座布団へと座る。
正直、恐ろしくもあるが、こんなに面白いこともそうそうない。
「それじゃあ、加蓮。……よろしくお願いします」
「お願いします!」
珍しくお互いに畏まったように礼を交わし、私達にとっての世紀の一戦が始まるのだった。
その後に繰り広げられたのは手に汗にぎる決戦。そんな戦いの結果を言うのは野暮かもしれないが、私の財布の重みが失われたとだけ述べておく。
加蓮は本当に負けず嫌いなところが魅力的です。夢に向かって真っすぐに、壁にぶつかることがあっても、あきらめずにトップへ向かって輝いていく。
そんな加蓮との日々は刺激的で興味が尽きないことでしょうね。
それでは、今週も加蓮と奏のプロデュースをよろしくお願いいたします!