奏にとって、世界はどんな風に見えているのだろう。
ふと、そんなことを思うときがある。
それは例えば、彼女が鮮やかな夕陽を見上げて、何か物悲しいものを見たように途端に目を伏せるときや、雨上がりの幽かな景色の中で歩幅を小さく、噛みしめるように歩くとき。
奏は小さな世界の変化の中に、色鮮やかな自身を融かす。
私はそんな彼女を見るとき、なぜだか、とても美しいものを見るような、あるいは悲しいことと出会ったように思うのだ。こうして、隣で歩いているのが不思議なほどに。不意に襲い来る感傷のようなものだ。
そんな私を目ざとく見つけて、
「あら、私が隣で歩いているのに、どこに目移りしているのかしら?」
奏は少しだけ目を細めながら私の顔を覗き込む。ついでに袖も引っ張って。私の失敗を咎めるような様子ではなくて、それもきっと面白いと、楽しむような笑顔で。
私がその笑顔にほうと息を呑むと、涼しい夏風が私たちの間をなでるように過ぎ去っていった。そうして、私の何気ない感傷も遠くへと運んで行く。風と共に、この空の青色が薄紅に変わり、奏の髪のような鮮やかなそれに染まっていく。
そんな世界の移り変わりの中を二人。私たちは何でもなしに歩いていたのだ。
語り合うのは、最近の仕事のことや、加蓮とショッピングに興じたこと。はたまた、短い夏休みの間に皆でどこかへ出かけようか、なんて僅かな未来の予想図も。
そのような中で私が呆けてしまったのだから、奏からすれば失礼極まりないだろう。ただ、私を見つめる瞳に満ちているのは、咎めるのではなく、どこか答えを待ちぼうけるような色。あるいは、私の考えていたことなんて奏にはお見通しだったのだろうか。
「あー、その……。奏のこと、考えてた」
彼女に、私は素直に答える。言った後なので、仕方ないことだが。私はそれだけを言うのに、なぜか気恥ずかしくなって頬を掻いた。そんな様子を見せてしまったのだから、あとは奏のペース。
そのはずだったのに。
「ふふっ、嬉しい♪」
そう言って奏は歌うように笑うのだった。
逆に驚かされたのは私の方。いつもならば、
『そう……。本人が隣にいるのに、貴方の中の私に何を語りかけていたのかしら? せっかくだから正直に話してみない?』
なんてからかうように言われ、最後には心の奥のヒミツまで暴かれるはずだった。なのに、さっきのそれは初々しい少女のようで。私はそれはそれは間の抜けた顔をしていたのだろう。奏は手を口元に当てると、くすくすと可愛らしい音を鳴らす。
「からかわれなかったのが、そんなに意外だったの?」
「そりゃ、まあね。いつもの調子を思い出してごらんなさいよ」
「もう、失礼ね。けれど、たまにはこんな私も良いでしょ? Pさんを飽きさせないように、私たちだって考えるんだから」
「じゃあ、……作戦成功ってことかな?」
「半分だけ、ね。私のことを考えてくれて嬉しいのは本当よ? だって、こんなに胸が高鳴っているのだから」
そう言うと、奏はそっと胸元に手を当てて、片眼を閉じて、「確かめてみる?」なんて唇をゆっくりと動かした。
「……遠慮しておくよ」
吸い寄せられそうな心を閉ざし、私は夕日に隠れて頬を赤くしながら、そっぽを向く。そうして数歩を歩くと、奏は踊るように一歩の距離を近づいて。添えられた細い感触が、私のシャツ越しに伝わってきた。まったく、遠慮したのに。
「伝わったかしら?」
「……」
なんだか言葉を素直に言うのが悔しくて、私は口を閉じたまま。
「良いわよ、陳腐な言葉は必要ないから。眼は口ほどにって言うけれど、本当に正直な人。目も見なくて良いんだから」
ただ、そう言う奏自身も、今日はどこか素直な言葉だった。ちょっとだけ仕返しをしたい気持ちもあって、私は素直にその疑問を言葉にして、奏へと向けてみる。
すると、奏は少しの間だけ言葉を止めて、
「当ててみて?」
と、妖しい音を奏でてみせる。私は手を顎に当てて考えてみた。なぜ、速水奏は今日は素直なのか。すぐに考えられる理由はいくつかあるけれど、その一つ目は
「あー、もしかしなくてもバレてるのかな?」
「今日この日に、妙に淡白なみんなの言葉。突然散歩に行こうなんて言い出した嘘が下手なPさんも加われば、分からないほうが変じゃないかしら?」
隠し事をされていると、逆に正直になりたくなるの、と本気かどうか、天邪鬼な言葉。奏の予想通り、今頃事務所では加蓮や城ケ崎さん達によるサプライズパーティーの準備が整えられているはずだ。確かに、城ケ崎さんは特にだが、皆わかりやすかったからなあ。
「一つ目は当たり。けれど、それだけしか思い浮かばないPさんじゃないでしょ?」
二つ目どうぞ。と、手で促され。さて、じゃあ次に……。最近、奏にとって刺激的だったことは……。
「新曲の歌詞のこと、かな?」
「それも、正解。おかげで少しは素直な言葉を言えるようになったみたい」
ついこの間、私は奏から小さな「我儘」を聞かされた。それは、新曲の制作に参加してみたいというもの。もちろん、作詞家さんの了承を受けてだが、奏も歌詞について意見を伝える機会を作ったのだ。
「まさか、その曲が『繊細な女の子の恋の歌』だったなんて、思わなかったけれど……。でも、私から零れた言葉が歌になるなんて、そんな機会がもらえたのは嬉しかったわ」
実は私は、曲のコンセプトを最初から知っていたり。そんなことばれたら後が怖いので秘密のまま。だが、いつものミステリアスさを抑えて、等身大の女性の心情を歌った楽曲は、これまでの奏のイメージとはまた違った一面を開拓してくれた。
「ファンのみんなには好評だったよな。奏がバラードで、恋の歌。まあ、歌詞を最初に見たときは冷や汗出たけれど……」
私はその時のことを思い出して、背筋をぞくりと震わせる。作詞家の先生から送られて来た歌詞には、どこか私たちの出会い、あの日の夕暮れを想起させる言葉があった。もっとも奏自身は、
「ふふっ、前にも言ったけれど。どこかの誰かに宛てた言葉じゃないわよ? 貴方が勘違いしてくれるなら、悪い気はしないけれどね?」
そう言って悪戯に誤魔化すのみなのだが。おかげで、あの曲が歌われるたびに、私は緊張するし、加蓮はじとりと視線を向けてくるのだ。
それらに加えて、いくつかの理由を考えてみて。中には正解もあったり、勘違いもあったり。ああだこうだと、この小さな散歩の道に彩を添えて。
「随分とたくさん、理由を考えてくれるのね」
「いや、ほんと奏のことを考えると、どれだけ考えても時間が足りないから大変だよ」
「そういう所を楽しんでくれるPさんも素敵だと思うけれどね」
「む……」
今日は不意にそんなことを言うのだから困る。言葉を詰まらせた私を見て、目を細め。そして、奏は囁くように言葉を続ける。
「けれど、こうは思ってくれないのかしら?」
奏は私の顔に唇を寄せて囁く。
「特別な日くらいは、貴方だけに素直になりたいなんて、ね?」
今は加蓮もいない、私だけの時間だもの。
そんな言葉と共に、一歩、二歩と、ちょっと前進のステップを踏んで。
「私をアイドルにしてくれてありがとう。今日この日に、そんな言葉を贈ったら、ありきたりすぎるかしら?」
奏は夕陽の中に躍り出て、満面の笑顔を浮かべた。金色の光の中、それはまるで女神のようで、ありふれた少女のようで。目を離すことができない。
そして、私はその素直な言葉に胸を熱くしつつも、その先に一人のアイドルを幻視する。一面のスポットライトと歓声の中、世界で一番のステージに立つ速水奏の姿を。そうして、こうも思うのだ。
きっと奏は何にだってなれるのだろう。何でもできるのだろう。色鮮やかに世界を捉えて、それを、どんなものにも変えられるのだろう、なんて。
それは先ほど感じた、寂寥にも似た感傷の再来。
まだまだ小さなその躰には溢れんばかりの可能性が隠されている。あるいは、奏が選んだアイドルと言う道も、私のプロデュースさえ、彼女にとっては足枷となるのではないか。そんな不安を抱いたことも一度や二度では収まらない。
けれど、
「夢のような小さな旅も、そろそろお終いね。さあ、それじゃあ戻りましょうか。……これからも、いつまでも、エスコートをお願いね?」
私はもしかしたら我儘なのかもしれない。奏という女の子が、自分で選んだこの道で、こうして笑顔を咲かせてくれるのなら。世界へ夢を届けてくれるのなら。そして、彼女が私を望んでくれるのなら。
私は隣でその道を支えていきたいのだ。決して笑顔が途切れぬように。
結局、奏の問いかけには答えなかった。ただ、その言葉に隠せない笑顔がこぼれ出て、ちょっとだけ歩幅が伸びるだけ。そして奏も、満足げに歩幅を合わせて。長く伸びた影と一緒に私たちの居場所へ向かう。
「そういえばPさんのプレゼントは何かしら?」
「教えたらサプライズにならないだろ」
「あら、その目だと……。ふふっ、頑張ってくれたのね。もっと簡単なものでもいいのに。たとえば、ここに触れてくれるとか」
「それはダメだし、サプライズを予知しないで!?」
「じゃあ、いじわるはここまでにしましょうか。心配しなくても、ちゃんと期待しているわよプロデューサーさん♪」