みなさん、頑張って!
アイドル事務所の日々の業務といえば、多くの人は華やかな姿を想像するかもしれないが、実際には一般的な事務仕事の方が多いくらい。アイドル達がレッスンに勤しんでいる間、プロデューサーは各種の書類や資料を作ることがほとんどだ。
プロデューサーという名前の一会社員。私も、例にもれず書類仕事の真っ最中。
しかも、手書きで回答しなければいけない書類がたまっていたので、パソコンはわきに置いて、机の中からペンを取り出して。
良く手になじんだ、黒のボールペン。書き心地が好きで、随分と前から同じものを使用している。それを使って、さらさらとサインをしたり、書き込んだりしていると、なんだか気分がよくなってきた。比喩でなく、魔法を書いているような。
白紙の紙に綺麗に文字を書けたときなんて、不思議な達成感を感じる。
「フンフンフフーン プロデリカー」
私は書類を捌きながら、その上機嫌に体をゆだねて鼻歌をかすかに歌っていた。
そうしていると奏と加蓮が部屋へと戻ってくる。今日もレッスンは無事に終わったようで。少し疲れているが、まだまだ元気な若者の空気が部屋にやってきた。
帰ってきた二人へ、私は陽気に声をかける。まだまだ文字の魔法は解けていない。
「二人とも、お疲れ!」
「……おつかれさまー。もうヘトヘトだよ。……でも、なんだかPさんは元気だね?」
「私たちがいない間に、こっそりお楽しみ? 隠れてパフェでも食べに行ったのかしら?」
なんて奏が探り探りという視線で尋ねてくる。確かに、甘いものでも食べてきたら、これくらい上機嫌になるだろうが。今日はそうではない。
「そういうわけでも無いけど、何となく気分が良くてね」
私はひらひらと手を振りながら答える。すると、奏はデスクの近くまで歩いてきて、私の手元をじっと見て。そうして、何かに気づいたように、眼を弧にして耳元でささやいてくるのだ。
「……もしかして、字がきれいにかけたから、上機嫌だったの?」
なぜバレた。
「あ、図星の顔。奏、よくわかったね」
「文字には書いている人の気持ちが出るのよ? 今のPさんの文字は、だんだんと昇り調子で筆がのっているから。きっと書いていて楽しくなったのね」
「……正解」
素直に答えると二人は口を押えて面白そうに笑ってしまう。一方、何だか子供っぽいところを見られてしまった私は、顔が熱くなってきて。それをごまかそうと下手な口笛を吹いてみたり。
「別に隠さなくていいのに。楽しくお仕事ができたんだから、よかった、よかった」
「くそぅ、子ども扱いして……」
加蓮なんて頭をぽんぽんと叩いてくる。ええい! 機嫌がよくなったんだから仕方ないだろ!?
「ごめんごめん。私だって気持ちはわかるよ? ほんとに。手帳を綺麗に書けたり、ネイルの細かいところが上手くいったら嬉しくなるし」
「ええ、それに私たちのために仕事してくれているのだから、堂々としていればいいのよ」
そうはいっても、ちょっと面白そうな顔しているのは何故だろうか。
私は何とも微妙な気持ちを書類に叩きつけるべく仕事に戻る。先ほどと同じように、ペンですらすらと文字を書いて……。ただ、二人はなぜか、私の手元を見たまま。まだ何か気になることでもあるのだろうか?
尋ねてみると、
「ううん。Pさんの文字をまじまじと見るのって、初めてだなって思って」
加蓮が先ほどとは違う、面白そうな顔で言う。私の書く文字に、何か楽しいことがあるのだろうか?
「ほら、文字って人によって雰囲気が違うでしょ? 凛の文字は凛としたカッコいい文字だし、奈緒のは奈緒って感じの、ちょっと力入った文字だし。それでPさんの見ると……」
「やっぱり男の人の字をしているから、興味深いのよ。私たちの字とは全然違うわ」
そういうと、奏がペンを催促してくる。渡してみると彼女は捨てる予定のコピー紙を取り出し、その余白に文字を書いて、私に見せてくれた。
「ほら、見比べても違いは一目でしょう?」
それを見て、私は頷きを返す。
彼女が書いたのは、私が書類に書いたものと全く同じ文章。だが、奏の文字は細く、それでいて女性らしさを残した文字だ。私の角ばったそれとは全く違っている。
「じゃあ、私も!」
同じように加蓮も文字を書き記していく。今度は丸く、可愛らしい文字だ。二人とも、何となく性格が伺い知れるような、個性的な文字。
最後に、僭越ながら、私ももう一度文字を書いて。三人の文字が縦に並んだ。人によって文字が違うのは当たり前かもしれないが、こうして見てみると、中々に興味深い。何だか文字が個性をもって踊っているようだ。
けれど、可愛らしくしなやかな文字に挟まれた私の字は、二人に翻弄されながら、ぎこちないダンスを踊っているようで。
「字も私みたいになってる……」
「? 何を想像したの?」
いや、何でもない。ちょっとだけ自分の想像で落ち込んだだけだから。
そういえば、二人と一緒にいれば、サインや予定表などで文字も見ることは多いのだが、こうしてマジマジと観察するのは初めてだった。確かに二人が言うように、文字の特徴というのは興味深く思える。
私がそんなことを考えながら、ふむふむと頷いていると、加蓮が何か面白いことを考えたように目を輝かせた。
「ねえねえ、Pさん! 名前書いてくれない?」
「名前って?」
「えっと、とりあえずは私たちの名前!」
とりあえずというのはどういう意味か。私が疑問を浮かべると、加蓮は私の腕をつかみながら催促。ともあれ、彼女がどうしても欲しいというのなら、単なる文字だ。そんなに出し惜しみするものではない。
私は加蓮の言う通り、二人の名前を書いてみる。すると、二人はまたも面白そうな顔で文字を見て、
「Pさんの文字で書かれた名前って、今まで考えたことなかったけど、改めて見たら、なんだか面白いね。書いてもらったのは思い付きだけど、うん」
「Pさんも律儀ね。簡単に書いてもいいのに、丁寧に書いてくれてるわ」
そう言って褒めてくれたり、喜んでくれるのは、嬉しいこと。私の平凡な字が二人の楽しみになってくれるなら、望外の喜びだ。さて、そこまでは良かったのだけど、
「じゃあ、次にPさんの名前書いて?」
「? いいよ」
すらすらとペンを動かして……。
私の平凡な名前が白紙に書かれる。うむ、普通の名前だ。書いたそれを見せる。
「もう一個、同じの!」
なんて加蓮は要求。それに従って、普通の名前がもう一つ増える。さて、私の名前なんかを手に入れて、加蓮は何がしたいのだろうか? すると、書き上げるなり、加蓮はその紙をひったくって、私の手の届かないところへ持って行ってしまう。
その顔には隠しきれない悪戯心が浮かんでいた。
あの顔は怖い。
「ありがとうPさん! それじゃあ、なにもしないから、持っていくね!」
「ちょっと待って!? そんなの、何かするに決まってるじゃないか!?」
いまさらながら、何かをしようとしていることに気が付いた私は、椅子から立ち上がり悲鳴を上げる。しかし、一度決めた彼女を止められるはずもなく、加蓮は部屋を飛び出していった。
「……一体、どこへ行く気だ」
私が呆然として呟くと、奏は微笑みながら、
「多分だけど、晶葉の所じゃないかしら?」
「……なんで?」
「ふふ、そこは貴方が考えなくちゃ。けれど、うん、とっても可愛らしいアイデアだと思うわよ?」
そう言うと、今度は奏が上機嫌。楽しそうに鼻歌なんて歌ってる。と、そこで加蓮がバンと扉を開けて。
「奏も、ほら、行かなきゃ!」
なんて奏も呼び出し。
「……お呼びのようだから、私も行ってくるわね。安心して、少しはブレーキ役もしてあげるから♪」
「……お願いします」
奏は私の哀願に頷きつつも、最後にニヤリと怪しい微笑み。私に不安だけを残して部屋を飛び出していった二人。
結局、彼女たちが何を企んでいたのか、私は分からないままであった。
その後、何人かのアイドルから、からかい声で「おめでとー」なんて言われたのは関係があるのだろうか。城ケ崎さんだけは顔が真っ赤だったし。
少し未来のことをつゆ知らない私は、ため息をつきつつ、静かになったオフィスにて書類へと再び手を伸ばす。気を取り直してお仕事再開、と思いきや。
「……やばい」
書き損じ。
ペンで書いた文字は書き直せない。そんな単純なことを覚えているべきだったのだろう、私は。