4月16日「大志を抱く日」
「質問です。今日は何の日でしょうか!」
春の温かさを窓辺から取り入れて、ちょっと風に揺らされる、昼下がりの事務所。部屋へ入るなり、私は意を決して、声高々に宣言した。そんな私を、ソファで思い思いに過ごしていた二人は怪訝そうな顔で見てくる。
少し芝居をかけて、いつになく真剣な雰囲気に、逆光を浴びての位置取り。傍から見たらいきなりの奇行に、二人の反応は至極まっとう。であるが、私にもこれだけ意気を上げた理由があった。
なにせ、いよいよ祭りが始まる。
私は少し目を閉じて思い出す。去年、大切なアイドル二人が果敢に挑戦し、頂きに手をかけつつも、わずかで逃したことを。その後、笑顔で過ごしながらも、悔しさを胸に秘めていたことを。
そのリベンジがなるかもしれない、そんな大きな挑戦の始まりには、気合を入れすぎるくらいがちょうどいいと思えた。
だが、そんな私を見る奏と加蓮、変わらずに担当アイドルでいてくれる二人は呆けた表情のまま。
加蓮はファッション雑誌をめくる手を止めて。
奏はコーヒーカップを静かに机に置いて。
私が太陽のような熱血ぶりなら、彼女たちは風を受ける花のようにしなやかに。そんな様子にちょっとの違和感を抱いたが、それも杞憂だったようだ。
二人は一瞬、顔を見合わせると、私へとそれをゆっくり向けてきた。柔らかく、親愛ある笑顔に変わり、私の意図が伝わったと確信が持てる様な、穏やかな言葉がつくられる。
「いったいどうしたの、Pさん? そんなに仰々しく言うなんて」
「ほんと、ほんと。今日が何の日か、なんて私たちも、もちろん分かってるよ?」
「ああ! そうだよな!」
私だけの気合で終わらずに済んだと、安堵できる、確信に満ち満ちている二人の声。
もちろん、一番に頑張ってくれているのは、アイドルである加蓮と奏。私の役割はそれと比べれば微々たるものであるけれども、チームとして一致団結して困難に立ち向かっていった先に、結果が伴うもの。
だから、私は声を張り上げて、
「今日は! シン……」
「「チャップリンデー!!」」
「……はい?」
声は重なることはなかった。
ひゅうと春一番のような風が私だけに吹き抜け、髪を大げさに揺らす。ばさばさと、目の前に揺れていく黒髪に、間の抜けたように口を開けた私。
一方で、そんな私をしり目に、珍しく大きな声を上げた二人は満面の笑みを浮かべている。そして二人は、私を置いて、てきぱきと準備を始めてしまった。
奏はバッグからDVDを出して。加蓮はコーヒーとクッキーを用意して。
これから何を始めるのか、と聞かれれば、そんな二人の様子からは映画鑑賞会以外に答えはない。奏なんか、いつになく瞳にワクワクした色を浮かべて、あれがいいか、これがいいか、とプレイヤーの前で品定めをしている。それらはどれも良く知られた喜劇王作品。
いや、私だってみんなで見てみたいけれど、今はそんな話をするつもりじゃなかったのに。
なぜ、ホワィと、状況が読み込めない私をよそに、二人が話を進めていく。
「もう一年も前だよね。みんなでチャップリン見たのって」
「ええ。時がたつのは早いものだけど、Pさんが覚えていてくれたなんて嬉しいわね。加蓮は初めてだったんじゃない? チャップリンに触れたの」
「そーそー。あの後、奏と一緒に色々見たけど、あの時が初めて。あ、そういえば。あの日のディナー、美味しかったよね? 今日もPさん、奢ってくれないかな?」
「Pさんも鈍感じゃないもの」
奏が言うなり、妖艶な目つきで私を見つめてくる。『もちろん、分かっているわよね?』なんて、無言の主張がそこにはあった。
そして、私だってその日のことを忘れてはいない。一年前の今日、皆でチャップリン映画を見て、最後には二人に奢ることになったことを。そして奏の望む通り、二人を夕飯に連れて行ってもいいと思っている。
相変わらず二人の頼みに弱い私は、あっけなく頷こうとして……。
「って! ちょっと待った! 確かに今日はチャップリンの日だけど!! もっと別の意味もあるだろ!?」
四月十六日は喜劇王の記念日。ではあるが、私たちにとっては、アイドルとプロデューサーという立場からすれば、もっと大事な意味があるのではないだろうか。例えば、一年に一度の大きな祭り騒ぎなんて。
「あら、勘違いだった? そうね、他には……」
「ほらっ! 奏や加蓮がこれから頑張るイベントが……!」
「あ、奏! じゃあ、これじゃない? 『女子マラソンの日』!」
「違うって!?」
加蓮が自信満々にスマホを掲げ、私は頭を押さえて崩れ落ちた。
「……へえ、日本で初めて、女子フルマラソンが開催された日、ね。私たちも、マラソンの開会式とかでゲストをしたこともあるけれど」
「ねえ、Pさん、今からマラソンするのはちょっと……。Pさんもおじさん間近だし、準備しないと怪我しちゃうって」
「しないって!! そして、まだお兄さんだし、全部間違っているから!!」
加蓮の、真剣に私を心配する顔。この一年でさらに演技力に磨きをかけた、本当に私のことを気にかけていそうな絶妙な表情。
たしかに『女子』マラソンなら、加蓮と奏も参加するかもしれない。その時には頑張ることになるかもしれない。だが、二人の口ぶりは、自分が走ることを欠片も想定していないのはなぜだ。どうして、『女子』マラソンを私が走ることになる!?
(一キロそこらでリタイアが関の山だ。走らないけど! そして、私はまだ若いって!!)
内心で二人にツッコみを入れながら、しかし、この段階で二人の魂胆は分かっていた。遅ればせながら、いつも繰り返されてきたことだと想像がついた。
(また、からかわれている!!)
二人もそれを私の表情で察したのだろう。隠すことなく、からかう目線を向け始めた。
私たちの日常と化している、二人によるからかい。それは一年がたっても変わらず、私はからかいに弱い子羊のまま。一方で、二人はますます、からかい上手に。
いつも私は悪戯な二人の声に、仕草に、表情に冷や汗を流してばかりいた。
なので、ここからの流れの予想はついている。そして、私が逃れられないことも分かっている。
加蓮も奏も映画鑑賞の準備をストップすると、ゆっくりと、けれども速やかに私の左右に陣取った。ほっそりとした指先が延ばされ、掴まれる私の二の腕。両脇に可愛らしいアイドルが二人もいるというのに、気分は蛇に丸のみにされる鼠だというのは何故だろう。
暗い森に誘う様なくすぐる声。細められ、向けられる悪戯な瞳。妖艶に、年相応に、あるいは魔女のように、二人が語り掛けてくる。
「ふふっ、ねえ、運動不足のPさん。貴方の今年の目標に、フルマラソン達成なんて、どうかしら?」
「知ってるよ? この間、ジャンボパフェ食べてたこと」
「それも、約束破って週に二つも……。た、い、へ、ん」
奏の指が頬を撫で、私の肌が波立つ。加蓮の声が耳を突き抜け、脳髄を痺れさせる。隠し事がバレていた罪悪感もあって、私の口は震えて、拙い弁解しか漏れない。
「いや、あれはつい……」
「だめだよー。少しは体も労わらないと。それに、年取ったら痩せにくくなるって言うもんね。私たちも大切なPさんがメタボなんて困っちゃうから」
そんな、怖いほど労わる声を聞きながら、ゆっくりと肩にかけられた手に力が入れられ、私は地面へ沈んでいく。無理に引きはがすこともできたのに、抵抗できず、されるがまま。からかわれていると分かりつつも、こうなった二人相手に主導権を取り戻せるはずがない。そこへゆっくりと、二人の体が迫ってきて……。
耳元で温かい吐息、触れた場所は熱く、火傷しそうなほど。
そして、
「……いだだだだだだだっ!?」
「まずはストレッチからかしら?」
「だね。ほら、ゆっくり息を吐きながら、ぐーっと」
「ストップ!? ストップ!!?」
屈伸である。あの、学生時代にやられたような、後ろから体重をかけられるアレ。足を延ばして、指先をつま先に付ける屈伸。だが指先が付くどころか、半分も曲がらないまま、私は悲鳴を上げる他なかった。
背中は柔らかいやら、痛いやら、やっぱり痛いやら。こら、加蓮! どさくさに紛れてくすぐるんじゃない!? 奏も、息かけないで!! ギブ! もう無理!!
「うわっ、すっごい固いんだけど。もっと運動しないとダメだよ、ほんと」
「……」
「奏、ちょっと楽しそうじゃない?」
「そんなことないわよ?」
唐突に始まった地獄の柔軟体操は、私のギブアップの叫びも虚しく十分ほど続いた。だが、立ち上がった時、身体が健康になったかもわからないまま。そして、散々な目に遭った挙句、私のスケジュールに、ふろ上がりの柔軟と年内のマラソン挑戦が決定してしまった。
ようやくと、話が元の軌道に戻りそうになったのは、もはや入れる気合も、張る大声も出せなくなったころであった。
「ひどい、目に、あった……!!」
「あ、あはは……。ちょーっと、やりすぎちゃった?」
「……というか、自分の体が、ね」
ぜえぜえと息を吐きながら、なによりショックを受けていたのは自分の体のこと。少し押されたくらいで悲鳴を上げるとは何事か。加蓮が言う通り、将来がちょっと不安になってしまう。
けれども、
「ふぅ……」
息を整え、スーツの襟を正す。なんだか、部屋へ入ってきたときと違ってスッキリしていた。無理に気合を入れたり、上へ上へと段飛ばしに進んでいこうという気持ちが占めていた頭の中。それが、騒いだからか、空っぽになって、プレッシャーもない。
そうして思い出すのは、聡明な二人が、今日が何の日かを知らないわけがないこと。だから、ここまでのからかいは、
「あー、その、ごめん。ちょっと先走ってた」
二人は心配してくれていたのだと思う。決めていたパフェを食べる数を破るほど、ここ最近は忙しく走り回っていたし、怒られないように、隠れて残業も繰り返していた。
そんなこと、毎日顔を合わせていれば、百も承知だったのだろう。
「二人には、心配かけちゃったかな?」
そう言うと、二人は微笑みを零し、
「少しだけ。私たちのことを考えてくれるのは嬉しいけれど、貴方の体が大切だもの。変に構えないで、気を抜いても良いんじゃない?」
「いい結果貰っても、Pさんが倒れちゃったら、流石に泣いちゃうんだから」
加蓮と奏が、肩を優しく撫でながら言ってくれる。
「……そうだね、その通りだ」
そして、私も同じように小さく笑って答えた。
ここまで三人四脚で頑張ってきたのだ、そこで一人だけ先走っても、躓いてこけてしまうだけ。
奏と加蓮が、私の手を引いて、立ち上がらせてくれる。何時も、いつでも、きらきらと輝いている。ステージでも、仕事でも、そして、こうしている今も。
立派なアイドルで、魅力的な女の子は、大舞台を前に、いつも通りに笑っていた。
「心配しなくても大丈夫。ここまで頑張ってきたんだから、今年だって、来年だって、ちゃんと輝いていけるよ。貴方が育ててくれたアイドルだもん。任せといて!」
「加蓮に言いたいこと言われちゃったわね。でも、ほら、Pさん。さっき調べたら、面白いこと分かったの」
奏が差し出してくれたスマホの画面。今日の記念日として、チャップリンデーや、女子マラソンの日が並んだ、そこには。
「どこまでも輝いて、上を目指していくのがアイドル、でしょ? 貴方の言うように、宇宙を目指せるくらいに。偶然かもしれないけれど、そんな私たちのスタートにはちょうどいい日だと思うの」
「『ボーイズビーアンビシャスデー』、か」
「私たちはガールズだけど、それでも」
四月十六日。クラーク博士が教え子に夢を告げた日。
昔はボーイズだけが大志を抱けた時代であったけれど。今は伝説のアイドルたちが歌ったように、乙女だって大志を抱ける時代だ。
そして、時代の名前も変わるという時こそ、シンデレラたちには……。
「じゃあ今日は、『大志を抱く日』だね」
大きく花咲くような夢を抱いて欲しい。そして、それを叶えてほしい。
私は気を取り直し、今度こそ自分らしくカッコつけて手を上げる。無茶な目標でも達成する主人公たちのように、夢を追いかける彼女たちにふさわしいプロデューサーとして。
「やっと、ロマン大好きなPさんに戻った?」
「二人のおかげ」
「それじゃあ、私たちらしく、トップを目指して走りましょう」
軽やかな音と一緒に、三つの手がてっぺんに向かって重なる。ファンとプロデューサーとアイドルたちが、切磋琢磨して駆け抜ける、そんな一年に一度の祭典の、今度こその始まり。願わくば、二人のアイドルに栄光がもたらされるように。
第8回シンデレラガール総選挙、開幕。
「……いったい、どうしたの?」
「いや、さっきのあれで、腰が……」
「ほんとにおじさんになっちゃった?」
「私はお兄さんだ! まだ!! ……たぶん」
今年も私たちらしく、頑張ろう。
総選挙、再び開催!
去年に引き続き、今年も三十日連続更新を目指していきます!
そして、速水奏と北条加蓮の二人を頂へ。モノクロームリリィの曲とイベントも諦めません!
二人の魅力がどうか、少しでも伝わりますように。
面白いと思っていただけたら、ぜひ、二人へ清き一票を!