速水奏。十七歳、女子高生。
そう、十七歳。
制服を着ていてもOLと間違えられたり、成人顔負けの色気を出せたり、大の大人をからかい倒せるほどの小悪魔っぷりを発揮したりするが、奏はまだ女子高生。
まだ若い彼女には、たくさんの選択肢が残っている。
例えば、こんな場所に通う、そんな未来も待っているかもしれない。
「……広いわね」
花が散り去った後、深緑を纏い始めた桜並木を見上げ。奏が大きく息を吸い、零すのは小さな感想。
その視線のさらに奥には、古めかしい門と大きな建物。私たちの事務所も存在する、都会の喧騒とは違う、芸術的な風情を感じさせる学び舎。
奏の小さな感想は、それら全てへの感嘆が込められているように感じた。
私は、そんな奏の隣に立って、共に門をくぐっていく。ちょうど上に、門を臨んだとき、時を刻んだその先で、奏がここを居場所とするかもしれないなんて、ふと思った。
先にも述べたが、速水奏は女子高生であり、数年も待たず、進路を決める時期が来る。そして、その中には『大学』という選択肢も存在する。いや、聡明な奏にとっては、そこへ向かうことは当然なのかもしれない。
そんな奏と共に訪れたのは、女子大学。都内でも有数の、歴史あり、権威がある学び舎だ。ただ、奏がまだ大学生でない以上、ここへと来たのはアイドルの仕事として。
高校生でありながらも、大学生らしさ、いや、大人っぽさを感じさせる奏を、受験のポスターに使いたいとの申し出があったのだ。
学生服姿と、その後のキャンパスライフ。そんな衣装を一人で着こなすこともできるし、奏は今の女子高生にとってカリスマ的な人気を誇っている。加えて、伝統を重んじる校風からも、奏の凛とした雰囲気はお気に召したようだった。
今日は、そんなオファーをくれた大学スタッフとの顔合わせ。ポスターが作成されるのは数か月先のことだが、顔をつないでおくのは大切である。この後は撮影スタジオなどの仕事になるので、此処に来る機会は少ないだろうし、なおさら。
門をくぐり、広がる視界の中を探っていくと、春の陽気に当てられて気ままに過ごしている学生がたくさんいた。奏にも伊達眼鏡に、大人締めな服装を選んでもらって正解だった。芸能人が来たとなったら、彼女たちも血相を変えるだろうから。
「それにしても、女子大ってこんなに静かなんだな」
目の前の光景に私は声を零した。
辺りを見回しても、ベンチで静かに本を読んでいる学生が多いし、歩き方も気品があるように感じられる。服のセンスもいいが、派手さは抑えられている。『上品』という形容が正しく、奏の雰囲気とも合致するところがある。なるほど、スタッフが奏を選んだ理由も理解できた。
すると、隣で静かに歩いていた奏が、伊達眼鏡の奥から興味深げな視線を向けてくる。
「私はこういう場所、来ることがあまりないから、よくわからないのだけど」
「こちらの場合、普通の共学大学だったから」
そりゃ、騒がしいことこの上なかった。広場ではボールを追いかけ騒いでいる者もいたし、友人と大声を出しながら歩いていたり。文化祭ともなれば、もう無法地帯である。
かつての懐かしい光景を思い浮かべながら言うと、奏はころころと笑う。
「ふふっ、Pさんも学生時代ってあったのね」
「そりゃ、もちろん」
生えてきたわけじゃない。
「そうかしら? 貴方はいつ見ても、ずっとスーツだもの。生まれた時からスーツ姿だと思ってた♪」
奏は冗談めかして言い、私は、自分のスーツの襟に思わず手を伸ばす。自分の服装を見てみると、やっぱりスーツ。最近は、二人に勧められて私服も増えたが、まだまだスーツ姿をからかわれてばかりだ。
ちょっと悔しかったので、当時に来ていた服装を思い浮かべてみるが……。
「……やっぱり、スーツっぽかったかも」
「はぁ、そこまで筋金入りだとは思わなかったわ」
二人で苦笑いをして、広場の横を通り過ぎる。
今はのんびりとした時間だ。元々大学側に断って、早めに到着していた。打ちあわせまで、あと一時間ばかりはある。奏はこの先で大学生姿を撮影されるのだから、大学の雰囲気を感じた方が良いと考えてのことだった。
公開されている校舎に入ると、外の柔らかい雰囲気とは一転、今度は固めの教室が立ち並んでいる。この学生の憩いの場と、研究の最先端とのギャップも大学ならではだろう。窓ガラス越しに、中をのぞくと、授業を行っているところがあった。
あ、あの子、参考書で隠しているけれど寝てるな。机の下でスマホを弄っている子もいる。すると、横から呟く声が。
「こういう大学にもいるのね。不真面目な人って」
奏が何でもないように言う。ただ、そこには、少しは予想していたという感情がにじんでいた。
「奏?」
「ううん。理想と現実は違うものだって、分かってるもの。殊更、ショックなんて受けていないわ。……理想はつくることもできるって、今は分かるから」
覗き込んだ目は、いつかの夕暮れ、私と出会った海岸のものと似ていた。奏が何に悲しんでいたのか、どんな事情があったのかは聞いたことがない。
けれど、今の視線は似てはいたが、確かな違いも感じられた。現実を受け止めて、けれど、それだけが全てじゃないと、先へ進もうとする強い意思も。
なら、こういうことを尋ねてもいいかもしれない。
「奏は将来のこと、どう考えているんだ? 大学進学とか、アイドルに専念するとか」
「どうしたの? いきなり」
「大学に来るなんて、せっかくの機会だし、ちょっとね。もちろん、今決めることじゃないし、無理に考えなくてもいい」
ただ、いつか来ることならば考えるのに早いも遅いもない。進学するともなれば、仕事をセーブしないといけない時期もあるし、現時点の考えを聞いておきたかった。
すると、奏は手を顔に当て、ゆっくりと考えながら口を開く。
「そう、ね。……正直にいうと、あまり考えていなかったわ。今の生活はとっても充実しているし、もっと先に進みたいって気持ちもある。けれど、数年先の進学となると、ね。
……逆に聞いてもいい? 人生の先輩としては、貴方はどう考えてるの? 私は大学に行くべきだと思う?」
聞かれたなら、リアルな話をしてもいいかな。
「あくまで一例だよ。
それで、私の大学生活は……。あまり、身になるもんじゃなかったな。友人も少なかったし、講義で今も覚えていることなんて、そんなにない。サボって、喫茶店に行くことも多かった」
「……そうなのね」
奏は少し眉を顰める。しかし、それだけが全てじゃない。
「ただ、意味がなかったなんて思ってないんだ。学生生活の悔しさとか、そういうのが胸に残ってて……。今、きっと、後悔しないように動けるのは、学生生活のおかげだと思う。そうして、奏と加蓮と会えたんだから、全部チャラかな」
すると、金の瞳が見開かれ、その奥にキラキラとした色が広がった。灰色の学生生活とは真逆の可能性。
「だから、私が奏に何か伝えられるなら。奏がどんな道を選んでも、きっと、君にとって大きな糧になる。それは、信じているよ」
奏は、とても賢く、聡明な子だ。どんな経験をしても、どんなことを学んでも、今の奏なら大きく羽ばたくことができる。
「もうっ、かいかぶりすぎよ、なんて。でも、嬉しいわね」
「奏はなにか勉強したいこと、ないのか?」
興味があることを伸ばす場所として、大学は最高だ。しっかりと選べば、望んだトップクラスの教育を受けられるし、第一人者と無償で出会うことができる。
「例えば、文学は? 奏、神話とか文化的なこと好きだろ?」
「いいわね。気の向くまま、赴くままに、物語を掘り下げて、人々に思いをはせる。ただ、その研究も楽しいでしょうけど、趣味のままに留めておきたい気持ちもあるの」
「それじゃあ、いっそ分野を変えて、科学とか」
白衣も十分以上に、似合うと思うし、眼鏡をかけていれば様になる。一ノ瀬博士とも親しいし、あの観察眼は研究にも役立てることができる。
「ふふっ、それは止めておこうかしら。興味はあるけれど、それでも研究では、志希に敵いそうもないから」
「芸術分野」
「漠然としすぎ。映画撮影なら、面白そうね」
「教育学は? 奏は良い先生にもなれると思うぞ?」
「あら、言葉がちょっと強いわね。もしかしてPさん、私みたいな先生に会いたかったり?」
眼鏡をちょっと動かしながらの、挑発的な目。そりゃあ、奏みたいな先生がいたら、大人気になるだろう。……私だって、ね。
「お、オホン。じゃあ、心理学」
「誤魔化しちゃって。そうね、心の中、形のない神秘の宝箱。興味深いと思う」
「哲学」
「……今までの中では、しっくりは来るわ」
ちょっと真面目に考え始めた奏に、苦笑い。
どんな学問を取り上げても、奏には似合うと思えた。本当に奏は多才だし、新しい分野に飛び込んでも、得意を伸ばしても、大成できるだろう。
けれど、そうして歩いているうちに、奏が口に手を当てて笑い出す。
「どうしたんだ、いきなり?」
「ううん、ちょっと。Pさんと話していて気が付いたの。私、大学のことなんて、まだ考えられないけれど。私のやりたいこと、学びたいことは、一つの道につながっているって」
奏は踊る様に一歩前へ出て、晴れやかな笑顔と一緒に言うのだ。
「アイドルの道に、ね」
小さくも、しっかりとした言葉。それは、奏が自分の未来として、アイドルの道に迷いがないと、そう宣言するようだった。逆に唸らされるのは、こちらのほう。
「文学は表現力に、哲学は振る舞いに、心理学はパフォーマンスに。芸術に、他のだって」
「きっと、何を学んでも、何を得ても、この道につなげることができる。……ほんと、アイドルって興味が尽きないお仕事だわ」
楽しくて仕方ないという彼女は廊下を一歩、一歩。確かな足音と一緒に、奏は今、未来を歩いていく。
なんにでもなれる。どんな道でも輝ける。そんな、未来溢れる彼女を見て、けれど……。
奏は、そんな私の心を察したように、ちょいと袖を引き、目を細めた。悪戯なお姫様のように、魔性の魔女のように、夢に挑むシンデレラのように。
「でもね。誰にでもなれるかもしれないけれど。どんな道も行けるかもしれないけれど。……私を輝かせてほしいのは、ただ一人だけ。
……そのこと、忘れちゃだめだよ?」
その未来だけは、決まっているようだった。
奏、演技もそうですし、知識とか振る舞いとか、本当に多彩で惚れ惚れしてしまいます。
そんな彼女の可能性を見るためにも、素晴らしい結果を得たいものです。
それでは、今日もモノクロームリリィの二人に、清き一票をお願いいたします!!