モノクロームリリィとの日常   作:カサノリ

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ちょっと遅れました! ごめんなさい!


4月23日「世界本の日」

 目が覚めた時、見渡す限りの本棚が広がっていた。地平線の向こうまで、遠く遠く。背の高い本棚が整然と並んでいる。

 

 見覚えがない、幻想的とさえ思える景色。

 

 私は、今、どこにいるのだろうか。

 

 実体のないように、心が揺らめいて、視線だけが本棚を上から下へと巡っていく。

 

 そのまま流れるように、幾重にも折り重なり、色とりどりの表紙が並ぶ本棚を抜けて。そして、たどり着いたのは、大きな地球儀が置かれた広間だった。落ち着きのある、シックな様相。

 

 大図書館という言葉こそ、ここにふさわしい。

 

 ただ、こんなに立派な図書館なのに、人が誰もいない。無人ということもあるまいに、まさか、何かトラップが仕掛けられているダンジョンかと、ロマン脳がワクワクを発進した時だった。

 

 地球儀の片隅から、司書だろうか、一人の女性が出てくる。

 

「お待ちしていました」

 

 細く、透き通った声。カラスの濡れ羽色というべき美しい黒髪の奥から、宝石のような瞳が輝いていた。どこか、よく知っている仲間と似ている少女。

 

 そんな司書の少女は、私の元までしずしずと歩きよると、何も語らず、一冊の本を手渡してきた。

 

 思わず受け取ったそれ。夜のような深い青色の厚い本。驚くべきことに、その表紙に描かれていたのは、見覚えがある少女だった。

 

(奏……?)

 

 まだ幼い奏が、夜の湖で踊っている絵。

 

 言葉を失い、私は静かに佇む司書を見つめる。すると、彼女はしっとりと微笑んで小さな口を開いた。

 

「……人には、物語があります。辿った人生、それを描くだけで、必ず一つの本は出来上がる

 この本も、そうしてつくられた一冊です」

 

 奏の人生の本だと、司書は言葉少なめに言う。

 

 だが、そうして本となるのは、完結した人生だけの話だ。ゴールを迎えた人生だ。これが奏の本ならば、彼女の人生はゴールを迎えたというに等しい。

 

 そんなこと、あるわけない。

 

 私の感情が訴える。まだ、彼女には見せられていない景色がたくさんある。果たしていない約束もある。こんなところがゴールだなんて認められない。

 

 言い募ろうとする私を、司書が人差し指を掲げて制止する。私の心を読んだのか、首を横に振り、

 

「安心してください、プロデューサーさん。これは、未完成の本です。彼女のお話は、まだ途中。けれども、不思議ですね。この中には完結している話もあるんです。

 ……人生は物語。この本の中には、枝葉のように断ち切れた歴史も刻まれている。……彼女は、それを貴方に見てもらいたいと思っているようです」

 

 司書がゆっくりと本を開く。

 

 奏のように、細く繊細な文字で描かれた物語。そこを覗き込むうちに、私の意識は深く深く沈んでいった。

 

「それでは、どうか良い旅を……」

 

 

 

 まどろみから覚めると、そこは街の中だった。

 

 よく知る渋谷の喧騒に、道行く人だかり。その真ん中に、私は立っている。私はいつの間にやらスーツで、景色はどこか靄がかかったまま。誰も私を見もしない、ぶつかりもしない。幽霊のように、すり抜けていくだけだ。

 

 見慣れた、奇妙な街の中で、戸惑うままの私。だが、一つの景色が飛び込んできて、私は目を奪われてしまった。

 

「ねえねえ、昨日のツイート、バズっちゃったんだけど!」

 

「またぁ? どーせ、てっきとーに煽ったんでしょ」

 

「目立てばいいじゃん! ねえねえ、奏は?」

 

「いいんじゃない? でも、もっと刺激的なこと、しちゃえばよかったのにさ」

 

 今どきの、どこにでもいる女子高生の集団。スマホを片手に、きゃいのきゃいのと、顔を寄せ合い、一つの生物のように歩いている。彼女たちの世界は小さな画面の中だけで、完結。

 

 互いを見ないまま、スマホの灯りを頼りに周りを確かめる様な、かしましく、ありきたりな女子高生。

 

 その中に、見慣れぬ奏を見た。

 

 服装はこだわりを捨てたように、お揃いのコーデ。化粧も、目立たず溶け込むように意識したもの。そして、何より、大きな声で笑っている。

 

(……ふつうの女子高生みたいに)

 

 十七歳の女子高生として、どこにでもいる誰かと同じように。仕事に追われることも、汗を流す必要もない。自由によって身を包む生活。

 

 速水奏のありえた景色。

 

 けれど……。

 

 

 

 パチリ

 

 

 

 場面が変わる。

 

 都心のど真ん中から、紅にそまった学校に。喧騒が消えて、静寂が広がり、うるさいほどに静か。そんな学校の中、奏は図書館にいた。

 

 放課後を迎えたのだろうか、周りには誰もいない。ただ、物言わぬ本だけが奏を囲んでいる。神話に、民話に、哲学に。私では読むのが難しい、というか、読んでいる途中で寝てしまいそうな分厚い本の砦に、奏は一人いた。

 

「……」

 

 だが、奏は気にする素振りもない。パラパラと本をめくり、何かを見つけると、ノートに書きこむ。

 

 その思考にふける様は、往年の文豪や作曲家を感じさせるほどに堂が入ったものだった。

 

 何を書いているのだろう。手元に置いてあるノートを見ると、繊細な彼女には似つかわしくない、書きなぐった文字の山。

 

 まだ形を成していないが、ポエムか、小説だろう。奏はそれを完成させることのみに集中していた。

 

 自分の世界だけがあれば十分と言いたげな、世界から切り離されていることも平気という様子。

 

 自己世界の表現者として、それのみをストイックに追い求めているような、ある種の美しさすら感じられる姿がそこにあった。

 

 感受性が強く、繊細な奏。

 

 その長所を活かせた姿だろうけれど、その一点だけを見つめた目は……。

 

 

 

 パチリ

 

 

 

 三たび、景色が変わる。

 

 今度の奏は、私が知る姿と最も似かよっていた。

 

 少し気崩した制服姿に、存在感のある雰囲気。けれど、その表情はどこまでも異質だった。

 

 自然に見える。笑顔も、微笑みも、友人と話す仕草さえ。

 

 けれど、そのどれもが同時に不自然。

 

 その奇妙さを、彼女と周りの人々との関わりが、強く伝えてくる。

 

「あのっ! 奏先輩! 今度、私たちの応援に来てくれませんか!?」

 

「ふふっ、貴女たちのような可愛い後輩のためなら、いつでも喜んで♪」

 

 慕う後輩の前では、頼りがいがある憧れの先輩に。

 

「ねえ、奏! 今日の課題忘れちゃったんだけど、助けてっ!」

 

「もう、仕方ないわ。放課後、何か奢ってくれるなら、ね」

 

 同級生の前では、親しみがある、ただの少女に。

 

「奏ちゃんって、いつもみんなに囲まれてるよね。ちょっと、頼まれて欲しいことがあるんだけどいいかな? 人手が足りないんだ」

 

「先輩……、頼ってくれて嬉しいです」

 

 先輩の前では、甲斐甲斐しい後輩に。

 

 人に合わせ、状況に合わせ、奏は七色に自分を変えていた。学校という現場においては、そのふるまい方は正しいのだろう。

 

 誰も、奏を疎まない。誰も、奏を拒まない。

 

 誰も、奏の本当を知らない。

 

 奏が仮面を付けていることを、誰も知らない。きっと、もう、奏でさえも。

 

 そんな姿は……

 

 

 

 パチリ

 

 

 

 そうして、短い旅は終わり。

 

 目が覚めると、再び、私は司書の前にいた。ズシリと重い感触に、手元を覗く、奏の本がぴたりと閉じたまま腕の中にある。とても重いけれど、耐えられないことはない。

 

「いかがでしたか?」

 

 司書が問いかけてくる。宝石のような瞳が、嘘を許さないように私を覗き込んだ。

 

「彼女には普通の生活が待っていたかもしれません」

 

 ただの女子高生のように、他愛のない会話に混じり、何者でもない日常を送り、何も残さないまま、過ごしていく。

 

「彼女には自分の世界を深める術があったかもしれません」

 

 奏が自分の豊かな心の中と向き合って、それだけを表現する術を見つけたら。きっと、彼女は唯一人の表現者となれただろう。世界に一人の、奏の世界の住人となれただろう。

 

「彼女は自分を隠して、意のままに振る舞う未来があったかもしれません」

 

 誰も彼女の本当を知らないまま。誰もが彼女を理解したと、思い込む。奏はその世界で、皆の中心だ。皆が味方で、無理解者。

 

「……そういう未来があったかもしれない」

 

「ええ。彼女がアイドルとならなければ」

 

 高潔を捨てていれば。

 

 世界に沈み込めば。

 

 仮面を張り付ければ。

 

 迷った道で、あの夕暮れの海岸で出会わなければ。アイドルとは違う、別の形での未来にたどり着いたかもしれない。

 

 それは決して不幸な未来じゃない。

 

 どの世界でも、奏は上手くやっていた。私が知らない速水奏として、悪くない未来を掴み取っていたはずだ。アイドルのように、辛く、厳しい世界にいなくても良かったはずだ。

 

 そう、アイドルに縛られない世界だ。

 

 私は、大きく息を吐き、目を閉じる。

 

 アイドルも、奏の枷なのではないか。そう思ったことは一度や二度ではきかない。アイドルにして、トップアイドルという道を作ることは、エゴじゃないか、と。 奏の可能性を、世界の深さを知るたびに、私が彼女をアイドルとしたことさえ、枠に押し込めただけじゃないか、と。

 

(けれど……)

 

 垣間見た三つの世界、決して、悪くはない世界。リスクはない世界。

 

 そこで出会った三人の奏を思い浮かべ、私は目を開けた。

 

 前に立つ司書が、不意に微笑む。胸をなでおろしたように、緩やかな服の上に腕を添え、そして、静かに声を空気に震わせた。

 

「だから、私はこの本を託されました。……我ながら、老婆心だと思います。ですが、貴方たちの本に、幸福な結末が描かれるのを、私は待っています」

 

 

 

「あら、ようやくお目覚め?」

 

 くすぐるような声が耳元から聞こえた。

 

 ゆっくりと目を開けると、目の前に綺麗な顔がある。女神かと見間違うほどに整って、けれど、無機質なんかじゃない。目の奥には確かな好奇の色がある。

 

 『速水奏』が微笑みながら私を見つめていた。

 

 体を起き上がらせると、タオルケットが腹の上から落ちる。周りを見回すと、見慣れた事務所。そして、私はソファの上。少し頭がぼんやりしているのは、間違いなく寝起きなのが原因だろう。

 

 思い出せるのは、仕事を終えて、一安心と休憩をしたところまで。外を眺めると、既に春の夕暮れが広がっていた。

 

「ふふっ、部屋に戻ったらうたた寝しているんだもの。起こしても良かったけど、お仕事は終わっているみたいで、気持ちよさそうだったから」

 

「じゃあ、タオルケットをかけてくれたのも、奏か。……ありがとな」

 

「どういたしまして。私も七変化するPさんの顔、楽しませてもらったからね。お礼はそれで結構よ」

 

 ウィンクし、くすくすと笑う奏。それを見ていると、どれだけ私は愉快な顔をして寝ていたのか、と心配になってしまう。間違いなく奏のスマホには、その時の顔が保存されているだろうし、加蓮に伝わるのも時間の問題。

 

 翌日のからかいの種ができてしまったことに苦笑しながら、頭を振り、奏の顔を見た。

 

「……どうしたの?」

 

「いや」

 

 かすかに、覚えている夢で、色々な奏と出会った気がする。友人をたくさん作ったり、思索にふけったり、仮面を上手に被ったり。そうして、奏は世界を上手く生きていけただろうけど。

 

「……今の奏が、いちばん魅力的だなって」

 

 なりたい理想があって、目指したい目標があって、自分の世界をどこまでも広げていく。そんな少女のような、大人のような、からかい上手な女の子。

 

 あの場所で見た、どの可能性よりも、その笑顔は素敵だった。

 

 奏はそれを聞くと、にっこりと満面の笑顔を作る。少し照れくさい台詞だったのに、奏はいたって普通に。いや、当たり前のことを聞いたように、こう言うのだ。

 

「貴方が育ててくれた私だもの、当然でしょ?」

 

 それを聞いて、私の中の迷いも晴れていくのを感じる。

 

 きっと、この道を行ってもいいのだと。この道が正しかったなんて、先は分からないけど。確信は持てないけれど。

 

 奏が望んでくれる道は。この笑顔が見れる道は、絶対に信じられるから。

 

「ああ、そうだね。私は、奏のプロデューサーだから」

 

 奏が一番輝ける場所へ、連れていこう。




ちょっと遅れました! ごめんなさい!

色々と白熱している総選挙! ですが、奏も負けてはいられません!!

どうか、奏に清き一票を!!

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