京都、古都の街。日本人なら、一度くらいは訪れたことがあるだろう。観光名所の数で言えば、日本で間違いなくトップ。最近はその環境客が多すぎて、過ごしにくい街になっている気がするが、そこは千年の都。いつかは改善するだろう。観光地としての年季が違う。
私と奏がそんな京都を訪れたのは、PV撮影のためだった。清水寺周りなど、祇園や荘厳な寺院といった撮影スポットが盛りだくさん。羽衣小町の看板がいたるところに見られる中、奏は舞子のように可憐な撮影を終えた。
「着物は、お正月以来かしら? あの時は妖艶で、幻想に誘う役だったけれど、今日は花飾りをつけて、古都に溶け込む町娘……。
人が衣装に持つイメージって不思議よね。こうして歩いているのと、夜闇に預けているのと。衣装も、人も何も変わらないのに、見る人が抱く心は全く違う。貴方は、その違いが何処から生まれるのか、考えたことある?」
「そうだな……。衣装、人、そういうものが同じなら、後は振る舞いと表情。つまり、演者の行動によるんじゃないのかな?」
奏が華やかに笑っていれば、それは青春を楽しむ町娘。
奏が薄紅を付けて微笑んでいれば、幻惑する魔の者に。
そう答えると、奏は微笑みを浮かべて首を傾げる。
「そうね。私が行う一挙手一投足。それが物語を作る。貴方が望む通りの私として。でも、それも一つの要素でしかないと思うのよ。
人の心を動かせるのは、その人だけ。結局、感情はその人の歴史から生み出される。観測した物語を、心の中で近似して、『妖艶』や『清楚』っていうイメージで枠組みに入れる」
つまり、何も知らない赤子に見せても、感情は生まれない、と。
考えてみれば、そうかもしれない。私だって、撮影のイメージを考える時は、過去にあった作品の影響がある。子供のころに見た、美しい映画や、ヒロインの姿だ。それらを知っているから、他の人も知っていると考えるから、感動を作り出せる。
けれど、
「あれ? それじゃあ、一番最初ってどうなんだろう? 記憶が感情を作るっていうなら、赤ん坊はどうやって感動するのかな?」
いや、知らないうちに、周りの人から感情を学んでいるのか。それとも、元々脳に感情を生み出す機能があるのか。考えれば考えるほど、何かありそうだけど答えは出てこない。
そういうと、奏は口に手を当てて、含むように笑う。
「さあ? 私が言った言葉が正しいかもわからないもの。それに、もし正しかったら、原初の人間の感情は、どこから来たのかしら。文化もない世界で、感情が生まれた理由。
……ふふっ、答えのない問題よ。でも、そんな問いを考えるのは、面白いわ」
春の木漏れ日を浴びながら、奏と二人、小道を歩きながら、何気ない会話を楽しんでいた。
奏は藤色の上品な着物に袖を通し、共する私はスーツ姿。お嬢様と護衛みたいに見えれば格好がつくが、私の背格好ではせいぜいが小間使いだろうか。
「そんなことないわよ? 私が高貴な身分なら、貴方はそんな女が心奪われる、秘めた相手……。なんて、見る他人によって印象も変わるんじゃない?」
言いつつ、奏が簪をつけた小さな頭を、私の肩に寄せてくる。仄かな温かさが増したのは、春の日差しのせいじゃない。
「ほら、そうして頬を染めていたら、それらしいでしょ?」
まったく、奏には言葉で勝てる気がしない。こうして『哲学の道』を歩く間、何度も翻弄されてばっかりだ。小さな哲学者、速水奏は絶好調である。
哲学の道。日本の偉大な学者が、考えをまとめるために歩いていたという小道である。ガイドブックにも載っている、ある意味、日本一有名な小道かもしれない。
実際に歩いてみると、他の名所とは違って和やかな空気の流れた道だ。脇に並ぶのも、古民家に、それを用いたお土産店。
規模はそこまで大きくないが、お洒落な店を横目に見る。散歩の後で、加蓮へのお土産を探すのに良いかもしれない。
この京都にあって、落ち着ける場所は、
「……確かに、考え事をするにはちょうどいい道だな」
「そうね。静かな中で体をゆっくり動かして。のんびりと、時間も忘れて」
「奏もそうしてみたい?」
「私はそこまでストイックではないもの。今日は貴方とおしゃべりをしていた方が、有意義よ。それに、会話をするのも、思索を深めるいい方法でもあるしね。例えば……」
そういうと、奏が石畳の上で一二とステップ。コツコツ、スタッ。着物だから小さく、けれど、蝶のような印象。
「はい。貴方には、何の音に聞こえたかしら?」
奏が覗き込むように尋ねてくる。
「今ので?」
無言の、楽しそうな頷き。じゃあ、考えてみようかと、五秒ほど。
「……日向で踊っている猫、かな?」
「ふふっ! いい答え。でもね、少し深読みしすぎよ、Pさん」
「じゃあ、答えは?」
「速水奏が踊っている音。なんて、どうかしら? 目を奪いたい人をくぎ付けにするの」
そのまんまじゃないか。
思わず苦笑いをする私に、同じ表情の奏。私の手を取ると、また一歩、先へと歩みを進めながら言葉を躍らせていく。
「そう、そのままよ。でも、そんな単純でも何かを考える行為が、哲学だと思うの。高尚なことを考える必要はなくて。世界の真理とかを考えるのが、好きな人もいるでしょうけど」
大昔には、科学的なことも哲学と呼ばれたらしい。ソクラテスとか、その時代。この世界はどうやってできているのか、空気は何でできているのか。賢人たちは考え続けた。
きっと、それを証明する術はなかっただろう。けれど、毎日のように考え、人類の礎を作った。だから、奏が言う通り、先に何が無くとも、人が持つ考える力を使うことが哲学なのかもしれない。
「じゃあ、私たちとそんなに変わらないのかな? なんでも考えることが哲学なら、毎日、頑張って生きようとか。奏と加蓮をもっと輝かせようとか」
「本来は、難しい言葉は使う必要もなくて、ね。
ただ、あくまで考えは個々人の内面にあるから、それをそのままに伝えようとすると、回りくどくもなってしまう。……その点で、私は悪い例なのかもしれないわ」
ちょっと弱気な声だった。
私は奏の横顔を見る。金色に輝く、綺麗な瞳が、目の前の景色を素直に映し出している。きっと、奏には私なんかより細かい世界が見えていて。それを受け止め、心を巡らせている。
だから、時々、奏の言葉には分かりにくいところもあるのだ。でも、それは、
「それは、奏が真摯で、やさしいからだと思うよ」
「……どういうこと?」
向けられる瞳。少し、不安に揺れている気もする。けれど、そんなに心配することもないと思うのだ。
「だって、奏が言葉を考えて使うのは、しっかりと気持ちを伝えたいって証拠だから。わからないなら適当に、とか。そういう手抜きをしない。
だから、奏が言っていることがちょっと難しくても、それが分かった時、私は嬉しいんだ」
奏が言葉を尽くして、伝えてくれる世界。それを共有出来た時、私は世界が美しいものに見える。
この何気ない散歩道も、空も、全てが綺麗でたまらない。
「……ふふっ」
くだけた音。一瞬の呆然と、こみ上げたような笑顔が生まれていた。奏は珍しくお腹を抱えたように笑いながら、それでも嬉しそうに。今の奏に、着物はちょっと似合わなかった。
「哲学者は大概ロマンチストだと思っていたけれど。ほんと、貴方は素敵な哲学者になれるわよ? Pさん。でも、そんな道には行かせてあげないわ。ずっと、私たちのプロデューサーでいてもらわないと困るから!」
小道のゴールが見えてくる。ちょっとしたかけっこのように、奏が足を速めて、私は追いつくために駆け足。風に乗りながら、奏の声が聞こえる。はしゃぐような、大人っぽくない声で。
そして、
「いつかは、簡単な言葉で伝えてあげる。勇気を出して、そのままの私で。その時、貴方はどんな気持ちをくれるのかしら? ちゃんと答えてくれないと、ダメだよ?」
奏が、とてもやさしく、そのままの言葉で言った。
奏は難しい言葉を使いがち。ですけど、その中にある本心はきっと、透き通って純情なのだと思っています。
そんな奏が、本心を教えてくれる時を。私たちで作りましょう!