モノクロームリリィとの日常   作:カサノリ

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5月2日「緑茶の日」

 アイドルとは言え、加蓮も奏も人間。もちろん、その中で変わらぬ偶像を求められるのがアイドルという仕事であるが、それでも、人間であることに変わりはない。

 

 怒ったり、悩んだり、悲しんだり。そういう感情が揺れ動くときはある。

 

 そんな時こそ癒しや、悩みを相談できる場所が必要なもので、私もそんな一人でありたいと思っている。

 

「こんにちは。マスター、二人大丈夫?」

 

「あら、いらっしゃいな。見れば分かるでしょ? ちょうどお客さんたち帰っちゃって、ガラガラなの。……奥の席が空いているから、勝手に使っちゃって」

 

「じゃあ、遠慮なく」

 

 夕方、馴染みの喫茶店の戸を、加蓮と二人でくぐる。いつも通りにエプロンを付けた初老の店主。彼女の言う通り、幸いにも客は他にいなかった。むしろ、大学時代に利用を始めてから、この店が満員御礼になったところなど見たことがない。

 

 味よし、雰囲気よしなのに、なぜと思い。同時に、なぜ潰れないのかと不思議に思う。もしかしたら、私が来るのが、いつもベストタイミングだからかもしれないが。

 

 穏やかなクラシックだけが染みわたる中、勧めに従って奥の席に向かうと、そこにはやはり黒と白のフェルトのウサギがいた。何度か代替わりをしている彼等だが、今はお姫様のようなドレスの衣装をまとっている。少し前に店主をライブにお誘いした時、加蓮と奏が来ていた衣装に似ていた。

 

「よいしょっと。今月はもうパフェは食べたから……。ショートケーキにしようかな。加蓮はどうする?」

 

「……じゃあ、チーズケーキ」

 

 少し元気のない声。

 

 私はただ頷いて、店主へと注文をする。二人とも紅茶のオリジナルブレンドを添えて。

 

 その後の数分ほど、私は曲名も知らないが、聞き覚えのある音楽に耳を澄ませて、加蓮はちょっと暗い顔のままでうつむきがちに指先を撫でていた。

 

 ふと、こすれたようなネイルが目に入る。力を入れて引っ掻いてしまったような。

 

 加蓮はそれを気にしたように、気まずげな視線を向けていた。

 

「……美味しいな」

 

「うん……」

 

 店主も空気を察してくれたのか、いつもと変わらない調子でケーキとお茶を用意してくれて、私たちは言葉少なめにケーキを小さく食べていく。

 

 生クリームも自作しているという特製のショートケーキは甘さが控えめで、上品な味。加蓮が食べているチーズケーキも以前試したことがあるが、そちらは濃厚な風味が売りの一品。

 

 それらを半分くらい食べたところで、加蓮がフォークを置いた。そこから躊躇う様に一秒、二秒。そして、加蓮が口を開き、

 

「……その、ごめんなさい」

 

 小さな声で謝った。

 

 加蓮の言葉の意味は分かっている。私だって、今日の現場にはいたし、何があったのかも理解している。そして、加蓮が思っている以上には事は深刻ではない。

 

 けれど、加蓮がそれを殊更に気にする理由もわかっていた。

 

「加蓮」

 

「うん」

 

「あまり気にすることじゃないよ」

 

「うん」

 

「スタッフの人たちも、加蓮の味方をしてくれてる。話を聞いたら、監督だって分かってくれてた。今後の仕事に影響が出ることなんてない」

 

「うん」

 

「……でも、加蓮は悔しいんだな」

 

 その言葉に加蓮は黙って頷きを返した。

 

 今日はとある音楽番組の撮影。トークと、音楽のソロステージを頂けた加蓮は、しっかりと自分の役割を果たした。最高のパフォーマンスと、トークで、番組に支障は何もない。

 

 ただ、問題は。

 

「……ほんとは、無視すればよかった。よくあるやっかみだって分かってたし、この後も一緒に仕事するわけじゃない。でも、大切なお仕事を……」

 

 よくある、といえばよくあることだ。

 

 芸能界も一つの人間社会。良い人間ばかりというわけは当然なくて、不真面目な人間も大勢いる。

 

 加蓮が出会った共演者、若手のシンガーソングライターだったか、はそんな一人だった。私だって話は聞いている。プライドが高くて、攻撃的な言動をすることがあると。歌一本でのし上がってきたという自負がそうさせるのかもしれないが、スタッフ受けは良くなかった。

 

「気持ちは分かるよ。『アイドルと一緒に出るなんて嫌だ』だもんな」

 

「でも、我慢すればよかったのに。……駄目だね、私。我慢できなかった」

 

 売り言葉に買い言葉というやつ。加蓮が思わず漏らした苦言に、相手がさらに……。

 

 身内びいき無しに見ても、延々と愚痴を漏らしていた先方の方が印象は悪い。おそらく、あちらのマネージャーが、方々へと頭を下げているだろう。私も下げられた。

 

 ただ、そんな相手方のことよりも、

 

「……加蓮はプロだから。プロのアイドルだから、そこは最後まで我慢するべきだった」

 

「そう、だよね」

 

「それでも我慢できないなら、私に言ってくれて良かったんだよ」

 

「……うん」

 

 加蓮は、仕事の場所で感情的になってしまったことを後悔していた。

 

 元々、加蓮は感情豊かで、自分に正直な子だ。特に神谷さんや渋谷さんと一緒にいる時など、意地を張りあってぶつかり合ったりする。しっかりしているように見えて、女子高生なのだからそれは仕方ない。それは、イコールで仕事に真剣に取り組んでいることの証明だ。

 

 けれど、人一倍に仕事に熱意を持っている加蓮だからこそ、今日の出来事は大きな後悔に繋がってしまったのだろう。

 

「加蓮……」

 

 私は、すこし言葉を選ぶ。

 

 大人として、プロデューサーとして、彼女にかける言葉はたくさんある。謝らなければいけないし、注意しないといけないし、励まさないといけない。

 

 だから、迷いながらも口を開こうとして。

 

「まあまあ、辛気臭い顔してないで、こういうのも飲んだら?」

 

 トン、と音を立てて、湯呑が置かれた。

 

「マスター?」

 

「いい茶葉が入ったからね。たまには喫茶店で緑茶ってのもいいでしょ? 緑茶ってね、リラックス効果があるらしいわよ?」

 

 湯呑から立ち上る、温かい湯気。そこから豊かな緑茶の香りが鼻をくすぐる。さっきまで食べていたケーキとは少し趣は違うが、マスターの言う通りに落ち着くのには役立ちそうだ。

 

「せっかくだから、ほら、冷めないうちに!」

 

 促されて、口へと運ぶ。

 

 火傷はしないくらい。けれど、熱いお茶は、確かに凝り固まっていた頭の中をゆっくりとほぐすように、温度と味を全身に運んでくれた。

 

「……美味しいね」

 

 向かいに座る加蓮も、店に来てようやく笑みを零す。少し安心したように、頬をほころばせて、温度を体に染み渡らせるように、そっと湯呑に手を添えて。

 

 マスターの言った通り、少しは加蓮の元気に繋がってくれたなら……。

 

「……茶摘みの歌って知ってる?」

 

「八十八夜、とかそういうのだよね?」

 

 暦の上では、五月の今頃。茶摘みを行うのに最適な時期。

 

「美味しいお茶ができるまで、それだけ長い期間がかかるらしいんだ。

 お茶の葉だけじゃなくて、野菜とかも、美味しくなるまでは色々な苦労がある。加蓮が好きなジャガイモだって、虫よけしなきゃだし、余分な芽を取ったりしないといけないし」

 

 お茶の葉だって、収穫した時はただの苦い葉っぱ。それを乾燥させたり、すりつぶしたり、美味しいお茶に変わるまではたくさんの苦労がある。

 

「それにあやかるってわけじゃないけど。アイドルだって似たようなところはあると思う。加蓮が最初のころ、レッスンに苦労していたこととか、奏と喧嘩したこととか、トラプリの二人とぶつかり合っちゃうところとか。

 ……でも、加蓮はそれだけで終わらなかっただろ?」

 

 苦労と挫折を繰り返した分だけ、成長して、高みへ上って、今のアイドル北条加蓮がある。

 

 だから、

 

「今日の出来事だって、今は後悔が先に立っているだろうけど、きっとこの先につながるはずだよ。慰めとかじゃなくて、加蓮がそういう強い子だってこと、私は分かってるし、信じてるから」

 

「……」

 

 加蓮はただ無言でそれを聞いて。けれどすぐ、大きく湯呑を傾けて、ちょっと豪快に飲み干す。何かを吹っ切るように。それで、再び立ち上がるために。

 

「トップに立つなら、悩んでも、迷っても。最後は『思い切り』が私らしいよね……」

 

 上げられた顔を見て、私は胸の奥が暖かくなる。お茶とは違う、もっと奥の所。加蓮の希望溢れた眼を、顔を見ると、いつだって私は嬉しくてたまらない。

 

 迷っても、悩んでも、最後は自分らしく思い切り。

 

 加蓮はその言葉の通り、私に言う。

 

「ねえ、Pさん。あの人とまた共演させて」

 

 今日喧嘩をした相手と、もう一度。

 

 私は苦笑いをして、懐から手帳を取り出した。

 

「そういうと思って、予定は確認していたんだ。やられっぱなしは嫌だ、だろ?」

 

「さっすが、Pさん。アイドルを、私を見損なわれたままじゃ、悔しいもん。ちゃんと、あの人にだって認めさせないとトップに立てないし、私は納得できないから

 でも、もしかしたら、また上手くできないかもしれないから……。その時は、Pさん」

 

「任せといて」

 

 下げる頭ならいくらでもあるのだから。

 

「それじゃ、その日に向けて、まずは元気を取り戻さないと。甘いもの食べて、糖分補給だ」

 

「あ、Pさん、もう一個ケーキとか食べる気じゃないよね? 太っちゃうからダメ。その代わり、このチーズケーキちょっとあげるから、それで我慢して。はい、あーん」

 

「だから、それは!?」

 

「思いっきり甘いのは保証するよ♪」

 

 そうして、調子が戻った加蓮に散々に振り回されながらも、私たちは再チャレンジを誓うのだった。

 

 後日のテレビ撮影で共演した時、例の彼女から『アイドル舐めて悪かったわよ』という言葉をいただいたことは報告しておく。

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