選出したアイドルは、私の趣味です。
妙な緊張感が、室内を支配していた。
一歩対応を間違えたら、地獄の底まで一直線という危機感。私の背筋を伝いながら、全身へ伝播するそれが、今すぐに回れ右をして部屋を出て行けと叫んでいる。しかしながら、私の良心とプロデューサーとしての使命感が、何とかしなければと訴え、両足を地面に縫い付けて動かさない。
石のように表情を固めていると、真横からふにゃふにゃ声が絡みついてくる。
「ねーえー、Pさぁーん! 私、いっつも言いたいことがあるんだけど!」
横を見るのも怖い。
顔を真っ赤にした加蓮が、私の首に腕を巻きつけ、しだれかかりながら大声を発しているから。
使命感と良心の前に、加蓮が原因で動けないのでは、と? いわぬが華だ。そういうのは。
私は加蓮をなだめるため、落ち着きを装って尋ねる。
「か、加蓮? 言いたいことって?」
「ん? んー? ききたい? ねえ、聞きたい? Pさん?」
この時点で聞きたくないんだけど、そうしないと離してくれなさそうだからなぁ。
私が頷くと、加蓮は満足げにほころばせた顔を、更に耳元に近づけてくる。そうなると、自然、加蓮の柔らかさも急接近し、私の心臓音は爆音と化した。
加蓮から漏れる、温かい吐息が、私の耳を撫でて――
「どーしてPさんは! 私に過保護なのー!!」
「ぎゃーっ!?」
大声! でかい! 耳が割れる!!
ついでにぐんぐんと加蓮の腕が振り回され、私の頭部もつられ、ぐるぐると動いちゃいけない挙動をし始める。
「昔よりマシだけど! わがまま聞いてくれるけど!! 今もすーぐ心配するし! レッスンもまだまだできるのにストップかけるし!! 私だって、もう、自分のことは面倒みれるのー!!」
「わーかった! わかったから!! ストップ! ストップ!!」
「……でも」
今度はいきなり、声は小さく、微笑ましいと思える仕草で加蓮が呟く。
「えへへー。そうやって、やさしくしてくれるのー、すきだよー」
「……」
ほんとさぁ。そろそろ限界なんだけど、理性がその。
感情抑制という物が消え去っている加蓮から私自身を救うため、室内を見渡す。そこには奏以外に二人のアイドルもいるのだが、いずれも救いの手にはならなさそう。
「うふふ! どーしたのー、かれんちゃーん! わぁー、プロデューサーさんにだきついてるの、いいなー。わたしも、プロデューサーさんと、もっとちかくに居たいのに。あのひと、すぐににげちゃうのー。
でもねー、しごとだと、すっごくセクシーな衣装とかもってきたり! どうなのかな? わたしのこと、きにしてくれてるのかなー? してくれてるよねー、うふふふ」
一人目、いつも落ち着き、女神のように優しい新田さん。
しかし、彼女はソファにもたれかかったまま、加蓮へ話しかけ続けている。顔が上気し、襟元が非常に色っぽいが、向こうの担当Pの反応が怖いので、なるべく視界にいれたくない。
新田さんが笑い上戸とは。
ああ、あと、新田さんの担当に関しては心配することはない。ヤツは確かに紳士だが、その過保護っぷりは私以上。アナスタシアさんと新田さんコンビを前に既に陥落している。
そして、
「うっ、ひっく! ……こんな、失敗をしてしまうなんて、私はやはり、未熟です。プロデューサーさんに、しっかりとお礼をいうことができませんでした。詩にすれば、興味をもっていただけると。そう思ったのに……」
もう一人、文学少女の鷺沢さんは顔を俯け、袖で涙をぬぐっている。
こちらは泣き上戸。ぽたぽたと流れた涙が、豊かな胸元を湿らせており、だいぶ厄介な景色だ。
新田さん、鷺沢さん、そしてうちの加蓮も。全員が全員、見ての通りに酔っぱらっている。どうしてこうなった、と考えるのは私の日課だが、今日はいつにもましてひどい。
(原因は……)
心当たりは一つ。
皆の傍に落ちている銀色の包み紙と、そこに入っていたチョコレートケーキ。
もっと言えば、それを持ってきた、あのダジャレ女神にあった。
「たかがきさーん!!!!」
一時間ほど前、ちひろさんに書類を提出した私が戻ってくると、部屋の中は賑やかになっていた。
「あ、おかえりー」
加蓮と。
「おかえりなさい」
奏と。
「お邪魔してます!」
「……お邪魔しています」
新田さんと鷺沢さんが楽し気に机を囲んでいたのだ。
この四人は特段に珍しい組み合わせではない。奏は新田さんとユニット活動をしているし、同じくユニットを組んでいる鷺沢さんは奏と同期入所に当たる。加蓮にとっても、鷺沢さんとは総選挙関連の仕事で一緒になることが多い。
さて、そんな彼女たちが今日は何しているのか、と考えると、新田さんの手元にあるティーカップが目に入った。
「いらっしゃい。今日は、みんなでお茶会?」
「はい! アーニャちゃんがロシアの紅茶を持ってきてくれて。それがすごく美味しかったから、おすそ分けに。……お仕事、お邪魔になりませんか?」
「ああ、私にはお気遣いなく。この後、色んなところと打ち合わせ尽くめだから」
「それじゃあ、その前にPさんも一杯飲んでいかない? 紅茶、ちょっと変わった味だけど、美味しいよ」
「そうしたいのは山々なんだけどな……。残念だけど、すぐに行かないと」
誘ってくれた加蓮に謝りつつ、私は荷物を手に外へ出ようとする。午後のお茶会なんて、これまで縁がなかったな等と考えながら。ドアノブを掴んだ私は、そこでとあることを思い出した。
「あ! 冷蔵庫にお菓子入ってるから、好きに食べていいよ」
アイドルで忙しい彼女たちには、素敵なティータイムを過ごしてもらいたい。紅茶に甘いスイーツが添えられれば、さぞ美味しいだろう、と。
今朝、高垣さんがお土産にとくれたものが、この場にちょうど良いと思ってしまった。
思ってしまった。
それが、こんな事態を招くとも知らず。
まさか、外国産の甘い甘いチョコケーキが、
「ウィスキー入りなんて……!!」
生地とチョコにウィスキーを染み込ませた大人向けのものだった。もちろん、未成年だって食べることは禁じられておらず、罰もなし。ただ、それでもお酒に弱い子なら酔っぱらってしまうくらいに、酒の濃度は高かったよう。
結果、こうして酔っ払いアイドルが出来上がってしまった。
「加蓮! 離して! こら!」
「いーやーだー!」
「ほんとに酔っぱらってるんだよな!? これで演技だったらさすがに怒るぞ!?」
速やかに場を収集させたいんだから!
確か、加蓮も含めて、彼女らは今日の仕事もレッスンも終えていた。今後に支障はない。お菓子はお菓子。慣れてないから酔っぱらっただけで、酒が抜けるのも早いはず。まずは落ち着かせて、水でも飲ませれば、万事解決。
しかし、加蓮一人に自由を奪われている私が、残る二人を対処できるわけもなく、このままでは泥沼は間違いない。最後の希望は、この騒ぎにどうしてか沈黙を保ち、静かにソファへ座っている奏だけ。
私は大声で奏へ呼びかける。
「か、かなで! 助けて! ヘルプ!!」
「……」
けれども、奏は変わらず無言。遠目から見て、奏は顔を赤らめたり、頭がフラフラする様子もなし。見た目だけはいつものクールビューティ速水奏のままなのに、その沈黙が恐ろしく感じる。だが、ここで諦め、大騒動にするわけにもいかず。
「奏ー! 助けて―!!」
ないふり構わない必死の叫び。
するとようやく、奏はすくっと立ち上がり、ゆっくりと私の方へ。
「加蓮! ほらっ、奏が来たから! もう終わり!」
「かなでー? かなでだったら、いいよー、Pさんのここ、空いてるからー」
ええい、この酔っ払い!! 成人祝いの時は、ちゃんと酒量を見張るからな!!
そんな動きにも奏は静かなまま。とうとう私の目の前まで来ると、うつむいた、小さく綺麗な顔をゆっくりと上げて、
「ふふ、素敵ね……♪」
「奏もかよ!?」
顔色は変わってない。見た目だけなら素面同然。けれど、眼だ。奏の宝石みたいに綺麗な眼。それが潤んで揺らめいて、普段の二倍か三倍か、いつも以上に色香が増している。
それに近づいたからこそ分かる。奏が纏っている雰囲気も、湿っぽく、気絶しそうなほどの陶酔を与えてきた。
「ねえ、もっとよく見せて? 貴方の、かわいい照れた顔を……」
奏の手が頬へと伸ばされ、そろりと撫で上げられると、全身に鳥肌が立つ。
この逃げ場のない状況で、私もとうとう万事休すかと、年貢の納め時化と覚悟を決めようとした時だった。
「あー、ずるい! 私のこと、ちゃんと見てよ!!」
加蓮が奏の手を引きはがした。
「……加蓮、譲ってくれるんじゃないの?」
「ゆずる……? そんなわけないでしょ? 場所があいてるって、だけ。かなでにもー、わたさないんだからー!」
「ふふ、ふふふふ。やっぱり先に貴女と決着つけないといけないのね、加蓮」
潮目が変わるとは、このことだ。二人は互いに微笑みながら、けれど周りの空気はバチバチと痺れている。まさにそれは、彼女たちが出会って、ユニットを組んだ当初とそっくり。
私にとっては、千載一遇のチャンス!
「今だっ!!」
「「あ!」」
加蓮と奏の腕の間からすり抜け、一目散にドアへと。
援軍が必要だ。
加蓮と奏二人がかりで、私が勝てるはずはない。だれか、すぐにでも状況を解決してくれる人! それこそケーキをくれた高垣さんとか、川島さんの大人組!!
後ろから二人が近づいてくる気配の中、私は勢いよくドアを開ける。
すると、そこには人影があった。
それは私が求めていた、このトラブルを解決してくれる助っ人で、同時に一番助けを求めたくなかった人物。
天才科学者が不敵な笑みと共に言う。
「にゃははー。お困りかな? プロデューサーくん♪」
おぉう……。
「あれ……私たち、何してたんだっけ?」
「美波も、文香も、寝ちゃってるわね」
「ツカレテネチャッテタンダヨ」
「「なんで片言なの? Pさん」」
まだまだお酒が飲めない二人ですが、その時が来たらどんな飲み方をするのでしょうね。
どこかの可能性を覗いてみたいと思ってしまいます。