モノクロームリリィとの日常   作:カサノリ

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総選挙最終日まで58日な3月18日

精霊で「しょうれい」と読むそうです。
由来を調べてみたら、面白い内容でした。


3月18日「精霊の日」

「思いつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを」

 

 咲き誇る桃の木の下で、艶やかな声が歌を詠みあげている。

 

 それを乗せるのは、穏やかな春風。歌だけでなく、ひらりと桃の花も舞い上げて、奏のなめらかな髪へと運んでいく。まるで、絵巻の一場面と語られるような景色。

 

 けれど、それはただの絵ではない。奏というアイドルの表現力によって、この現実へと存在している。

 

「うたたねに恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき」

 

 再びの小町の歌。夢を詠う奏の様は、在るだけでしんと空気を透き通し、私たちがはるか平安の世にいるようにも感じさせる。そんな陶酔を阻むのは、

 

 くすり

 

 という気まぐれな奏の微笑みのみだった。

 

 

 

 今日、私たちは奏の新写真集へ向けた撮影を行っていた。

 

 奏の写真集はこれまでに幾度も発売され、その圧倒的ビジュアルから好評を博してきた。去年、初めての水着写真を公開し、多くのファンの屍を積み上げたことも記憶に新しい。

 

 それら写真集には、奏が自分の希望に沿わせたテーマを設定している。

 

 前回のは夏をテーマとし、水着や浴衣、スポーティな薄着姿と、刺激的に仕上げた。そして、今年初となる写真集は、前回とは一転して大和撫子をテーマとした。

 

 単に色香だけで惑わすのは芸がない。奥ゆかしい仕草でファンを魅せてみせる、というのが彼女の考え。

 

 春らしいワンピース姿で緑の茂る河原を歩いたり、有名な千本鳥居の中で撮影したり。見ていると自然とため息が出てくるような、そんな奏の美しさを強調した写真を撮影してきた。

 

 今は、その〆となる和服での写真。

 

 桃が有名な神社の境内にセットを作ってもらい、平安時代の十二単を纏って、平安貴族となった奏を、カメラがこの世に写し取っていく。奏の手には、筆と和紙が携えられて。読み上げるのは、かの小野小町の歌。

 

 もちろん、写真に声は載せられない。だが、世界三大美女とも謳われる彼女の歌が、奏の口から語られるたび、不思議と幻想的な雰囲気が生まれるのだ。奏こそがその生まれ変わりなのではないかと、惑ってしてしまうほどに。

 

 けれど、そんな私の当惑を、奏が柔らかな声で否定する。

 

「私は貴方の隣で偶像になっている、ただの速水奏。それ以上でもないし、それ以下でもないわよ?」

 

「あ、ああ。もちろん」

 

「ふふっ、遠い過去に心奪われるくらいなら、今の私の虜になってほしいわね。この口が語る歌が邪魔をするなら、私は封じてあげてもいいわよ? 貴方の唇を使ってね♪」

 

 ふ、とそんな奏の言葉と共に、桃の香が私を包み込む。桃は元来、神の食べ物。甘くて、痺れる、この世の物とも思えない香りだ。

 

 この風も、香りも、どこまで意図してやっているのか。こんな偶然も味方にしてしまったら、奏は向かうところ敵なしだろう。

 

 そんな私の呆然を、奏は再び声を鳴らして笑った。

 

 休憩時間となり、私は奏の傍に腰を下ろしていた。撮影をお願いしているカメラマンが、セットの近くに椅子を用意してくれて、そこに座らせてもらっている。彼女曰く、この着物はかなり重いので、動き回るのも大変だそうだ。

 

 私は体を休めている奏へと尋ねる。

 

「撮影、もう少し長引きそうだけど大丈夫?」

 

 奏は普段からシャープな服装を好んで着ている。このボリュームある着物を窮屈に感じているようで、奏は少しだけ肩をほぐすように揺らしていた。

 

「確かに、これを一日中着ていなければいけない、といわれたらお断りするわね。でも、こうしていることで読み手の気持ちも分かるの。

 きっと昔はもっと多くのしがらみがあって、夢の中が唯一の自由になれる場所だったのだろう、とかね」

 

「それって、あの歌だっけ?」

 

 奏が詠んでいた、百人一首にも載せられている、小野小町の歌。

 

 好きな人の夢を見ていたのに、目が覚めたらその姿が消えてしまった。これが夢だと知っていたら、目覚めたくなんてなかったのに。

 

 そんな意味だったと記憶している。

 

 奏は頷くと、目を閉じ、遠い景色へ思いを馳せるようにして言う。

 

「せつないわよね。そこまで焦がれているのに、きっと、相手の顔も知れないの。平安時代は、お互いの顔を知らないまま恋心を交わしていたから、夢の中が唯一の逢瀬の場所。

 ……それでも夢は泡沫のごとく消えてしまう」

 

 私も小町の歌を少しだけ調べてみたが、夢に関する歌は多い。どれもほろ苦い、恋の歌だ。

 

 目が覚めなければいいのに、夢の中ならどんなにいいか、夢の中なら咎められないのに。

 

 当時とは私たちの知識も風俗も違うが、彼女らにとっても夢の中は憧れの対象だったのかもしれない。

 

「いつの時代も人は夢と恋に焦がれる……。

 知ってる? 昔の歌は呪だった。言葉が力を持つと考えられたから、こうして歌を作ることは、ただの道楽ではなくて、彼女たちの必死な願い事。今も、この言葉が私たちを惹きつけるのも、そこに籠められた思いが残されているから。

 彼女達が想い人と結ばれたかは、私には分からないけれど……」

 

 でも、と。

 

 奏は立ち上がると、私へと手を伸ばしながら言う。暖かい、春に浮かれる少女のように。

 

「ねぇ、この後、少し付き合ってくれないかしら?」

 

 

 

「あったかいわね」

 

 河原の傍を歩く。神社近くの、春風が気持ちよく通り過ぎる道。横を見れば、桜ではなく桃の並木が花開いて迎えてくれる。

 

 私の隣で奏は手を大きく広げながら、穏やかな笑顔で軽快に歩いていた。

 

 その服は十二単ではない。あの後、撮影は順調に進んで、日が傾く前に終了した。奏も普段着に着替え、身軽そうにしている。

 

「ふふっ、仮面じゃないけれど。ああして縛られたあとは、少しの開放感があるわね。島へ行った時と同じように♪」

 

 それに、と。奏は私の手を優しくとった。

 

「演じるたびに、私は違う役に入り込んで。役を終えるたびに、新しい発見をする……。

 今日演じたのは、もどかしいほどの恋心を抱えた平安の歌人。彼女の恋ごころが届いたかは、私たちが知ることもなく、知る必要もないかもしれない

 それでもね……」

 

「……ああ」

 

 奏が切なそうに私を横目で見る。

 

 言葉は無くとも、その表情に奏の心が隠れているような気がしていた。

 

 目の前には青空がある。囁く風と、流れる川がある。草木は芽吹いて命を振りまき、花は一時の夢を見るように香り立つ。

 

 この春の目覚めを、私たちは共有している。

 

「私たちは、今この時を生きて、同じ景色を見ている。それは、どれだけの奇跡なのでしょうね。

 この関係が、今はアイドルによって成り立つものでも。私が素顔をさらけ出さないとしても。同じ場所に立って並んでいるということは真実。かつては望んでも、手の届かなかった物を、私たちは当たり前に」

 

 言葉を切ると、奏は手を離した。

 

 私はまだ残る名残を握りながら、奏へと言う。

 

「実は昨日、奏が夢に出たんだ」

 

「私が?」

 

 すると奏は、驚いたように目を開いて、首を傾げる。

 

 私も少し突拍子がないかと思ったが、そのまま続けることにした。私たちが幸福だというのはその通りだが、それは、この場に共にいるだけという理由じゃない。

 

「夢の中の私はどうしていたのかしら? この現実に遠慮なく、貴方へと唇を重ねていたのか、それとも、子どもらしく無邪気に笑っていたのか」

 

「それがさ、魔術師みたいな格好してて、私を鼠に変えちゃった」

 

「……あはは! もう、貴方にとっての私の印象、そんな風なの?」

 

 いやいや、これが割と愉快な夢なんだ。

 

 鼠になった私は奏の肩に乗ると、箒に乗って街を飛行する。夜桜を見下ろし、ウサギと共に月の模様となって大冒険をしていた。私好みなロマンチックを、奏が実現してくれた。

 

「でも、夢が覚めた時は、残念だと思わなかった。

 あの夢も現実に続きがあるから。奏達が私を、ファンを、夢のような景色へ連れて行ってくれるって」

 

 確かに、私たちは幸せ者だ。

 

 好きな人と同じ景色を観れて、夢も共有して、共に人生を歩いている。

 

 私は奏の手を取る。今度は私から。

 

 奏は、その仕草に驚いたようで、少女らしく目を見開いて私を見つめた。一秒、二秒。それで、穏やかに口を緩め、体も寄り添わせるように。

 

「珍しく気が利いているんじゃない?」

 

「さっき、奏が言ってただろ?」

 

 夢と知りせば覚めざらましを。

 

 言葉は呪。たとえ先人の歌でも、心を込めて読めるなら、気持ちは同じ。

 

 聞いた私だってそうだ。

 

 夢だろうと、現実だろうと。

 

「……ええ。今だけでも、貴方とこうして一緒にいたいわ」




これまで和歌の素養はなかったのですが、込められた意味も表現も、奥が深いですね。
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