ところどころに赤い色の目立つ喫茶店の中を、緑のエプロンをつけた青年・伊吹健(いぶきたける)が、客席の合間を縫って進んでいく。
無造作に流した黒い髪に太めの眉、派手ではないが整った顔立ち。緩やかに持ち上がった口元は人の良さそうな印象を受ける。
「お待たせいたしました」
健はそう言って、クリーム色のスーツを着てサングラスをかけた女性客に、注文の品を差し出す。女性客はその品を見て、軽くウェーブのかかった長い茶髪をかき上げて健へ顔を向ける。
「本当に緑茶が出てくるのね。冗談かと思っていたわ」
女性の前に出された器は、紛れもなく湯気の立つ緑茶の注がれた湯のみであった。
健はそんな女性の言葉に、指で額をかきながら愛想笑いを浮かべる。
「いやあ、オーナーが「喫“茶”店なんだから、緑茶を出して何がおかしい!」……ってメニューに」
「そうなの? 面白いオーナーね」
口元に笑みを浮かべた女性客は、湯呑みを両手で包むようにして形の良い唇へ運ぶ。そして、ほう……と息を吐く。
「……おいしいわ」
「ありがとうございます。緑茶はおかわり無料ですので、遠慮なくどうぞ」
※ ※ ※
「ありがとうございましたー!」
鈴の音と共に出ていく男性客の背中を見送って、健は食器を下げたばかりのテーブルを拭く。
「あれ?この封筒?」
そこで、椅子の上に置きっぱなしになっているA4サイズの茶封筒を手に取る。封筒を表裏とひっくり返して眺めながら、健は最後にこの席に座った客を思い出す。
「サングラスの女の人のか」
表に書かれた送り先が市内であることを確認して、健はうなづく。そして顔をカウンターへ向ける。
「亮子さん。ちょっと、お客さんの忘れもの届けてくるよ」
「了解、遅くなるんじゃないよ」
長い黒髪をポニーテールにした赤いエプロンの美女、浅井亮子はくわえた未着火のタバコを揺らしながら、健に外出許可を出す。
「ありがとう! じゃ、行ってくる!」
健はそう言って封筒を抱えると、エプロンを外して店の外へ出る。
赤い道化の踊る「スカーレットジョーカー」の看板の横を通り過ぎる健。ガレージを開け、鮮やかな緑色をしたフルカウルの大型オンロードバイクのシートを上げる。そして、そこに入っていた黒いフルフェイスヘルメットと入れ替えに封筒を入れ、取り出したそれを被る。
「お兄ちゃん? でかけるの?」
そこで、ちょうど中学校から帰ってきた、ボブカットに眼鏡をかけたセーラー服の従妹、浅井薫と出くわす。
「ああ、ちょっとお客さんの忘れものを届けにね」
言いながら、健はバイクを押しだして跨る。
「また? ……お兄ちゃんが直接届けに行くことないのに」
「そう言うなよ。忘れた人は困ってるだろうしさ」
眉をひそめる従妹の言葉に、健は困ったように笑いながら愛車のエンジンをかける。そんな健に薫は深いため息をついて、これでもかと言わんばかりに渋々と頷く。
「そんなに遠くじゃないからさ、ささっと届けてくるよ」
健はそう言って右手を軽く挙げる。そして上体を前に傾けてハンドルを握り、愛車を発進させた。
シャッターの下りた店舗の続く商店街を抜けて、川にかかった車両用の橋を渡る。
『あのおもちゃ屋も閉めちゃったか……』
川風を体中に受けながら、健はその風が心身を貫いていくように感じていた。
橋を渡ると、すぐに見えてくる大型ショッピングモール近くの信号を左折。左手に河川公園、右手に休耕状態の田畑を見ながら走る。
『浜永も変わってきたな……便利になるのはいいことだし、商売は競争だから、消えていくものがいるのは仕方ない。それは分かる、分かっちゃいるんだが……』
急ぎ足で変わってゆく故郷、浜永の街の姿に、健は歪なものを感じて眉を顰める。
そのうちに幕と重機に囲まれた、建設中の施設が見えてくる。
『たしか、送り先はあの現場だったな』
忘れ物の届け先を頭の中で反芻しながら、健は愛車を建設現場へと近づけてゆく。そして現場まで目前と言ったところで、突然、横合いから赤信号で停車していたはずのトラックが突っ込んでくる。
「え……!?」
次の瞬間、健を重い衝撃が襲う。そして浮遊感に続いて連続した衝撃が立て続けに全身に叩きつけられる。
そして道路に倒れたまま、おかしな方向に曲がった自分の腕と、滅茶苦茶になった愛車を眺めて健は胸中でつぶやく。
『あ、ヤバ……体全然動かないや。体中熱いやら冷たいやらで訳分かんないし……こりゃ、死ぬ感じかな』
自分でも驚くほどに冷静に、健は己の死を見つめていた。
『今度の休みは薫を連れて遊びに行く約束してたのにな……ごめん、薫、亮子さん……』
残してゆく家族に謝りながら、健はその意識を手放した。
※ ※ ※
ゆっくりと引き上げられるような感覚の中、半ば無意識にまぶたをあげる。そこで不意に襲いかかる眩しさに、思わず手をかざす。
「うっ……?」
次第に目も慣れて、目の前にあるのが「正常」な自分の腕であることを理解すると、健はゆっくりと体を起こす。
「俺……生きてる?」
飾り気のないパジャマを着た自分の体に触れながら、半信半疑につぶやく健。しかし健の体は、あの事故をまるで夢だとでも言うかのように、健康そのものであった。
「どうなってるんだ……あの痛みは確かに……」
記憶と状況の食い違いに混乱する健。そこへバタバタとした足音に続いて、音を立ててドアが開け放たれる。
「健っ!?」
「お兄ちゃん!?」
血相を変えて部屋に駆け込んできた叔母母子を、健は状況の整理がつかぬまま迎える。
「亮子さん、薫。どうして……?」
そんな健に、二人は安心したように息をつく。が、すぐさま表情を険しいものにして詰め寄ってくる。
「どうしてもこうしてもあるかい! このバカタケッ!!」
「お兄ちゃんが撥ねられたっていうから、急いで病院まで来たんじゃない!」
掴みかからんばかりの勢いで迫る二人。いや、亮子の方は実際に健の襟を掴んでいた。しかし、すぐに二人とも表情を和らげると、健の襟から手を離す。
「まあでも無事でよかったよ。傷は深くないが意識がないって聞いてたからさ……薫なんて、あんたが事故にあったって聞いたら皿落として割っちゃったんだから」
「ちょ、ちょっとお母さんッ!!?」
そんな二人の様子に、健は笑みを浮かべた。
「ごめん、二人とも。心配かけちゃって」
健がそう言った次の瞬間、突然爆音と振動が三人を襲う。
「ひぅッ!?」
「うわっと!?」
健は、声をあげる二人をとっさに引き寄せて、かばうように覆いかぶさる。
揺れが収まり、三人は揃って顔をあげる。
「大丈夫、二人とも?」
「うん、私は平気」
「アタシも大丈夫だよ。しっかし、なんだってんだい?」
騒がしくなり始めた周囲を警戒しながら、三人は状況を確認しようと病室の外へ向かう。そして健がドアに手をかけた瞬間、窓ガラスを破って、何者かが飛び込んでくる。
「ひ……ッ! 何アレ!?」
「化物!?」
全身を毒々しいほど鮮やかに彩る黄色と黒。Xを描くように背中からみぞおちに向けて伸びる、虫の足を想わせるプロテクター。そして赤くぎらつくいくつもの目。まさに蜘蛛男とでも呼ぶべき侵入者は、健たちの姿を認めると、無言で飛びかかってくる。
「逃げてッ!」
健はとっさに二人を押し出すと。急いでドアを閉めて蜘蛛男との間を塞ぐ。しかし、蜘蛛男の腕はドアを障子紙のように貫いて、ドアを抑える健の頬をかすめる。赤い筋が走り、血が流れ出す。
「お兄ちゃんッ!?」
「健ッ!」
「早く逃げて! 俺もすぐに、うわッ!」
健が二人に向けて叫び終わる前に、蜘蛛男を阻んでいたドアが破られる。その拍子に健は、亮子と薫とは反対側に転がる。どちらにも襲いかかれる形になった蜘蛛男に、健は最悪の状況を想像した。
『二人を襲わせてたまるかッ!!』
心中でそう叫んだ瞬間、健はすでにドアの残骸で蜘蛛男を殴っていた。
振り返った蜘蛛男とにらみ合いながら、健はじりじりと間合いを離す。
「……来いよッ! 相手になってやるからさ!」
『我ながら、震えた声で締まらないな……』
冷や汗を流しながらも、注意を向けようと挑発する健。するとこちらを標的と定めたのか、蜘蛛男は健を見据えたままゆらりと歩き始める。
「やめて! お兄ちゃん逃げてッ!?」
その薫の声を引き金に、蜘蛛男が動く。瞬き程の間に距離を詰められた健は、とっさに持っていた破片を盾にして身を引く。
「うおわっとォッ!?」
破片はあっさりと粉砕され、蜘蛛男の突きが、健の着ていた患者用パジャマを切り裂いて腹をかすめる。それで健の引き締まった腹筋と、腰に巻かれていた大きな銀色のベルトが露わになる。それを見た蜘蛛男は、閉じていた顎を展開して甲高い奇声をあげる。
「う……わ……ッ!?」
殺気を露わにした蜘蛛男に圧されながらも、健は足を止めることなく叔母母子とは反対側へ全力で逃げる。そんな健を蜘蛛男は容赦なく追い立てる。
「お兄ちゃんッ!」
「健ッ!!」
背中にかかる二人の声に振り返る余裕は、今の健にはなかった。
※ ※ ※
息を切らせながら屋上に出た健は、肩で息をしながら後ろを振り向く。そこには獲物を袋小路に追い込んだことを確信してか、顎をギチギチと鳴らしながらゆっくりと屋上へ出てくる蜘蛛男がいた。
「完全に追い込まれたか……でも……」
息を整えながら、健はシーツの干してある物干し竿を手に取る。
「それでも、ただじゃ死ねない!!」
そして物干し竿を槍のように構えて蜘蛛男に突撃する。蜘蛛男はまるで避けるそぶりも見せず、物干し竿の先端が胸に突き刺さる。
「な……っ!?」
しかし蜘蛛男は物干し竿での突撃を受けても微動だにせず、そのまま自分の胸を突く竿を握る。そして一気に竿を引き寄せる。
「うわッ!?」
とんでもない力で引き寄せられた健の無防備な顔に、蜘蛛男の拳が直撃する。
「グゥッ!!?」
その勢いのまま健は、病院の屋上を転がってうつ伏せに倒れる。
「今、楽にしてやる」
ここで初めて放たれた蜘蛛男の言葉に、健はトラックに撥ねられた時を思い出す。
『化物に殺されるとか、トラックに撥ねられるより現実味がないな……』
そこで自分の腰に巻かれた大きなベルトに、手が触れる。その瞬間、ある言葉が脳裏に浮かぶ。
『……回せ、逆転させろ』
そしてその言葉に続いて浮かんだ、亮子と薫の病室に飛び込んできたときの顔に、健は手足の力を振り絞って立ち上がる。
「そうだ……」
両足を肩幅に開いて、体を支える。
「こんなところで死ねない……」
傷だらけの右手がバックルの左端を掴む。
「こんな流れ、俺が逆転してやるッ!!」
掴んだ手を右に振り抜き、バックルを上下逆転させる。
《Ride ON》
ベルトの発声と同時に、中央部が展開。まばゆい輝きが健の体を包み込む。
そして光が収まると、健であった者の姿が露わになる。
黒いボディに濃緑色のシンプルなプロテクター。頭部を覆う装甲には昆虫の複眼を思わせる赤く大きな目が輝いている。
仮面の戦士は、頭部クラッシャーから熱気を吐き出すと、両腕を大きく回して左肘を前、右拳を顔の横に添えた構えをとる。
「そっちの事情は知らないけど、殺されてやるわけにはいかない!」