仮面ライダーリバース 【完結済】   作:尉ヶ峰タスク

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第二十話 愛しいから

 体中に包帯を巻き、微かな寝息がなければ、遺体と見間違えんばかりに血の気の失せた顔の茜。ぐったりと眠る彼女を両の腕で抱えて、健は自分の部屋へ踏み入る。

 濃淡様々な緑色を基調としたインテリアの中、健は真直ぐにベッドへ歩を進める。そして柔らかな布団の敷かれたベッドへ、腕の中の茜をそっと横たえる。

「茜さん……」

 健は横になった茜の土気色の頬を撫でながら、その名を静かに呟く。すると、微かな足音と共に背後に人の気配が近づく。

「本当に……病院には連れて行かなくていいのかい?」

 背中に投げかけられた問いに健が振り返る。そこには、肩にかかった黒髪のポニーテールを左手で払い、その手を軽くスナップさせる亮子。そして眼鏡のレンズ越しに、こちらを心配そうに眺める薫の姿があった。

 そんな二人の視線に、健は静かに首を縦に振る。

「ああ……俺達はまともな体じゃあないんだ。普通の医者じゃ、診せても今と変わらない……」

「まともな体じゃないって、どういうこと!? それに「俺達」って……」

 健の言葉に色めき立つ薫。しかし亮子が、そんな娘の肩を掴んで抑える。そうして、顔を見合わせて頷きあうと、揃って健へ顔を向ける。

「話して、くれるんだね?」

 静かな声音で確認するかのように問う亮子。その隣では薫が両手を胸の前で組んで、じっとこちらを見つめてくる。健はそんな叔母と従妹の視線を真直ぐに受け止めながら、亮子の質問に首肯する。

「……全部話すよ。あの日から、今まで秘密にしていたこと全部」

「あの日って……」

 薫が呟く中、健はジャケットに手を入れる。

「そう、俺の体は……事故にあったあの日から普通じゃなくなったんだ」

 言いながら、健は自身の体を変化させる鍵であり、戦う力を溜めこむ己の一部、銀色のリバースドライバーを二人に見せる。それを見て、薫は眼を見開き、亮子は沈んだ面持ちで首を縦に振る。

「それって……仮面ライダーの……ッ?」

「ああ、リバースライダーと呼ばれている改造人間……俺がその正体なんだ」

 健のその言葉に、薫は眼を見開いて口元を抑える。そして亮子は眉間にしわを寄せ、こめかみを右手の指で揉み解す。

 

 ※ ※ ※

 

 ブルーローズ本社ビルの研究フロア。その一室で、ヴァイパーが手術台の上に仰向けに倒れ込む。

「お……ッ! ぐおおッ!?」

 ヴァイパーの口から漏れる苦悶の声に続き、胸部から火花が弾け、左肘と右膝が爆発してその先が千切れ飛ぶ。そこへ、手術着を着た白柳博士を始めとする医療スタッフが詰め寄る。

「生命維持に必要なエネルギーを外部から回したら、暴走中の心臓部を止めて、仮死状態にするのよ!?」

 火花を散らし続けるヴァイパーの体を修理、治療しながら、他のスタッフへ指示を飛ばす白柳。そのうちに医療スタッフの手により、ヴァイパーの口や鼻、体に管が繋がり、苦痛に悶えるその動きが収まる。すると白柳は千切れた部位を塞いで、手術台の足方向を見る。そこには円筒状のポッドが口を開けている。

「いいわよ! 改造人間用メディカルポッドに入れてちょうだい!」

 白柳の指示に続いて、手術台の足側にあったポッドが、その上に乗ったヴァイパーごと手術台を呑みこんでゆく。やがて、ヴァイパーの全身を呑みこむと、ポッドの口が空気の抜ける様な音を鳴らして塞がる。円形の覗き窓からヴァイパーの顔を覗けば、その周囲を薄青い液が満たそうとしていた。

「ふぅ~……あ・と・は・千切れた手足を繋ぎ直せば、治療は完了ね」

 そう言って白柳はマスクをずらすと、腰から体をしならせて頬に右手を添える。

「もお、いきなりの治療要請だったから、ビックリしちゃったわぁ~。で・も、手に負える状態で良かったわ」

 ヴァイパーの入った医療ポッドにしなだれかかり、繰り返し頷く白柳。そこへ規則的なリズムを刻む足音が徐々に近づいてくる。

「……専務の容体はいかがですか?」

 静かに問いかける声に、白柳が首を回す。するとそこには、スーツを乱れなく着こなした天海がいた。背筋を伸ばす青年に顔を向けたまま、白柳はその場で腰を左右に振る。

「あら、もう大丈夫よぉ~。正直危なかったけど、容体は安定したわ。けど、まさかアタシの専務をここまで追い込むなんて……恐ろしく力を付けているようね、仮面ライダーは……」

 頬杖をつき、医療ポッドの覗き窓を指で撫でる白柳。そこで天海がヴァイパーが眠り、白柳の圧し掛かるポッドを一瞥する。

「あの専務を……? しかし、いくら奴が強くなったとはいえ、今の私ならば……」

 そう言って薄く笑う天海。その手にはミゼン、リバースの物とよく似たドライバーがあった。そんな天海に、白柳は分厚く艶のある唇を笑みの形にして見せる。

「輝司ちゃん。まだ改造を終えたばかりなんだから、まずは体慣らしからでしょう?」

 その言葉に、天海は笑みを深めて頷いた。

「ええ、直に使いこなして見せますよ」

 

 ※ ※ ※

 

「……これが、今まで俺が黙っていたことだ……」

 そう締めくくり、長い語りで渇いた唇を軽く舌で撫でて、口を閉じる健。すると、黙って話を聞いていた薫が、両手で頬を包むようにして呟く。

「そんな……どうして、どうしてお兄ちゃんが……」

 その場に膝をつき、両手で顔を覆いながら嘆く薫。そんな従妹の様子に、唇を噛む健。そのまま視線をずらせば、軽く溜息をついた亮子と視線がぶつかる。

「どうして今までアタシたちに話してくれなかったんだい?」

「二人のことは、出来る限り巻き込みたくなかった。命のやり取りなんて知らせず、踏み込ませずに済めばいいと思っていた」

 そこで亮子は左手を握り締めて振りかぶる。それを見て、健は目を瞑り、歯を食いしばる。

 次の瞬間、健の頬……ではなく、脳天を衝撃がぶち抜く。

「……ッだぁ……ッ!?」

 脳みそを揺さぶる衝撃に、顔をしかめながら右目を開く健。そこには、拳骨を振り下ろした姿勢のまま、こちらを睨む亮子の顔があった。

「こンのバカタケ……」

 昔から一人で無茶をした時に、姉のような叔母から拳骨と共に降ってきた呼び方。亮子は拳を解くと、未だに痛みのうずく健の頭を荒々しく握る。

「アンタがなんかされた時点で、家族のアタシらはとっくに巻き込まれてんだよ!? ボケたこと抜かしてんじゃないよ!?」

 亮子はそう言って、健の頭を荒々しく掻き撫でる。

「亮子さん……うん、ゴメン」

 健が口にした謝罪の言葉に、亮子が表情を和らげる。そして健から手を放すと、涙を浮かべてこちらを見る娘の肩に手を置く。その手を軽く弾ませながら、亮子は再び健に顔を向けて口を開く。

「……ま、でもある意味では安心したよ。体はどうにかされていても、心は何も変わってない。一人で要らん事まで背負い込んで、困った人を放っておけない、アタシたちの知ってる健のままだ。な、薫?」

 急に話を振られた薫は、潤んだ目を瞬かせる。が、直に眼鏡の隙間から涙を払い、何度も首を縦に振る。

「うん……うん! お兄ちゃんはお兄ちゃんのままよね、お母さん!」

 娘に頷き、二人で揃ってこちらに笑みを向ける亮子。そんな二人に、健は目元を抑えて頷く。

「ありがとう。亮子さん。薫」

 そう言って笑みを交わす三人。そこで不意に、健の背後から微かな衣擦れが鳴る。

「……いい家族だね。健君」

 その声に振り向けば、やや血の気は無いものの、上半身を起こして微笑む茜の姿があった。

「茜さんッ!? 気がついたんですかッ!?」

 その姿に、健は弾かれたようにその肩を掴む。その手に自分の手を重ね、茜は艶の落ちた唇を動かす。

「すまない、心配をかけたね。この通り、ちゃんと生きているよ」

 そんな茜の体を、健はしっかりと包み込むように抱きしめる。

「良かった……! 本当に良かったッ!」

「あ、いや、健君!?」

 戸惑いがちな茜の言葉にも構わず、健は腕の中の女性を抱く。

「約束通り、二人で帰ってきてくれて万々歳ってトコかね? ……薫? どうしたんだい?」

「……茜さんのことは大切だけど、まだ私だって諦めたわけじゃないんだから……」

 そんな浅井親子のやり取りを背中に受けながら、健はただ、茜を抱きしめていた。

 

 ※ ※ ※

 

「……もう上着を着てもいいわよ」

 寿命の尽きかけた蛍光灯の明りが照らす薄暗い地下室。打ちっぱなしのコンクリートに響く、どこか冷めた響きのある声に従い、茜は固い寝台から身を起こす。

 白いTシャツの上から、いつもの赤いジャケットに袖を通す。

 そうして声の主の方へ振り返れば、そこには顔のほとんどを包帯で覆った、白衣の女が腰かけていた。

「すまない南……こちらから手を切っておきながら一方的に頼ってしまって……」

 目を伏せて謝る茜。それに対して南は、背もたれに体を預け、首だけで茜の方を見る。その顔を覆う包帯の隙間からは、アロエの葉肉が覗いている。

「本当にね……今になって、またあんたを診ることになるなんて思ってなかったわ」

 南は左手で机の上に乗ったカルテを取り、それに目を落とす。その姿を太ももに腕を乗せて眺めながら、茜が切れ長の目を細めて口を開く。

「ブルーローズ開発部門で、私が強化服のテストを行っていた頃は、よく診てもらったものだったな」

 南は軽く鼻を鳴らすと、包帯の隙間から覗く目で天井を振り仰ぐ。

「懐かしい話ね……近藤が改造されていたことを知り、白柳に問い詰めた私が改造される前の話じゃない」

 南はそこで一度言葉を切ると、上がっていたあごを引き、真剣な面持ちで再度カルテに目を落とす。

「話がそれたわね……まず、結論から言わせてもらうと、あんたはもう戦うべきじゃないわ。変身はよくてあと三回……いいえ、無茶な戦いをすれば、それだけで致命傷になるわよ」

「……そうか。あと三回、か……」

 南から告げられた、己に残された生命。茜はそれを口にして両手を組んで握りしめる。

「よくて、の話よ? もう戦わずに静養しても、半年がどうにかといった所……あんた、馬鹿よね。いくら寿命が短いって言ったって、私たちとは違って無理をしなければ、まだ10年は生きられたでしょうに……それをこんなになるまで」

 そんな南の言葉に、茜は頭を振って立ち上がる。

「覚悟の上さ……私にはもう親兄弟もいない。無くすものと言えば自分の命くらいだ。故郷を護れるものが出てくるまで、護れればいいと思っていた。それが仮面ライダーにバトンを渡せるまで保った……十分さ」

 そう言って、切れ長の目を細めて微笑む茜。その笑みを見据えて、南は首を横に振る。

「強がるのはよしなさい。前は本気でそう思ってたのかもしれないけれど、今は違うでしょ?」

 南に切り捨てられ、茜は笑みを強張らせる。そうして目を伏せる茜に、南は再度口を開く。

「リバースライダー……伊吹健、だったかしら? 彼と共に生きられないことが怖くてたまらない。そうでしょう?」

 茜は健の名前が出た瞬間、唇を引き結び、ジャケットの左襟を右手で強く握りしめる。沈黙する茜に構わず、南は言葉を続ける。

「本当は一分、一秒、一瞬でも長く、彼の側にいたいと思ってる。どんなに些細なことでも力になりたいと思ってる。そして、彼に身も心も……」

「やめてくれッ!!」

 悲鳴にも似た叫びで南の言葉を遮って、茜は頭を抱え込むように両耳を塞ぐ。

「やめて……やめてくれ……今でさえ、深入りしすぎたと思っているのに、いずれ来る別れを、より辛いものにするだけだと分かっているのに……死ぬ前に、何もかもをぶちまけたいと願ってしまう浅ましさを、引きずり出さないでくれ……」

 肩を震わせて懇願する茜。その姿に南はため息交じりに頭を振って立ち上がる。

「そうね……私が踏み込む必要はないわね。じゃ、私はこれから近藤の遺した仲間たちを診ないといけないから……」

 南は茜から視線を外すと、部屋の出入り口に足を向ける。その瞬間、重く濁った水音が部屋に響き渡る。

「な……に?」

 音を辿り、茜が視線を巡らせる。そこには淀んだ緑色の粘液と溶け合った細長い塊があった。粘液に浮かぶ包帯、そして中身が無くなり、緑色に染まった南の白衣の右袖。床に落ちたそれは、紛れもなく南の右腕だったものであった。

「南、そこまで……」

 半ば呻くような茜の声に、南は辛うじて残っている肩を、左手で抑えて振り返る。

「目立たないだけで、あんたも似たようなものよ? お互い、残された時間は少ないわね」

 南はそこで一度言葉を切ると、緑色に染まった白衣の右袖を縛る。そして、顔に巻いた包帯の隙間から、強く輝く瞳を覗かせる。

「……けれどね、私は残った時間を精一杯生きるわ……自分の心に従ってね」

 そう言って南は茜に背を向けると、立ち止まることなく部屋を後にした。暗闇に消える南の背中を見送って、茜は眼を伏せて拳を握る。

 

 ※ ※ ※

 

 雲の白と空の青のコントラストが際立つ、晴れた空。降り注ぐ陽光を照り返し、白く煌く湖面。その上に迫り出した、コースターや観覧車の建つテーマパーク、「浜永ウォーターパラダイス」の入り口を前に、健と茜は横並びに立っていた。

「強引だな、亮子さんは……」

 真直ぐなセミロングの黒髪を揺らし、呆れ半分に呟く茜。それに対し、健も苦笑を浮かべて額を軽く掻く。

「いや、本当にすみません」

 二時間ほど前、二人がスカーレットジョーカーの開店準備をしていると、突然亮子にこのテーマパークのチケットを握らされ、半ば追い出される形で店から送り出されたのだ。

「……まったく、もう」

 自分たちを送り出した時の、ニッと笑いサムズアップをする亮子を思い出し、健は額を掻いたまま目を閉じる。

『色々と勘付かれてたってことか……』

 健は心中で一人呟きながら、左隣に立つ茜を見やる。すると、偶然同じタイミングで顔を動かしていた茜と視線がぶつかり合う。

「あ……」

 そして、揃って声を上げると、健は頬に熱いものを感じて目を逸らす。

『抱きしめたのがいまさら恥ずかしくなって目を合わせられないって……中学生かよ俺……』

 目を覚ました時に、思わず抱きしめてしまったこと。そしてその時に感じた茜の細さとしなやかな柔らかさを思い出し、健は熱くなる顔に右掌を被せる。

 そうして健が心中で一人悶えていると、不意に左腕を小突かれる。それに振り返れば、小さく笑みを浮かべ、自身の後ろ首を左手で撫でる茜の姿があった。

「ここで眺めていても仕方ないし、とにかく入ろうか?」

 顔と肩で手を挟むようにした茜に、健は慌てて首を縦に振る。

「は、はい。いきましょう」

 健の力んだ返事に、茜が笑みを深めて頷き返す。そうして二人は横並びにテーマパークへ向かって歩いていく。

 

 ※ ※ ※

 

「……で、最初に乗るのがこれですか?」

 徐々に近づく蒼天を仰ぎながら、健は隣りの茜に声をかける。その手は、体を抑える固定具をしっかりと握っている。

「景気づけにはこういうのが一番だろう?」

 どこか弾んだ調子の茜の返事。そのうちに、二人を含む乗客を乗せたコースターが、天へと続くレールの頂点を乗り越える。

 一瞬の停止。

 直後、眼下へ広がる湖面へ向けて一気に降下する。

「おぉわぁああああああああっ!?」

「いぃやっはあああああああっ!?」

 健の叫びと茜の歓声を始めとした、恐喜様々に入り混じる叫びの中、風を切り裂いて疾るコースターは水面すれすれで方向を切り替える。

「おぉ! わ! ああああッ!?」

「お! おぉ! わぁおッ!?」

 緩急をつけた左右の揺さぶりに、渦を描くツイスター。観客をその背に乗せたコースターは、荒れ狂う竜のごとく駆け抜ける。

 やがてコースを一周し、散々に観客をかき回したコースターが客を解放する。龍の背から解き放たれた健は、振り回された体と頭を解しながら、次に乗る客とすれ違う。

「いやはや、なかなかの迫力だったね」

「……ええ、まあ」

 満足げに頷く茜に、どうにか返事を返す健。

「よし! もう一回行こうか!」

「え!?」

 右手を挙げ、順番待ちの列の最後尾へ向かう茜。それに健は思わず声を上げる。

「ん? もしかして、嫌だったかな?」

 茜が振り返りざまに小首を傾げる。

「いえ、行きましょう!」

 背筋を伸ばして歩き出す健に、茜は笑みを浮かべて頷く。

 その後、計五回連続でコースターに乗った二人。

 コースターで散々に振り回された健は、膝に手をついて呼吸を整える。その目の前で、茜は両手に持ったクレープを交互に頬張る。

「ゴメンゴメン、バイクで慣れてるから平気かと思ってたんだけど……」

 クレープの包み紙をまとめて畳みながら謝る茜に、健は笑みを向けて首を横に振る。

「自分で運転してないのはちょっと……でも、俺が行くって言ったんですから」

 健がそう言うと、茜は小さく畳んだ包み紙を、片手で弄びながら口を開く。

「そういうものかな……」

 茜は呟いて、手近な屑カゴに包み紙を捨てると、健へ目を向けて軽く頷く。

「うん。じゃあ、次は健君の行きたいところに行こうか」

「ああ、それなら……」

 茜からの提案に健は、近くの案内板に目を通す。そしてその中にあった髑髏のマークで示されたアトラクションを指さす。

「次はこれにしましょうか?」

 言いながら健が確認に振り返る。すると、わずかに頬を強張らせた茜と目が合う。

「あ、苦手でした?」

 健の遠慮がちな問いに、茜は眼を左右に泳がせながら、口を開く。

「い、いや、問題ないよ。おば……幽霊なんて、平気さ」

 どこか固い声で言いながら、茜は歩き出す。そして健の前を通り過ぎた所で振り返る。

「さあ、行こうか?」

「あ、はい」

 再度歩き出した茜を追って、健も歩き出す。

 

 ※ ※ ※

 

 カビの臭いさえ漂うかのような薄暗い館。一歩一歩踏み出すごとに軋む廊下を、健は茜と連れ立って歩く。

「けっこう雰囲気ありますね」

 時折足元を確認しながら、健はよく出来た、いかにも出そうな雰囲気を楽しみながら進む。しかし、返ってこない返事を怪しみ、足元だけでなく茜の方も確かめる。すると、落ち着きなく目を動かしながら歩く茜の姿が目に入る。

 そこで目が合うと、茜は引きつった笑みを健に向ける。

「な、何かな? 健君?」

 僅かに震えた声で、茜がぎこちなく問い返す。その瞬間、天井から青白い人型が逆さ吊りに降りてくる。

「ヴァアアアアアアッ!!」

「ヒィヤァアアアアアッ!?」

 天井からの強襲に、悲鳴を上げて健へ抱きつく茜。

「お、おば、おば……」

 抱き付きながら、震えるままに呟きを漏らす茜。そこで、背後のドアが音を立てて開く。それに二人が振り返れば、そこには頭に鉈を食い込ませた死体が立っていた。

「ヴアアア……」

 その死体の口から洩れたうめき声に、茜は蒼白になって目を見開く。

「イヤアアアアッ!? おぉばけぇええッ!?」

 茜の悲鳴が薄暗い館を揺るがした。

 

 ※ ※ ※

 

 輝く太陽の下、ぐったりとベンチに体重を預ける茜。その右隣に座る健は、冷えたドリンクを茜に差し出す。

「すみません。茜さん」

 茜は健の差し出したドリンクを受け取ると、まだ青い顔に笑みを浮かべて首を横に振る。

「いや、お互いさまさ。先に強行したのは私の方だ」

 そう言って茜はストローに口を付けて、カップの中のドリンクを吸い込む。

「……む?」

 そこで茜は、客の行き交う前方に目を向ける。そしてストローから口を離し、カップをベンチに置く。

「茜さん?」

 立ち上がって、小走りに歩きだした茜に続き、健も立ち上がって歩きだす。人々の合間を縫って歩いた茜は、地面に落ちたクマのぬいぐるみを前にしゃがみ込む。

「落し物、ですね」

 健の言葉に、茜はぬいぐるみを拾い上げ、その埃を払いながら頷く。

「ああ、繕い跡も多いし……ここの商品じゃない。思い出の籠った品なんだろう」

 そう言って茜は埃を払い終えると、周囲を見回し始める。

「あ、ささき!」

 そこで不意にかかった声に振り返れば、髪を短いツインテールに束ねた女の子が駆け寄ってきていた。その女の子を迎えるように健と茜は腰を落として目線を合わせる。

「この子、お嬢ちゃんの?」

 茜がクマのぬいぐるみを差し出すと、女の子は、受け取ったぬいぐるみを抱き締めながら頷く。

「うん! ささきっていうの。みてないとすぐどっかいっちゃうの」

 そう言う女の子に、茜は笑顔を浮かべて頭を撫でる。

「そうなのか。じゃあ、どこかに行かないように、しっかりと見張ってないとな?」

「うん! ありがとう!」

 元気よく返事をする女の子の頭を撫でていると、女の子の母親らしい女性が駆け寄ってくる。

「ああ、すみません! ありがとうございました!」

「いえいえ」

 母親は頭を下げると、女の子の手を引いて、この場から離れていく。

「ばいばーい」

 振り返り、ささきを握った手を振る女の子に、茜と健も手を振り返す。

 そして揃って腰を上げ、離れていく母子の背中を見送る二人。すると、茜はふっと笑みをこぼす。

「多くの人にとっては目にも止められないものだが……ある誰かにとってはかけがえのない宝、か……」

「……茜さん」

 愛おしげに母子を見送る茜の顔に、健は自身の胸が大きく跳ね上がるのを感じた。

 切れ長で厳しい印象を持たせるが、その実柔らかく人々を見守る目。誰かの為に苦しい戦いへ身を投じながらも、たくましいとは言えない細身の体。そんな茜に、健は一度頷くと、目元口元を引き締めて声をかける。

「あの、茜さん」

「健……君?」

 健の方を見、何事かと言葉を待つ茜。そんな茜の顔を真直ぐに見据え、健は再び口を開く。

「茜さん。俺は、あなたのことが……」

 しかしその瞬間。健の言葉を遮るかのように、二人の足元に矢のようなものが突き刺さる。

「きゃああああああッ!?」

「な、なんだッ!?」

 周囲の人々が悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。そんな中、健と茜もとっさにその場から飛び退く。直後二人のいた場所を、矢のようなもの、銛が貫く。

「あれは!?」

 銛の飛んできた方向を見やった健は、飛沫を上げて水路へ消える鱗の生えた尾を見つける。そして尾の消えた水路を睨んだまま、傍らの茜に声をかける。

「茜さんは客の避難を。俺が行きます!」

「いや、私も……」

 その茜の言葉を遮って、水音と共に銛が飛んでくる。健はそれをかわして、茜を一瞥する。

「まだ戦えるほどではないでしょう!? 茜さんは早く皆を!!」

 そう言って健は、続く銛を身を捩って避けると、飛んできた方向へ向けて駆けだす。

 前方の水路で水面が爆ぜ、巨大な影が躍り出る。左腕と一体化した銛打ち銃、ハープーンランチャーをかまえたその影は、翡翠色の鱗に覆われた肌を日に輝かせ、鋭い牙の並ぶ大きな口を笑みの形に開く。

「ワニの怪人ッ!?」

 健が叫んだ瞬間、ワニの怪人・ハープーンクロコダイルの左腕から銛が発射される。

「ッ! ヤッ!」

 風切り音を上げて迫るそれを左手で弾く健。そして再度水路へ沈みゆく怪人を追う。

「待てッ!」

 しかし、健が水路を覗き込んだ時には、水面は波紋を広げるばかりで、すでに影も見えなかった。

「ドコへ……!?」

 健は水路の伸びる二方面へ視線を走らせる。そこへ不穏な潜行音が耳に届き、とっさにこの場から横っ跳びに飛び退く。直後、健の足を掠めて銛が通り過ぎる。

「クッ!」

 ジーンズが裂け、皮膚の裂け目から血を飛ばしながら、健は前転して受け身を取る。そして、そこを狙い迫る追撃の銛を、鼻先で掴み止める。

「ぐ!?」

 鼻に触れるか否かの距離で辛うじて止まった銛の先端に、呻く健。そこへワニ怪人が踊りかかり、振りかぶった右腕の爪を振り下ろす。

「ガアアッ!!」

 頭上に降りてくる爪を、横に転がって避け、立ち上がる健。その顔を狙った横薙ぎのハープーンアームに左腕をぶつけ止める。

「うっ……ぐッ!?」

 健はその勢いのままに押され、たたらを踏む。そこへ迫るワニの巨大な顎。鋭い牙が光り、よだれをまき散らすそれを、健は身を逸らしてかわし、右手に持った銛を怪人へ振り下ろす。

「セェヤァッ!!」

 だが、健の銛を持つ手首は怪人の右手に掴まれる。

「なッ!?」

「ガゥアッ!?」

 そのまま片腕で投げ飛ばされ、宙を舞う健。迫る地面に足、膝、肘、肩と順に接地、前転で勢いを殺し、左掌と両足でブレーキをかける。顔を上げればハープーンアームを構えた怪人の姿が目に映る。

「ウッ!」

 発射された銛が迫る中、健は背後の人々を一瞥、その場で足を踏みしめる。そしてその間に眼前まで迫っていた銛を、真正面から睨みつける。

「避けるわけには……ッ!!」

 叫んだ健の左手には、先が左肩に食い込んだ銛があった。健は赤く濡れた銛を抜き、放り捨てる。そしてジャケットからリバースドライバーを取り出し、装着する。

「変身ッ!!」

 掛け声と共に、健は装着時に左へ抜けた右手を戻し、バックルの左端に手をかけて右へ振り戻す。

《Ride ON》

 上下反転し、中央部の展開したドライバーから電子音声と渦巻く光が広がる。その光を纏ったまま健は両足を揃えて跳ぶ。

「イヤァッ!!」

 光を抜けたリバースは、怪人の長い上あごに膝を叩き落とす。

「グゥッ!?」

 くぐもった声を漏らし一歩下がるワニ怪人。リバースは左足から怪人の懐へ踏み込む。

「セイッ! イヤアッ!!」

 踏み込むと同時にリバースは、怪人の腹、胸へと左右のワンツーを打ち込む。拳に手応えを残して下がる怪人。そこへ追撃をかけるべく踏み込むリバース。

「くっそ……ッ!?」

「セヤッ! ヤアァッ!?」

 苦し紛れに向けられたハープーンアームを、右足で蹴り上げ、続けて右のローキックを脛に叩きこむ。

「ガアッ!!」

 怪人の咆哮と共に、その長い尾が足を掬うように地を払う。

「セイヤアッ!!」

 だが、リバースは尾を飛び越え、回転の勢いに乗ったワニの横っ面を、左足で蹴りつける。

「ギエアッ!?」

 声を上げ、横倒しに大きく姿勢を崩す怪人。リバースは着地と同時に怪人の尾を掴むと、その巨体を背負い投げる。

「デェエイヤアッ!!」

「ガッ!?」

 背を打ちつけ、大口を開けて苦悶の声を上げるワニ怪人。

「く、くそっ!! このままではライダーの始末すら……ッ!!」

 吐き捨て、転がるように近くの水路に逃げ込む怪人。

「待てッ!?」

 水中を高速で泳ぎ、離れて行く怪人を追うリバース。そこへ水中から迎え撃つかのように銛が飛び出す。

「クッ!!」

 それらをリバースは、とっさに装甲に滑らせて受け流す。次々と襲い来る銛に火花を散らしながら、リバースは怪人の影が向かう方向を目で辿る。その先には、逃げる人々で溢れかえった、大きく湖上をまたぐ橋があった。

「オーバーカムッ!!」

 銛の連射が僅かに途切れた隙にリバースは愛車の名を呼ぶ。そして、眼前から迫る銛二本を左手で叩き落とし、遅れて続く物をかいくぐって走り出す。

「セイヤアアアッ!!」

 その勢いのまま、地面を踏み込んで水上へ跳ぶ。水面へ向けて落下するリバース。その体を受け止めるかのように、オーバーカムが飛沫を上げて滑り込む。

「フッ!」

 シートへ乗り込むと同時に、リバースはスロットルを捻り愛車を加速させる。風と水面を切り走るマシンへ、水中を逃げる影から銛が放たれる。

「セェッ! イヤァッ!!」

 ハンドルを切り、それらを右、左と蛇行してかわすリバース。何発目かの銛を避け、飛沫を上げて左へ車体を切り返す。その瞬間、がら空きの側面を狙い、飛び上がったワニ怪人が右指にはさんだ四本と、左腕に装填された一発を一斉に発射する。

「クッ!?」

 リバースは進行方向を潰すように迫る銛に歯噛みする。しかし、すぐさまハンドルを圧し込むと、愛車を水上で逆立ちさせる。

「セェヤアッ!?」

 そして持ち上げた後輪を振り、飛来する銛を一蹴する。

 しかしその間に、怪人は素早く橋の上に降り立つ。

 

 ※ ※ ※

 

「きゃあああああッ!!?」

「ば、化物ッ!?!」

 ワニ怪人の登場に叫び、混乱する人々。その中で、怪人は一人の子供に目を付ける。

「お嬢ちゃんには、盾になってもらおうか」

 鉤爪の生えた右手を、クマのぬいぐるみを持つ女の子へ伸ばす怪人。

「やだぁ……こわいよぉ」

 震えてすくむ女の子へ伸びる怪人の魔の手、それを茜の蹴りが弾き、女の子の前に盾になるように立つ。

「人質などとらせんよ……」

「ポンコツが……生意気なッ!!」

 そう言って立ちはだかる茜の姿に、怪人は憎々しげに歯噛みしてハープーンアームを向ける。

「チィ……ッ!」

 鈍く光る銛の先端に舌打ちする茜。そこへ唸りを上げるエンジン音が鳴り響く。

 

 ※ ※ ※

 

「デェイィヤアアアアッ!!」

 茜が稼いでくれた時間で立て直したリバースは、オーバーカムもろとも跳躍、怪人目がけ突撃する。

「ライダーブレイクゥッ!!」

「グエェアッ!?!」

 跳躍の勢いのまま、オーバーカムの前輪がワニ怪人を撥ね上げる。

 そしてリバースは空中でスロットルを捻り、甲高い駆動音を伴った空中疾走機能を起動させる。そのまま空中でオーバーカムをターンさせ、宙を舞う怪人の下へ機首を向ける。

「セェイヤアアアアッ!!」

 宙を舞う怪人の体の下に潜り込んだ瞬間、リバースはハンドルを支えに逆立ちする。同時にワニ怪人の頭を両足で挟み込み、腕の力のみでオーバーカムから跳ぶ。

《Full Open》

「お前の作る、子どもまでも巻き込む流れ……俺たちがひっくり返すッ!!」

 リバースは空中で腰に付けたままのバックルを展開、体に漲るエネルギーを背筋と両足に集中させ、両足で挟み込んだ怪人の頭が地に向くように身を翻す。

 その勢いのまま、橋の近く、人のいない地面に怪人の頭を叩きつける。

 激突の衝撃が爆ぜ、舗装された地面に亀裂が走る。

 脳天から地面に突き刺さり、動かなくなった怪人から足を外し、リバースはクラッシャーを展開。そのまま、全身にたまった熱気を吐き出しながら、一歩、二歩と歩いて怪人から離れる。

「オーバー……シュタイナーッ!!」

 そして、三歩目で足を止めたリバースのクラッシャーが閉じ、その背後で怪人の体が爆発四散する。

「……フゥ……」

 爆発の衝撃が収まり、リバースが息をつく。直後、数多の触腕がリバースに襲いかかる。

「ぐわあああああッ!!?」

 電撃を纏った鞭の攻撃に、リバースはもんどりうって倒れ、転がる。

「ああ~ん。今回のはそこそこの出来だと思っていたのにィ! ショックだわぁ!」

 しなのある低い声にリバースが顔を上げれば、そこには、幾重にも絡まった触手の塊があった。

「お前は……ッ!?」

 笑う膝に鞭うって立ち上がるリバース。すると、触手の塊が解けながら回転し、しっとりと濡れた黒い体に、八本の触手を備えた体を持つスキンヘッドの巨漢が現れる。

「はぁ~い。キミちゃん博士よォん?」

 すると、白柳の顔が歪み、触手の根元を髭のように備えた蛸のそれへと変わる。

「変身したッ!?」

 リバースの驚きの声に、タコ怪人と化した白柳は指と触手の一本、そして腰を左右に振る。

「チッチッチッ……これは単なる擬態解除よぉ? タコの擬態能力って知らないかしら? 残念だけどアタシは旧型の改造人間をリファインしただけだから、あなたたちみたいな変身はできないのよ? け・ど……」

 そこで一度言葉を切り、タコ怪人は束ねた触腕でリバースを殴り飛ばす。

「ぐあああああッ!!」

「このタコサンダーの威力は抜群よ?」

 衝撃と共に全身を駆け巡る電撃に、リバースの装甲から火花が上がる。

「ほぉら、もう一丁!」

 追い打ちに振るわれる触腕。

「ハアアアアアアアッ!!」

 だがそれを、ミゼンの風を纏った蹴りが吹き飛ばす。

「茜さんッ!?」

 白いマフラーを靡かせるミゼンの乱入に、リバースが驚きの声を上げる。

「あら、やってくれるじゃなぁい!?」

 しかしタコ怪人は楽しげな声を上げながら、吹き飛ばされた触腕を操り、ミゼンに振り下ろす。

「そんなもの……ウッ!」

 呻き、その場に膝をつくミゼン。その隙を逃すはずもなく、容赦なく触腕が振り下ろされる。

「セェエヤアアアアッ!!!」

 だが、触腕がミゼンを打つより早く、割り込んだリバースがチョップで触腕を切り飛ばす。

「アーッ!? 切れちゃったァッ!?」

 切れた触腕を戻しながら跳ねるタコ怪人。それを睨みながら、リバースはミゼン、そして人々を庇うように立つ。それを見て、タコ怪人は肩と腰を緩やかに回す。

「まあいいわぁ……あなたたちの実力は見られたし、今日はここまでにしましょ?」

 そう言ってタコ怪人は自身を黒い霧で覆う。

「待てッ!」

 しかしリバースが踏み込んで黒い霧を振り払った時には、すでにタコ怪人の姿は無かった。

 

 ※ ※ ※

 

 太陽が西に傾いた中、オーバーカムにタンデムしての帰り道。健は腰にまわされた腕や、背中から感じる茜の気配に口元を緩めながら、愛車を走らせる。

 赤信号で停止したところで、健は後ろの茜に声をかける。

「茜さん、体は大丈夫ですか?」

「あ、うん……問題、ないよ」

 返ってきた歯切れの悪い返事をいぶかしみ、健は再度問いかける。

「本当に大丈夫ですか? 体調が悪いなら、止めましょうか?」

「いや、大丈夫さ。心配ないよ」

 どこか慌てた調子のある返事に、健は引っ掛かりを感じた。

『……茜さん自身が大丈夫って言ってるんだし、これ以上聞くのはしつこいか』

 しかし、そう考えをまとめると、話題を切り替える。

「そうですか……ところで、今日言いそびれたこと、聞いて欲しいんです」

 そこで一度言葉を切り、深く息を吸い込んで吐き出す。そして茜の返事を待たずに、続きを切りだす。

「俺は、茜さんのことが好きです」

 その言葉に、腰にまわされた腕が強張る。だが、健は勢いに乗せて続ける。

「仲間としてだけでなく、女性としてもです。茜さんさえよければ、パートナーとしてずっと……」

 そこまで言った所で、不意に茜の腕の力が緩む。健はそれに、愛車を路肩に寄せて振り返る。

「茜さん……?」

 ヘルメットのバイザーを上げて、茜に声をかける。すると茜はタンデムシートから降り、ヘルメットを脱いでこちらへ差し出す。

「……すまない、健君。キミの気持ちには答えられない」

「え……?」

 半ば押し付けられる形で返されるヘルメットを受け取りながら、健は茜の口から出た言葉に、気の抜けた声を返していた。

「私のことは忘れた方がいい……さようなら、だ。健君」

 そう言い切って、茜は踵を返す。そしてそのままこちらを振り向くことなく歩道を歩いていく。

 次第に遠ざかる、長く伸びる影を踏んだ愛しい人の背中を、健は声も出せずにただ見送っていた。

 

 ※ ※ ※

 

『これでいい……私の、こんな未来の無い女のために、健君を悲しませたくは無い』

 茜は足早に歩きながら、心中で呟く。

『もう健君に私の力は必要ない。もう足手まといになるだけだ……覚悟していた時が、終わりがやってきただけ、なんだ……』

 そこで茜は、自身のジャケットの左胸を左手で握りしめる。

『なのに……』

 ジャケットを握り、震える左手に、雫が一つ、二つと落ちる。

『なのに何故……こんなにも胸が痛くて、寒いんだ……ッ!!』

 うつむく茜の目からは、涙が溢れ、こぼれ落ちていた。

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