プロローグ
いつもと変わらない一日だった。剣の舞で敵を斬り捨て仲間の称賛を得る。
守るべきものは多く、守れなかったものもまた多い。
「……ずっと昔、皆で星を見上げたっけ」
窓から満天の星空を見上げ、イレリアはひとり呟く。
「皆いなくなっちゃった」
夜空に光の線が煌めいた。光が消えぬうちに願いを口にすると叶う、なんて物語が人々の間で交わされていた。それはあまりにも一瞬で、言葉を紡ぐには短すぎるのだけれど。
「もう一度会いたい」
叶わないことくらいわかっている。星に願ったところで死人は生き返らない。それでも言わずにはいられなかった。
光の線は一瞬強く輝いて消えていった。あれはすぐ消えてしまう。すぐ消えるからこそ、一瞬のうちに願いを言えれば叶うなんて迷信が流行るのだろう。
誰も見ていない時にだけ少女の瞳は潤む。一度閉じ、見開く。大丈夫だ。こんなところで止まるわけにはいかない。
「強くならないと」
自分次第の願い。そうだ、もう少しだけ訓練してから眠ろう。皆は早く寝たほうがいいって言うけれどどうにも眠れないから。
***
目覚める。何か見ていたことだけは覚えている。だけど、それだけ。名前も思い出せない。記憶にあるのは自分の名前くらい。どんな夢を見ていたという記憶すらかなたに消え去っていた。
目の前で紫の長髪が揺れる。まっすぐな長い髪と美しい顔立ちに一瞬恐ろしいとさえ思った。その隣に立つのは茶髪の少女。肩くらいまでの長さの髪は毛先で外にハネている。幼さと大人しさを持ち合わせた彼女は、緊張した様子でこちらを見つめている。
美貌の紫が口を開いた。
「目は覚めたかい? どこまで覚えてる?」
予想以上に声が低い。なんだ男か。てっきり長身の美女かと思ったのに。
「誰?」
見覚えのない顔。いや、見覚えがある顔なんてもの俺にはないんだけど。
男は少し考え込んでから言葉を続けた。
「今までの記憶はないのかな」
頷く。
「じゃあその事を口に出して言ってみてくれ」
「何で?」
「良いから」
何でだろう。まあいいけど。
「俺には今までの記憶がない……こういうこと?」
紫の男は隣の女をちらりと見て口元を押さえた。……笑ってる? 気のせいか。
「そうそう、そういう事さ。他には何か思い出せることはあるかい。どんな些細な事でも構わないよ」
そう言われても。何かあったかな。……そうだ。
「ゼロスって呼ばれてた気がする。覚えてるのは名前だけなんだけど」
紫髪の男はちらちら隣を見ながら俺の言葉に反応した。
「わかった。……ゼロス、いくつか答えてくれるかい」
「いいけど、多分俺何も答えられないと思うよ」
「知らない事を知らないと言ってくれればそれでいいから。私やソフィアに見覚えはないということだね」
「全然覚えてない。そう聞くってことは知り合いなの?」
茶髪の少女、ソフィアが控えめに微笑んだ。
「はじめまして。わたしはソフィア・ミュラトール。よろしくねお兄ちゃん」
「お兄ちゃん?」
ソフィアは微笑んだ。でも俺には彼女が初対面にしか思えなかった。
「……覚えてなくてごめん」
「だ、大丈夫だから! そんなに申し訳なさそうな顔しないでよ。わたしの方こそ……何でもない」
「ん……で、貴方は? まだ名前」
紫の方に顔を向ける。
「ああそうか。アレックス・バイロンだよ。あまり堅くならず気軽にバイロンって呼んでくれると嬉しいな。ゼロス、これからよろしく」
その男はウインクして手を伸ばした。一拍遅れて握手しようとしたのかと気づいて俺も右手を伸ばす。自分の手の甲に何か模様が描いてある事に気付いた。聞いてみる。
「これ、何?」
アレックス・バイロンと名乗った男は答えた。
「よくぞ聞いてくれた。これはノクサスの文様で『右腕』と呼ばれる我が特殊部隊の証さ」
バイロンは続ける。
「私の直属ってことになるね。死の瞬間まで祖国に忠誠を誓う、歩く忠誠心そのものであり」
えっと。つまりどういうこと?
「バイロンさん、お兄ちゃん記憶喪失なんですよ? いきなり説明されても頭ぐるぐるしちゃいます」
ぐるぐるってなんだよ可愛いな。
「ああ、そうか。……久々の収穫に先走ってしまった」
こほん。バイロンは改めて俺に告げた。
「ともかく君が生きてて良かったよ」
「えっと、ありがとうございます?」
「礼を言われるようなことはしてないさ。私の為にやったことだから」
バイロンは俺に笑いかける。
「君はまだ知らないことだらけだろう、けれど心配はいらないよ。私たちがついているからね」
きっと大丈夫。根拠はないけどそんな気がした。