眠り姫と見送る男
バイロンは部屋のベッドで横たわるソフィアを眺める。時間が止まったかのように少女はピクリとも動かない。
「何が起こってるのかわかる?」
ゼロスの言葉にバイロンは答えた。
「……魔法の行使による疲労ということになるのかな」
ソフィアの持つ魔力をその『瞳』で見極める。
「治す方法はあるのか」
「一旦場所を移して話すよ。ソフィア、もし聞こえているなら安心していい。適切な処置を取れば治るから」
ゼロスはバイロンに言われるまま部屋を出る。
「ソフィアは大丈夫なのか」
「適切な処置を取れば治る、先程言った通りだよ」
「本当に? ソフィアに聞こえないように話すってことは、まさかもう」
「落ち着いて考えてごらん。見込みがなかったら『治るから』なんてわざわざ口に出して言わないさ。あのソフィア・ミュラトールに」
「あっ」
安心させる為の嘘は彼女にとっては無意味どころか有害でさえある。
「それでね。ソフィアの力を維持するには必要な薬がある。畑で育てていたあの花さ。この土地も比較的多い方だけど向こうの方が魔力は濃いからね。ここで育ててる分は悪化を防ぐ力しかないが原産地から取れれば彼女の病も治るだろう」
「なら俺が行く」
「駄目だ」
ゼロスの言葉をバイロンは切り捨てる。
「前にアイオニアって国の話はしただろう。そこなんだよ。土地自体が意思を持っていて侵入者を阻むとか。それだけじゃないんだけど……流石に危険すぎる」
「バイロンも危ないだろ、それ」
「私が死ぬより君が戻らない方が状況は悪化する」
声を荒げるゼロスに対し、バイロンはあくまで淡々と告げる。
「でも!」
「……イレリア」
ゼロスは息を呑む。彼女の名前だけは聞いた事がある。アイオニアの女戦士。革命の乙女。宙に舞う無数の刃はノクサス屈指の兵士達の命を一瞬で奪ったという。バイロンには危険だから関わるなと口を酸っぱくして言われた。
「もし、彼女に万が一見つかったら……殺されるだけで済めばいい方だ」
「拷問されるかも、ってこと?」
「私は情報を吐くつもりはないがね」
「でも俺が」
「駄目だと言っているだろう。万が一が起これば全てが終わる」
ゼロスは俯く。ソフィアの事を思いながら。共に過ごしたのはほんの短い間かもしれない。それでもソフィアはいつだって自分を癒してくれた。料理上手で、ふわりとした明るい茶髪と優しげなタレ目が印象的な少女。
「俺が、魔法使えるの知ってるだろ」
思い返せばソフィアはゼロスのことを何度となく助けてくれた。彼女が隣にいたからゼロスは騙されるかもしれないという不安に怯えずにいられた。もし嘘を暴かれ逆上してきたらそこからはゼロスの出番だ。
「駄目だ」
何度もあの兄妹ノクサス人らしくないよねと噂されたがそんな事は別にどうでもいい。今、大事なのは。
「俺が守らなきゃ」
視界が滲む。ゼロスから見たソフィアはいつだって優しい妹だった。そのはずだった。また笑顔になってほしい。それだけだった。
一度涙を拭って、まっすぐバイロンを見上げる。
「俺が守らなきゃいけないんだ。……たった一人の妹なんだよ!」
しばしの沈黙。
「ははっ、そうか」
それを破ったのはバイロンの笑い声だった。
「たった一人の妹なんだよ、なんて」
「な、なんで笑うんだよ」
「ああ、本当にソフィアは大事にされてるなあと思って」
「当たり前だろ」
「尚更ゼロスを向かわせる訳にはいかないな。ソフィアの様子を見ていてくれないか。ずいぶん懐いているようだからね」
そう言われてしまうと弱い。
「……これは命令だ。私が戻るまで待っていなさい」
命令、そう告げられたゼロスの右手が熱を持ち煌めいた。叫ぼうとしたその口を開けたまま言葉を失う。その目はバイロンを見ているようで何処も見ていない。
「ゼロス、再度警告する。これは命令だ」
ただ茫然と立ち尽くすゼロスに、逆らうすべはなかった。
***
「じゃあ行ってくるよ」
バイロンが選んだのはウィルと何人かの村の男たちだった。何故自分を選ばないのかと疑問に思いつつもゼロスは素直に見送った。命令されたし。
「別に大々的に戦争するわけじゃない。こっそり拝借してくるだけだから」
「バイロンは勝てないの? その、イレリアって女に」
「勝つ必要はないのさ。目的はそれを倒すことじゃない」
「もし見つかったら」
「何とかするさ。上手くやれば敵ではないと思わせられるかもしれない」
「では行って参ります」
「ウィル、その。頼んだから」
動く骨を生み出し使役する魔術師ウィルはいつもどおりの無表情で答えた。
「はい。この文様に誓って」
と、見送りはしたが気が気でない日々だった。
毎朝ゼロスはソフィアの様子を見に行くが相変わらず止まったままだ。
「ソフィア起きないね」
アニーも心配していた。
「大丈夫、もう少ししたら戻ってくるから」
絶対にという保証はない。それでもゼロスはそう口にすることしかできなかった。
幼き魔女の指先に一瞬炎が灯る。心の不安を映し出すように揺れ動き、しかしそれはすぐにかき消えた。制御の仕方を教えられれば彼女は瞬く間にそれを覚えていった。
「戻ってくる?」
「見捨てはしないだろ。あの力は有用だって言ってたし」
全ての嘘が嘘であるとわかれば有利な条件も引き出しやすい。直接的な戦闘能力だけが力ではない。暴力は全てを解決すると語っていた者もいるしそれはある種真理をついているが、暴力に優れない者には暴力に優れない者なりのスマートなやり方があるとバイロンは語っていた。
「便利なら捨てないってことは使えなくなったら捨てられちゃうの?」
アニーは不安げにゼロスを見上げる。
「俺はソフィアを見捨てたりしないよ。アニーもな。俺は祖国の為の刃でありたい」
気が付いたら口に出していた。なぜ忠誠を誓うのか。ゼロスには正直理由を説明できないが、全てを失って目を覚ましたあの時から決まっていたような気がする。
「……うん!」
幼い魔女は笑顔を向けた。
「よし、じゃあ魔法の練習でもするか。ソフィアが起きた時こんなこともできるんだってびっくりさせようぜ」
広場に出た2人は思い思いの魔法を放つ。
火の玉がゼロスの眼前に一直線に飛んで来る。それを魔法壁で防ぐ。ガラスのように見えるがガラスそのものではないそれは単純な火には溶けない。だがこの火は魔法だ。それも、魔法使いを見る経験が多いであろうバイロンさえ文句なく天才だと呼んだ少女によるもの。
「やっぱり凄いよな、アニーは」
「えっへん」
壁が溶けかける。魔力を注ぎ込み補強するイメージで上書きする。少しずつ壁が修復する。
「負けないもん!」
二撃目。炎が広がる。一撃目が一直線に飛ばした火の球なら、これは眼の前を覆う火の床。アニーはどこまでも純粋に全てを燃やしつくそうとする。
全方位防壁。
ゼロスはすかさず壁を生み出して防ぐ。自分をすっぽり囲うようにドームを作る。この術は全方位をカバーできるという利点がある代わりに板状よりも魔力を消費する。また長く発動し続けると息が苦しくなるのも難点だ。
火をやり過ごしてから壁を解除。
アニーに足払いをかける。ゼロスの魔法はバイロンを驚かせるほどだが体術となると評価は人並みになる。だが彼くらいの年齢の男の『人並み』ですらアニーのような幼い娘には脅威となる。
だがアニーはただの娘ではない。小さな天才魔女だ。ゼロスの足はアニーが生み出した火の球に防がれる。火が彼女を守るようにすっぽり覆っている。触れた足先が焼かれる。
「あ、これ」
守るように取り囲む球。その形状だけを見るとゼロスの防壁に似てると言えなくもない。
「えいっ!」
アニーがすかさず次の攻撃を放つ。最初に見せた火の玉だ。
ゼロスの壁はタイムラグで消えている。できることならこの間隔を短くしたい、この壁自体で殴りたい。だが今は上手く行っていない。ひょっとしてゼロスは敵を傷つけることを怖がってるんじゃないかとバイロンは考察していた。真偽の程は不明だ。
横に飛んで避けようとするが球は追尾して逃がしてくれそうにない。火球の直撃を受ける。
「やるじゃん」
しばらくしてゼロスの壁が復活する。その壁をゼロスは特殊な方法で使う。壁で地面をえぐりあげた。舞い上がる砂煙。おそらくこれで彼女は場所を見失っただろう。
「んっ……」
からの一撃。小さな女の子を蹴飛ばすのもちょっと罪悪感があるが彼女は強い。大丈夫なはず。
これで決まる。そう思った所でアニーの叫び声がする。
「ティバーズ!」
そうだ、彼女はまだこれを残していた。アニーが大事にしているクマのぬいぐるみ、ティバーズ。魔法で命を持ち、彼女を守る番人となる。
巨大化した熊。巻き起こる火。ティバーズの腕が振り下ろされる。ゼロスの動きが止まる。
人の動きごと封じる魔法で作られた火、それがゼロスに直撃した。
「っ……本当強くなったな、短い間に」
「みんなが教えてくれたからだよ」
防御だけに専念し続ければもっと長い間守り続けられただろう。だがこれはゼロスの肉弾戦の訓練も兼ねていた。魔法は強力だが封じられた場合でも戦う術を身に着けたほうが良いという判断だ。この世界には魔法を封じる石というのもあると聞いているから。
ゼロスはしばらくソフィアを見守り、村を手伝い、アニーと共に魔法の訓練をしながら過ごしていた。
だが、戻るよと告げられた期日が過ぎてもバイロン達は一向に戻ってこなかった。