死の瞬間まで忠誠を誓う部隊。その例に違わずゼロスはバイロンの忠告を守り続けていた。
時間が止まった部屋で眠る少女を見る。それがゼロスの日課だった。
窓から差し込む朝日が暗い部屋に線を描いている。ゼロスはそれを浴びることなく暗がりに沈んでいた。
ソフィアは自室に寝かされている。ゼロスがそれをしばらく見守って部屋を出ようとした時、背後から見知らぬ少女の声を聞いた。
振り返るとその来訪者は床の上に開いた穴から飛び出してきたところだ。少女の色鮮やかな長い髪が揺れた。根本から先端までグラデーションを描いている。ポップさと幻想を混ぜ合わせた少女だった。
穴の先は緑色が広がる平原だ。いや、こんな穴が家に開いてるはずないのだが。これもポータルなのかな、多分。少女は左右色違いの瞳をぱちくりさせながら宙に浮かんでいた。どこかで見たかもしれない。見てないかもしれない。
「みーつけた」
「誰? ソフィアに何かするつもり?」
触れられていないはずの右手を爪で引っかかれるような痛みを覚えながらゼロスは妹を庇うように少女の前に立つ。
「そういうんじゃないよ。あたし、お告げのために来たの! その手なあに? 面白そう!」
少女はゼロスの眼の前に飛び右手をきらきらした目で眺める。ソフィアを害されるかと心配していたらちょっと拍子抜けだった。面白い手なんだろうか。バイロンが直々に魔法をかけた入れ墨だというから、多分そうなんだろう。
「かわいそー。つまんない」
すぐに興味をなくされた。
「何だよそれ」
「あたしが消してあげる。そうしたら自由だよ」
「駄目だって! 死ぬから!」
「大丈夫だよ」
にっこり。
「いや、でも」
少女は胸を張って答える。
「何年かしたら生まれ変わっておぎゃーだよ」
「それは大丈夫って言わねえよ!?」
「え?」
「『え?』じゃない!」
「やだ面白くなーい」
「面白いからで殺されてたまるか!」
突然現れたオッドアイの嵐はくるくる表情を変える。その目はどこかを見透かしたかのように。
「過去には無限の可能性があって、未来にも無限の可能性がある。もちろん現在もね。ここは鍵が壊れなかった座標。その鍵は開かないはずの箱を開けたの。グニャグニャがニッコリしてサラサラがプッツリ。あ、サラって名前じゃないよ。あたしゾーイだから」
「えっと、ゼロス・ミュラトール」
まくしたてる少女の話は擬音が多くていまいち理解出来ないが名乗られたことだけはわかったのでゼロスも名乗った。
「知ってるよ!」
そしてゾーイは衝撃的な言葉を口にした。
「あのねあのね、あたしこれを伝えに来たの。そこで寝てる子このままだと死んじゃう」
ゼロスは青ざめた。寝てる子なんてこの場には一人しかいない。それは嘘からゼロスを守る見えない魔法の壁。
「治す方法はないのか」
少女をゼロスは問い詰める。
「待ってちゃダメ、戻ってこないから」
言葉の真意にはすぐに気づいた。
「バイロンの事?」
右手の模様が一層痛む。ゼロスは右手をさすりながら話の続きに耳を傾けた。
「『手の色が消え家族が涙を流す』」
ソフィアが目覚める為にはゼロスの右手が代償になるという意味だろうか。
「聞いた言葉そのままだけど、右手ってそれかな?」
利き腕一本、ではない。一度文様を描かれた者にとって文字通り命に等しい。だからそれはきっと。
追悼の涙だ。
「ゼロスは右利き? それだと面倒だよねー。左利きなら右手なくなっても少しはマシだけどさ。あ、でも左手だと尖ったおたまでスープよそうのすっごく面倒じゃない?」
違うのだ。そうじゃない。尖ったおたまってなんだよ。自由気ままなこの少女はその明るさを一欠片も失わぬまま兄妹のどちらかが死ぬと伝えている。
「方法はそれだけ? 俺がバイロンを追いかける以外でソフィアは助からない?」
「あたしにわかるのはそれだけ。オンリーワンってやつ」
真偽を見通すというかけがえのない力を持った乙女と、ただ守りの魔法が得意なだけの男。どちらの命が重いかなど明らかだった。
ゼロスがソフィアと過ごしたことを自覚できる時間はあまりにも短いがそれでも家族なのだ。自分が消えたらソフィアは悲しむだろうか。それでも生きていてほしかった。役に立つかどうかなんて理屈は後付にすぎない。
家族なのだから。ソフィアの控えめな笑顔はこれからもずっとそこにあってほしい。もう一度目を覚ましてお兄ちゃんって呼んでほしい。それだけだった。
「だったら、俺はアイオニアに向かわないといけない」
「ゼロスが決めるならそれでいいよ、面白くなりそう」
ゾーイは空中で一回転、それから鼻歌交じりに身体を宙で揺らしていた。
「でも、命令に逆らうのは」
ゼロスは右手の甲をちらりと見る。行くなとその文様が告げている気がした。
「えー残ってていいの?」
その瞬間ゼロスの頭に思考が流れ込む。ここで待てというバイロンの声と、今も眠り続けるソフィア。ゾーイと名乗った少女はこのままだとバイロンは戻らないという。
「それとね、あんまり見ないほうが良いよその手」
「え?」
「自由じゃなくなっちゃうから。寝てる子起こしたいなら手袋でもしとくといいんじゃない?」
「よ、よくわかんないけどわかった」
前半の意図は読めないがアイオニアに向かう時に手袋をしろというのは確かに合理的なアドバイスだ。この右手を見られたら間違いなく敵視される。逆に見られなければ多分どうにでもなる。あまり顔立ちがノクサス生まれらしくないらしいから。
ソフィアを守りたい。ただそれだけの理由で言いつけを破って追いかける方向にゼロスの頭は固まっていた。だがしかし実際『右腕』が主に逆らうというのは異例なことだった。忠誠心だけならダリウスやスウェインの直属にさえ劣らない。絶対数は少ないが比率でなら負けない。あの死霊術師ウィルだって必要とあらば自分の命などすぐ投げ捨てるだろう。そしてそれは、きっとゼロスも同じ。
「それからー、あたしそろそろ時間だからもう行くね!」
消えるときも突然らしい。
「まだ話し足りないのに」
「気が向いたら来るかも。来ないかも」
まあ、何かあれば助けてくれるのかもしれない。
「100年後くらいに」
「遅すぎるよ! 俺寿命で死んでるわ!」
「あっ、人間の命は儚いってこと忘れてた。バイバイ!」
返事をする間もなくゾーイは再び地面に空いた穴にダイブしていった。穴は面積を縮小し、ついに消えた。先程まで穴だった場所を軽くつま先でつついてみるが何も起こらない。
「何ていうか、変わった子だったな」
部屋の光度に変化はないが、ゾーイの存在は時間が止まったこの部屋を明るくしてくれた気がする。これを本当の意味で照らすには一度旅に出なければならない。二度と戻れない可能性が高いがそれでも構わない。
「俺の光。……すぐ起こすから、ちょっとだけ待ってて」
眠ったままぴくりとも動かない少女がほんの少し微笑んだ気がした。多分それは気のせいなのだろうけど。
旅立つ前準備としてゼロスは畑で咲いている花を折った。目的の物を持って帰るための判断基準だ。これを見せて現地の人に聞いてみるのもいいかもしれない。手を隠しておけば多分ノクサス人だと言われることはないと思う。大丈夫、なはず。
注意点を心の中で唱える。
その1。できる限り早く。今は眠ってるけど、それがいつ永眠にならないとも限らない。
その2。余裕があればバイロン達のことも連れ帰る。
その3。宙を舞う剣にだけは見つからないこと。視界にすら入るなというくらいだから余程相性が悪いんだと思う。ただ空を飛ぶだけの剣なら全方位防壁で守れそうなものだけど。壁すり抜けたりするのかな。
ゼロス・ミュラトールと名乗った男が待ち受けている運命を、彼はまだ知らない。