空を滑る黒い影。ゼロスは求めている花を得る為に上空から目当ての場所を探した。
前方に広がるのは木々の絨毯。長らくその景色だけだったが空にぽつりと何かが見える。近付くことでゼロスはそれの巨大さを理解する。建物だった。
ゼロスの真上に動く。陽光が遮られる。真下から見ると建物の基礎になっていたのだろう土がわかる。
浮遊魔法の使い手は理解した。天才だ。建物がどのような力で浮いているにせよ、あれだけの重量を支え続けるのは簡単ではないことを。一瞬ならできるかもしれない。だが浮かすことと浮かし続けることの間には大きな壁がある。
建物の縁から何かが落ちる。銀の糸。ハッとした。人だ。頭からまっすぐに落ちる。腰まで届くかという長い髪。ちょっと前に見た女も銀髪だったしこの辺りには銀髪の女が多いのだろうか。
ゼロスはまた『夢』を見た。
ひとりの女がこの地に生を受けた。生まれつき白い髪をもって生まれたその女は家族に育てられるが、彼女と家族の間には距離があった。
銀髪の少女はぼーっと青空を見上げる。彼女は空を走る線を見た。
「流れ星?」
星を見たのだと家族に伝えるが昼に星なんて見えるわけないと一蹴される。見たのに。あれは確かに星だったのに。彼女はそう言い張っていた。
現実に引き戻される。
落ちていく人影を見たゼロスは考える間もなく空飛ぶ床を繰る。
手袋に隠された右手が強く痛んだ。助ける必要はないと言われたような気さえした。
それは事実でもあるのだろう。祖国の為に誓うべき忠誠を祖国の敵に分けてやる理由などどこにもない。まだあの女が明確に敵と決まったわけではないがこの国にいるということは味方でない可能性の方が遥かに高い。
ゼロスはそれでもまっすぐ落ちていく銀色を追いかける。ただ、そうしなくちゃいけないと思ったから。
落ちていく速度と追いかけていく速度。ゼロスの願いに呼応するかのように床は動きを速める。顔面に風を浴びる。目に受けた異物感に一度閉じ薄目で状況を判断する。砂でも入ったか。上空の土台から落ちてきたのかもしれない。左手で板の縁を掴み距離を詰める。水平に高速移動する板と垂直に落ちる女。
頼む、間に合ってくれ。
手を伸ばす。
右手に感じる痛みにも耐え女の足首を掴んだゼロスは何とかして板の上に女を乗せることに成功した。
銀髪を乱した女は冷たい目でゼロスの顔を見る。
そして女は、飛び降りようとした。流石にこの高さから落ちたら死は免れないだろう。ゼロスのように飛ぶ手段がない限り。
ゼロスは慌てて足首を掴む。生成魔法の応用で落ちないよう床の範囲を広げる。試行錯誤。なんとか銀髪の女が床に横たわっている状態にとどめることができた。とはいえこの状況だとまた落ちていきそうだ。まずは動きを止めないといけない。そう考えたゼロスは自分の四肢で相手のそれを抑え込むような姿勢にする。重力を味方につける。
そこで背景に映るものに気づく。勿論透明で地表が見えるのがゼロスには恐怖だったがそこに穴があることに気づいた。本来目的としていた場所じゃないか、あれは。
にやついてしまった。表情に喜びを隠せなかったゼロスに対して女が口を開いた。
「何のつもりだ。邪魔をするな」
考えた。助けたつもりだったのに邪魔だと言われた理由を。助けられるのが嫌だったということは、つまり死ぬつもりだったのだろうか。
……そんなの。
「だめだよ」
飛び降り自殺。そう結論付けた。
女は冷たい目線で答える。
「私を縛るな」
ゼロスはそれを受け入れられなかった。離したら落ちてしまう気がするから。
あまり長い間拘束し続けるのも消耗するしこの空中戦を一歩間違えれば大変なことになる。自分を守るだけならともかく彼女までとなると壁生成の難易度も上がる。
目的地を見つけたし降りよう。ゼロスはそう考えて女に言った。
「ここでっていうのも何だからさ、一旦落ち着ける場所に行こう」
ゼロスは高度を下げる。女はゼロスの視点からすれば一見無抵抗のまま彼の下で仰向けになっている。死角故に気づいていないが彼の背後には黒い球がふよふよと浮かんでいた。
一度自分の意志で飛び降りたとしても、『落ちる』ことに恐怖を抱いているかもしれない。
そんな風に考えゼロスは女に優しく声をかけた。
「大丈夫。痛くないから」
「……邪魔をするなと言ったはずだ。私から離れろ」
女の声が一層低くなる。よほど死にたかったらしいとゼロスは推測する。だが、死なせるわけにはいかない。
「嫌だ」
「邪魔をするなと言ったはずだが」
左側から脇腹に衝撃を受けゼロスは吹き飛んだ。空中に投げ出されそのまま回転する。二発目を受ければ死ぬ。受けなくとも墜落したら死ぬ。自分の後ろに壁を作ろうにも『後ろ』がコロコロ動くため自分を守る位置がわからない。ならば全方位防壁。その結果ゼロスは球体の中で何度も身体をぶつけることになる。
板から吹き飛ばしても死ななかったゼロスを見た女はほんの微かに笑うと、自らの意思で空中に身を投げ出した。
止めるすべはもうなかった。
***
思わず目を閉じる。その後恐る恐る目を開けるが地面に無残な死体が転がっているようなことはなかった。
ゼロスは一瞬の平穏を見た。女は怪我一つなく森に開いた空洞へ降り立ってゼロスを見上げていた。ほんの一瞬はすぐに崩れ去る事となる。彼女が指をさすとゼロスの元へ黒い球が飛来する。
おぞましいほど純粋な魔力の塊。見つめていると吸い込まれそうになる黒。自身が魔法で作った球体防壁の中からゼロスはそれを迎え撃った。
やることは実のところいつもと変わらない。
「盾よ!」
飛び込んできた黒。強度を上げるようにイメージする。今まで感じたことのない重みに苦悶の声をあげるがこの距離では女に聞こえない。最も聞こえていたからと言って止めるとは思えないのだが。
個性豊かな魔法が息づくルーンテラの中。ゼロス・ミュラトールの魔法は宙に浮かぶ透明な防壁であった。その壁は時に空飛ぶ絨毯になるし、彼自身の全てを包み込む球にさえなる。
女は何度かゼロスに球をぶつけたがしばらくすると興味を失ったようで、森をくりぬいた空洞の中で一面に広がる花を見ていた。