恐ろしいまでの魔法の才能を持って生まれた天才シンドラは束縛されることを何より嫌う。
男を自覚的に誘惑する事はなく魅了魔法など使ったこともないがそれでも彼女には天性の美しさがあった。流れるような銀髪。特別な手入れは何もしていないのに荒れを知らぬ肌。痩せようと意識したことは特にないのに好きなだけ食べても太らぬ身体。持って生まれた美貌だけで充分だった。
魔法も美しさの素体も間違いなく天才だった。そして夢想家で変わり者と呼ばれるような少女だった。シンドラを理解できるものは少なかった。
シンドラは金では靡かない。彼女が好むのはただひとつ、自由だ。それを阻もうとするものには容赦しない。無差別殺人鬼と称された事すらある彼女だがそれは彼女の本質を見誤っている。自由を阻もうとするから彼女は怒り狂うのだ。確かに彼女は人の命を奪った事もある。自由を奪った相手を殺したという因果関係は確かにそこにある。だが違うのだ。シンドラは復讐者ではない。殺しは目的ではない。ただ目的を達成するための方法として都合がいいだけのこと。
その日シンドラはお気に入りの森に飛び降りた。常人なら死は免れない高さからの自由落下。あいにくシンドラは常人ではない。その場所は一箇所だけ森が切り取られたかのように広がる。
外敵を阻むはずの森。だが彼女は外敵とみなされなかった。『森に』入らなければ迷いようもない。自分を縛ろうとした同郷の奴らは嫌いだが、あの場所だけはそんなに悪くない。森が守ってくれるからわざわざ追いかけてきて虐げるような者もいない。
普段なら何の問題もなく魔法で着地するのだが今回は違った。自分以外にも空を飛ぶ者がいた。黒髪の男だった。翼やら獣耳や尻尾やらが生えている気配はないので恐らく人間だろう。男はシンドラの四肢を押さえつけて笑みを浮かべる。シンドラを捕まえた事を愉しんでいるのか。その割にはシンドラを見ているようで見ていない。本能的な恐怖を感じる。捕食されそうな嫌悪感。その嫌悪感の意味をシンドラは知らなかった。
思わず魔法で突き飛ばした。この高さから落ちれば普通は死ぬだろうが向こうも浮遊魔法の使い手。地面に激突することはなかった。まあ、別のものに激突していたが。
シンドラが地表に降り立ちしばらくするとどうやら男もこの場所に降りてきたらしい。シンドラは得意の魔法を投げつける。魔力で作られた黒い球。男はシンプルな長方形の壁で防いでから叫んだ。
「さっきはごめん! 飛び降りて死ぬつもりかと思って。元気なら良かった」
頭を下げられシンドラは呆気にとられた。
「は?」
飛び降りて死ぬ? 誰が。私が? そんな馬鹿な。死んだら自由になれないじゃないか。幽霊になるのは肉体を堪能しきってからでも遅くない。そもそもこの男は私があの場所から飛び降りれる事に疑問を持たないのだろうか。
男は説明を続けた。
「ここに咲いてる花が欲しいだけなんだ。どうしても必要で」
理由はあるらしいが別に構ってやる義務もない。あまり荒らし回られるのは嫌だ。その為ならシンドラは敵の命を奪うことを厭わない。人間は嫌いだが、死体は別に嫌いじゃない。死人は自由を奪ってこないから。
「出ていけ」
男は首を横に振った。
「ごめん、できない。妹の病気に効く薬なんだ」
シンドラの動きが止まる。胸のどこかを叩かれたような衝撃が走る。言葉を胸の内で反芻する。痛い。気のせいかと胸に手を当てる。胸の重みは変わらなかった。
「随分と大事にしているんだな」
「だって家族だし」
当たり前だろと笑う。シンドラは理解できなかった。
「血が繋がっているだけの他人にどうしてそこまでする」
男は答えた。
「あれ。そういや何でだろう」
答えにもなっていない言葉を。
「助けたくなるような相手だったんだな」
「うん? そうだな。助けたい。守りたいって思うよ」
男の笑顔はシンドラの胸に不快感を植え付けていった。何故か、とても、ものすごく不快だが、今すぐ殺す理由もないと思った。だが彼の何が気に入らないのだろう。きっと自由を奪ったからだ。
彼自身はシンドラの球を防ぐ程度には優秀な魔法使いだ。そんな彼に感じるのは嫌悪感。四肢を押さえつけて笑ったからか。魔法の才能以外のものも当たり前に手にしているからか。それとも彼自身が帯びる魔法のせいか。違和感を無視しようとする。今すぐ殺さないというのは、シンドラにしては寛容な処理だった。
耐え切れずシンドラは地面に生えている花を乱暴にむしり取るとゼロスの顔に向かって投げつけた。ゼロスに届かず落ちるはずだったそれは突如不自然な軌道を描きゼロスの顔を一直線に狙う。ゼロスはそれを反射的に壁で防いでしまう。とはいえその直感は正しかった。何もしなければ今頃は顔に直撃し、ただの花では起こりえない傷を負うことになっただろう。今のシンドラから投げられた魔法なら死ぬことはないだろうがしばらく動けなくなるくらいのことは十分考えられる。
「これで満足か? さっさと行け」
「……えっと」
「気に入らない。その言葉も抱えている魔法も、全部」
何故か右手を軽く押さえたゼロスをシンドラは睨みつける。手袋の下が血まみれだろうと別に興味もないはずだが、あの手からは嫌な感じがする。
「足りないなら勝手に毟ってろ。私は出ていくぞ」
「ありがとな」
シンドラは再び宙に飛び上がる。彼女に板など必要ない。出ていくなどと言いつつ実際は男を観察していた。
花に夢中なそれを見下ろす。
『だって、家族だし』
妹を守ろうとする姿を見てシンドラは不快になった。
どうやら兄というものは妹を虐げると相場が決まってはいないらしい。あれの妹とやらには自分にはないものがあるのだろう。守りたいって思わされるような雰囲気とか。だがそれは邪魔者だったシンドラには何一つ関係のないことだ。
世界はシンドラから自由を奪った。ようやく取り戻した心には言葉にできない空虚さが残る。もう自分を縛るものなど何もない。ないはずの鎖が今でも絡みつくような気がした。